多元的二重人格の話
森本 晃次
第1話 超神経質人間
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和4年7月時点のものです。「ジキルとハイド」の話は実際に読んだわけではないので、実際の内容は詳細までは分からないので、架空の物語として書いてます、「ジキルとハイド」と書いてますが、あくまでもシチュエーションを同一にした、フィクションです。そう、それこそ、同一時間軸の別次元という意味で、パラレルワールドと似た関係だと言えるのではないだろうか?
岡本正人は、人によっては、
「いつもいい加減なことばかりしている、無神経なやつだ」
と言われることもあれば、逆に、
「あいつは、バカがつくくらいに神経質で、ちょっとしたことでも、気を付けるやつなんだ」
と言われることもある。
どうやら、彼は相手によって態度を変えているようで、
「あいつは二重人格だ」
という悪口をいう人がいるが、実はこれが一番、岡本という人物を表現するには、間違っていないだろう。
ただし、冷静に人のことを見ることができる人間でなければそんなことはできるはずもない。 なぜなら、その相手に対して神経質になって、その相手にはいい加減でいいのかということは、岡本だけにしか分からない感覚のようであった。
だから、冷静に見れる人でも、
「あいつが神経質な相手と、いい加減な態度の相手に共通性が見つからないんだよな」
といっていた。
それこそ、岡本という人物が、
「神出鬼没な人間だ」
と言われる理由でもあった。
しかし、神出鬼没というものと、二重人格な性格と、どこに接点があるのか考えてみたが、分かるものではなかった。
ただ、分かる人には分かるようで、岡本のことを、
「あいつほど分かりやすいやつはいないじゃないか?」
というので、
「えっ? あいつほど共通性が分からないやつはいないと思うんだけど」
と答えるだろう。
しかし、自称、
「彼のことをよく分かっている」
というやつから言わせると、
「あいつに、共通性というものを求めるから分からなくなるのさ。あいつは自分の感性で生きているんだ。共通性というのは、後からついてくるもので、ついてこなかったとすれば、共通性の種類が、あいつと違うというだけのことなんじゃないかな?」
というのだった。
「いや、ということは、それだけ協調性がないということだろう?」
というと、
「いやいや、協調性って、何を基準にいうんだい? 協調性というのは、誰に対してのものか、それが大切なことなんじゃないのかな? 相手が違えば、違った態度を取るのが当たり前なんじゃないか?」
というではないか。
確かに、相手が違えば態度も違う。それは身に染みて分かっていることであるから、
「この人にはこういう態度」
ということを分からない相手とは、基本的につき合っていくことはできないだろう。 そう思うから、態度に現れるのであって、
「付き合うことのできない相手だとこっちが思っていると、相手も分かるというもので、同じように、お互い毛嫌いするから、最初から接点はない」
といってもいいのではないだろうか。
そういえば、子供の頃から大人に、
「友達は選びなさい」
と言われてきたが、いつの間にか、損得勘定が、そのまま、人との交わりに変わってしまっているのだった。
そんな岡本は、小学生の頃から、物忘れが激しかった。特に小学三年生の頃くらいから激しかったのではないだろうか。本当はそれまでもあったのだが、
「まだ、小さかったから」
ということで、目立たなかっただけだ。
そんな彼が物忘れが激しくなった原因をして考えられるのが、
「考えすぎる」
ということが一つではないだろうか。
小学三年生の頃には、算数を中心にして、勉強が苦手だった。
いや、苦手だったというよりも、やる気が出ないというか、もっと言えば、
「理解できない」
と言った方が正解なのかも知れない。
特に、算数などは、
「一足す一が二」
ということがまず、理解できないのだ。
「そういう風になっているんだから、そういうものだと思えばいいのだろうが、いきなり理解できないことにぶつかると、先に進めない」
と思っていたのだ。
そして、こんなことを考えているのは自分だけだと思っていたようで、実際には他にも似たような人は結構多かったのだろうが、自分だけだと思い込むことも、岡本の悪い癖の一つだったと言えるだろう。
確かに思い込みが激しいと、しょうがないところもあるのだろう。
しかし、それにしても、算数の基本中の基本を、皆理屈もなしに、
「そんなものだ」
といって受け入れることができるのだろうか。
きっとできているのだる。だから、その後の授業にもついていけているのだ。自分は、それを受け入れることができないので、そこで止まってしまっている。
「受け入れれば、楽になれるのだろうか?」
と考えた。
しかし、ある程度のどこかで、受け入れられなければ、どんどんまわりとの差が激しくなるばかり、受け入れる姿勢はしまさなければいけないだろう。
そう思っていると、三年生の途中で、急に理屈を理解したような気がした。
言葉では言い表すことのできない何かが自分の中に出てきた気がして、それを、
「何かが降りてきた」
といってもいいのだろうが、そんな言葉を小学三年生が分かるはずもなく、後から思い返して、
「そんなことを感じた時期が、確かに小学三年生の時にあったのだ」
と思ったのだった。
小学三年生から四年生になると、勉強が急に難しくなった気がした。
しかし、そのおかげなのか、分からなかったことが、急に分かるようになった。そしてそれが、自分の中で、
「分からなかった理屈が理解できた瞬間だったのではないだろうか?」
と感じた時だったような気がする。
そんな時から、
「目からうろこが落ちた」
とでもいうのだろうか、分からなかったことが分かってくるようになった。
「何が簡単で、何が難しいのか?」
というようなことすら分かっていなかったことに、その時、いまさらながらに気づいたのだった。
そのおかげで、みるみる成績は上がっていった。何しろそれまで理屈が分からないのだから、テストで、ほとんど惨敗だったのもしょうがない。
「覚えなければいけないこと」
というのは、
「あれこれ考えるのではなく、暗記するもの」
という理屈が分からなかった。
算数だけでなく、他の教科が分からなかったのも、そのせいだったのだ。
だが、一つのタガが外れると、
「勉強って、楽しいものだったんだ」
ということで、自主的に勉強するようになった。
五年生の頃には、すでに、クラスでもトップクラスの成績になってきて、
「小学校で習う勉強位では、物足りない」
と思うようになったのだ。
特に算数というものが、好きになったことで、
「算数というのは、こんなものではない」
と逆に思うようになった。
五年生になってから、文章題が増えてきて、それはまるでクイズ感覚に感じられた。
「これを、鶴亀算というのだよ」
と担任の先生に教えられて、
「他にもいっぱいあるんですか?」
と聞くと、
「うん、植木算とか、倍数算とか、何とか算と呼ばれるものは、十種類以上あって、それを勉強するのって、結構醍醐味だったりするものだよ」
というではないか。
しかも、それらの勉強を、小学生では深堀することはないという。
「塾なら教えてくれるかも知れないけどね」
と、小さな声で先生は言った。
先生の立場から、塾を奨励することはできないのだろうが、
「せっかく勉強に目覚めたのだから、自由にやらせたい」
という気持ちもあったのだろう。
低学年の頃から、岡本のことをずっと見てきた担任だからこそ、そう思うのだ。
担任は、岡本が、いつ頃勉強に目覚めたのかは分かっていた。
しかし、
「どうして目覚めたのか?」
ということや、そのきっかけなどについては、分からない。
当然、本人にしか分からないことで、それを口で説明することは難しいことであろう。
それを思うと、先生も無視するわけにもいかないが、おおっぴらに塾を勧めるわけにはいかない。
そんな中で、親も、
「お前がそこまでいうのなら」
ということで、塾に関しては、快諾を得た。
親の方としても、三年生の頃までのテストの成績や、
「勉強しなさい」
といっても、それがまるで、
「暖簾に腕押し」
のような、まったく無反応な状態に、苛立ちを覚えていたのだった。
それが、急に成績もよくなり、
「勉強しなさい」
という言葉への反応が、果たしてどういうことだったのかということを分かる機会を逸したのは、残念なことだったが、子供が、
「勉強したい」
とそれまでと正反対の反応を示してくれたのだから、もうそんな細かいことを気にする必要などあるはずもないのだった。
塾に行かせてもらえるようになってからというもの、岡本の人生は変わった。
それは、
「よくも悪くも」
ということであり、塾のおかげで、岡本の成績はうなぎのぼりでよくなってきたのだった。
受験勉強も順調で、進学校のエリート中学というところまでは、成績が及ばなかったが、
「中学受験をする中で、中間クラスの学校であれば、合格できる可能性は高いですね。だから、あまり私は背伸びしないことをお勧めします」
と学校の先生は言ってくれた。
きっと、その心の裏には。
「最初の頃、勉強にまったく興味を示さなかったのだから、しょうがない」
ということだったのだ。
そんな彼は、中学入試を無事に終えることができたのだ。
小学三年生の時に、忘れ物が多かったのは、
「理解できないことを必死で考えていた」
ということが大きかっただろう。
本人は、
「疲れるだけなのだから、無理に考える必要などない」
と思っていたのだが、
「考えてしまうのは、無意識のうちのことで、自分から望んだことではない」
と思うと、その頃から、物忘れが激しくなった。
最初の頃は宿題をしなかったことにある。
それも意識してしなかったわけではなく、
「宿題が出されているという、そのことがまったく頭の中で消えてしまっていた」
ということだったのだ。
自分でも、これには理解不能だった。
「確かに、宿題など理解もできていないのに、できるはずがない」
とは思っていたが、まさか宿題が出たことすら覚えていないというのは、潜在的に忘れようとしているからだとしか思えない。
だが、自分に意識があるわけではない。理解できないことを納得できないと思っている岡本にとって、本当に理解できないというのも、無理もないことだったに違いない。
だが、そんな岡本も、無事に中学に入ることができた。
最初は、もちろん、有頂天だった。
「三年生の頃までは、あれだけ成績が悪かったのに」
と、頭が悪いわけではないと思っていた自分を、その時は忘れていて、ただ、
「成績が悪かった」
ということだけが頭の中に去来していたのだった。
だが、実際に中学に入り、勉強を始めると、それまで想像もしていなかったことが起こった。
まわりは皆優等生、小学生の頃の塾に行っていた時と同じ状態だったので、ある意味、
「優秀な中で、切磋琢磨の嬢や胃」
といえたのだが、これが、学校ともなるとそうもいかない。
小学校は、塾に比べれば、生易しいものだった。
「学校は塾の補助のようなものだ」
と思うようになっていた。
だから、先生は大っぴらに塾のことを言えなかったのだろう。
ただ、本当にそうだったのだから、後から思うと、先生の苦悩も分からなくもなかった。
しかし、中学ではそうではない。
「皆受験という難関を超えてやってきたのだ」
つまり、皆それなりの頭を持っているわけで、そんなレベルで教育を受ける。
中には、
「ギリギリの成績で入学できた」
というような生徒もいて、
「受験は、学力テスト」
というくらいに見ていた人。
あるいは、親から勉強させられる形で嫌々していたが、
「その分、学力がついたせいで、受験もさせられ、別に行きたくもない学校に行かされたと思っている人までもが、自分よりも成績がいい」
などという生徒もいたりする。
そんなやつがいるせいで、自分はどんどんまわりから取り残されてくる。
それでも、一年生の頃はそこまで意識はなかったが、二年生になると、その思いが強くなり、成績も落ちているし、まわりについていけないという意識が、どんどん強くなってくるのだった。
それを思うと、
「俺は何をやっていたんだ?」
と、それまでの中学に入ってからの意識がどんどん遠のいてくる。
しかし、小学生の頃の塾の記憶は鮮明だ。
途中で穴が開いてしまったという感覚のせいで、小学生の頃のことが、
「ついこの間のことのようだ」
と感じるわけではない。
あくまでも、小学生の記憶は、距離がそのままだといってもいいだろう。
「だったら、そこに穴が開いているということか?」
と感じたが、まさにその通りだったのだ。
小学生と、中学生の間に、大きな溝があるようだが、これは受験をせずに、小学生からそのまま持ち上がった中でも感じることだろうか?
ただ、その大きな穴のせいで、自分の中にある記憶力が断片的になって、いつの間にか、自分でも簡単に忘れてしまっているかのように感じられるのだった。それはまさに、小学生の頃、宿題を忘れていたという感覚に似ているのであった。
「どうやら、俺は断片的に、物忘れというものをまるでルーティンのように感じるようになったのかも知れない」
と感じていたのだった。
ただ、物忘れというのが、本当に覚えていなければいけないことを忘れていることが多い。
例えば、
「宿題をするのを忘れて行った」
としよう。
それは、宿題があったことは憶えているのだが、ついつい、するのを忘れていたというのであれば、まだいい、しかし、岡本の場合は、
「宿題を出された」
ということ自体を覚えていないのだ。
「だったら、最初から宿題はあったものだという意識を持っていればいいんじゃないか?」
と言われるがそうではない。宿題ということが頭に浮かんでこないのだ。
「嫌なことに対して、必要以上に意識が高いと、そういうことになるのかも知れない。だが、宿題がそんなに嫌だというわけではない。低学年の頃までは勉強が嫌いだったので嫌だったが、
「高学年になれば、逆に学校で出される宿題くらいは、お茶の子さいさいだ」
といってもいい。
まるで、塾の勉強の前の、ちょっとした準備運動くらいのもので、気分転換としてはちょうどいいと思うくらいであった。
それなのに、忘れてしまっている。
「覚えようという気がないからだ」
と、よく言われるが、
「そもそも、皆、忘れないということは、覚えていようという意識を持っているからなのかい?」
と聞いても、誰も、
「そうだ」
とは答えてくれない。
つまり、
「どんなに意識をしようとも、忘れる時は忘れる」
ということではないだろうか?
意識していようがいまいが、結果は一緒ということは、本当は、
「気にするだけ、労力の無駄なのかも知れない」
と感じた。
ただ、これは不思議なことに、学校での宿題は忘れるのだが、塾で出た宿題をわすれたことはなかった。
それだけ、塾の方が楽しいということを自分で感じているということなのか、それとも、学校の後に塾があることで、塾の宿題が頭にのこり、学校の方をわすれてしまったということなのか?
ただ、記憶力は決して悪い方だとは思わない。暗記ものは、決して成績が悪いわけでもない。だったら、
「同じことが、それぞれであった時、前のことが、後のことで打ち消されてしまったということなのか?」
と考えるが、まさか本当に、そんなことがあるなどどは思えなかった。
ただ、
「事実は小説よりも奇なり」
というではないか?
そんなことはありえないと思えるようなことでも、意外と自分におきやすいのかも知れない。
それが、
「宿題を忘れてしまう」
という、するのを忘れるわけではなく、出ていたという事実を忘れるというのは、本当に健忘症に近いものなのか、それとも、実際に覚えていないことを自分で、危険なことだと意識していないことから来ているのではないかと思えるのだった。
そんな自分が、次第に分からなくなってきた。
小学生の頃は先生に少々怒られても、
「実際に忘れているのだから、どうしようもない」
と思っている。
しかし、それが、今度は中学生以上になると、
「まわりの人が自分のことをどう考えているのか?」
ということが気になってきた。
たぶん、思春期に突入してから、異性のことを気にするようになったからなのだろうか、実際に気になるようになったのは、他の人よりも、若干晩生で、中学3年生の時だった。
その頃は、高校受験に向けての勉強もあり、精神的にムズムズもしていた。
一人で発散させるという技も覚えてしまったことで、余計に、性欲が強くなってきて、それに比例して、他のことに手がつかなくなってしまうのだった。
しかも、その頃は学校でも、次第に取り残されるようになっていき、成績も、下から数えた方が十分に早かった。
この学校は、トップクラスに結構人が集中していて、半分から下は、ある意味、落ちこぼれに近かった。
だから、
「俺も落ちこぼれなんだ」
と思うようになり、だが、そこまでのショックはなかったのだ。
一応、下から数えれば近いくらいだったが、
「仲間が結構いる」
と思っただけでも、かなり違う。
仲間といってしまうと、皆に悪いかも知れないが、意外と皆もそう思っていることだろう。
つまりは、
「仲間意識を持つことで、寂しさを紛らわすことができ、寂しさがどこから来るのかを考えた時、仲間の顔が思い浮かばないことがあることで、皆に悪いと思うものなのかも知れない」
と感じた。
そんなことを考えていると、
「仲間意識というものが、自分を弱いと感じさせるという意味で、どこか否定したくなる自分がいるんだ」
と感じることがある。
だから、
「孤独が好きだ」
といっている、アウトローに憧れを持つことだってあるのだった。
確かに、孤独と、他人と一緒にいる時であれば、
「人と一緒にいる時の方が安心できる」
といえるだろう。
しかし、それが、
「自分の本来の姿なのか?」
と言われるとそうではない。
実際に、自分の姿がどういうものなのか、考えたことはなかった。しかし、年齢を重ねるごとに、
「何か、臆病になってくる気がするんだよな」
と思うのだった。
しかし、気持ちの中では、
「時系列とともに、成長しているのは間違いのないことであり、成長していることを、どう感じているかというのが、一日一日という単位なのかも知れない」
と感じるのだった。
一日という単位、そして、一週間、一か月と、単位を重ねるうちに、一日一日が、どんどん小さく見えてくる。
どんなに長い周期で考えても、そこには限りがあるのだから、その限りを考えると、幅広く考えたその時、一日単位は、まるで薄っぺらいものの重なりと感じるようになり、
「あれだけ薄っぺらい紙が、50枚、百枚と重ねると、あれだけ厚く感じるんだから、不思議なものだよな」
と言われるが、まさにその反対なのかも知れない。
重なったものを拡大できないと思うから、余計に、一枚一枚を薄く感じ、
「これ以上は薄くできない」
と感じるところを、限界だと思うことだろう。
そのうちに、紙の一枚一枚も、重ねた厚さも意識がなくなってきて、
「というのは、それぞれを気にしないというわけではなく、それぞれのつながりを意識しないようになると、感覚がマヒしてきているように思うというのは、不思議な感覚だと言えるのだろうか?」
と感じるのだった。
そんな感覚があったからだろうか? いつ頃からになるのか、まわりから、
「超神経質人間」
と言われるようになったのだった。
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