其の三 男子高校生、ヤンキー少女と決闘する

 6月25日日曜日午前7時。調査を終え、作戦を翌日に控えていた僕は、昨日の調査の疲れもあり、ぐっすりとベッドの上で眠っていた。

 相花にも、今日は自宅でゆっくりと休みたいと昨晩の内に伝え、緊急事態でも起こらない限り、起こさないよう、念押しして頼み込んだ。

 外出する際も、僕を連れて、午後から出かけるよう頼んでもおいた。

 僕がベッドの上で眠っていると、突如、家のインターホンが鳴る音が聞こえた。

 僕は日曜日の早朝に一体誰が訪ねて来たのだろうかとも思ったが、気にするのを止め、また、眠り始めた。

 すると、ドタドタと階段を上る音が聞こえたかと思えば、突然ノックも無しに母がいきなり僕の部屋のドアを開け、大きな声で僕を起こした。

 「浄君、大変よ!今、椿さんって子があなたに用があると言って玄関まで来ているの!とりあえず、急いで服を着替えて、顔を洗って、すぐに玄関に来てちょうだい!急いでね!」

 突然の椿さんの来訪に僕は驚き、ベッドから飛び起きると、大急ぎで服に着替え、顔を洗うと、急いで玄関の方へと向かった。

 玄関に行くと、白いワンピース姿の椿さんが玄関に立って待っていた。

 僕の姿を見るなり、椿さんが声をかけてきた。

 「おはよう、浄君。こんな朝早くに押しかけてしまってごめんなさい。実はあなたに話があるの。良かったら、お家に上がらせてもらっても良いかしら?」

 「おはよう、椿さん。家に上がるのは全然良いけど、一体どうしたの?何かまた妖怪絡みのトラブルにでも巻き込まれたの?」

 「いえ、そうじゃなくて、虎森さんの件で色々と聞きたいことがあって・・・」

 「アタシのことで聞きたいことって何だ?ええっ、「氷の女王」さんよお。」

 僕と椿さんが玄関で話をしていると、黒い半袖のシャツに黒い短パンを着た相花が、階段から頭をボリボリと搔きながら降りてきて、声をかけてきた。

 相花の姿を見るなり、椿さんは引きつった笑顔を見せながら、相花に向かって言った。

 「おはよう、虎森さん。本当に浄君の家で寝泊まりしているのね。クラスのみんなが聞いたら、さぞ驚くことでしょうね。ところで、あなたが妖怪にとり憑かれて困っていると浄君から聞いて、私も何かお手伝いできることはないかと思ってきたところなの。私も以前、妖怪に襲われたことがあって、その時に浄君に助けてもらったことがあるの。あなたの話を聞いて、他人事には思えなくて、こうして訪ねてきたの。とりあえず、お邪魔させてもらうわね。」

 そう言うと、椿さんは僕の家に上がってきた。

 「私はまず浄君から話を聞きたいから、虎森さん、あなたはまだゆっくり眠っていていいわよ。浄君とのお話が終わってから、あなたからもお話を聞くことにするわ。だからどうぞ、自分のお部屋に帰ってちょうだい。」

 椿さんは僕と先に話があるからと言って、相花に自分の泊まっている部屋に戻るよう言った。

 しかし、相花は椿さんの申し出をきっぱりと断った。

 「妖怪の話をするなら三人で話した方がよっぽど良いだろ。何でお前とブラザーの二人だけで先に話す必要があるんだ?それにお前は元々アタシがブラザーの傍にいることや、ブラザーの家に厄介になっていることを快く思ってはいなかっただろうが。どうせ、アタシとブラザーが二人っきりになるのが気に食わなくて、こんな朝早くに、アタシが妖怪にとり憑かれている件を持ち出して、ブラザーと会うために押しかけてきたってところだろ?魂胆がまる見えなんだよ、ええっ、「氷の女王」さんよお。」

 相花の言葉に、椿さんは笑顔を引きつらせ、こめかみから血管が浮き出て、ピクピクと動いていた。目は笑っておらず、静かな怒りを感じた。

 このままだと相花と椿さんが喧嘩になる。そうなれば、相花にとり憑いている妖怪が二人の喧嘩をより悪化させ、確実なものにしようと行動しかねない。

 僕は慌てて二人の間に入った。

 「とりあえず、一旦二人とも落ち着こう。相花はとりあえず部屋に戻って着替えをしてから、僕の部屋に来てくれ。椿さんは悪いけど、二階の僕の部屋の中に入って待っていてくれないかな。僕は、僕と相花の分の朝食と、椿さんに出す飲み物やお菓子をとってきてから、僕の部屋に戻るとするからさ。三人で僕の部屋で食事をしながら話をするとしよう。うん、絶対にそれが良い。」

 僕がそう言うと、二人は渋々といった表情を浮かべながら、僕の提案を聞き入れてくれた。

 僕がリビングから、僕と相花の分の朝食と、椿さんに出す飲み物やお菓子をとって二階の自室に戻ると、すでに相花と椿さんは僕の部屋の中にいて、僕を待っていた。

 相花と椿さんはお互いの顔を見るように、それぞれ反対側に向かい合うように座っていた。

 二人は不機嫌そうな顔でお互いの顔を見つめ合っていた。

 部屋の中には重苦しい空気が漂っていた。

 僕がいないほんの数分の間にこの二人の間で一体どんなやり取りが交わされたのか、想像するだけで鳥肌が立ってきた。

 重苦しい空気に耐えかね、僕は二人に声をかけた。

 「相花、朝食を持ってきたよ。椿さん、飲み物とお菓子を持ってきたからどうぞ。さぁ、食事でもしながら、三人で話をすることにしよう。」

 僕がそう言うと、二人は食事を始めた。

 僕も朝食を食べ始めると、先に椿さんが口を開いた。

 「ねえ、浄君。昨日、虎森さんと二人でツーリングに行ったそうね。昨日の朝、浄君の家を訪ねた時、浄君のお母さまから聞いたんだけど、本当かしら?」

 「うん、そうだよ。相花が妖怪にとり憑かれたと言う野福町の野福洞窟に調査に行くために、ツーリングの名目で、彼女の運転するバイクに乗って、一緒に野福洞窟に行ったんだ。確かに、野福洞窟には野蝠という名前の蝙蝠の妖怪がいて、それも大量にいたんだ。あんなに大量の妖怪を見つけたときは思わず冷汗が流れたよ。急いで相花と一緒に洞窟の中を走って逃げたんだ。本当に焦ったよ。それからも妖怪の調査のために色々な場所を回ったけど。」

 僕がそう答えると、椿さんは僕の顔をチラリと見るなり、さらに訊ねてきた。

 「そう、それは大変だったわね。でも、それなら、どうして調査が終わった後、すぐに自宅に帰らなかったの?今、そこにいる虎森さんから、調査が終わってから、あなたと一緒に色々な神社やお寺を見て回ったと聞いたわ。彼女はあなたと楽しくデートをしたと私に行ってきたわ。ついでに二人で一緒に縁結びのお願いまでしてきたとも言ったわ。ねえ、浄君、あなたはデートのつもりなんてこれっぽちも無く、ただ友達と遊びに行っただけ、そういうことよね?」

 椿さんが疑うような冷たい目で僕を見てきた。

 僕は慌てて反論した。

 「確かに相花と一緒に神社やお寺に一緒にお参りに行ったけど、それはただの気分転換だよ。デートなんてしてないよ。それに縁結びのお願いなんて僕はしていない。今度の期末試験で良い点数が取れますようにとは願ったけどさ。とにかく、デートをしただとか二人で一緒に縁結びのお願いをしただとか、全部相花の冗談だから。相花、君もいくら椿さんのことが苦手だからって、そんなからかうような嘘をついちゃ駄目じゃないか。」

 僕が相花に注意すると、相花は悪びれもなくこう言った。

 「別に嘘はついていないぜ。アタシはただお前がアタシと神社やお寺に一緒に行ったことをデートかもしれないと思っていると言っただけだ。ついでに、お前が縁結びのお願いとかもしてるかもと言っただけだ。勝手に勘違いして怒ってるのはその女だ。アタシは何も悪くねえ。第一、アタシとお前が付き合ってもその女には関係ねえことだろ。ブラザーとの家族とは仲良くなったし、アタシがお前の家に嫁入りしたら、ブラザーの家族もきっと喜ぶと思うぜ。なぁ、その女はとっとと追い出して、二人で家の中で遊ぶなり、勉強するなりしようぜ。その方がお前も良いと思うだろう、ブラザー?アタシを妖怪から助けるために話を聞きに来たなんてデタラメもいいところだ。大体、その女に話したところで、その女にアタシにとり憑いている妖怪をどうこうできる力なんてねえ。はっきり言って、邪魔だ。とっととお帰り願おうぜ。」

 相花が椿さんのことを邪魔だと言って、仕切りに彼女を帰らせようとする。

 相花から挑発され、僕の前にも関わらず、ついに椿さんは怒りを露わにした。

 「いい加減にしなさい、この自己中不良女!!浄君がお人好しなのをいいことに散々振り回して、おまけに迷惑までかけて。あなたのせいで浄君が不良に襲われて怪我でもしたら、どう責任を取るつもり?それにあなたが傍にいたら、浄君まであなたと同じ不良扱いされたら、それこそ大迷惑よ。ただでさえ、今、校内で浄君の評判を下げるような悪質な噂が流れているのに、浄君が不良になったなんて噂まで流れ出したら、もっと大変なことになるかもしれないでしょうが。それから、浄君は妖怪の件が片付くまであなたを自分の家に泊めると言っているけど、それがいつまで続くか分からないでしょう。同じクラスの男女がひとつ屋根の下で一緒に暮らしているなんて噂が流れたりしたら、それが事実だと分かったら、不純異性交遊とか何だの言われて、浄君やあなたは学校のみんなからからかわれる可能性だってある。大体、あなたみたいな自己中で不良の女がこの家にいたら、浄君も浄君のご家族も迷惑なはずよ。あなたが浄君の平和な家庭をご自慢の暴力で平気でぶち壊すに決まっているわ。この家から出ていくべきなのはあなたの方よ。今すぐ荷物をまとめてこの家から出て行きなさい!浄君、あなたからもびしっとこの女に言ってあげて、今すぐこの家から出て行けって、迷惑だって!さあ、早く!」

 「ついに本性を露わしやがったな、冷血女!!テメエの方こそいい迷惑だ!いいから、アタシたちの家からとっとと失せやがれ!」

 「アタシたちの家ですって!?この家は浄君の家で、あなたの家じゃないわ!あなたはただのはた迷惑な居候でしょうが!自分の家があるならさっさと自分の家に帰りなさい、この寄生虫女!」

 「テメエ、人のことを寄生虫だとか言いやがったな!今すぐ、表に出ろ!タイマンで決着をつけてやらぁ!」

 「すぐに暴力で何でも解決しようとするなんて、寄生虫の上に猛獣並みの知能しか持っていないなんて、つくづく救いようのない女ね!浄君の家の前で乱闘騒ぎなんか起こしたら、浄君の家に迷惑がかかることが分からないのかしら?それに、私を殴れば、あなたを少年院に送るなんて私には簡単なことよ!まぁ、猛獣には冷たい檻の中がちょうどお似合いよね?ほら、殴りたければ、私を殴りなさい!冷たい檻の中にぶち込んであげるわ!」

 「テ、テメエ、言いたい放題言いやがって!もう、我慢できねえ!良いぜ、お望み通り、そのすました面に一発拳をお見舞いしてやらぁ!」

 椿さんと相花が壮絶な口喧嘩を始め、怒りのあまり、ついに相花が右の拳を握りしめ、今すぐにも椿さんに殴りかかろうという有り様になった。

 僕は目の前の二人に圧倒されたが、我に返ると、すぐに間に入った。

 「二人ともそこまで!二人の仲が悪いことはよく分かった!悪いけど、椿さん、今日のところはひとまず帰ってくれないか?椿さんが僕や僕の家族のことを心配してくれるのは有難いけど、別に僕も僕の家族も、相花のことを迷惑だなんて思ったことはない。相花は妖怪のせいで実家に戻れず、一人で外出することもできないんだ。ようやく、僕の家で安心して生活できる状態なんだ。もし、また相花を一人にしたら、彼女はまた不良たちに襲われ、ネカフェを転々とする辛い生活に戻らなくちゃならない。僕の家なら不良たちや悪漢たちに襲われる心配もないし、外出したいときも僕が傍にいれば、僕が妖怪の動きを察知して、彼女が不良たちと喧嘩せずに無事に外を出歩けることができるんだ。今、彼女をこの家から追い出すなんて、そんな酷いことはできない。妖怪の件については近日中に何とかするつもりだから、そんなに心配しないで。とにかく、今日のところは帰ってくれ。それから、相花、君も椿さんのことが嫌いだからと言って、挑発するようなことを言っちゃいけないし、逆に挑発に乗って、怒って暴力を振るったりなんかしちゃ駄目だ。君にとり憑いている野蝠という妖怪は、君の発する怒りの感情を餌として吸収すると言ったはずだ。今、君が椿さんに対して向けた怒りの感情は、そのまま妖怪のエネルギーになるんだ。自分から妖怪に餌を与えているのも同然なんだ。もし、野蝠が君と椿さんを本気で殴り合いの喧嘩にまで発展させようと動いたら、椿さんを傷つけるだけでなく、ますます妖怪を肥えさせることになる。そうなったら、野蝠の思うつぼだ。君から野蝠を、妖怪を追い払うことは余計に難しくなる恐れがある。何があっても、怒りに飲まれて喧嘩なんてしちゃいけない。椿さんにはもう帰ってもらうから、とにかく落ち着いてくれ。さぁ、その握りしめた拳を緩めて、怒りを鎮めて、リラックスするんだ。リラックス、リラックス。」

 僕が二人に向かってそう言うと、二人は口喧嘩を止め、少しづつ落ち着きを取り戻していった。

 「ごめんなさい、浄君。ついカッとなって我を忘れていたわ。それに、虎森さんの事情をよく知らずに、あなたの考えも聞かずに彼女を追い出すように言ったのは間違いだったわ。浄君、それと、虎森さん、本当にごめんなさい。」

 椿さんが僕と相花に謝罪の言葉を述べると、頭を下げた。

 「こっちこそ、悪かったよ。からかうようなことを言ってさ。お前とブラザーが仲の良いのは知っていて、何だかお前にブラザーのヤツを取られるような気がして、つい、お前に意地悪したくなってさ。アタシ、中学の頃から友達がいなくてさ。それで、ブラザーが友達になってくれると言ってくれた時はすげえ嬉しくてさ。だから、ブラザーの仲の良いお前に八つ当たりするような真似をしちまった。アタシの方こそ本当にすまなかった。この通りだ、許してくれ。」

 相花も椿さんに謝罪の言葉を述べ、同じく頭を下げた。

 二人が和解したのを見届けると、僕はひとまずホッとした。

 和解を終えると、椿さんは僕の家から出て行った。

 椿さんを玄関まで見送ると、僕は自室に戻り、部屋にいた相花に声をかけた。

 「相花、椿さんと今すぐ友達になってくれとは言わないし、仲良くしろとも言わないよ。ただ、椿さんも内心では本当に君のことを心配していると思う。根は優しい人なんだよ、彼女は。だから、椿さんのことは信用しても大丈夫だと思うよ。それと、僕の話を聞いて拳を収めてくれてありがとう。辛かったと思うけど、あのままだとますます妖怪が君から離れなく恐れがあった。短気な君が怒りを抑え込むのは、特に椿さんからの毒舌を受けた時は相当大変だったはずだ。君が普通に怒って、普通に日常を送れるよう、僕も頑張るよ。必ず、君にとり憑いている野蝠を追い払ってみせる。今一度約束するよ。だから、元気を出して。」

 僕は相花に励ましの言葉をかけると、相花は涙目になりながらも、笑顔で返事をした。

 「ありがとな、ブラザー。アタシならもう大丈夫だ。お前のことを信じて待つよ。」

 彼女が元気を取り戻したのを見ると、僕は言った。

 「それじゃあ、二人で気分転換に何かゲームでもして遊ぼう。TVゲームもあるし、カードゲームもあるし、ボードゲームなんかもある。相花がしたいゲームは全部しよう!」

 それから、僕たちは一日中、僕の部屋でゲームをして遊んだ。

 食事やトイレ、お風呂などを除くと、夜までまる一日遊んだ。

 ゲームセンターの時もそうだったが、相花はとにかくゲームが上手だった。

 期末試験の勉強などすっかり忘れて、僕たちは遊びまくったのだった。

 6月26日月曜日。ついに作戦を実行する日がやってきた。

 もし、作戦に失敗すれば、僕は大怪我をし、相花から野蝙を追い払うこともできずに終わる。

 リスクの高い作戦ではあるが、他に選択肢は無かった。

 僕は相花と一緒に学校へ登校した。

 作戦について何も知らされていない相花は、鼻歌を歌いながら、僕と腕を組んで学校の廊下を歩いていた。

 相花と腕を組んで歩く僕を見ると、廊下ですれ違う生徒たちは皆、一様に怪訝な表情で僕の顔を見ていた。中には、僕と相花を見て、ヒソヒソと小声で何かを話している生徒たちもいた。きっとまた、碌でもない話をしているのだろうが、僕は無視を決めた。

 教室に着くと、クラスメイト達は皆一様に驚いた顔で、相花と、彼女と腕を組んで教室に入ってきた僕を見ていた。

 教室に入り、腕を組むのを止め、自分の席に着こうとすると、

 「後で一緒に昼飯を食おうぜ、ブラザー!」

 と、相花が大きな声で自分の席から僕に声をかけてきた。

 「了解、相花。」

 僕はそう返事を返すと、自分の席に座った。

 前の席に座っている晴真が、驚いた様子で僕に話しかけてきた。

 「おい、浄!?お前、いつから、虎森さんと仲良くなったんだ?お前が先週虎森さんに呼び出されて、そのまま学校をサボったのは知ってるけど、いくら何でも仲が良過ぎないか?仲良くなったと言っても、まだ三日くらいしか経っていないだろ?一体何があったら、あの虎森さんとそんなに仲良くなれるんだ?」

 「ええっと、まぁ、意外と趣味が合うというか。彼女、ああ見えてすごくゲームが上手いんだ。それにゲームの趣味が合うんだ。良かったら、今度、晴真も僕と一緒に彼女とゲームしてみないか?きっと、楽しいと思うよ。」

 「ハハっ、まぁ、気が向いたら、一緒に遊んでもいいが。今はまだ、ちょっと遠慮しておくぜ。しっかし、お前の周りには変わった奴ばかり集まってくるよな。おおっと、俺は至ってノーマルだぜ。後、今の発言はオフレコで頼むぞ。神郡さんや虎森さんに聞かれたら俺の身が持たん。だけど、あんまり虎森さんとばかり仲良くしていると、神郡さんがどう思うことやら。俺を修羅場に巻き込んだりはするなよ。」

 「おい、変な冗談は止めろよ。椿さんも相花もただの友達だよ。恋人なんかじゃない。そもそも、陰キャぼっちの僕に彼女が出来るわけないだろ?僕を巡って修羅場なんて100%、いや、1000%起こりっこないね。断言してもいいよ。とにかく、お前も発言には注意してくれ。ただでさえ、僕に人に呪いをかける力があるとか、人を操ったりする力があるとか、お化けだか式神だかと話ができるとか、変な噂が流れて困っているんだからさ。これ以上、変な噂が増えるのは御免だね。本当に頼むぞ。」

 「分かってるって。もっと俺のことを信用しろよ。」

 僕と晴真はそうやって、軽口を叩き合った。

 それから、作戦決行の時間まで、普通に授業を受けた。

 決して作戦の内容が相花に悟られないよう、昨晩の内に、犬神と作戦のすり合わせを行っていた。

 気を許してくれているとは言え、僕の霊感や犬神の存在に独力で気付いた相花の観察眼の鋭さは驚異だ。

 彼女の前でちょっとでも作戦の内容に関することを犬神と話したりしたら、たちまち作戦の内容が明るみにされてしまう。

 そうなっては、せっかく立案した作戦は実行せずして水の泡だ。

 僕が今回立案した、相花から彼女にとり憑いている野蝠を追い払う作戦は絶対に相花に知られてはいけないという前提条件がある。

 僕は決して作戦のことが分からないよう、あえて、彼女には、野蝠を追い払う方法については犬神と検討中だと嘘をついた。

 実際、その時点では本当に僕が立案した作戦が成功するかどうか、その勝算は不透明だった。犬神とよく擦り合わせを行わなければ、本当に作戦を実行可能かどうか分からなかった。

 だから、相手の目を見ただけで、相手が自分に嘘をついているかどうか分かる、彼女の観察眼には、僕が嘘をついているとは分からなかった。正確に言えば、作戦についてはアイディアが浮かんではいたが、作戦を実行できるかについては僕自身可能性を探っている途中であった。作戦を実行する自信、確証が無かったため、作戦があるとは言い切れない状態だった。真実に至らない中途半端な真実、故に彼女の観察眼には僕の言葉が嘘だとは見抜けなかったのだ。

 僕は作戦決行の時が来るのをひたすら待ち続けた。

 12時10分。お昼休憩の時間がやってきた。

 僕は相花に、一緒に屋上で二人でお弁当を食べようと誘った。

 僕と相花はお弁当を持って、一緒に屋上へと上がった。

 屋上に着くと、僕はお弁当を地面に置き、それから、相花に向けて言った。

 「ようやく、二人きりになれたなぁ、相花!!まんまと僕の誘いに乗るなんてよぉ!ここがお前の墓場になるとも知らずになぁ!」

 僕の豹変ぶりに相花は驚きながら言った。

 「お、おい、ブラザー!?一体、どうした?何、訳の分かんねえこと言ってんだよ!?」

 「訳が分からないだって?なら、教えてやるよ。こういうことだよ!!」

 僕はそう言い放つと、ズボンの右ポケットに入れていた小石を一つ取り出し、それを相花の顔めがけて投げつけた。

 相花は僕が投げつけた小石をサッと交わすと、驚きと怒りを交えながら僕に言った。

 「危ねえだろうが!?おい、石なんかアタシに投げつけて、どういうつもりだ?」

 「ちっ、やっぱこの程度の奇襲はあっさり交わすか。まぁ、いい、教えてやるよ。相花、お前を屋上に呼んだのは、ここでお前を潰してやるためさ。僕がお前と仲良く一緒にお弁当を食べるために来たとでも本気で思っていたのか?おあいにくさま。先週の金曜日から今日までのことは全部僕のお芝居さ。霊感だの妖怪だの、そんなの僕に分かるはずないだろ。ただ、夜見近市最強の女ヤンキーと呼ばれる君が困っているのが面白くて、お前に話を合わせて、ちょっとからかったのさ。でも、もうお芝居も飽きちゃったし、そろそろ潮時だと思ってね。今、君は心身に異常をきたしていて、万全の状態じゃない。おまけに、先日のゲームセンターで君の喧嘩の実力は把握済みだ。相花、お前を潰すには絶好のタイミングってわけさ。お前を倒せば、僕が夜見近市最強の男、町中の不良たちのトップだ。そういうわけだからさ、おとなしくこの僕に倒されてくれるかな、間抜けな女ヤンキーさん。」

 僕は相花に、裏切りと侮蔑の言葉を送り、彼女を挑発した。

 僕の言葉や挑発に、相花は困惑していた。

 「嘘だろ、ブラザー!?お前がアタシにそんな酷いことを言うわえがねぇ。昨日、アタシを妖怪から助けてくれるって言ったあの時のお前の目は嘘なんてついていなかった。本気でアタシを心配している目だった。ブラザー、一緒に妖怪を追い払おうって、二人で約束したじゃねえか!?なぁ、アタシを倒すなんて何かの冗談だろ、なぁ?」

 困惑する相花の問いに、僕は答えた。

 「冗談なんかじゃない、僕は本気さ。そして、これが答えだ!」

 困惑する彼女に向かって、僕は正面から飛び蹴りを食らわせようとしたが、あっさりとかわされてしまった。

 「理解したかい、間抜けが!!そっちが手を抜くようなら、遠慮なく倒させてもらうよ。僕はお前のことを友達だなんて、これっぽちも思っちゃいない。観念しろ、虎森 相花!」

 僕は狂ったように叫びながら、彼女をさらに挑発した。

 僕の狂ったような顔を見て、相花は険しい表情を浮かべながら言った。

 「ブラザー。お前と過ごした日々に嘘は無かった。どうやら、アタシにとり憑いている妖怪のせいで、お前は気が狂っちまったらしい。だけど、心配すんな。少々手荒いことをするが、ぶん殴ってお前を正気に戻す。待ってろよ、必ず助けてやる!!」

 相花はそう言うなり、ボクシングのような構えをとる。

 オーソドックスと言われる、ボクシングにおいて右利きの選手が多く使用する、左手を前に出し、右手を後ろに引いた構えで、攻守のバランスに優れ、一般的に知られるボクシングのスタイルだ。

 「さぁ、こい、相花!!お前をぶっ倒してやるよ!」

 そう言うと、僕は、頭を下げ、顔の前で両腕をX字に交差させ、防御重視の構えをとった。ボクシングの世界では、クロスアームブロックと呼ばれる防御を重視した構えで、顔面を強固に守れるメリットや、インファイトでのカウンターにも優れている。僕の構えは、通常はL字型に組む人が多いが、より防御を重視して、あえてX字型に組んでいる。

 僕の掛け声と同時に、相花が右の拳を勢いよく繰り出してきた。

 『小僧、真っ正面から来るぞ!耐えるのだ!』

 僕の右肩で、相花の動きを見ていた犬神が僕に指示を出す。

 犬神の指示に従い、僕は交差させた両腕に目一杯力を込めて、正面からの一撃を耐え防いだ。

 あまりの衝撃に、ガードしている両腕がヒリヒリと痛む。

 「ちっ、ど素人のくせに防ぎやがった!だが、所詮はまぐれだ!」

 彼女が左の拳からジャブを打ってくる。

 僕はそれを防ぐ。

 『小僧、左下に注意しろ!下からえぐるような一撃がくるぞ!』

 犬神が僕に指示した瞬間、相花の右の拳からアッパーカットが放たれた。

 僕は、左下から襲ってくるアッパーをギリギリで防いだ。

 相花はまた左の拳からジャブを打ってくる。

 僕はまたそれを防ぐ。

 『小僧、左を向け!横から拳がくるぞ!』

 犬神の指示通り、体を左斜めに向けると、相花の右の拳が横から回るように飛んできた。

 相花の放つ強烈なフックを何とかガードした。

 もし、側頭部に当たっていたら、僕は一撃で倒されていたことだろう。

 相花は一旦後ろに少し下がり、次の瞬間、右足が大きく動いたように見えた。

 『小僧、蹴りが飛んで来るぞ!後ろに飛べ!』

 犬神が僕に指示し、僕はすぐさま大きく後ろに飛んで下がった。

 直後、先ほどまで僕がいた場所を、相花の回し蹴りが通過した。

 僕の動きに、相花は驚いている様子だった。

 「信じられねぇ!?完全にアタシの動きについてきてやがる!?一体、どうなっていやがる?」

 僕はクロスアームブロックを崩さないまま、彼女に近づきながら言った。

 「おいおい、もう終わりかい?夜見近市最強の女ヤンキーも全然大したことないなあ?「光泉の猛虎」じゃなくて、「光泉の子猫」の間違いじゃないのかぁ?」

 僕の挑発に、相花は怒り、僕を睨みつけながら、言った。

 「誰が子猫だと!?妖怪のせいで気が狂っているとは言え、言ってくれるじゃねえかぁ、ブラザー!!お望み通り、手加減なしの一発を食らわせてやらぁ!!」

 そう言い放つと、彼女はジャブやストレート、フック、アッパーカットを交えた凄まじい拳の連打を僕に向かって打ってきた。

 『小僧、両腕に力を入れ、頭ももう少し下げろ!姿勢ももっと低くしろ!相手にもっと近づけ!距離をとらせるな!後はひたすら、耐えるだ!』

 犬神の指示に従い、僕はさらに防御を固めた。そして、ジリジリと相花の方に近づいて行った。

 相花が放つ強烈な拳の連打が、弾丸の雨のように、僕のガードする両腕を襲ってくる。

 ガードする両腕の痛みはますます増していき、時折、ビキ、ビキっという、骨にひびが入るような音が聞こえてくる。

 僕は痛みを堪え、ガードする両腕を盾のようにしながら、ジリジリと相花へ近づき、彼女を屋上のフェンスまで追い込んでいく。

 「これでどうだああーーー!!!」

 相花は右足を真っ直ぐに頭上まで掲げ、僕の脳天目がけて振り下ろそうとする。

 『小僧、両腕で頭を抱え込め!!』

 僕は急いで両腕をクロスしたまま、頭を庇うような態勢になった。

 次の瞬間、相花の強烈な踵落としが、僕の両腕に直撃した。両腕から僕の頭部に衝撃が伝わってくる。ガードしている左腕に激痛が走った。おそらく、今の一撃で間違いなく、僕の左腕の骨は確実に折れたと思われる。

 僕は相花の渾身の一撃を何とか耐え抜いた。

 そして、ついに相花がスタミナ切れを起こし、その場で膝をついた。

 僕は痛みに耐えながら、クロスアームブロックの構えを解かず、相花の前に立ちふさがった。

 「ハアハア、くそっ、動きは完全に素人なのに、反応速度はアタシと互角かそれ以上だ。一体全体、どうなっていやがる!?アタシの方が先にスタミナ切れを起こすなんて!?」

 相花は、僕が彼女の攻撃を全て受けきった事実に驚愕し、困惑している。

 僕は困惑している相花に追い打ちをかけた。

 「ハハハ、相花。言っただろ。僕はお前を倒すと。どうやらスタミナ切れでもうまともに動けないようだな。お前はここでおしまいだ。せめて、潔く僕に止めを刺されるんだな。

 この一撃で死ね、相花!!」

 クロスアームブロックの構えを解き、僕は目の前で膝をつく相花に向かって、右の拳を振り下ろそうとした。

 正にその時だった。

 相花の体から、一匹の小さな黒い蝙蝠が飛び出してきた。

 彼女の体にとり憑いていた蝙蝠の妖怪、野蝠のふくである。

 野蝠のふくは一度空中高くまで飛ぶと、少しづつ落ちるように滑空しながら、僕の方へと真っ直ぐに向かってきた。

 僕は犬神に合図した。

 「今だ、犬神!!」

 『まったく、待ちわびたぞ。』

 犬神は僕の体から離れると、僕に迫ってくる野蝠の下まで一瞬で移動し、そのまま野蝠の体に噛み付いた。

 「ピピ!?」

 犬神に噛み付かれ、野蝠は犬神の口から逃げ出そうとジタバタと羽を動かし、鳴き声を上げている。

 犬神は野蝠の体に牙を立て、どす黒い妖力をひたすら注ぎ込む。

 やがて、野蝠の体は動かなくなり、塵のようになって消滅した。

 「相花を散々苦しめた罰だ、野蝠。お前には地獄行きがお似合いさ。」

 消滅してゆく野蝠の姿を見ながら、僕はそう言った。

 犬神が野蝠を退治したのを確認し、僕は犬神に声をかけた。

 「犬神、お疲れ様。お前のおかげで相花にとり憑いていた野蝠を無事、追い払うことができたよ。本当にありがとな。」

 『全く、貴様というヤツは毎度無茶をしよる。しかし、自分を囮にして、あの小娘から野蝠のヤツを引き離そうとは、よく思いついたものだな。だが、また、随分とボロボロになったものだなあ。我の見立てでは、貴様の両腕の骨は完全に折れているぞ。早く手当をしてもらうがいい。』

 そう言うと、犬神は僕の右肩に頭を乗せて眠り始めた。

 目の前で膝をついてポカンと口を開けて一部始終を見ていた相花が、ハッと我に返り、僕に声をかけてきた。

 「お、おい、ブラザー!?お前、妖怪のせいで気が狂ってはずじゃ?」

 僕は悪戯っ子のような笑顔を浮かべながら、笑って答えた。

 「ハハハ、いや、ごめんごめん。今までの喧嘩は全部、演技だよ。君にとり憑いている野蝠を追い出すために僕と犬神で考えたお芝居だよ。その様子だと、すっかり騙されたようだね。騙していたことは謝るよ。でも、他に方法は無かったんだ。騙したりしてごめんよ、相花。」

 僕が笑いながら相花に謝ると、彼女は黙って立ち上がり、それから僕の頭に一発拳骨をお見舞いした。

 「痛った!?何するんだよ、相花?」

 相花はひどく怒った顔で、僕の胸元を掴みながら言った。

 「おい、いくら何でも冗談が過ぎるぞ、ブラザー!アタシを助けるためとは言え、アタシにボコボコに殴られるなんて無茶をして、アタシがどんだけお前を心配したか本当に分かってんのか?もう二度とアタシの前でこんな無茶はするな!それと、アタシに嘘をついたりするな!もし、破ろうとしたら、そん時は足腰立たなくなるまで殴ってやるからな!分かったな!」

 相花は目に涙を浮かべながら、僕を怒った。

 「分かったよ。約束する。君の前でもうこんな無茶はしないし、君に嘘をついたりもしない。本当に心配かけてごめん。」

 僕は彼女に謝った。

 「絶対だからな。破ったら許さねえぞ。」

 「本当だって。約束するよ。そんなことより、君にとり憑いていた野蝠を無事、君の体から追い払うことに成功したよ。それと、野蝠のヤツは犬神が退治して消滅した。君がふたたび野福町や野福洞窟に近づかなければ、またとり憑かれる心配もない。おめでとう、相花。君はもう大丈夫だ。」

 僕が相花に野蝠を追い払った事実を伝えると、彼女は途端に笑顔になり、いきなり僕に抱き着いてきた。

 「本当か!?もう、アタシに妖怪はとり憑いていないんだな!?確かに、徐々に拳に痛みを感じる。やっと、やっと終わったんだな!本当にありがとう、ブラザー!お前はアタシの生涯最高の友達だちだぜ!」

 彼女が喜んでくれるのは嬉しいが、思いっきり抱き着かれたせいか、彼女の大きな胸に顔を挟まれ、少々息が狂しい。何より、おそらく骨折しているであろう両腕をがっしりと掴まれ、両腕に痛みが走ってしょうがない。

 「あ、相花、く、苦しい。それに痛い。悪いけど、一旦離れて。」

 僕がそう懇願すると、相花は僕に抱き着くのを止めた。

 「わ、悪い、ブラザー。つい、嬉しくて。つーか、両腕めちゃくちゃ腫れてるじゃねえか!?いや、アタシのせいなんだけどさ。とりあえず、保健室まで連れて行くぞ。ほら、アタシに肩を貸しな。」

 相花はそう言うと、僕の左腕を担ぐ形で僕に肩を貸してくれた。

 僕は相花に肩を貸してもらいながら、彼女と一緒に手当てを受けるため、保健室へと向かった。

 僕と犬神が立てた作戦とは、僕が相花と決闘し、彼女を追い詰めることで、彼女にとり憑いている野蝠に、僕に寄生先を変えさせようという囮作戦であった。

 先日ゲームセンターで彼女と半グレたちとの喧嘩を見た時、彼女はただ腕力があるわけではなく、格闘技に精通しているような洗練された動きを見せた。彼女がボクシングや空手、柔道などの経験者かつ実力者であることは明白だった。

 相花は特に拳を使っての喧嘩を好んでいるため、ボクシングの心得があると考えた僕は、ボクシングについて調べ、クロスアームブロックの構えによる防御重視の戦術に着目した。

 だが、ボクシング未経験、ましてや、素手での喧嘩さえまともにしたことがない、ひ弱な陰キャぼっちの僕が、格闘技経験者と思われる相花と喧嘩して勝てる保証はなかった。パンチ一発防げず、KOされるのがオチだ。

 そこで、犬神にナビゲートしてもらうことを思いついた。クロスアームブロックの構えをとると、どうしても前が見づらくなり、奇襲を受けた時、咄嗟に動きが取れない恐れがあった。格闘技経験のない僕の反射神経や格闘センスは並以下だ。ならば、あえて、自分の目で確認することを捨てることにした。右肩の犬神に相花の動きを観察、予測、そして動きの指示をしてもらい、僕は犬神の指示に従って相花の攻撃を防御する。犬神が僕の目と司令塔役を担い、僕は盾役に徹する。こうすることで、相花の攻撃を完全防御、完全回避する防御スタイルが考案された。

 しかし、防御スタイルを考案したはいいものの、僕と犬神の息がぴったし合わなければ、実現不可能であった。そこで、昨日の夜に、自室で、ハリセンを持たせた土ノ子を相手に練習を行った。最初は中々犬神との息が合わず、頭や肩、腹に何度も土ノ子からハリセンによる一撃を食らったが、何度も練習を重ねていくうち、息が合うようになり、三時間ほどで、見事全てのハリセン攻撃を防げるようになった。土ノ子がいなければ、きっと練習はできず、ぶっつけ本番で挑むことになったことであろう。後で土ノ子には御礼のミネラルウォーターをたっぷり飲ませてあげるとしよう。

 そして、犬神との連携が取れるようになり、防御スタイルを確立した僕は、相花を昼食を一緒にとるという名目で彼女を呼び出し、野蝠のせいで気が狂って彼女に喧嘩を売るというお芝居をして見せた。彼女は僕の芝居に騙され、僕に乗せられるまま、スタミナ切れを起こすまで僕を徹底的に攻撃した。僕は彼女がスタミナ切れを起こすまでひたすら彼女の攻撃を、犬神との連携による完全防御スタイルで防ぎ耐え続けた。そして、彼女がスタミナ切れを起こした瞬間を見計らって、わざと勝利宣言をして見せた。僕の勝利宣言に釣られ、相花にとり憑いていた野蝠は、強い人間を好むという自身の習性から、相花よりも僕の方がより強い人間だと誤認し、僕を新たな寄生先としてとり憑こうと、相花の体から離れた。僕は相花の体から野蝠が離れたことを確認すると、僕に向かって飛んで来る野蝠を犬神に退治するよう指示した。まんまと野蝠は僕たちの仕掛けた罠にかかり、犬神によって退治されたのであった。

 こうして、相花にとり憑いていた妖怪、野蝠を追い払うことに成功したわけである。

 さて、事件が無事解決し、手当てを受けるため保健室へと向かった僕だったが、保健室で診てもらった瞬間、保健室の薬師寺先生が慌てて病院へ行くよう伝え、僕はそれから先生付き添いの下、近くの総合病院の整形外科で診察を受けることになった。

 ちなみに僕の両腕は真っ赤に腫れあがり、所々青あざができ、内出血を起こしていた。

 МRI検査の結果、僕の両腕には複数箇所にひびが入っていて、いわゆる不全骨折と言うらしいが、ひびがあまりにたくさん入っていて、即入院が必要との診断が医師から下された。少なくとも全治一か月とのことだった。

 診察した医師は、僕の腕に何箇所もひびが入っていることや打撲痕があることに疑問を持ったようで、いじめや暴力、虐待などを疑われたが、屋上の階段から真っ逆さまに落ちて、手をバタバタと動かしたせいでひびが入ったのだろうと、適当にごまかした。

 学校から連絡を受けた母が、パートを休んで、僕の入院している病院の病室まで慌ててやってきた。

 母から一体何で怪我をしたのかと訊ねられ、屋上で友達と一緒にお弁当を食べようとして、屋上までの階段を上っていたらうっかり足を滑らせて誤って階段から転落したと、説明をしておいた。

 妖怪を追い払うために相花と喧嘩をして骨折したとは口が裂けても言えなかった。

 母から色々と注意を受けた後、母は僕の着替えやら荷物やら、必要なものを取りに一旦自宅へと帰っていった。

 こうして、僕は一ヶ月間病院に入院することになり、当然期末試験は受けられず、骨折が治り次第、追試を受けることになり、また、貴重な夏休みの約半分を病院のベッドで送るハメになった。陰キャぼっちの僕に、充実した夏休みなどは待っていないという悲しい現実が突き付けられることになった。

 6月27日火曜日正午過ぎ。僕の両腕には白いギプスが巻かれていた。幸い、手の方は骨折していなかったので、何とかフォークやスプーンを持つことはできたが、腕を動かして口元まで持っていこうとすると時々激痛が走る。

 僕が昼食を四苦八苦して食べていると、犬神が声をかけてきた。

 『小僧、昼餉のちょ・・これ・・いと・・はまだか?我は腹が空いた。早く食わせろ。』

 「この状況を見て分かんないのか?昨日から言ってるだろう。僕は両腕を骨折していて自分の食事だって満足に自分で食べられないんだ。お前にチョコレートをやる余裕はない。チョコ―レートが食べたかったら、しばらくは土ノ子に頼め。土ノ子にちゃんとお前にあげるチョコレートを預けてあるから、土ノ子に食べさせてもらえ。全く、何度も同じ事を言わせるなよ。おーい、土ノ子、悪いけど、僕の代わりに犬神にチョコレートを食べさせてやってくれ。」

 僕が土ノ子にお願いすると、土ノ子は、

 「キュー。」

 と言い、僕の荷物の入った鞄から板チョコを一枚取り出し、それを犬神の下まで持って行った。

 『土ノ子よ、大儀である。小僧がこんな状態であるから、しばらくは貴様からちょ・・これ・・いと・・をもらうことにする。世話をかけてすまんな。それもこれも、このお人好しがまた余計なことに首を突っ込んで、我の忠告を無視して、このような無様な姿になったせいだ。貴様も情けない主人を持って苦労するな。』

 「情けない主人で悪かったな。土ノ子、本当にごめんな。大体自分の食べるチョコレートくらい自分で取って食べればいいのに、わざわざいつも他人に食べさせるどこかの我がままでぐうたらな怠け者のせいでお前も大変だよな。本当に苦労をかけてごめんな。」

 『誰が我がままでぐうたらな怠け者だと!?一体誰のおかげであの野蝠を退治できたと思っている。何の得にもならないのに、ほんのわずかな報酬で貴様の面倒極まりない頼みごとを聞いてやっているのだぞ。我ほどの働き者はおらんぞ。小僧、貴様はもっと我を褒め称えるべきだ。』

 「ほんのわずかな報酬!?お前なぁ、あのチョコロールケーキは、一本3千円はする、超有名ケーキ店監修の一品なんだぞ。普通は一切れ400円を食べれるかどうか、っていう貴重なお菓子なんだぞ。それを丸々一本食べといて、ほんのわずかな報酬しかもらっていないなんて、図々しいにもほどがあるぞ。第一、あのチョコロールケーキを食べさせなかったら、絶対に僕への協力を拒んでいただろうが。本当にドケチだな、お前は。」

 『ドケチとは何だ!不愉快だ!今すぐ発言の撤回を我は要求する!』

 いつものように、僕と犬神は口喧嘩を始めるのだった。

 犬神と口喧嘩をしながら、何とか骨折した両腕で昼食を食べようとしていると、病室のドアをトントン、とノックする音が聞こえた。

 「はい、どうぞ、お入りください。」

 僕が入室を許可すると、病室のドアを開けて、制服姿の相花が入ってきた。

 「よお、調子はどうだ、ブラザー?」

 「おかげさまで、一ヶ月入院することになったよ。期末試験は受けられないし、夏休みは半分病室で過ごすことになるし、まったくツイてないよ。まぁ、妖怪を無事、追い払えたことだし、良しとするさ。」

 僕が笑いながらそう返事すると、相花が申し訳なさそうな顔をしながら言った。

 「本当にすまなかった。アタシのせいでお前にはたくさん迷惑をかけた。アタシにできることなら何でも言ってくれ。何でもするからよ。」

 「別に気にしなくていいって。妖怪を追い払うことを引き受けたのも、多少怪我をしてでも君にとり憑いている妖怪を追い払う方法を選んで実行したのも、全部僕自身で決めたことだ。相花が責任を感じることはないよ。後、何でもしてくれると言ってくれたけど、それなら、怪我が治ったら、また、勉強を僕に教えてくれないかな?期末試験の代わりに今度追試を受けることになったんだけど、追試は期末以上に難しいって聞くからさ。さすがに追試で赤点取って、退院早々、補講三昧の夏休みを送ることだけは勘弁だよ。それで、どうかな?」

 「勉強を教えるくらい、いつでもOKだぜ。まったく、欲が無さすぎるぜ、ブラザー。まぁ、そういうところがお前の良さなんだけどさ。」

 相花が笑いながら、そう言った。

 相花は僕のベッドの横にある椅子に腰かけると、昼食を食べている僕を見ながら言った。

 「その腕じゃ食べにくいだろ?良かったら、アタシが食べさせてやるよ。」

 そう言って、僕の握っていたフォークを奪い取ると、皿の上の豆腐ハンバーグを一口サイズに切って、それを右手のフォークで刺して、それから、僕の口元に持ってきた。

 「ほれ、あ~ん。」

 「いや、あ~んって!?一人で食べられるって。」

 「いいから遠慮すんな。それに何でもするって言っただろ。ほれ、あ~ん。」

 相花がぐいぐいフォークに刺した豆腐ハンバーグを食べさせようと、僕の口元に近づけてくる。

 「しょうがないなぁ、あ~ん。」

 僕は相花が差し出した豆腐ハンバーグを仕方なく食べた。

 「ほれ、もう一口。はい、あ~ん。」

 「はぁ、あ~ん。」

 結局、相花に「あ~ん。」と言って、昼食を食べさせてもらった僕であった。

 昼食を食べ終わると、相花が持ってきていた紙袋から何かを取り出した。

 それは、きれいに赤いリボンでラッピングされた、チョコレートクッキーが入ったピンクの袋であった。

 袋からチョコ―レートクッキーを取り出すと、相花は言った。

 「御礼にと思って、チョコ―レートクッキーを作ったんだ。良かったら、食後のデザートに食べてくれ。」

 チョコ―レートクッキーの言葉に反応した犬神が、フンフンと鼻で匂いを嗅ぎながら、訊ねてきた。

 『そのちょ・・これ・・とくっ・・・とやら、本当に食べて大丈夫か?例の、びたー・・・ちょ・・これ・・いと・・とか言う劇物が入っているのではなかろうな?』

 「相花、このクッキーにはビターチョコレートは入ってたりする?犬神がまた、ビターチョコレートが入っているんじゃないかって気にしててさ。」

 「それなら、大丈夫だ。このチョコ―レートクッキーには普通の甘いチョコレートしか使っていねえから、安心して食べてくれ。」

 「だってよ、犬神。良かったな。」

 『嘘ではないな?もし、嘘であったら、本気でその小娘を呪い殺すからな?とにかく、我に味見させろ。』

 「分かった、分かった。相花、悪いけど、犬神にそのチョコレートクッキー、僕の代わりに食べさせてくれないか?」

 僕が相花に、僕の代わりに犬神にチョコレートクッキーを食べさせてくれるようお願いすると、

 「お前も一緒に食べさせてやるよ、ブラザー!」

 と言って、僕と犬神の口元にそれぞれチョコレートクッキーを持って行った。

 「ほれ、あ~ん。」

 本日何度目の「あ~ん。」、かは忘れたが、もう気にすることは止めよう。

 「あ~ん。」

 そう言って、彼女が差し出すクッキーを食べた。

 「どうだ、美味いか?」

 彼女に感想を聞かれ、

 「うん、すごくおいしいよ。料理が得意って聞いていたけど、お菓子作りも上手なんだね。犬神、お前はどうだ?」

 『うむ。このサクッとした生地に甘いちょ・・これ・・いと・・が練り込まれていて、口の中でほろほろととろける食感がたまらん。ただの生意気で乱暴な小娘だと思っていたが、これほどの菓子作りの腕を持っているとは驚いた。もし、また何か困りごとがあれば、今日のように我にちょ・・これ・・いと・・を使った手作りの菓子を献上するならば、この我が力を貸してやっても構わん。そう、この小娘に伝えるのだ、小僧。』

 と、僕も犬神も、相花の手作りチョコ―レートクッキーを絶賛した。

 「相花、犬神も相花の手作りチョコ―レートクッキーを気に入ったって。それと、また何か困りごとがあったら、チョコ―レートを使ったお菓子をくれるなら力になるって言ってるよ。」

 「本当か!?ありがとよ、犬神!そん時はよろしく頼むぜ!」

 犬神の言葉を伝えると、相花は嬉しそうに笑った。

 「そういえば、一つ気付いたことがあるだけだけど、なぁ、相花。」

 「うん、どうした、ブラザー?」

 「相花の名前って、ひょっとして、芍薬の花からとって付けたんじゃないの?」

 僕が相花に、彼女の名前の由来について訊ねると、彼女は顔を真っ赤にしながら慌てて返事をした。

 「おま、お前、どうして、そのことを知ってんだ?誰にも話したことなんて一度もねえのに?」

 僕は笑いながら答えた。

 「以前、花言葉に関する本を読んだことがあってさ。その本の中に、芍薬のことについて書いてあったのを思い出してさ。確か、芍薬の別名は「花相かしょう」って言って、花の宰相とも呼ばれるほど美しい花って意味だろ。「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」っていう言葉もあって、芍薬の花は美人を象徴する花とも書いてあったっけ。さっき言った芍薬の別名の漢字二文字の順を入れ替えると、「あい」って読めるだろ。それで、もしかしたら、芍薬の花から「あい」って名前を君のご両親が付けたんじゃないかと思ったんだ。すごく素敵な名前だと思うよ。実際、芍薬の花のように相花は美人だしさ。本当にピッタリな名前だなぁと思ってさ。」

 僕が相花の名前の由来について話し終えると、

 「お前、美人って、照れるだろうが。結構、気にしてんだぞ、アタシはこの名前。」

 と、相花は照れ臭そうに言った。

 「そうかなぁ、良い名前だと思うんだけど、僕は。」

 「アタシの名前の話なんていい。それより、お前に改めて大事な話がある。」

 急に相花が真剣な表情を浮かべて、僕に大事な話があると言い出した。

 「大事な話?一体何だい?」

 僕が訊ねると、相花は深呼吸をすると言った。

 「アタシの相棒になってほしい!」

 突然の彼女の申し出に、僕は少々困惑した。

 「あ、相棒!?それって、ブラザーって今の呼び名と何か扱いが違うわけ?」

 僕が困惑しながら訊ねると、彼女は説明を始めた。

 「ああ、もちろん違う。お前は大怪我をしてまでアタシのことを妖怪から助けてくれた。お前は間違いなくアタシの命の恩人だ。それ以前に、妖怪に襲われて困っているっていう理由だけで、碌に口もきいたことがなかった赤の他人のアタシの頼みを聞いてくれたり、一緒に遊んでくれたり、半グレどもと一緒に喧嘩してくれたり、家出中のアタシを家に泊めてくれたり、危ない洞窟まで付いてきてくれたり、お前はいつもアタシの傍にいてくれて、アタシの我がままに付き合ってくれて、アタシを本気で心配して助けてくれた。お前はもう弟分とか友達だちとか、そんなレベルを通り越して、アタシにとって家族と同じくらい、いや、それ以上の存在になった。アタシはさ、小学校の時からガキ大将みたいなことして、いつも友達と悪さしたり、気に食わねえ上級生と喧嘩したり、そんなことばっかしてたんだけどさ。だんだん、アタシの悪評が広まっていくにつれ、周りの友達だったヤツらはみんな、アタシから離れていっちまってさ。アタシと遊ばねえようにって、親から言われただとか、アタシと一緒にいたら上級生に目を付けられるから怖いだとか、そんな風に言われて、気が付いたらアタシはひとりぼっちになってた。ひとりになってからはずっと喧嘩に明け暮れる毎日で、中学からお前に出会うまで、友達なんていなかった。でも、ひとりぼっちだったアタシと、お前は友達になってくれて、その上命まで救ってくれた。お前がアタシのために命を懸けてくれたように、アタシもお前のために命を懸ける。そう決めたんだ。アタシたちはお互いの命を預けあう同士、だから、弟分でもただの友達でもなく、対等な関係だ。だから、お前のことはもうブラザーとは呼ばねえ。これからは、お前はアタシのたった一人の相棒だ。どうかアタシの相棒になってくれ。お前のことを相棒と呼ばせてくれ!」

 相花の眼差しは真剣そのものだった。

 僕に彼女の申し出を断る理由は無かった。

 「ああ、良いとも。今日から僕は相花の相棒だ。これからもよろしく、相花!」

 「ああ、こっちこそよろしくな、相棒!」

 僕と彼女は笑顔でお互いを呼びあった。

 「ところで、相花、そろそろ病室を出ないと、午後の授業に遅れてしまうよ?僕のことなら気にせず、早く学校に戻った方が良いよ。わざわざお見舞いありがとう。」

 僕がそう相花に言うと、

 「別に授業なんてどうでもいいよ。授業をサボっても期末試験なんてどうにかなるだろ?っていうか、ぶっちゃけめんどくせぇし、だるい。今日はお前の傍で看病でもしながら過ごそうかなあなんて思ってさ。この病室、wi-fiが使えるって聞いたからさ、大型のタブレットを持ってきたぜ。アタシが持つから、二人で一緒に映画でも観ようぜ!」

 と、彼女は鞄から大きなタブレットを取り出すと、学校をサボって一緒に映画を観ようと言い出した。

 思わず呆れてしまった僕だったが、彼女の我がままというか、自由奔放な振る舞いにはもうすっかり慣れてしまった。

 「しょうがないなぁ、相花は。分かったよ。それじゃあ、お言葉に甘えて映画を観させてもらうとするよ。」

 「おう、どの映画が観たい、相棒?アタシはアクション物が好きでさ、これなんておすすめだぞ?」

 僕が相花とどの映画を観ようか、話をしていると、トントンと、病室のドアを叩く音が聞こえた。

 「はい、どうぞ、お入りください。」

 僕がドアに向かってそう呼びかけると、ドアを開けて、制服姿の椿さんが病室の中へと入ってきた。

 「こんにちは、浄君。怪我の具合はどう?大分痛む?」

 「ああ、一ヶ月間入院ってことになったよ。両腕はちょっと痛むけど、手は使えるから、多少は良いかな。」

 「そう、困ったことがあったら、いつでも言ってね。全力でサポートするから。ところで、やっぱりここにいたわね、虎森さん。お昼休みになった途端、教室を抜け出したと思ったら、案の定、浄君の病室にいたわ。言っておきますけど、私はまだあなたのことを認めてはいないわ。大体、浄君のその両腕の怪我、おそらく、あなたが原因でしょ。あなたが傍にいたら、余計に浄君の怪我が悪化するだけだわ。浄君の看病は私に任せて、あなたはおとなしく戻りなさい。良いわね。」

 椿さんが相花に僕の病室から去るよう言うが、おとなしく相花が従うわけがなかった。

 「うるせえなぁ。お前こそ、学校に戻れよ、「氷の女王」、いや、神郡。相棒とアタシはこれから二人で一緒に映画を観るんだよ。お邪魔なのはおめえの方だ。それにな、相棒の看病ならちゃんとしてるぞ。さっきだって、昼食を「あ~ん。」して食べさせてやったぞ。ついでに手作りのチョコレートクッキーも食べさせてやったぞ。お前はどうやら手ぶららしいな。お見舞いの品の一つも用意してこないなんて、気が利かねえ女だよなあ、なぁ、相棒?」

 「あ、相棒!?「あ~ん。」して食べさせた!?おまけに、手作りのチョコレートクッキーですって!?」

 椿さんが信じられないといった顔で、唇をプルプルと震わせながら言った。

 そんな椿さんをからかうように、相花が椿さんに言った。

 「あちゃ~、相棒の女の子からの初めての「あ~ん。」をどうやらアタシが奪っちまったようだなぁ~。いやー、メンゴメンゴ。でも、しょうがねえよなぁ、相棒は両腕が使えなかったんだし。なぁ、相棒。」

 「おい、僕に振るな!っていうか、椿さんをからかうようなことは言わないようにって、この前言ったばかりだろ!?」

 僕が相花を注意すると、ペロッと舌を出して、ごめんなさいのポーズをとった。

 椿さんを見ると、何やら一人で小声でブツブツと何かを呟いているが、よく聞こえない。

 やがて、独り言を終えると、椿さんは相花を見ながら言った。

 「とんだ泥棒猫ならぬ泥棒虎がいたものね。いいわ。あなたとの勝負、受けて立つわ。でも、覚悟しておきなさい。最後に勝つのはこの私よ。それから、浄君の初めてのガールフレンド、ファーストガールフレンドはこの私よ。あなたはセカンドガールフレンドといったところかしら?この私を本気で敵に回したことを後悔させてあげるわ。」

 椿さんが相花に向けて挑発じみた言葉を言うと、相花も返事をした。

 「へっ、上等だ。こっちこそ、お前との勝負、受けて立つぜ。言っとくが、アタシは一度欲しいと思ったモノは必ず手に入れる主義だ。ファーストだのセカンドだの関係ねえ。どんな手を使っても絶対に手に入れる。一度ハートに火が付いた私を止められる奴は誰もいねえ。お前こそ、このアタシと張り合おうとしたことを後悔させてやるぜ。相棒はこのアタシだけのものだ。誰にも渡さねえぞ。」

 椿さんと相花はお互いの顔を見て、笑いながら言葉を交わした。

 先日のような壮絶な口喧嘩が始まるものかと思ったが、そういう雰囲気ではなさそうだ。

 二人の仲は相変わらず悪そうだが、対等なライバルを見つけたって感じだろうか?

 一体、何を巡ってお互いをライバル視しているのか、よく分からないが、まぁ、下手に首を突っ込んで巻き込まれたくはないので、ここは静観することに決めた。

 それから、夕食の時間まで、結局椿さんと相花の二人は僕の病室で、僕と一緒に三人で映画を観たり、僕が関わってきた妖怪に関する話をしたりして過ごしたのだった。

 もしかして、これから毎日、この二人がお見舞いに来るのではないか、そう思うと、思わず項垂れる僕であった。

 椿さんも相花も美人で、そんな二人に陰キャぼっちの僕が毎日、お見舞いに来てもらえることはこの上なく、光栄なことなのだが、毎日二人が何かと張り合う姿を目の前で見せられることになるかと思うと、ちょっと複雑でもある。

 僕が入院してからというもの、期末試験の期間を除き、椿さんと相花が毎日、お見舞いに来ては張り合い、どっちが看病をするか、どっちのお見舞いが良かったかなどという熾烈な争いを僕の病室で繰り広げたのは言うまでもない。

 さて、今回の、相花が野蝠にとり憑かれた事件であったが、無事、解決をしたとは言え、今回もまたヒヤヒヤとさせられた事件であった。

 とり憑いた妖怪よりも、とり憑かれた人間の方にてこずらされたと言うべきか、妖怪がとり憑いた人間を上手く利用してこちらの追跡を躱していたというべきか。

 とにかく、厄介な妖怪を相手させられたものだと思う。

 人間にとり憑き、とり憑いた人間と他人を争わせ、とり憑いた人間から怒りの感情を吸収し、人間を都合のいい餌場兼住処として寄生し、とことん人間を食い物にした上で災いを振りまき、自分は素知らぬ顔でまた新しい寄生先を見つけ、とり憑き、さらに災いを振りまく。

 人間を不幸にするループを延々と描く、自身の都合だけしか考えず、他者を顧みない、欲深く醜悪な妖怪。僕たちが倒したそんな妖怪、野蝠は、あくまで群れの中の一匹に過ぎない。今も野福洞窟の中に大量の野蝠が潜んでいることを忘れてはいけない。

 例え、自分たちが生きるためとは言え、他の生命を自分たちの都合だけで蔑ろにしていい道理などは無い。それは、人間にも、妖怪にも、どちらにも言えることだ。

 だが、野蝠のような、自身の欲望のためだけに人間を害することを平然と行う悪しき妖怪がいることを今回の事件を通じて僕は改めて知った。

 人間の中に悪が存在するように、妖怪の中にも悪が存在する。

 僕がまだ見ぬ妖怪たちの中には、もしかしたら、野蝠以上の悪を秘める妖怪がいるかもしれない。

 今回の事件を振り返っていて、一つ引っかかることもある。

 今回の事件のそもそもの発端は、野福洞窟に幽霊が出るという噂が流れたことが原因だ。野福洞窟にいたのは幽霊ではなく、野蝠という妖怪であったわけだが、なぜ、そんな噂が流れたのか、それがどうしても気になった。

 もし、野福洞窟に幽霊が出るという噂が流れなければ、相花やカップルたちが野福洞窟に近づくことは無く、野蝠にとり憑かれて、相花が町中の不良たちに毎日襲われたり、カップルたちが喧嘩別れしたりすることは起こらなかったはずだ。

 実は、野福洞窟に野蝠がいる事実を知る誰かが、故意に事実を歪めた噂を流し、今回の事件が起こるよう手引きしていたとしたら。

 今回の事件が偶然ではなく、誰かが何らかの目的で意図的に起こしたものだったとしたら。

 しかし、これはあくまで僕の単なる推測に過ぎない。杞憂と言われればそれだけのことだが、僕は噂が誰かの故意によるものでなく、偶然の産物であることを願っている。

 今回の事件を通じて、僕に新たな友人にして二人目のガールフレンドができた。

 僕を相棒と呼ぶその少女の名は、もり あい

 元気で明るく、自分の欲望に素直で、豪快で大胆、破天荒とも天真爛漫ともとれる性格の持ち主で、とにかくアグレッシブだ。

 夜見近市最強の女ヤンキーと呼ばれるほどの喧嘩の腕前に、明晰な頭脳と鋭い観察眼を持っている。

 少々、好き嫌いが激しく、短気に見えるところもあるが、根は非常に素直で良くも悪くもまっすぐである。

 相花の名前の由来である芍薬の花言葉の中には、「怒り」や「憤怒」といった言葉もある。

 相花は怒りっぽくて、短気な性格の持ち主と思われ、一度怒らせると手が付けられない、恐ろしい不良少女というイメージがあった。

 しかし、今は違う。

 芍薬の花言葉の中には「つつましさ」や「謙遜」という言葉もあり、元々芍薬の花は、つつましさのある美しい女性を象徴する花として知られている。

 僕に迷惑をかけまいと黙ってネカフェで寝泊まりしようとしたり、自分の頭の良さを決してひけらかさず僕に丁寧に勉強を教えてくれたり、弟分だと言いながら僕のことを一生懸命喜ばせようとしたり、本気で心配してくれたりする、そんなつつましいところがある、優しい相花の姿を僕は知っている。

 いつか、相花のつつましさのある美しい女性という一面が、彼女の本当の姿がみんなに分かる日が来ることを僕は心から願う。

 僕はふと、横で眠っている犬神に声をかけた。

 「犬神、相花を助けるのに協力してくれてありがとな。何だかんだ言いながら、いつも助けてくれて、お前には感謝してるよ。両腕が治ったら、また、おいしいチョコレートを使ったお菓子を食わせてやるよ。」

 僕の声に犬神は目を覚ますと言った。

 『いつも言っているであろう。我が貴様を助けるのは、我自身の身の安全を守るためと、貴様から供物としてちょ・・これ・・いと・・をもらうためだ。まぁ、今回は我ら妖怪の面汚しとも言えるあの野蝠を追い払うと聞いて、我も前々からヤツのことは気に食わなかった故、多少協力しても良いかとも思ったりもしたが。しかし、下手をすれば、今回貴様はあの小娘に巻き込まれたために命を落としていたかもしれないことを忘れるな。今回は両腕の骨を折る程度で済んだが、野蝠以上に悪質で、より強い力を持つ、外道とも呼べる輩が、我ら妖怪の中にいる。そのような輩と関わり合いでもしたら、今度こそ貴様は腕の骨を折る程度では済まんぞ。手足をもがれるか、首を落とされるか、はたまた内臓をえぐり取られるか、命の危険につながる大怪我をすることになることも十分にあり得る。最悪、命を落とす恐れだってあるのだ。貴様が馬鹿の付くお人好しで、命知らずのお節介焼きだとしても、貴様は所詮、ちょっと霊感があるだけのただの人間の小僧だ。いつもいつも我の力を借りられるとは思うな。我の力があるからと言って、必ずしも我の力が及ぶ相手とも限らん。貴様が何か小細工を弄したところでいつもどうにかなるとも思わんことだ。物事に絶対はない。妖怪絡みの事件が起こり、人助けのために貴様が動いたからと言って、いつも事件が解決するとも、必ずしも人を助けられるとは限らん。そして、小僧、貴様自身が五体満足で生きていられる保証もないことを忘れるな。貴様たち人間の命を軽んじ、容赦なく奪おうとしてくる悪しき妖怪がこの世には五万といるのだ。妖怪の中にも、我や貴様が嫌悪する邪悪なものが存在するのだ。人助けなんぞに気を取られ、そのような輩に殺されるようなことにならんよう、精々気を付けることだ。まぁ、貴様に今更こんなことを言っても無意味かもしれんがな。』

 犬神は皮肉めいた笑みを見せると、ふたたび眠り始めた。

 眠っている犬神の顔を見ながら、僕は呟いた。

 「お前の言う通り、例え、どんなに外道な妖怪が相手だとしても、命を落とす危険があっても、僕は絶対に人助けを諦めたりはしないよ、犬神。それに、僕はお前を信用しているぞ。お前と一緒なら、絶対に何とかなるってさ。」

 僕、京野 浄と、妖怪、犬神。僕たちが出会ってから、三ヶ月近い月日が経とうとしていた。

 季節は梅雨が明け、夏が始まろうとしていた。

 虎森 相花という新たな友人もでき、僕の日常はより一層騒がしくなっていく。

 犬神にとり憑かれ、さまざまな妖怪と出会い、彼らが引き起こす事件やトラブルに巻き込まれ、今回は両腕を骨折する始末だ。

 けれど、犬神との出会いがきっかけで人間、妖怪問わず、友人ができ、無色だった僕の日常は少しずつ色づいていく。

 きっと混沌とした色をしているに違いないが、僕の日常が良くも悪くも変化しているのは確かだ。

 妖怪たちに囲まれ、僕の日常はさらに奇妙で複雑なものへと変わっていく。

 僕と犬神の関係はと訊ねられると、それを表す言葉はまだ見つからない。

 ただ、三ヶ月近く、それも四六時中一緒に過ごしていると、多少、相手のことが分かってくるというものだ。

 お人好しの僕と、ひねくれ者の犬神。

 僕たちの性格は全く異なるけれど、妖怪絡みの事件に巻き込まれると、最後はいつも一緒に力を合わせて事件を解決するために動いている。

 お互い真逆の性格で、口喧嘩もよくするが、お互いを信用しているのも事実だ。

 腐れ縁、利害関係、ビジネスパートナー。色々な言葉が頭に思い浮かんでくるが、どれもいまいち、しっくりこない。

 いつか、僕たちの関係を表す言葉が見つかる日が来るのだろうか?

 僕と犬神の奇妙な日常はより騒がしさを増して続いていく。


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男子高校生の日常は怪奇で不可解なり 迎火 灯 @mukaebiakari

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