第5話 電波障害
そんな岡本も、社会人になり、年齢的に、今年で30歳を過ぎようとしていた。
「30歳を過ぎると、あっという間に月日が過ぎる」
といっていた人がいたが、まさしくその通りであった。
今年、30歳になって、すでに気づき始めたのであって、それも、
「毎日の一日一日はそんなに変わらないのに、一週間、あるいは、一か月という、まとまった期間になると、その流れは結構長い」
といってもいいだろう。
だから、
「月日があっという間に、過ぎるぞ」
と言われるのだろうということを理解したのだった。
ただ、これは学生時代から感じていたもので、高校時代までは、一日一日が長かったのに、中学高校はあっという間に過ぎた気がした。
しかし、なぜか、高校卒業の瞬間から、中学入学を思い出すと、かなりの長さに思えるのだ。
それはきっと、その長さというものが、最初と最後の間に、どこかで、思春期というものが、作用しているのであろう。
ひょっとすると、その間すべてが、その思春期の間だったのかも知れないが、本当は、最期の最期まで、思春期だったのかも知れないが、この感覚に及ぼす期間というのは、それほどでもなかったのではないだろうか?
つまり、思春期の間というのは、一本の線ではない。いくらでも、パターンのようなものがあるのではないだろうか?
恋愛感情であったり、反抗期であったり、性欲が生まれてくるという期間であったり、
本来なら、一つずつが存在してもいいはずなのに、一緒くたにして、
「思春期と呼ぶのだから、ある意味ややこしい」
といえるであろう。
そういう意味では、
「思春期」
という意味で、一つのことを考えてしまうのであれば、中学高校の6年間は長いといってもいいだろう。
だから、まるで、
「いくつもの、別の種類の思春期が存在したから長かった」
と言えるのだろうが、それは、半分、間違いではないだろう。
思春期というのはいろいろあるだけに、人によっても違う。
最初に身体が大人になる人もいれば、最初にませてくる子もいる。それは、男女でも違うだろうし、反抗期がない人もいれば、女の子に対しての興味が、高校生になるまで出てこない人もいる。
それはあくまでも、
「個人差」
であって、それが、
「人の数だけパターンがある」
といってもいいだろう。
そんな中で社会人になる頃には、皆、辻褄が合ってくるのが、さほど、成長において、襲い早いは関係がないように思えるのだった。
社会人になってからというもの、高校生の頃を思い出すと、やっぱり、
「遠い昔」
であった。
ただ、不思議なことに、大学生の頃のことが、場合によってであるが、高校時よりも昔に思えてくるのだが、これはどういう発想からであろうか?
考え方は、間違いなく、時系列、年齢に沿って成長してきているはずだ。
しかし、それは社会人になるまでであって、社会人になると、いやがうえにも、皆同じ時間軸で動くことになる。
確かに会社で競争というのもあるのだが、それ以上に、会社は組織であり、一人でもおかしな人がいれば成り立たない。
それを感じることで、社会人というものが、
「入社してしまえば、横一線だ」
ということになると思うのだった。
中学の時も同じことを考えたはずだったが、実際に入ってみると、最初のレベルの違いから、自分が焦ってしまったことを後悔した。だから今は、中学時代の同じ過ちを犯さないという思いから、
「社会に出ても、まわりに対してのライバル心を持ち続けなければいけない」
と思うのだった。
しかし、確かに社会人というのは、組織の中の一人だという意識の方が強い。それを無視すると、やっていけないのも当たり前のことである。
高校時代は、中学の頃程、神経質にはならなかった。
それはなぜかと思うと、
「感覚が慣れたのかも知れない」
と考えた。
やはり、間違いだと思えることでも、長く信じることは難しいのではないだろうか?
社会人になると、今度は、
「同じスタートラインに立った」
と感じるのは、
「学生が終わったからだと言えるだろう。
これまでは、大学の4年。最高学府の最高位にいるのだが、卒業して会社に入ると、誰であれ、一年生なのだ、
確かに、高卒、大卒では違いがある、スポーツの世界、相撲であったり、官僚や警察などの、国家試験を伴う就職先は、入った瞬間から、合格者と不合格者とで、天と地ほどのさがあるではないか。
それを思うと、確かに、官僚クラスは違うのだろうが、一般企業に就職した人は、
どんな会社に入っても、レベルというものはあるのだろうが、一本のスタートラインに並ぶという考えに相違はないだろう。それだけ、社会人というものは、会社側でも、面接で、
「この会社にふさわしいと思い、合格者を決めている」
ということであろう。
本人たちが思う思わざるにかかわらず、上司はそういう目でしか見てきていないのだ。つまり、
「この会社に入ってくる前の学生時代までの新入社員たちのことを知る由もなければ、知りたいとも思わないということであろう。
だから、
「五月病」
というものがあるのであり、会社の先輩も、新入社員を、
「まだまだ学生気分が抜けていない」
と思っているのだろう。
学校を卒業してから、会社に入ってから、初めて、自分が、試されるという立場になったことに気づいた。
確かに、学生時代の上下関係も難しいものがあるが、問題は、
「上にいけばいくほど、責任が重くなってくる」
ということである。
確かに、学生時代も学年が進むと、責任を問われる目で見られることだろう。学生時代でも、学年が上だと責任を問われるが、最終的には先生っであったり、大人に責任がいく、だが、社会に出れば、どんなに新入社員であったとしても、どんなに小さなことであろうが、責任は取らなければいけないであろう。
それだけ、自分が見ているよりも、
「世間は広い」
ということになるのであろう。
それを考えると。社会に出てからの一日一日、さらに、一週間単位、そして、一年という、
「短期、中期、長期」
で感じが違ってくる。
実際にそれを感じたのは、主任になってからだ。
それまでは、自分の仕事だけをこなしていればよくなったが、今度は、設計書を作る段階、つまり企画にまで顔を出さなければいけなくなる。
そこには、計画がいくつもあり、
「数年先までの長期計画から、1カ月先まえの短期計画と、期間ごとに組まなければいけないことが結構ある」
といえるのではないだろうか?
そういう意味で、長期計画を考えている時の感覚が、新入社員の時に、高校時代を思い出すのと、中学時代を思い出すことで、時系列に矛盾を生じたことが、今回の問題にも関わってくるかのように思えるのだった。
その問題であるが、
「もちろん、予期することができなかったという意味では、不可抗力ではあったが、そのわりに、社会に対する影響の大きさから、問題は、そんな簡単には終わらなかった」
というものであった。
今の時代は、電信電話、通信がインフラとして大きな影響を示していることは、いまさら口にすることではないだろう。
中学時代には、まさか、自分が、電信電話関係の仕事に就くなど思いもしなかった。
電信電話といっても、回線の大手会社に就職したわけではなく、それを下請けとして、地元で、普及するたえの工事を行っているとことであった。
だから、一つの回線だけではなく、いくつもの回線をリアルに使えるようにするための、環境構築などという仕事をしている。
普通なら、一つが終われば、他の仕事があっているのだろうが、一つのメーカーだけでも、いくつもの層に分かれていて、一つを開通させれば、次は別のメーカー、一周してきた時点で、時間は次の変換期に入っているのだ。
したがって、いつまでも同じことをしているというのであれば、結局、休む暇もないくらいに時代は急いで繰り返させられているといってもいいだろう。
矛盾やスパイラルというのは、前述のタイムマシンの発想や、ロボット開発の発想と同じで、
「回線というものは、キリがないものだ」
と、思えてならないのだった。
回線もある意味、
「無限の可能性」
に近いものではないかと思うのだった。
というのも、
だからこそ、仕事にも同じことが言えるのではないだろうか?
というのも、一つの仕事をこなすと、次から次に仕事ができるものだ。
そういえば、入社して最初の頃、
「皆、どうして、あんなに毎日残業しなければいけないほどの仕事があるというのだろうか?」
と考えたことがあった。
そもそも、子供の頃に思っていたのは、
「社長や重役ななど、仕事らしいものをしているように見えないのに、どうして、あんなに仕事があるように皆がいうんだろう?」
と思っていた。
確かに社長は仕事をしているところを見たことがない。もし見るとすれば、
「部下が持ってきた書類に対して、見ているのか見ていないのか、ひたすらハンコを押している」
というところくらいであろうか。
確かに、ハンコを押しているところだけしか見ていなければ、
「仕事をしている」
という風に見えることはないだろう。
それを思うと、
「社長なんて、楽なもんじゃないか? それとも、それまでの努力が実を結んだということで、まるでご褒美としての、社長就任なのではないか?」
と思ったくらいだった。
そもそも、次第にニュースを見るようになって、今度は、社長というものは、
「自分がしたことでもないのに、部下のへまで、自分が辞めなければいけないという、ある意味、わりに合わない商売だ」
と思うようになったのだ。
だが実際に、誰が悪いというわけでもなく、不可抗力としてしか思えないようなことだってあるだろう。
それを思うと、
「社長がすべての責任を負わなければいけないというのは、それまで、例えば、社長に仕事がなかったとしても、溜まったものではない。
「仕事がないということは、やることがない、つまりは、時間だけが、虚しく過ぎていくということであり、そんなときほど、時間が経つのは早いものなのだ」
ということである。
そんなことは今に始まったことではない。
「何かあった時に、誰かが責任取らなければいいけないのであれば、それは社長しかいない」
ということで、ある意味、
「社長は貧乏くじではないか?」
と思えるのだ。
ただ、それは一般企業だけに言えることではない。
国家のトップにも言えることだ。
何かがあれば、隕石問題が問われたり、
「引責辞任」
という形で、雇うから、
「内閣不信任案」
を出されたりと、実に最悪である。
しかも、自分が何かをやったわけではなく、部下の大臣が不始末をしでかせば、いくら組閣時に、自分が大臣を任命したとはいえ、
「指名責任」
というものを問われることになるのだ。
本来なら、大臣だって大人なのだから、任命してから先のことは、その人の責任ではないのだろうか?」
つまり、内閣には、聯来責任のようなものがあり、
「まるで軍隊のようではないか?」
といえるのではないだろうか?
ただ、日本の軍隊は、昔は少し命令系統や、組織図が少し変わっていた。
陸軍などは、
「三長官」
というものが存在し、
「参謀総長」
「陸軍大臣」
「教育相姦」
とそれぞれがあるのだが、大日本帝国憲法では、天皇に、統帥権というものがあり、それは、天皇が、
「陸機軍のトップにいて、陸海軍は、天皇直轄」
ということである。
つまり、陸海軍と天皇の間に、何人とも入ることはできないというもので、政府、総理大臣、あるいは、陸軍大臣であっても、軍を実質動かしている、
「参謀本部」
のいうことには逆らえないし、作戦を知ることも許されないのだった。
海軍の軍令部と合わせて、有事においては、これらが、総司令部となり、
「大本営」
と言われる。
だから、台本寧には、政府であろうが、総理大臣であろうが、栄え合えないのだし、会議に参加すら許されていないのだった。
これは、元々、明治の元勲たちが作った憲法によるもので、そもそも、
「権力の一極集中を避けるためというのが表向き」
であり、
一番の理由は、当時陸軍は長州閥で占めていて、海軍は薩摩罰だった。
そのあたりからの確執もあったのだろうが、ただ、権力の集中は考えられることであったが、当時の明治政府は、皆が、
「幕府を倒した志士」
であり、目指すものが同じだったということがあり、それほそ問題にはならなかった。
しかし、敵が、欧米列強ともなると、戦争を始めた本人である首相が、戦争指導に口を出せないというのは実に困ったものである。
そのせいで、当時の戦争指導者といってもいい、東条英機は、それまでの慣例を破り、
「有事の時は、参謀総長と、陸軍大臣を兼ねてもいい」
ということにしたのだ。
こうすれば、軍の方針に口が出せるからだが、そのせいで、東条はまわりが敵だらけになり、しかも、戦争はまったくうまくいかなくなったのだから、溜まったものではない。
そもそも、大東亜戦争は、
「最初の一年くらいで、決定的な勝利を収め、それを元に和平を模索する」
というのが、当初の作戦だったはず。
しかし、それがあまりにも勝ちすぎたために、和平を模索しなくても、
「このまま一気に押し切れば勝てる」
ということで、さらに策に突っ走ったのだ。
実は、シナ事変でも同じことがあった。
中華民国の蒋介石は、ドイツの外交官、トラウトマンから、和平の計画を持ち込まれ、大方、それなら飲めるだろうということで、和平を受け入れるつもりだったが、日本が南京を占領したため、さらに強気になった日本は、上皇を増やしてきた。
そうなってくると、戦争を終わらせる絶好のタイミングを逃したわけなので、同じ戦争で、二度も同じミスを犯すという情けなさだったのだ。
そんな風だから、
「一億総玉砕」
などと言って、国民を巻き込むことになるのだ。
そもそも、国家は国民を守るためにあるのではないのか?
そのはずなのに、まだ、当時の大日本帝国はまだマシで、今の政府の方が、もっとひどいというものだ。
何しろ、日本人がパンデミックで苦しんでいるのに、他の国が戦争しているからといって、片方の国にだけ加担して、血税をどんどん渡しているではないか。しかも、そのひと昔前には、前代未聞の、
「消えた年金問題」
があったではないか?
年金は、給与天引きの場合は、半強制的に支給額から相殺の形で、減らされた分を貰っている。
自営業の場合は、確定申告によるものなのだろうが、
その年金は、本当は、国民の義務なのである。
「勤労」
「納税」
「教育を受けさせる義務」
これが、国民の三大義務である。
その年金をこともあろうに、何年もの間、ずさんな管理を、政府がしていたことで、大問題になった。誰がいくらなのかが分からなくなる始末だったのだ。
何とか計算しなおして、今では何とかなっているが、あの時の混乱で、国民はすっかり政府を信用しなくなった。
そのため、サラリーマンは仕方がないとしても、個人事業主は、税金を払わない人が増えてきている。
「どうせ、俺たちが年金をもらう頃には、年金制度なんて崩壊しているに違いないんだ」
ということであろう。
つまり、年金収入が減ってくると。ただでさえ貧乏な国が回らなくなってくる、下手をすると、
「自転操業すら、できなくなってしまうのだ」
ということである。
だから、政府を信用しないことで、日本は崩壊に向かっているのだろうが、皆、
「どうせすぐに崩壊する」
とはいいながら。国民はどこか他人事だ。
そこが、そんな政治家を生む国民気質なのかも知れない。
そんな国だから、
「不測の事態」
が起こった時でも、政府発表がトンチンカンなのだ。
未曽有の通信障害が起こった時、電話回線がパンクしたことで、電話も掛けられない状態だった。
それは、緊急電話も同じことで、
「110番も、119番もかからない」
という状態になったのだ。
そんな時の政府の言い分は、
「他の会社のスマホを持っている人に借りるか、公衆電話などから掛けるか、固定電話を借りるか、あるいは、お近くの消防署に駆け込んでください」
という、すべてにおいて、信じられないような言い方をしたのだ。
「他の会社のケイタイって、誰がどこを使っているのかってわかるのか?」
あるいは、公衆電話を使えといっても、
「そもそも、公衆電話は需要が少ないから、ほとんど街から撤去されてないではないか?」
ということである。
また、固定電話で掛けろというが、
「固定電話だって、電話番号の権利などというお金がいることで、電話を持つには最初10万円くらいがかかっていたはずだろう、誰がそんな無用の長物をつかうというのか、商売をしている人以外で、固定電話を持っている人を探すだけで、大変なのだ。
つまりは、今の電話回線というのは、インフラと同じで、
「なくてはならないもの」
であり、なくなってしまうと、地震などの天災時と同じで、まったく都市が機能しなくなってしまうといってもいいだろう。
それを考えると、電話回線がないということは、
「街の明かりがすべて消えた電気のない状態と同じだ」
といってもいい。
「災害があった時のために、スマホのアプリで避難場所や自分がどこに避難すればいいかなどということを分からなければいけないのに、それが分からないのだ」
ということである。
そもそも、ケイタイから始まった日本の通信事業の優位は、スマホの出現で地に落ちた。
日本は自分たちが開発したガラケーの力を過信し、スマホに移行している諸外国の流れに乗ることができず、結局、取り残されてしまった。
それが、
「離れ小島であることから、独自の文化が発達した、ガラパゴス諸島のようなケイタイということでなずけられたガラケーという言葉、いい意味であるわけはないが、日本人はその意味を知っているのだろうか?
ただの、悪評というだけで考えているとロクなことはない。
とにかく、今のスマホは、
「小さなタブレット端末であり、パソコンがなくても、アプリが使える」
という触れ込みであった。
つまり、回線がつながらなければ、昔のコマーシャルで一世を風靡した言葉を思い出すことになり、
「冷蔵庫、電気なければ、ただの匣」
というのと同じである。
スマホだって、万能ではない。電気が繋がっていなければ、最期には、充電がキレて、本当にただの箱になってしまう。
これはガラケーであっても、他の電気製品、すべてに言えるおとだ。
だから、昔の大型コンピュータというものは、無停電装置に繋がるようにしていて、少しは延命ができるようにしていた。
それでも、数時間が限度で、それを過ぎると、もう、どうしようもない。
「文明の利器と言われるが、電気というもの一つないだけで、まったく何もできなくなってしまう」
ということになるのだ。
冷蔵庫、洗濯機、テレビの中で一番必要なものは、冷蔵庫であろう。
テレビは、最悪誰かに見せてもらえばいいし、洗濯はしなくても死にはしない。
だが、冷蔵庫は、食事をしなければ、人間は死んでしまう、数日間冷蔵庫がないだけど、どれほどのものが食べられなくなることか、それを考えると、
「本当になくてはならないものだ」
といえるだろう。
スマホの場合は、情報収集という意味では絶対に必要なものだ。特に大災害が発生してきた時。
「ラジオも聞けるしテレビもみれる。そういう意味で、決して使えなくなるというのは、自殺行為に近いものがあると言えるであろう」
それを考えると、
「通信機器に携わる人間は、それなりの覚悟がいる」
といっていいだろう。
それは、本来は通信機器だけに限ったことではないが、それ以外をどう考えるか、それが問題である。
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