オーロラの雨

pico

オン・ザ・ロード






 葉月との結婚が決まった時。

 旅をしよう、と誓った。




 出会いのきっかけは、ジャック・ケルアックの『路上』オン・ザ・ロード

 中学生にしてこの本を熟読する葉月に、心を奪われた。


 高校に入って付き合いだした僕たち。

 この先の人生で行きたい場所のリストをつくり、未来の地図を描いた。




 高校卒業後、葉月はボストン、僕はニューヨークの大学に進学した。

 片道4時間の遠距離恋愛も、苦じゃなかった。

 愛する人に会いにゆく、その道程こそが、僕らが求めた『路上』オン・ザ・ロードだったから。




 僕たちは、旅をした。

 行きたい場所へ行くために、生きていた。

 目的の地に辿り着くたび、生きる喜びを重ねていった。





 やがて葉月は、余命半年との宣告をうけた。

 結婚から1年足らずの頃だった。


「イエローナイフ行きたいねんけど」

「……正気か?」


 葉月の人生における、最期のワガママだった。




 僕は、イエローナイフ行きの準備を進めた。

 葉月の病状は日に日に進行していたけれど、旅の計画を立てている間は、病気のことなんて忘れるほど生き生きとしていた。




 ホリデーシーズンに、僕たちはカナダ行きの飛行機に飛び乗った。

 三泊五日。オーロラ鑑賞の機会は、たったの三回だ。


 エドモントン空港でイエローナイフ行きの便に乗り継ぐはずだったが、機材トラブルで足止めをくらった。

 結局その日、飛行機は飛ばず、エドモントンで一泊することになってしまった。


「すごいな。これも、旅の思い出や」


 僕はオーロラ鑑賞の日程が一日減ったことに焦っていたけれど、葉月は笑っていた。




 翌朝、無事に飛行機は飛び立った。

 イエローナイフの街は、雪で真っ白だった。


「祝杯しょーや! カナダビールや!!」


 防寒具とスノーブーツという完全防備で街に出たものの、街の人達は軽装だった。

 「また日本人か」みたいな顔で、苦笑される。


 買い込んだカナダビールを昼から飲みあさり、寝てしまい。

 気付くと、真夜中だった。


 オーロラツアー行きのバスは、既に出発してしまっていた。つまり、乗り遅れたのだ。


「ああぁ、すまん葉月、ほんまに僕、どうしょうもない……!!」

「ビール飲も言うたの私やし。こんな色々起こんの、めっちゃおもろいやん」


 葉月は相変わらず、笑っていた。




 翌日は慎重に一日を過ごし、最初にして最後のオーロラツアーに出かけた。


 天候は、曇り。

 だけど雲の流れが早いので、オーロラが観られる可能性は高いと、ガイドの人が教えてくれた。


 ログハウスで、北海イワナとパプリカのスープ、それにバノック(パンのようなもの)を食べる。

 バノック用に用意されていた、バックエディーズという調味料が絶品だった。葉月はそれを大量に買い込んだ。


 空が晴れるまで、凍ったオーロラレイクで曇り空を眺めたり、ティーピー(原住民族が使っていたテントのような家)で暖をとったりして過ごした。


(オーロラ観れへんかったら、どないしよ)


 まるで隠れ家のようなティーピーの中で、僕は思考を巡らせる。


 なんとか延泊できないか。でも葉月の体調が悪くなったら。

 そんなことを悶々と考えていると、外に出ていた葉月がティーピーに駆け込んでくる。


「空、晴れた! オーロラ、見えるで!!」


 僕は慌てて、オーロラレイクに出た。


 見上げて、息をのむ。

 雲が晴れ、ゆらめく、ひかりの帯。


 緑、白、ピンク。

 やわらかくたゆたうそれは、魔法のように広がっては小さくなり、色を変え、空を満たす。


「オーロラ、生きとるやん!!」

「生き……とるな」


 葉月の言いたいことはわかる。

 まるで生き物のように、ゆら、ゆら、と一秒ごとに形がかわるのだ。


 そうして眺めているうち、オーロラの動きが早まった。


「爆発だ! オーロラ爆発オーロラブレークアップだぞ!!」


 オーロラレイクで空を眺めていた人たちが、歓声をあげる。


 その声を合図にオーロラは、天空を駈ける龍のごとく光を散らしながら、夜空を走ったのだ。


 『オーロラ爆発』という、乱気流の影響による科学的な現象だった。


「オーロラの、雨や」


 葉月はぽつりとつぶやいた。

 光はひろがり、天空を覆いつくし、うごめき、雨のように降りてくる。


 葉月はぽろぽろ、涙の雨を落とす。

 マイナス25度の極寒で、涙はすぐに凍ってしまう。


「一生分の運、使い果たしたわ」


 涙が凍る。鼻毛も凍る。


「てか、やば! 顔、冷たっ!!」

「葉月の鼻毛、バリバリに凍っとるな」


 ゲラゲラわらって、胃の中がつめたくなる。


「生きとるー!! って、感じするわ!!」


 オーロラの雨を浴びながら、葉月はオーロラレイクの上を飛び跳ねて喜んだ。


 それからホテルに戻って食べたチキンラーメンも、泣けるほど美味かった。






 帰国から二週間後、葉月は亡くなった。

 死ぬ間際まで、オーロラの雨がどれほど素晴らしいものだったかを語りつくし、そうして息を引き取った。


 大量のバックエディーズや、葉月がウイスキーと間違って買ったメープルシロップ。

 僕はそれをちまちま使いながら、葉月の生きた痕跡を探して、生きている。


 あの日食べたチキンラーメン以上に美味い食事には、まだ出会えていない。

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