其の二 男子高校生、蝙蝠退治に苦戦する

 6月23日金曜日午後1時30分。僕と相花の二人は、僕たちの通う高校のすぐ近くにある、大型ショッピングモールへと来ていた。

 夜見近市最大の商業施設兼娯楽施設でもある大型ショッピングモール内にあるゲームセンターへと二人で足を運んだ。

 ゲームセンターへと行く道すがら、彼女が腕を組みながら笑顔で僕に訊ねてきた。

 「どうだった、アタシの愛車、ホンダのPCXの乗り心地は?デカくて、スピードも出て、気持ちよかっただろ?去年、免許を取った後、親に頼んで中古を買ってもらったんだけど、中々のもんだろ。帰りも家までアイツで送ってやるから、楽しみにしとけよ!!」

 「ああっ、ええっと、乗り心地は良かったよ。ただ、次、僕が一緒に乗るときはもう少しスピードを落としてもらえるかな?多分、制限速度を軽く30㎞は超えていた気がするから、なるべく安全運転で頼むよ。」

 僕は苦笑いしながら、相花にそう答えた。

 「ああん、バイクってのは思いっきりスピードを出して、風を楽しむもんだろ。まぁ、お前がそこまで言うなら、ちょっとだけスピードを落としてやるけどよ。」

 相花が不貞腐れた表情を浮かべもしたが、僕の頼みを聞いてくれるのだった。

 「そんなことより、早速パアーっと遊ぶことにしようぜ!」

 ゲームセンターに到着するなり、彼女は僕の手を引きながら、ゲームセンターの筐体に足を向けるのだった。

 ゲームセンターの筐体を見るなり、目を輝かせ、無邪気な笑顔を見せる彼女の姿を見て、僕は少しホッとした。

 ほんの数十分前まで、妖怪に殺されるかもしれないと悩み、涙を浮かべていた姿がまるで嘘のようだ。

 それに、彼女の無邪気な笑顔を見ていると、なぜかとても温かい気持ちになる。

 彼女が夜見近市最強の女ヤンキーと呼ばれる、誰もが恐れる存在にはとても見えなかった。

 むしろ、天真爛漫な年頃の可愛い女の子にしか見えない。

 学校ではいつも不機嫌そうな顔をしていて、一度怒らせたら生徒どころか教師にまで情け容赦なく暴力を振るう、凶暴なヤンキーという印象が強い彼女だが、彼女はただただ純粋で自分に素直な性格なだけなのかもしれない。裏表がなく、自分の気持ちに正直に生きている。そんな純粋無垢な女性なのかもしれない、と僕は思った。

 「何ボゥーっとしてるんだ、ブラザー?せっかく遊びに来たんだから一緒に楽しもうぜ。手始めに、エアホッケーで勝負だ。」

 彼女に手を引かれ、僕はエアホッケーの筐体に向かった。

 明らかに腕力の差で彼女の方が有利なゲームだが、僕は楽しそうな彼女の笑顔を見ていると、一緒に彼女と遊びたいと、そう思うのだった。

 「手加減はしないからな。行くぜ、ブラザー!」

 「うん、僕だって負ける気はないよ。真剣勝負といこう。」

 それから、僕と彼女はエアホッケーで思いっきり遊んだ。勝負の結果は相花の勝利に終わったが、別に悔しくはなかった。むしろ、すごく楽しい。

 エアホッケーをプレイした後も、シューティングゲームやレースゲーム、メダルゲーム、ダンスゲームなど、いろいろなゲームの筐体で二人で一緒に遊んだ。

 晴真と一緒にゲームセンターで遊んだこともあったが、長い時間、いろいろなゲームで遊んだことは無く、ちょっとゲームをして遊んで帰るくらいしかしたことがなかった。

 相花と一緒に遊ぶ時間は、男友達の晴真と遊ぶのとはまた違った楽しさがあった。

 よく考えてみれば、生まれてこの方、女の子と一緒に本気で遊ぶのはこれが初めてじゃあないだろうか?

 相花とは今日友達になったばかりだが、女の子と遊ぶのがこんなに楽しいとは知らなかった。

 女の子と一緒に遊びたいという同級生の男子たちの気持ちが少し分かった気がする。

 もし、相花が僕の恋人で、これが彼女とのデートだったら、きっともっと楽しいに違いない。

 まぁ、陰キャぼっちの僕が恋人とデートをする日なんて、おそらく一生来ないだろうけど。

 彼女とゲームセンターで遊んでいると、あっという間に一時間は過ぎていた。

 次にどのゲームで遊ぶか彼女と相談をしていると、彼女がチラチラとどこかを気にするように見ていた。

 彼女の視線の先を追うと、一台のクレーンゲーム機が置いてあった。

 クレーンゲームの中には、「フキゲンわんこ」という白い仏頂面の犬のキャラクターのぬいぐみがたくさん置いてあった。

 「フキゲンわんこ」とは、最近女子の間で人気の、仏頂面をした犬のキャラクターで、ぬいぐみやシール、おもちゃ、小物など、女子向けのアイテムでイラストが幅広く使われている。僕の妹や母も、このキャラクターのイラストが載ったアイテムをいくつか持っている。何でも彼女たちが言うには、仏頂面がブサ可愛いということだ。

 僕は「フキゲンわんこ」のぬいぐみが置かれたクレーンゲーム機を気にしている様子の相花に訊ねた。

 「相花、もしかして、「フキゲンわんこ」のぬいぐるみが欲しいの?」

 僕がそう訊ねると、相花は顔を真っ赤にして、慌てた様子で返事をした。

 「べ、別に欲しくねえよ、ぬいぐるみなんて!ただ、クラスの女子どもが「ブサ可愛い。」とか言って騒いでいたから、ちょっと気になっただけだ!本当だぞ!」

 慌てた表情の彼女を見て、僕は、本当はあのぬいぐるみが欲しいんだな、そう思った。

 「そっか、欲しくないのか?なら、ちょっとぬいぐるみを取りに行ってもいいかな?実は僕の妹が「フキゲンわんこ」が好きで、前からあのぬいぐみが欲しいって言ってたんだ。すぐに取って戻るから、相花は適当に他のゲームで遊んで待っててくれないか?本当にすぐに終わるから。」

 僕がそう言うと、彼女は「分かった。」と返事をして、一人で格闘ゲームの筐体で遊び始めた。

 5分後、僕はぬいぐるみを取って、相花の下に戻った。

 「お待たせ、相花。おかげさまで妹への手土産が取れたよ。後、これは待たせたお詫びだ。もらってくれるかな?」

 僕はクレーンゲームで「フキゲンわんこ」のぬいぐるみを二個取った。

 一個は妹への手土産に、もう一個は相花へのプレゼントに。

 僕は「フキゲンわんこ」のぬいぐみを相花へと渡した。

 彼女は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに照れくさそうな表情を浮かべながら言った。

 「全くしょうがねえなぁ。まぁ、お前がどうしてもって言うなら、もらってやるとするよ。」

 「ありがとう。ついでに言うと、この「フキゲンわんこ」の仏頂面が犬神のヤツにそっくりでさぁ。ぬいぐるみを通じて犬神のことをちょっとでも知ってもらえたら、なんて思ってさ。つい、君に渡したくなっちゃったんだ。」

 僕が相花に、「フキゲンわんこ」の仏頂面が犬神とそっくりだと言うと、

 「へえー、犬神ってこんな顔をしてるのか。」

 と、僕があげたぬいぐるみの顔をマジマジと見つめながら言った。

 『誰が仏頂面だと?我はそんな不細工な顔などしておらん。不敬であるぞ。今すぐこの小娘の前で先ほどの発言を撤回せよ。』

 僕が相花に、犬神の顔と「フキゲンわんこ」の仏頂面がそっくりだと教えていたのが聞こえたらしく、犬神が不機嫌そうな顔で僕に発言を撤回するよう求めた。

 「どこからどう見ても、お前の顔とあのぬいぐるみの仏頂面はそっくりだぞ、犬神。まぁ、全国の女子たちから可愛いって言われてるんだから、そう怒るなよ。」

 僕の弁解を聞くなり、

 『まぁ、それなら許しても良いが。』

 と、複雑そうな表情で、ぬいぐるみを見ながら僕に言った。

 僕が犬神と話をしていると、相花が声をかけてきた。

 「お前は良いよな、ブラザー。いつもこんなブサ可愛い顔がすぐ傍で拝めるんだから。アタシもとり憑かれるなら、犬神の方が良かったぜ。」

 「アハハハ、まぁ、とり憑かれたらとり憑かれたで、色々と面倒くさいヤツだけど、そう言ってもらえると犬神も喜ぶだろうね。」

 『フン、生意気で乱暴な小娘かと思ったが、中々見どころのある娘だ。この我の美しさが分かるとは、目の付け所が良い。ちょっとばかし、この小娘の手助けをしてやってもいいかもしれん。』

 犬神は相花から可愛いと褒められて機嫌を良くしたようだった。正確には、ブサ可愛いなのだが、まぁ、犬神が喜んでいるようならそれで良いだろう。

 そんなことを思いながら、相花と楽しく話をしていると、急に、「ピー。」という電子音のような大きな音が聞こえてきた。

 間違いなく、彼女にとり憑いている妖怪の鳴き声だ。

 何か嫌な予感がする。

 「相花、楽しい時間に水を差すようで悪いけど、君にとり憑いている例の妖怪の鳴き声が聞こえた。もしかしたら、不良たちが君を襲ってくる可能性がある。とにかく、周りに注意してくれ。」

 僕が相花に不良たちに襲われるかもしれないと注意を発したその時、犬神が声をかけてきた。

 『小僧、気をつけろ。貴様の後ろから柄の悪そうな連中が近づいてきているぞ。気をつけろ。』

 犬神からの警告を聞き、後ろを振り返ると、黒やグレーのだぼったい服に身を包み、ジャラジャラと金属製のアクセサリーを身に着けた、金髪やら赤髪やらの髪型の男たちが10人ほど、僕たちの後ろから近付いてきた。

 高校生ではなく、明らかに成人に見える。

 おそらく、半グレと呼ばれる連中に違いない。

 長い金髪に鼻ピアスをした、集団の先頭を歩いていたリーダー格と思われる男が声をかけてきた。

 「おやぁー、誰かと思えば光泉高校の虎森じゃあねえか。相変わらず女の癖にデカい面しやがって、マジでムカつくなぁ。しかも、男連れと来ていやがる。お前みたいなメスゴリラが好きなんて言う物好きがいるとは、お兄さん知らなかったぜ。そんなナヨナヨした男が一緒で大丈夫かぁ?おとなしくこの場で俺らに土下座して命乞いするなら、見逃してやってもいいけどよお。」

 リーダー格の男が相花を挑発するが、相花が男の挑発に臆する訳がなかった。

 「御託はいいから、全員まとめてかかってこいよ。テメエら全員、今すぐ地獄に送ってやるからよ。」

 相花がリーダー格の男を睨みつけながら、ドスの効いた声で挑発し返した。

 「いい気になってんじゃねえぞ、メスガキがぁ!」

 彼女の言葉を聞いて、怒りに完全に火が付いたリーダー格の男が彼女に殴りかかった。

 しかし、殴りかかってきた男より早く相花の方が動き、一瞬で男との距離を詰めたかと思えば、渾身の右ストレートを男の顔面に向けて繰り出した。

 彼女の拳がリーダー格の男の顔面にクリーンヒットし、ボキっという音が聞こえたかと思えば、リーダー格の男は顔から血を流し、床に倒れた。

 男の顔面を見ると、鼻の骨がぐしゃぐしゃに潰され、鼻がぺっちゃんこになっていて、鼻や口から大量の血を流し、白目をむいて気絶していた。

 リーダー格の男が相花に倒されたのを見るや否や、残りの半グレ集団の男たちが一斉に彼女に襲いかかった。

 「リーダーの仇だ!全員で囲ってやっちまえ!」

 男たちが次々に彼女に襲いかかったが、彼女は襲い来る半グレの男たちをあっさりと交わし、パンチやキック、ラリアットなど、多彩な動きで男たちを翻弄し、一撃の下に倒していく。

 どこぞの不良漫画のような光景に僕はついつい見とれてしまった。

 「これが、夜見近市最強の女ヤンキーの実力か。」

 相花の持つ圧倒的な暴力、否、圧倒的かつ異次元レベルの武力の前に、半グレたちはなすすべなく、皆一様に血を流し、倒れていく。

 僕が相花と半グレたちとの喧嘩に見とれていると、残っていた男たちの内の三人が僕の方に襲いかかってきた。

 「男の方をやっちまえ!ボコして人質にするんだ!」

 三人の半グレたちがそんなことを言いながら、僕に殴りかかってきたその時、犬神が僕を助けるために動いた。

 『小僧、貴様はおとなしくしていろ。アヤツらは我が何とかする。』

 犬神はそう言うと、僕の体から離れ、一瞬のうちに襲いかかってきた半グレたちの前に移動し、男たちに噛み付いたのだった。

 犬神に噛まれた三人の半グレたちは、犬神に噛まれた手足を抑え、激痛のあまり、悲鳴を上げながら、床の上でのたうち回っている。

 犬神に噛まれた人間は、犬神の妖力を注がれ、そのせいで噛まれた部分に激痛が走り、もだえ苦しむことになる。

 犬神お得意の妖力を用いた攻撃である。

 犬神は半グレたちを倒すと、また、僕の首元に巻き付いた。

 「ありがとう、犬神。おかげで助かったよ。」

 『勘違いするな。貴様に死なれてはちょ・・これ・・いと・・が食えなくなる。我が貴様を助けたのはちょ・・これ・・いと・・のためだ。決して貴様を心配したわけではない。分かったな。』

 犬神はそう言うと、僕の右肩に頭を乗せて眠り始めた。

 「よう、お疲れさん。お前も中々やるじゃあねえか、ブラザー。」

 半グレたちを倒し終えたのか、相花が僕に声をかけてきた。

 「そっちこそ、お疲れ様。しかし、こんな風に不良たちに毎日襲われるなんて、それも一日数回続くこともあるんだろ。君にとり憑いている妖怪が相当悪質な奴だと改めて分かったよ。早く追い払わないと大変だ。ところで念のため、確認するけど、怪我はしていないかい?大丈夫?」

 僕が彼女に怪我をしなかったか、確認すると、

 「この程度の数、大したことはねえよ。むしろ、少ない方だ。ほら、怪我なんて全然してねえだろ。」

 と、彼女は笑いながらVサインを僕の前で決めるのだった。

 僕と相花が互いに笑いあっていると、

 「そこを動くんじゃない、君たち!!」

 と、騒ぎを聞きつけた警備員たちが一斉に僕たちの方に向かって走ってきた。

 よく見れば、ゲームセンターの床は、相花に倒され、血を流して倒れている半グレたちと、半グレたちが流す大量の赤い血で、見るも無残な光景となっている。

 血で赤く染まったゲームセンターの床を見て、気分を悪くして倒れている他のお客さんたちの姿も見える。

 「やばい、相花!早く逃げよう!このままだと、警備員に突き出されて二人とも警察に逮捕されるぞ!」

 僕がそう叫ぶと、

 「よし、逃げるぜ、ブラザー。あばよ、とっつぁぁぁん!!」

 と言って、相花は僕と一緒に警備員たちから走って逃げた。

 警備員たちを振り切り、僕と相花は何とか逃げ切ることができた。

 「ハハハ、何とか逃げ切ったな、ブラザー。これでアタシとお前は同じお尋ね者同士だ。来週あたり、一緒に先公たちから呼び出しを食らうかもな。まぁ、そん時は仲良く一緒に怒られようぜ。」

 相花の言葉に、僕は思わずその場で項垂れた。

 「絶対にヤバいよ。学校の近くのショッピングモールで乱闘なんてしたら、制服なんかで即ばれるに決まってる。それに、ショッピングモールの中は至る所に監視カメラが仕掛けてある。身元が割れるのは時間の問題だよ。あの警備員たちが警察に通報して、警察が監視カメラの映像を調べたら、一発で二人ともアウトだよ。万が一、警察に捕まった時は正当防衛を主張すれば何とかなるかもしれないけれど、それでも、学校から何かしらきつい処分が下される可能性は大だよ。とにかく、一刻も早く、君にとり憑いている妖怪を追い払おう。じゃないと、君は良くても、僕の体と心がもたないよ。」

 僕が弱音を吐くと、相花はケラケラと笑いながら、

 「やっちまったことは今更どうにもならねえ。くよくよしてないで、とりあえず、どっかで飯を食おうぜ。喧嘩したら腹が空いてしょうがねえ。ほら、行くぞ、ブラザー。」

 と、僕を励ますのだった。

 陰キャぼっちから一転して、夜見近市最強の女ヤンキーの舎弟となってしまったことを嘆きながら、僕は彼女の運転するバイクに乗って、ショッピングモールを後にした。

 15時30分。僕と相花は夜見近市内のとあるファミリーレストランの中にいた。

 「さてと、飯にすっか。好きなモノを頼んでくれ、ブラザー。今日はアタシのおごりだ。」

 彼女が笑顔で昼食をおごると僕に言ってきた。

 しかし、昼食の時間にしては遅すぎるし、家に帰れば、すぐに夕食が待っている。確かにお腹は空いているが、先ほどの乱闘騒ぎに巻き込まれ、警察や学校から事情を聞かれ、重い処分が下されるかもしれないと思うと、あまり食事をする気分ではなかった。

 「ええっと、なら、このサンドウィッチにするよ。僕はそんなにお腹空いてないからさ。」

 「おいおい、サンドウィッチなんていつでも食えるだろうが。それより、こっちのステーキにしろよ。アタシに遠慮するなよ、ブラザー。よし、じゃあ、ステーキセット二つ頼むとするか。」

 「いや、本当にお腹が空いていないんだけど。」

 だが、僕の抵抗はむなしく、相花は僕の話も聞かずにステーキセットを二つ注文するのだった。

 それから、15分後、僕と相花の前には、それぞれ分厚いサーロインステーキの肉が皿に載せられて出てきた。

 「うひょー、美味そうだなあ!それじゃあ、いただきますと!」

 相花が分厚いステーキ肉に美味しそうに噛り付く。

 「何、ボサッとしてるんだよ、ブラザー?お前も早く食べろよ。せっかくの肉が冷めちまうぞ?」

 彼女がステーキを食べるよう僕を急かしてくる。

 出てきたモノは仕方がない。

 僕は諦めて、目の前のサーロインステーキを食べ始めた。

 「何だ、やっぱり腹が空いてるじゃねえか!?ちゃんと食べないと栄養不足で倒れるぞ。ただでさえお前はいつも顔色が悪そうなんだから。しっかり飯は食べないと駄目だぞ、ブラザー。」

 彼女がステーキを食べ始めた僕を見ながら、笑顔でそう言った。

 30分後、彼女に遅れて、何とかステーキを無事完食した僕は、改めて彼女に、彼女が妖怪にとり憑かれたかもしれないと思われる場所について訊ねた。

 「相花、改めて君に聞くけど、君が妖怪にとり憑かれたかもしれないって言う場所について詳しく教えてもらえるかな?」

 僕が彼女に訊ねると、彼女は妖怪にとり憑かれたかもしれないと思われる場所に行った経緯について話し出した。

 「ああ、そのことなんだが、まぁ、他に心当たりはないしな。アタシが妖怪にとり憑かれたと思うのは、山の中のとある洞窟なんだよ。」

 山の中のとある洞窟?聞き覚えのあるそのワードに、僕は今朝晴真から聞いたとある噂話を思い出した。

 「山の中のとある洞窟、それって、福町ふくちょうの山の中にある、幽霊が出るって言う噂がある、ふく洞窟どうくつのことかな?」

 「おお、その通りだ。さすがはアタシのブラザーだぜ。その幽霊が出るって言う野福洞窟にツーリングがてら寄ったんだよ。」

 僕が思った通り、彼女は幽霊が出るという噂がある、例の野福洞窟へと行ったとのことだ。僕は彼女に質問を続けた。

 「野福洞窟については僕も詳しい訳じゃないよ。今朝、友達から話を聞いて知ったばかりだよ。何でも、カップルで一緒に野福洞窟の近くまで行って幽霊を見ると、幽霊の力で幽霊を一緒に見たカップルは未来永劫結ばれるって話らしいね。後、幽霊を見れなかったカップルは逆にすぐ別れることになるって話だったね。実際に、あの洞窟に行って幽霊を見れずに帰ったカップルの何組かは洞窟から帰った後、すぐ喧嘩別れしたって言う話もある。友達の知人で付き合っていた女の子がいた人が、野福洞窟に恋人と一緒に行って幽霊を見れずに帰った直後、掴み合いの喧嘩をして別れたって言う話を、友達から聞いているよ。洞窟に行って幽霊を見れなかっただけですぐに喧嘩別れするなんて、噂話とは言え、少し不自然だなとは思っていたよ。でも、洞窟に行って喧嘩別れしたカップルたちと、同じく洞窟に行ってそれから毎日不良たちとの喧嘩に巻き込まれるようになった君、両者の状況はよく似ていると僕は思う。ただ、別れたカップルたちと違って、君は長期に渡って現在進行形で不良たちに喧嘩を売られ続けている、この喧嘩をしなければいけない期間が別れたカップルたちよりはるかに長い、この違いが重要な謎の一つだと考えられる。なぜ、君だけ喧嘩をしなければいけない期間が長いのか、気になるところではあるよ。ところで、何で野福洞窟に行ったりしたんだい?ツーリングがてら寄ったって言うけど、もしかして、君、付き合っている彼氏がいるの?あの洞窟に行く学生のほとんどは、縁結び目的のカップルばかりだと聞くけど?」

 僕の疑問に、彼女は急に顔を真っ赤にして、慌てながら大声を上げて答えた。

 「ば、馬鹿なこと言うんじゃねえ!あ、アタシにか、彼氏なんてもんがいるかよ。縁結びだとかカップルだとか興味ねえよ!ただの肝試しだ、勘違いすんな、馬鹿野郎!」

 「しっ、声が大きいよ、相花。他のお客さんの迷惑だよ。」

 僕がそう言うと、彼女は落ち着きを取り戻した。

 周りにいた他のレストランの客たちや店員たちが僕たち二人の方を一体何事かと、驚いた表情で見ていた。

 「変な勘ぐりなんかしてごめんよ。それで、話を戻すけど、肝試しに洞窟に行った時、あるいはその後、君に何か変わったことは起こらなかった?」

 彼女は一瞬考え込んだ後、僕の質問に答えた。

 「洞窟に肝試しに行った時は特に何も無かったな。一応、洞窟の中まで入ったけど、幽霊の姿なんて全く見なかったぜ。異変が起こったのは洞窟から帰った後だな。家に帰ると、アタシの姿を見るなり、パパが、帰りが遅い、どこをほっつき歩いていたんだって、いつもは遅く帰っても何も言わねえのに、急にアタシのことを怒りだして、それから、パパと殴り合いの喧嘩にまでなったんだ。それからも、お前が知る通り、今度は毎日のように町中の不良どもが四六時中、喧嘩を売ってくるようになってよ。とにかく、あの洞窟に行った後からアタシの身に異変が起こるようになったのは確かだ。」

 相花から話を聞いて、僕は野福洞窟に彼女の身に起こった異変の原因があると、もしかしたら、彼女にとり憑いている妖怪の縄張りまたは住処であると考えた。

 「話を聞く限り、やはり野福洞窟に、君にとり憑いている妖怪に関する手がかりがありそうだ。でも、今日はもう遅いし、野福洞窟に行って調査を行うのは明日以降にしよう。もう5時過ぎで日ももうすぐ落ちるし、夜に暗い山の中の洞窟を調査するのは危ない。洞窟に行って調査をするのは日が昇っている内、午前中か昼間の時間帯がいいな。できれば、君に案内を頼みたいけど、また、洞窟に近づいて、君に何かあったりしたら大変だ。余計に事態が悪化する恐れがある。悪いけど、ここからは僕一人で妖怪に関する調査を行うとするよ。君は極力、人前を出歩かず、おとなしく自宅で待機してくれ。調査結果については逐一報告をするから。」

 腕時計を見ると、時刻は午後5時を過ぎていて、日も落ちようとしていた。夜中に暗い山の中にある洞窟を調査するのも危険だし、洞窟に彼女と一緒に行って、彼女の身に何か起こってはいけないと考え、僕は、野福洞窟の調査も含め、妖怪に関する調査は僕一人で行うと、彼女に伝えた。

 だがしかし、またしても相花は僕の予想を裏切る言葉を言った。

 「はあっ!?そんな訳にはいかねえだろ?これは元々アタシの問題だ。お前だけに調査させるわけにはいかねえよ。第一、野福洞窟に行くには車かバイクがなきゃそうそう行くことはできねえぞ。あの辺はバスなんて通ってないし、お前はバイクもってねえだろ。それに、お前一人であの洞窟の中にまで入るのは多分無理だぞ。アタシは体力があるし、頑丈だからいいが、ひ弱なお前一人じゃちと厳しいぜ。もし、洞窟が崩れでもしたらどうするんだ?一人で脱出するのは難しいぞ。後、アタシの身を心配してくれるのはうれしいが、アタシのことは気にするな。お前が思っている以上にアタシは強いし、しぶとい。お前が付いていれば、さっきみたいに妖怪がアタシに何かしてきてもすぐに分かるしな。それに、アタシがお前と現地に行って、その場で解決する可能性だってあるだろ。だったら、お前一人で調査することはねえ。アタシも一緒に調査するぜ、ブラザー。」

 彼女が調査に同行すると言い出し、僕は慌てて返事をした。

 「いや、君を調査に同行させるわけにはいかないよ。野福洞窟にはいざとなったら親に頼んで連れて行ってもらうし、君をあの洞窟にまた近づけて何かあったら大変だ。調査は僕一人でやるから、おとなしく待っていてくれないか?」

 僕は彼女の説得を試みたが、無駄だった。

 「いいや、駄目だ、ブラザー。アタシもお前と一緒に調査する。お前がどんなに断っても勝手に付いていくぜ。姉貴分のアタシを差し置いて、お前一人にだけ調査なんてさせねえぞ。とにかく、アタシもお前と一緒に妖怪について調査する。異論は認めねえ。分かったな、ブラザー。」

 彼女は何があっても僕に付いてくると言い、断ることはできなかった。

 僕はため息をつきながら言った。

 「ハアー、仕方がないな。分かったよ。君も一緒に調査に同行するのは認めるよ。だけど、調査中はなるべく僕の傍を離れないでくれ。それから、調査中は必ず僕の指示に従ってくれ。本当に何が起こるか分からないからね。いいね、頼むよ。」

 僕が調査への同行を認めると、彼女は満面の笑みを浮かべながら僕に言った。

 「よっしゃ、ブラザー!二人で妖怪の奴を調べて、一緒に妖怪の奴をぶっ飛ばそうぜ!」

 意気揚々と、僕とともに妖怪を倒すと宣言する彼女の姿に呆れながら、僕は彼女とともに妖怪を調査することを決めざるを得なかった。

 「ところでくだらないことを聞くけど、相花ってお父さんのことをパパって呼んでいるの?」

 「ああ、そうだが、それがどうした?」

 「いや、何でもないよ。」

 夜見近市最強の女ヤンキーと呼ばれる彼女が、自分の父親をパパと呼んでいるのが、以外というか、可愛らしく思えた僕だったが、深く追求はしなかった。

 話を終えると、僕と相花はファミリーレストランを後にして、彼女の運転するバイクに乗って、去塚町にある僕の自宅へと向かった。

 自宅へと帰り着いた僕は、相花の運転するバイクから降りると、彼女に御礼を言って別れようとしたが、彼女がふたたびとんでもないことを言い出した。

 「なぁ、ブラザー、良かったらお前ん家に上がらせてもらっていいか?お前のことをもっと知りてえし、お前の家族にも挨拶しておきたいんだよ。なぁ、いいだろ?」

 僕の家に上がらせてほしいという彼女に、僕はこう言った。

 「どうせ、上がるなって言っても、上がりこむつもりだろ?別に構わないよ。」

 僕の返事を聞いて、

 「そうか、じゃあ、遠慮なくお邪魔させてもらうぜ、ブラザー。いやあ、友達(だち)の家に上がるなんてひさしぶりだぜ、本当。お前の家に入るのが楽しみだ。」

 と、相花は嬉しそうに言った。

 僕は相花を連れ、玄関のドアを開けた。

 「ただいまー。」

 僕がそう言って、家の中に入ると、一階のリビングの方から、キッチンで夕食の用意をしていたであろう母が、エプロン姿のまま玄関の方に出てきた。

 「おかえりなさい、浄君。今日はずいぶん帰りが早いのね。あら、後ろにいる背の高いお嬢さんはどちら様?もしかして、その子があなたと仲の良いって言う椿さんかしら?」

 僕の後ろにいる相花を見ながら、母が僕に訊ねてきた。

 「違うよ、母さん。この子は虎森 相花さんと言って、僕のクラスメイトだよ。今日、友達になったんだ。」

 僕が相花について母に紹介すると、相花が母に元気よく自己紹介を始めた。

 「こんちはー、オバさん。アタシの名前は虎森 相花って言うんだ。ブラザーの奴とは今日友達だちになったんだ。お邪魔させてもらうけど、良いっすか?」

 相花の豪快な自己紹介に少し驚いた様子の母だったが、彼女のことを快く受け入れてくれた。

 「ええっ、こちらこそよろしくね、虎森さん。息子がいつもお世話になっています。どうかウチの息子と仲良くしてあげてちょうだいね。」

 「相花で良いぜ、オバさん。それじゃあ、お邪魔します。」

 母との挨拶を終え、相花が家の中に上がってきた。

 「ちょっと、浄君、いいかしら?」

 母が小声で僕を呼ぶので、相花に少し玄関の前で待つよう言うと、リビングの方で母と話し始めた。

 「浄君、家にお友達を呼ぶなら、一言くらいお母さんに連絡してくれてもいいでしょう。お菓子とかお茶とか全然用意してないわよ。それも、女の子なら、あまり遅くなると、あの子のご両親が心配なさるわ。とりあえず、材料が余っているから、あの子に夕食をごちそうすることにするから、あの子にはそう伝えて。帰りもあの子の家までお父さんか、お母さんが車で送るとするから。それと、元気で素直そうな良い子に見えるけど、浄君、まさか、二股なんてことはしていないでしょうね?私はてっきり椿さんって子と付き合っているのかと思っていたけど。女の子に不誠実な真似をしたりしたら絶対に駄目よ。」

 母から、僕が椿さんと相花に二股をかけていると疑われ、僕は慌てて弁明した。

 「僕が二股なんてするわけないでしょう!椿さんも相花もただの友達だよ。僕に恋人はいないよ。それと、相花はバイクに乗ってウチに来たから、多分送り迎えは必要ないよ。とにかく、そういうことだから。後、相花を家に連れてくるのに連絡をしなかったのは悪かったよ。ごめんなさい。急に家の前まで来て、僕の家に上がりたいって彼女が言いだしたもんで、連絡しようにもできなかったんだ。とりあえず、夕食まで、僕の部屋で二人で宿題するなり、遊ぶなりして過ごすとするよ。」

 僕がそう説明すると、母は、

 「しょうがないわねえ。」

 と、苦笑しながら、納得してくれた様子だった。

 母との話を終えると、僕は玄関で待たせていた相花を二階の自室へと案内した。

 彼女を僕の部屋へ招き入れると、彼女が笑いながら言った。

 「へえー、ここがお前の部屋か、ブラザー。何というか、普通だな。てっきり、オカルトグッズが部屋中びっしりだとか、薄気味悪い虫をたくさん飼っているだとか、思っていたけど、本当に普通だな。」

 「いくら妖怪にとり憑かれていて、霊感があるからって、僕にそんな趣味はないよ。

何もない部屋だけど、とりあえずその辺にでも座って適当にくつろいでいてくれ。僕は飲み物でも取ってくるから。それから、母さんが良かったら夕食をウチで食べていかないかって言ってるけど、どうかな?」

 「マジか!?なら、お言葉に甘えてごちそうになるぜ。いやあ、ここんところ、家に帰ってなくて外食続きだったから本当助かるぜ。サンキューな。」

 自宅に帰っていない、という彼女の言葉が気になり、僕は訊ねた。

 「家に帰っていないって、じゃあ、今までどこで寝泊まりしていたんだ?ご両親だって君を心配しているはずだぞ、きっと?」

 僕がそう訊ねると、彼女は急に暗い表情を浮かべたが、すぐに苦笑いしながら言った。

 「パパと大喧嘩した後、家に居づらくなって、適当に荷物をまとめて、家をそのまま飛び出しちまったんだ。今はネカフェで寝泊まりしてる。ネカフェで寝泊まりするのも案外悪くないぜ。一人で鍵付きの個室を借りれて、ネットは使い放題だし、漫画も読み放題だ。カラオケとかダーツでも遊べるし。それに、無料でシャワーを借りれるし、有料だが、コインランドリーも使える。最近じゃあ、無料のモーニングサービスもあったりするしな。それに、学割を使えば一日借りても、一日5千円くらいで済むぜ。今は市内のネカフェを転々と、小遣いを節約しながら暮らしてる。まぁ、そう心配するな。ネカフェで寝泊まりしていて不良どもに喧嘩を売られたことはねえから、安心しな、ブラザー。」

 彼女は苦笑いしながらそう言うが、お小遣いだって無限にあるわけじゃあない。かと言って、妖怪にとり憑かれているせいで、いつも不良たちとの喧嘩に巻き込まれ、アルバイトだってできやしない。何より、妖怪のせいで仲の良かった家族と喧嘩をして、家出をせざるを得ないなんて、しかも、女の子一人でネカフェで寝泊まりする生活が続くなんて、放置できるわけがない。

 僕が思った以上に、彼女は苦しい状況に置かれていることを改めて痛感した。

 「ごめん。まさか、相花が家出しなきゃいけない状況にまで追い込まれているなんて知らなかったよ。どうしてそのことをもっと早く言ってくれなかったんだ?ファミレスで僕におごってくれたステーキは決して安くはなかった。君のお小遣いももう底をつくかもしれない状態なんじゃないか?僕に遠慮するなと言っていたけど、君の方がよっぽど遠慮しているよ。とにかく、女子高生が一人でネカフェに寝泊まりするのは危ないし、いずれは妖怪のせいで、ネカフェで不良やら悪漢やらに襲われる危険もある。そうだ、僕から椿さんに事情を説明して、彼女の家に泊めてもらうのはどうかな?椿さんの家ならきっとセキュリティーも固そうだし、同じ女の子同士だし、ネカフェで寝泊まりするよりずっと良いと思うよ。」

 「それは駄目だ。あの女の家に泊まるのはだけは嫌だ。断じて断る!」

 僕は椿さんの家に泊めてもらうのはどうかと言ったが、相花はなぜか、椿さんの家に泊まることを全力で拒んだ。

 僕は不思議に思い、理由を訊ねた。

 「どうして、そんなに椿さんの家に泊まるのが嫌なの?椿さんならきっと事情を説明すれば、快く君を家に泊めてくれると思うけど?何か不安なことであるの?」

 僕の問いに彼女は答えた。

 「あの女とはどうしても気が合わねえ。ブラザー、お前はあの女と仲が良いかもしれねえが、アタシも含めて、クラスの女子どもはあの女とは仲が悪い。あの女と口をきいたことは一度もねえが、いつもアタシのことを汚物だか危険物だかを見るような、冷たい目で見てくるんだ。あの女がアタシのことを毛嫌いしているのは分かる。アタシは目を見れば、相手が自分をどう見ているのか分かる。あの女のアタシを見る目は間違いなくアタシのことを嫌っている目そのものだ。それにアタシは、優等生ぶっているあの女が嫌いだ。一見優等生の美人のお嬢様に見えるが、本性はかなりの潔癖症で人間不信な部分のある性格に違いねえ。アタシのことを不潔で自分勝手で周りに迷惑をかける不良だと思っていることだろうさ。後、アタシは一度も口もきいたこともねえ奴の家に泊まるのは御免だ。信用できねえ。だから、あの「氷の女王」の家にだけは絶対に泊まらねえ。お前も、余計な気を回して、アタシのことをあの女に話したりするんじゃねえぞ、ブラザー。いいな。」

 相花がものすごい不機嫌そうな表情を浮かべながら、椿さんの家に泊まることを拒否した上、椿さんのことが嫌いだと言うので、僕は返事に困ってしまった。

 しかし、このまま相花をネカフェで寝泊まりさせるわけにもいかないし、かと言って、椿さんの家に泊めることもできない。

 相花は一度言い出したら、絶対に譲らない頑固なところがある。

 それに、相花が話した、椿さんがかなりの潔癖症で人間不信な部分のある性格で、椿さんが相花のことを嫌っているという推測も遠からず当たっている気がする。

 このまま相花と椿さんを二人だけにしたら、間違いなく二人は喧嘩になるだろう。

 暴力の相花、毒舌の椿さん、考えただけで恐ろしい組み合わせに思えてきた。

 僕は仕方なく、僕の家にしばらく相花を泊めることにした。

 両親には後で事情を説明することにしよう。

 「分かったよ、相花。なら、妖怪を追い払うまでの間、しばらく僕の家に泊まらないか?確か、二階の部屋が一つ空いていたと思うし、両親には僕から事情を説明するよ。だから、ネカフェで寝泊まりするのは止めてくれ。それで、どうかな?」

 相花は僕の申し出を聞くなり、大喜びで僕の申し出を承諾した。

 「本当か!?何から何まで本当に助かるぜ!実はもうそろそろ小遣いが底をつきそうでヤバかったんだ。いちいちネカフェを転々と移動するのもちょっと大変でよお。お前が友達だちになってくれて本当に良かったぜ、ブラザー!」

 「まだ両親の許可をとったわけじゃないから、そんなに期待しないでくれよ。まぁ、ウチの両親なら許してくれるとは思うけど。」

 僕はそう言うと、自室を出て、一階のリビングへと降りると、オレンジジュースをコップに入れ、また、自室へと戻った。

 自室のドアを開けると、部屋の中にいた相花が、僕のベッドの下をゴソゴソと物色していた。

 僕は思わず彼女に声をかけた。

 「何をしているんだ、相花?僕のベッドの下なんか覗いたりして?」

 僕の質問に彼女が答えた。

 「いや、ベッドの下にエロ本かエロいDVDでも隠してねえかなあと思って。」

 「エロ本もエロいDVDも隠していないし、そもそも持っていません!何でそんな男子中学生みたいなことをするかなあ?」

 僕が呆れながらそう言うと、彼女は笑いながら返事をした。

 「漫画やアニメだと、思春期の男子高校生がベッドの下にエロ本とかエロいDVDとかを隠しているのは定番だろ?つーか、お前、本当に思春期の男子高校生か?普通、エロ本かエロいDVDの一つや二つ持ってるもんじゃねえのか?お前、その年齢でもう枯れてんのか?アタシとしては貞操を守るには問題ねえが、逆に心配になってくるぜ。お前、普段はどうやって性欲を発散しているんだ?まさか、妖怪にとり憑かれているせいで性欲が無くなったとかじゃねえだろうな?」

 「人並に性欲くらいはあるよ。それに、君に僕の性事情を話す必要はない。後、君を襲ったりなんかしないから。君を襲ったりしたら、それこそ返り討ちに合って、大怪我するだけだろ。とにかく、よそ様の家のベッドの下を覗くのは止めてくれ。それと、飲み物を持ってきたから、これでも飲んで、夕食までの間、勉強でもしよう。期末試験だって近いんだしさ。」

 僕はそう言うと、オレンジジュースの入ったコップを彼女に渡しながら、部屋で一緒に勉強しようと提案した。

 僕からジュースの入ったコップを受け取りながら、彼女は嫌そうに返事をした。

 「ええー、勉強かよ!?てか、期末試験の時期だったっけか?全然知らなかったぜ。試験って、いつ頃にあるんだ?」

 「7月に入ってすぐだよ。土日を入れても、後10日もないくらいだよ。みんな期末試験の勉強で忙しいはずだよ。今日だって、本当は期末試験の範囲について先生たちから発表があるかもしれないと思って、最後まで授業を聞くつもりだったのに、君が僕の話を碌に聞きもせずにゲームセンターなんか行ったりするから、授業を受けられなかったじゃないか。いくら君が頭が良くて、授業を聞かなくてもテストで好成績を取れるからって、呑気すぎるよ。僕は君ほど頭が良くないんだ。だから、試験勉強をこれからするんだ。まぁ、試験範囲は晴真や椿さんに後で聞けば分かるだろうけど、とにかく勉強させてもらうから、いいね。」

 「しょうがねえなあ。まぁ、そういうことなら、アタシも試験勉強するか。おい、もし、分からないところがあったら言えよ。アタシが教えてやるからよ。」

 相花が僕に勉強を教えてくれると言ってきたので、僕はその申し出を受けた。

 「本当に!?ありがとう、相花!助かるよ。今回の期末試験は難しそうだし、赤点を一個でも取ると、夏休みが補講になるから困っていたんだ。なら、よろしくお願いするよ。」

 「おう、まかせろ、ブラザー!一緒に勉強して赤点回避して、それから、夏休みも一緒に遊びつくそうぜ!」

 それから、夕食ができるまでの間、僕と相花は二人で一緒に僕の部屋で勉強をした。

 期末試験の範囲が分かっている科目で分からない問題があり、彼女に訊ねると、普段から授業は居眠りをしていてちゃんと授業を受けていないにも関わらず、彼女は僕の質問に分かりやすく丁寧に教えてくれた。

 さすが、授業を受けずとも常に学年20位以内に入るだけの天才肌ではある。

 今度、時間があるときに、彼女に勉強のコツを教わるのもいいかもしれない。

 そんなことを考えながら、彼女と一緒に勉強をする僕であった。

 午後7時30分。夕食の時間になったので、僕と相花は勉強を止め、一緒に夕食をとるため、一階のリビングへと向かった。

 僕に続いて相花がリビングへと入ると、父と妹のめいも、仕事や部活から帰って来ていて、先にテーブルに着いて夕食をとろうとしていた。

 父と妹は、僕の後ろにいる相花を見て、驚いた表情を見せたものの、それぞれ、彼女に挨拶をした。

 「ええっと、初めまして、虎森さん。浄の父の京野みやこの きよしです。妻からお話は伺っています。大したおもてなしはできませんが、ゆっくりとくつろいで行ってください。」

 「初めまして、妹のめいです。兄がいつもお世話になっています。」

 「おう、初めまして。アタシの名前は虎森 相花。おじさんも妹さんもアタシのことは気軽に相花って呼んでくれ。今日はごちそうになります。」

 三人の自己紹介が終わった直後、妹の明が、

 「お兄ちゃん、ちょっと。」

 と、不安そうな表情を浮かべながら小声で僕を呼んだ。

 「どうした、明?お兄ちゃんが女の子を家の中に上げるのがそんなに変か?」

 「違うよ、お兄ちゃん!今、あの人、虎森 相花って名乗ったけど、もしかして、夜見近市最強の女ヤンキーって噂の、「西中の虎」の伝説を持つ、あの虎森 相花なんじゃないの?」

 「そうだよ。お前の言う最強の女ヤンキーの虎森 相花さんだけど、だから何だよ?」

 「何だよ、じゃないでしょ!虎森 相花って言えば、この町で知らない人はほとんどいない超有名な不良でしょ。今じゃ「光泉の猛虎」ってあだ名で呼ばれていて、町中の不良たちから恐れられていて、怒らせた相手は容赦なく血祭に上げる喧嘩無敗の超ヤバい人でしょ。何でそんな人とお兄ちゃんが友達になったりするわけ?まさか、いじめられて、パシリにでもされてるの、お兄ちゃん?」

 「違うよ。僕と相花は紛れもなく友達だよ。それに話してみると、案外良い人だから。お前もそのうち彼女に慣れるさ。お前が心配するようなことはないから。ほら、一緒に夕食を食べるとしよう。」

 妹は僕から虎森さんについて説明を聞いても、まだ不安げな様子ではあったが、とりあえずテーブルへと戻った。

 夕食がテーブルへと運ばれてきた。今日の夕食は、から揚げだった。

 「うおおお、手作りのから揚げなんて久しぶりだぜ!いっただきます!」

 相花が豪快にから揚げに齧り付いた。

 「美味ええ。醤油が肉にしっかり染み込んでいて、衣はフンワリした感じだ。ウチの家とは作り方が違うなあ。」

 相花が美味しそうにから揚げを食べながら食レポをした。

 それを聞いて、母が笑いながら答えた。

 「相花さんのお口に合ったようで良かったわ。ウチのから揚げは下準備の時に醤油をお肉に長い時間しっかりと漬け込むのがポイントなの。後、衣はなるべく薄くつけるようにしてから揚げているのよ。ウチの浄君の好物でもあるの。」

 「へえー、ブラザー、お前、から揚げが好きなのか?おばさん、良かったら今度アタシにもおばさんの家のから揚げの作り方、アタシにも教えてくれねえか?アタシ、こう見えても料理は得意なんだぜ。」

 「ええ、もちろん構わないわ。おばさんも人に料理を教える機会ってあまりないから、楽しみだわ。」

 「おう、よろしく頼むぜ。ブラザー、作り方をマスターしたら、お前にもアタシの作ったから揚げを食べさせてやるから、楽しみにしてろよ。」

 母と相花はから揚げを通して、すっかり打ち解けた様子だった。

 それに、相花が今度僕に手作りのから揚げをごちそうしてくれるそうだ。

 どんな味がするのか、ちょっと楽しみではある。

 「ずいぶんと元気があって、豪快な娘さんだなあ、浄。てっきり、女の子の知り合いは椿さんって子ばかりだと父さんも母さんも思っていたよ。良かったら、仲良くなったきっかけなんか聞かせてくれるか?」

 父が、僕と相花が仲良くなったきっかけについて訊ねてきた。

 まさか、彼女に妖怪がとり憑いていて、霊感がある僕にそのことで相談してきたなどおと言うわけにもいかず、少し返事に困ったが、適当にごまかすことにした。

 「ああ、ええっと、実は相花ってすごく頭が良くて、学年全体でもいつも20位以内に入るくらいテストの成績が良いんだ。今度の期末試験について聞かれたことがあって、それがきっかけで仲良くなったんだ。さっきも僕の部屋で一緒に試験勉強をしていたんだ。だよね、相花?」

 僕の答えに合わせるように、相花も返事をした。

 「おおっ、そうだぜ。ブラザーとは期末試験の勉強をしていて知り合ったんだ。」

 相花が相槌を打ってくれたのでホッとした。

 相花がまた余計なことを言い出さないか心配だったが杞憂だったようだ。

 僕が一安心していると、

 「それに、今日は一緒に学校をサボって二人でゲームセンターで遊びまくったもんな。後、アタシに喧嘩を売ってきた半グレどもを二人でぶちのめしてやったもんな。いやあ、いい気分転換になったぜ、なあ、ブラザー。

 と、僕の両親の前で堂々と、僕が一番恐れていた事実を明かしてしまった。

 僕の両親は、相花の言葉に目を丸くし、それから、厳しい口調で僕に追及し始めた。

 「浄君、今の話は本当なの?学校をサボって、ゲームセンターで遊んだって?それに、半グレなんて物騒な人たちと喧嘩したって本当なの?あなた、一体何を考えているの?」

 「まあまあ、落ち着きなさい、母さん。浄、学校をサボって遊んだ件も気になるが、半グレと喧嘩をしたというのは本当か?どうしてそんな危ないことをするんだ?まさか、暴力を振るって相手に怪我なんてさせていないよな?もし、そうなら、今すぐ警察に一緒に言って事情を説明しなきゃいかん。いざとなったら、弁護士を呼ぶ必要があるかもしれん。とにかく、父さんと母さんに正直に詳しく事情を説明しなさい。どうするかはそれからだ。」

 「待ってくれ!おじさん、おばさん。ブラザーは、お宅の息子さんは何も悪いことはしてねえよ。学校をサボってゲームセンターに行ったのもアタシが無理矢理誘ったからだ。半グレたちと喧嘩した時も、アタシは手を出したが、ブラザーは一切手を出さなかった。ただ近くで見ていただけだ。おじさんとおばさんが思うような悪いことは何一つしていねえよ。怒るなら私だけにしてくれ。ブラザー、お前は何も悪くない。巻き込んですまなかった。おじさん、おばさん、今日は本当にごちそうになりました。アタシはこれでお暇させてもらいます。迷惑をかけて悪かったな、ブラザー。家族の団欒をぶちこわすようなことをして。アタシとの縁はここまでだ。じゃあな、ブラザー。」

 彼女はそう言って、僕たちの前から去ろうとする。

 「待って、相花!」

 僕は立ち去ろうとする彼女の手を掴みながら言った。

 「相花、君は何も悪くない!君はあの半グレたちから一方的に襲われて、自分の身を守っただけだ。大の男が寄ってたかって女の子に暴力を振るう方が問題だ。悪いのはあの半グレたちの方だ。君の行為はれっきとした正当防衛だよ。それに、君と半グレたちの喧嘩を止めようとせず黙って見ていた僕にも責任がある。僕と相花は大事な友達だろう。だから、迷惑だなんて思っちゃいないから。どこにも行かないでくれ、相花。僕も、僕の家族も、みんな君の味方だから。」

 僕が相花を引き留めると、彼女は目から大粒の涙を流しながら言った。

 「ほ、本当に出ていかなくて良いのか!?アタシのこと、迷惑じゃないのか?嫌いになったりしないか?」

 「ああ、出ていかなくて良い。迷惑何て思っちゃいない。僕が君のことを嫌いになったりなんかならないよ、相花。僕はずっと君のブラザーだよ。」

 僕の言葉を聞いて、泣きながら相花が僕に抱き着いてきた。

 彼女の方が僕より身長がひと回り大きく、僕に寄りかかる感じになったが、ワンワンと泣き続けた。

 相花を慰めながら、僕は両親に向かって言った。

 「父さん、母さん、相花が言ったことは全部本当のことだ。隠していてごめんなさい。でも、半グレたちとの喧嘩は、僕も彼女も被害者なんだ。半グレたちに襲われて何もできない僕を、相花は必死に守ってくれたんだ。根は素直で本当に良い子で、大事な友達なんだ。だから、どうか信じてくれないかな?これは後で話そうと思ってたけど、実は相花は今、ご両親と喧嘩して家出中なんだ。おまけに彼女をしつこく狙ってくる不良がいて、困っているんだ。どうか、ほとぼりが冷めるまで彼女をこの家に泊めてくれないかな?本当に大事な友達なんだ、彼女は。どうか、お願いします。」

 僕は両親に頭を下げて、相花をしばらくこの家に泊めてくれるよう頼んだ。

 両親はしばらく考え込んだ後、僕に言った。

 「大体事情は分かった。父さんも、お前や相花さんが悪いことはしていないと信じるよ。ただ、今後、半グレやら不良やら、そういう物騒な人たちと喧嘩をするのは止めなさい。二人ともだ。喧嘩になりそうな時は走って逃げるなり、警察を呼ぶなりしなさい。とにかく、二人とも怪我をしていないようで何よりだ。もし、警察や学校から何か言ってきたら、父さんや母さんも二人に付き添うからいいね。もう二度と、二人で危ないことはしないように。分かったね。」

 父からそう注意され、僕と相花は、

 「「分かりました。ごめんなさい。」」

 と言って、両親に謝った。

 「それと、彼女をしばらくこの家に泊めてほしいということだったが、私は別に構わんよ。ただ、相花さん、ご両親にはこの家に泊まっていることをちゃんと連絡しなさい。それが条件だ、いいね。」

 父からそう言われ、相花は、

 「分かりました、おじさん。」

 と言うと、スマホを取り出し、自宅に電話をかけていた。

 「母さんもそれで良いね。母さんから何か言いたいことは他にあるかな?」

 父に言われ、母が僕に向かって言った。

 「まったくしょうがない子ね。二度と危ない人たちと喧嘩なんてしないでちょうだい。約束よ。それと、今後、学校をサボって遊びに行ったりしてもいけません。例え、仲のいいお友達から誘われてもよ。あまりお母さんたちを心配させないでちょうだい。あなたは大事な息子なんだから。」

 「本当にごめんよ、母さん。もう二度と危ないことはしないから。」

 そう言って、僕は母に謝った。

 両親との電話が終わった相花は、僕の両親に向かって深々と頭を下げた。

 「おじさん、おばさん、この度はご迷惑をおかけして本当にすみません。この御恩はいつか必ずお返しします。本当に申し訳ねえ。」

 「いいんだよ、相花さん。おじさんもおばさんもよく分かっているつもりだから。さぁ、顔を上げて、元気を出して。二階に部屋が一つ空いているから、そこを使いなさい。浄、荷物を運ぶのを手伝ってあげなさい。」

 ひと悶着あったものの、無事、我が家に相花を泊める許可を両親からもらうことができた。

 二階の空き部屋まで彼女の荷物を運ぶのを手伝い終えると、彼女が元気のない声で言った。

 「ブラザー、本当にごめんな。お前ばかりじゃなく、お前の家族にまで迷惑かけちまって。アタシの我がままや厄介ごとにお前やお前の家族を巻き込んじまって、本当にすまねえ。これからは、お前やお前の家族にはなるべく迷惑をかけねえよう気を付けるからよ。」

 「そんなに気にするなよ、相花。僕も僕の家族も君の味方だからさ。迷惑なんて思っていないよ。これからは僕も傍にいることだし、なるべく喧嘩をせず、ことを済ませられるよう手伝うよ。それに約束したじゃないか、二人で一緒に妖怪の奴を追い払おうって。」

 「ああっ、お前の言うとおりだな。二人で一緒に頑張ろうぜ、ブラザー。」

 相花が元気を取り戻した様子で僕は安心した。

 「それじゃあ、狭いところだけど、しばらくこの部屋を自由に使ってくれて構わないから。だけど、夜中に騒いだり、部屋のものを壊したりはしないでくれよ。」

 「了解だ。」

 「後、明日、君が妖怪にとり憑かれたって言う例の、野福町の野福洞窟に二人で一緒に調査に行こうと思う。朝の午前9時にこの家を出発するとしよう。それで良いかい?」

 「おう、問題ないぜ。」

 「じゃあ、お風呂と洗面所は一階にあるから、自由に使ってくれ。僕は勉強とかあるし、お風呂は10時ぐらいに入るから、君は9時ぐらいに先に入ってもらえると助かる。妹の明は多分9時30分くらいに入ると思うけど、入る前に一言確認してくれ。それじゃあ、お休み。」

 「おう、またな。」

 僕は彼女との会話を終え、彼女の泊まる部屋を出ると、自室へと戻った。

 「妖怪の件が片付くまで、相花とひとつ屋根の下で暮らすわけか。まさか、こんなことになるなんて夢にも思ってなかったよ、まったく。早く彼女にとり憑いている妖怪を何とかしないと。」

 そんなことを呟いていると、スマホの着信音が鳴った。

 スマホを見ると、不在着信が20件以上入っていた。

 着信は、全部椿さんからだった。

 僕は慌てて電話に出た。

 「もしもし、京野だけど?」

 「ああっ、やっと繋がった!浄君、一体今までどこで何をしていたの?全然電話に出ないから心配したのよ。廊下で虎森さんとあなたが一緒にどこかへ行くのは見えたけど、彼女と何かあったの?虎森さんとあなたが腕を組んで一緒に学校をサボったって、学校中で噂になってるわよ。とにかく、事情を説明してもらえるかしら?」

 椿さんは僕が電話に出なかったことにかなりご立腹の様子だった。

 「分かったよ。ちゃんと事情を説明するから。」

 そう言うと、僕は、虎森さんに僕が霊感を持っていることや僕にとり憑いている犬神の存在が彼女にばれたこと、虎森さんにとある妖怪がとり憑いていること、妖怪のせいで虎森さんが毎日町中の不良たちから喧嘩を売られ、さらに、彼女自身の体も痛覚や罪悪感を感じなくなるという異変に襲われ困っていること、虎森さんから妖怪を追い払うのに協力を求められたことを、椿さんに明かした。

 話を終えると、椿さんが言った。

 「大体の事情は理解したわ。虎森さんが妖怪絡みのトラブルに巻き込まれていて、いつものように浄君のお人好しが発動して、彼女にとり憑いている妖怪を追い払うことになったと。でもね、浄君。それなら、何で彼女と一緒に学校をサボる必要があるの?学校をサボって妖怪について調べるのは分かるけど、虎森さんがあなたと一緒に行動する必要があるかしら?あなた一人で十分調査はできると思うんだけど。本当に妖怪について調査していたの?」

 椿さんからの追及に、僕は観念して白状した。

 「それが、実は調査自体はあまり進んでいないんだ。虎森さんから話を聞いていたら、彼女に一緒に気分転換に行こうとゲームセンターに誘われて、ゲームセンターで遊ぶことになって、おまけに、妖怪のせいで彼女に寄ってくる半グレたちと彼女との喧嘩に巻き込まれたりして、とにかく大変だったんだ。現状分かっていることは、彼女が、幽霊が出るという噂のある、野福町の野福洞窟に行って、それから彼女の身に異変が起こり出したくらいかな。明日、彼女と一緒に野福洞窟へ調査に行ってみるつもりだよ。」

 僕の説明を聞き終えるなり、椿さんは電話口で声を荒立てながら言った。

 「半グレたちと喧嘩って、浄君、大丈夫なの!?怪我はしていない?」

 「ああ、大丈夫。傷ひとつなくピンピンしているよ。」

 「良かったぁ。だからって、半グレと喧嘩するなんて危険よ!話を聞く限り、虎森さんの傍にいると、彼女目当ての不良たちと彼女の喧嘩に巻き込まれることになるんでしょ。妖怪に関する調査は必要だけど、浄君、あなたは彼女からしばらく距離をとった方が良いわ。彼女の傍にいたら、あなたの身が危ないわ。下手をすれば、傷害事件の現行犯として彼女と一緒に警察に捕まるか、最悪、喧嘩に巻き込まれて不良たちに殺される恐れだってあるわ。とにかく、虎森さんからは距離を置くようにして。分かったわね。」

 椿さんが真剣な声で、僕の身を心配してか、虎森さんから距離を置くように言ってきたが、すでに手遅れだった。

 「ごめん、椿さん。椿さんのそのお願いは聞けそうにないんだ。虎森さん、いや、相花は今、僕の家に泊まっているんだ。一緒に妖怪を追い払おうって約束したんだ。だから、相花の傍を離れるわけにはいかないんだ。」

 僕が、相花が僕の家に泊まっていると打ち明けた途端、電話口から、ガタン、と大きな物音がした後、すごく慌てた様子で椿さんが訊ねてきた。

 「虎森さんが浄君の家に泊まってる!?それに、虎森さんを下の名前で呼び捨てに!?ま、まさか、そんな!?浄君、あなた、と、虎森さんとお、お付き合いを始めたのかしら?」

 「えっ、違うよ。妖怪のせいで彼女がご両親と喧嘩して家出中らしくて、今までネカフェで寝泊まりしていたらしいけど、女子高生一人でネカフェに寝泊まりするのは危ないから、僕の両親とも相談して、しばらくの間、僕の家に泊まることになっただけだよ。それと、僕と相花は別に付き合っちゃいないよ。ただの友達だよ。椿さんまでみんなみたいに変な勘違いをするのはよしてくれよ。」

 僕がそう答えると、

 「良かったぁー。」

 と、椿さんの安心する声が電話口から聞こえた。

 それからまた、キリっとした声で、

 「浄君、彼女に変なことしちゃ駄目よ。」

 と、椿さんから念を押された。

 「椿さん、僕が女性を襲うような変質者に見えるかい?どうみても、正常な法律を守る一市民だよ。大体、僕が相花を襲ったりしたら、それこそ返り討ちに合って大怪我するよ。」

 僕が笑いながら答えているとき、

 「誰が大怪我するんだ、ブラザー?」

 と、ノックも無しに、相花が僕の部屋に入ってきた。

 それも、裸にバスタオルを一枚巻いただけの姿でだ。

 「相花!?何で僕の部屋に?って言うか、早く服を着て!」

 僕の叫び声に、電話の向こうの椿さんが反応した。

 「浄君、今、虎森さんがあなたの部屋にいるの?早く服を着ろってどういう意味!?まさか、裸でいるの、彼女!?ねえ、答えて!!」

 僕が返答に困っていると、僕が握っていたスマホを相花が奪い取り、電話の向こうの椿さんに向かって言った。

 「よう、「氷の女王」、はじめましてだな。アタシのことはもうブラザーから聞いていると思うが、アタシは今、ブラザーの家に厄介になっている。ブラザーのおじさんもおばさんも妹さんもみんな良い人だぜ。アタシとブラザーは今、妖怪退治で忙しい。悪いが、しばらくコイツはアタシが預かる。まぁ、物の弾みでアタシとブラザーがよろしい仲になっちまっても嫉妬なんかすんなよ。じゃ、そういうことで。」

 「ちょ、ちょっと待ちなさ・・・」

 電話口から椿さんの声がしたが、それを無視して、相花は電話を切ってしまった。

 相花からすぐにスマホを取り返すと、僕は言った。

 「相花、どうして椿さんを挑発するようなことを言うんだ?おかげで椿さんに変な誤解をされたらどうするんだ?それと、どうしてバスタオル一枚で僕の部屋に入ってきたりすることになるの?ああ、来週椿さんに会ったら何て弁解すればいいんだ?」

 僕の抗議に、相花はケラケラと笑いながら答えた。

 「そんなに気にするなよ、ブラザー。ちょっとあの女をからかっただけだろ。いや、風呂に入ったのはいいものの、着替えを部屋に置き忘れちまってさ。それで、着替えのために廊下を歩いてたら、お前の部屋からお前が誰かと話している声がしてよ。気になって覗いたら、電話で「氷の女王」と話しているみたいだから、ついいたずらしたくなったんだよ。そんなに落ち込むなよ。多分冗談だったって言えば許してくれるさ。それより、来週、あの女の顔が見物だぜ。一体どんな顔を見せてくれるやら。お前もそう思うだろ、ブラザー。」

 彼女は悪戯っ子のような顔で僕にそう言うと、自分の部屋へと戻っていった。

 来週、椿さんに会った時、彼女が鬼のような形相を浮かべて僕を問いただす姿が頭に思い浮かび、僕は椿さんに一体どう説明したら良いものだろうか、それを考えると胃がキリキリと痛む思いだった。

 相花の突拍子もない発言や行動には振り回されてばかりだ。

 彼女にはもう少し、他人の迷惑にならないよう、特に僕に迷惑がかからないよう、自重してもらうことにしよう。

 まぁ、言ったところで効果があるかは分からないが。

 僕はため息をつきながら、机に向かうと、ノートとスマホ、それに図書館から借りた本を数冊取り出し、妖怪に関する情報収集と、現時点で分かっている情報について整理を始めた。

 今回、僕は事件を引き起こしている妖怪の姿は一切見ていない。

 妖怪の特徴として分かっていることは、「ピー。」という電子音のような鳴き声を上げること、妖怪の鳴き声を聞いた人間はその妖怪にとり憑かれている人間を攻撃するようになること、妖怪にとり憑かれている人間は妖怪の力で痛覚や罪悪感を失ってしまうこと、などが挙げられる。

 以上の特徴に該当する妖怪の伝承がないか探すが、インターネットや本にもそれらしい情報は無かった。

 ただ、野福洞窟に行ったカップルがおそらく妖怪のせいで喧嘩別れをしたという話をヒントに、男女を喧嘩別れさせる妖怪の伝承が一件見つかった。

 その妖怪の名前はおさわ狐と言って、江戸時代に存在したと言われる、人間を喧嘩させることが趣味の妖怪らしい。美男子の大工の家を美女の姿で訪れて浮気をし、大工の奥さんを怒らせ、わざと夫婦喧嘩をさせたり、美しい娘に化けて野外で、付き合っている恋人がいる男性に迫って仲睦まじくし、その姿を恋人の女性に見せびらかして、付き合っている男女の仲を不和にしたり、といった悪さをするらしい。

 人間同士をわざと喧嘩させる、争わせるという点は、今回の妖怪の特徴に似てはいる。ただし、おさわ狐の伝承には続きがあり、おさわ狐によって喧嘩した男女は、最後はいつの間にか仲直りしているという落ちが付く。この落ちの部分が、今回の妖怪の特徴と一致していない。今回、虎森さんにとり憑き、そして、カップルを喧嘩させた妖怪は、虎森さんを執拗に不良たちとの終わりなき争いへと誘い、また、喧嘩させたカップルたちを喧嘩別れさせてしまっている。今回の妖怪は人間を喧嘩させた上に、その喧嘩が収まることなく、最悪の結末をいつも迎えている。おさわ狐以上に悪質と言えるだろう。

 今回の妖怪がおさわ狐である可能性は多分低いだろう。

 それから、虎森さんが妖怪にとり憑かれたかもしれないと言う野福洞窟についても調べてみたが、縄文時代の頃の旧い遺跡ということしか分からず、野福洞窟にまつわる妖怪の話は見当たらなかった。野福洞窟で幽霊を一緒に見たカップルは未来永劫結ばれ、幽霊を見れなかったカップルはすぐに別れるという噂話があったが、野福洞窟と幽霊を結ぶ伝承などは特に見当たらず、SNSに一部の人たちが投稿して噂となった都市伝説の類だと考えられた。

 事件を解く鍵は野福洞窟にある。

 野福洞窟がおそらく今回の事件を引き起こした妖怪の縄張り又は住処である可能性は高い。

 そして、なぜ、相花にとり憑き、今も執拗に彼女と町の不良たちを喧嘩させようとするのか、その理由が明らかになるかもしれない。

 とにかく、野福洞窟を調査しに行かなければならない。

 天気予報によると、明日の天気は快晴で、探索には打ってつけの天気だ。

 僕は、ノートに情報を整理し、まとめ終えると、明日の探索に向けて荷物をまとめた。

 部屋の時計を見ると、時刻は午後11時を過ぎていた。

 いつの間にかお風呂に入る時間はとうに過ぎていた。

 僕は一階のお風呂に入ろうと二階の自室から廊下へと出ると、妹の部屋から話し声が聞こえてきた。

 どうやら、妹の部屋に相花がお邪魔し、二人で何やら楽しそうに何かを話す声が廊下まで聞こえてきた。

 夜見近市最強の女ヤンキーだの、「光泉の猛虎」だの言って恐れていたはずなのに、いつの間にか、妹は相花と仲良くなったようだ。

 妹は母に似て明るく、どこか能天気でマイペースな性格なので、自分の欲求に素直で豪快で、同じくマイペースな性格の相花とは恐らく気が合うのかもしれない。

 妹のコミュ力の高さに感心する一方、もし、妹が僕と同じように、相花の舎弟、妹分にでもされたらと思うと、少し複雑な気分になる僕であった。

 お風呂に入り終わると、洗面所で歯を磨き、自室に戻ると、明日の調査に備えてすぐに寝ることにした。

 僕がベッドに入って寝ようとしていた時、夕食の時以外、ずっと眠っていた犬神が突然目を覚まし、僕の顔を見ながら言った。

 『小僧、明日、洞窟へ調査に行くと言っていたが、その洞窟の中にだけは絶対に入るな。近づくだけでも危険だが、洞窟の中はあの娘にとり憑いているソイツ、いや、ソイツらの住処だ。下手をすれば、貴様もあの娘も今以上の危険に晒されることになる。どうせ我が止めても貴様は洞窟の中に入るのだろうが、覚悟だけはしておけ。まぁ、貴様やあの娘がどうなろうと我の知ったことではないが、一応忠告はしといてやる。』

 犬神は僕に洞窟の中には入るな、そう忠告すると、また、眠り始めた。

 僕が妖怪絡みの事件やトラブルに巻き込まれると、いつものように深夜まで小言や世間話をするのを止め、食事と緊急事態の時以外、眠りに就くのは毎度のことだ。

 その犬神が、わざわざ眠るのを止めて僕に忠告をしてくるということは、野福洞窟の中に、妖怪に関する手がかりがあるとともに、何か大きな危険が待っているという意味でもある。

 僕は犬神の言った忠告について考えながら、その晩は眠りに就いた。

 6月24日土曜日午前6時前。まだ朝日が昇ろうか昇るまいかという時間にもかかわらず、僕は、自室をドーン、と開ける大きな音と、相花の馬鹿でかい声で叩き起こされた。

 「起きろ、ブラザー!!早く洞窟に行くぞ!とっとと出かける支度をしろ!」

 「おはよう、相花。って、まだ、6時前じゃないか!?出発は朝の9時って昨日言ったっじゃないか!洞窟に行くにはまだ早すぎるよ。悪いけど、せめて後一時間くらい寝させてくれないか?試験勉強の疲れやら妖怪に関する調査の疲れやらが溜まっていて、休養が取りたいんだ。そういうことだから、僕はもう少し寝させてもらうよ。」

 僕はそう言って布団を被ろうとするが、相花にすぐ引っ剥がされた。

 「何悠長なことを言ってんだ!もうすぐ日が昇るし、調査するなら早いに越したことはねえだろ。それに万が一、人目に付いて邪魔が入るといけねえ。とにかく、とっとと支度しろ!さもねえと、引きずってでもお前を連れて行くぞ!?」

 相花に無理矢理起こされるまま、僕は急いで出かける準備をした。

 一階のリビングに相花と一緒に降りると、母が朝食の用意をしていた。

 僕と相花の姿を見るなり、

 「おはよう、二人とも。土曜日なのに朝早くに起きてくるなんて。どこか二人でお出かけでもするの?」

 と、母は朝の挨拶をしながら訊ねてきた。

 「おはよう、母さん。ちょっと、相花と一緒にツーリングに行くんだ。市内を軽く回るつもりさ。昼食は外で済ませてくるからいらないよ。夕食の時間までには必ず戻るから。」

 「おはよう、おばさん。ブラザーと一緒にちょっとその辺をバイクで走ってくるんで。何か買ってきてほしいものがあったら言ってくれ。ついでに買ってくるぜ。」

 僕と相花はそれぞれ母に朝の挨拶をした。それから、ツーリングに行くと伝えたのだった。本当は妖怪の住処でもある、危険な洞窟の調査へと行くのだが。

 僕と相花はリビングで朝食を一緒に食べた。

 すぐに洞窟へ出かけると言っていた相花だったが、腹が減っては戦が出来ぬなどと言って、朝食をおかわりしていた。それも、量は山盛りだった。

 午前7時。僕と相花は去塚町の僕の自宅を出発し、バイクに乗って、野福町の野福洞窟へと向かった。

 相花の運転するバイクの後部座席に乗りながら、僕は昨晩の犬神の忠告を思い返していた。

 犬神は絶対に洞窟の中へは入るな、危険だと僕に忠告してきた。

 洞窟の中には一体どんな危険が僕たちを待ち受けていると言うのだろうか?

 犬神は朝食の時にチョコレートの催促をしてきた以外、僕と口を利こうとはしない。

 コイツがもっと僕に協力的で、すんなり知っている情報を事前に全部教えてくれたら、毎回苦労することはないのだろうが、今更そんなことを言っても仕方がない。

 多少の不安を胸に抱きながら、僕は相花とともに野福洞窟を目指した。

 午前7時30分頃、一台のリムジンが、京野 浄の自宅の前に停まった。

 運転手が後部座席のドアを開けると、中から、長い黒髪に真っ白な肌の少女が降りてきた。

 少女は玄関へと向かい、インターホンを鳴らした。

 玄関のドアを開け、家の中から京野 浄の母親が顔を出した。

 「はい、京野ですが、どちら様でしょうか?」

 少女は、京野 浄の母親の顔を見るなり、挨拶をした。

 「初めまして、浄君のお母さま。私、浄君の友達の、神郡 椿と申します。朝早くに失礼ではありますが、浄君はいらっしゃいますか?」

 「まぁ、あなたが椿さん!?ウチの息子がいつもお世話になっております。朝早くに訪ねて来てもらって申し訳ないんだけど、息子なら30分くらい前にお友達と一緒にツーリングに行くと言って出かけたところなの。夕食の頃までには戻ってくると言っていたけど、ウチの息子と何か約束でも?」

 京野 浄の母親から、彼が出かけたと聞くなり、神郡 椿は慌てた様子で訊ねた。

 「じょ、浄君が出かけた!?それも友達とツーリングに行くと言ってですか?一緒にツーリングに行った相手というのは、虎森 相花さんのことですか?それと、二人はどこへ行くと言ってましたか?良かったら、教えていただけませんか?」

 「ええっと、相花さんと市内を一緒にツーリングするとは言っていたけど、詳しい行先まで聞いていないわ。ごめんなさいね、お役に立てなくて。私の方から後で息子にあなたがウチに来たと一言伝えておきましょうか?」

 「い、いえ、大丈夫です。ちょっと近くまで寄ったものですから。朝早くにお邪魔してすみませんでした。私はこれで失礼させていただきます。」

 神郡 椿は、京野 浄の母親に別れを告げると、そのままリムジンへと乗り込み、京野 浄の自宅を後にした。

 リムジンの車内で、歯ぎしりをしながら、神郡 椿は怒りを露わにした。

 「あの女ー、私が浄君の自宅に朝から押しかけて来ることを見越して、私が来る前に浄君を外に連れ出したわね。浄君と二人っきりになりたいっていう魂胆が見え見えよ。こんなことになるなら、私も昨日のうちに浄君の家に泊まるべきだったわ。これ以上、あの女と浄君を一緒にしておいたら、あの女の方から浄君の貞操を奪いかねないわ。何としてでも、あの二人がこれ以上接近しないようにしなくちゃ。今に見ていなさい、虎森 相花。」

 「打倒、虎森 相花」を胸に、一人闘志を燃やす、神郡 椿であった。

 午前7時40分。朝日を浴びながら、市街地を抜け、山の中の国道をバイクでひたすら走って40分ほど進むと、目的地である、野福町の野福洞窟へと到着した。

 バイクを停め、バイクから降りて周りを見渡すと、洞窟についての説明書きがついた看板に、鬱蒼と生い茂る草木と険しい崖、崖の下にある川が見えるが、洞窟らしきものは見えなかった。

 僕は首を傾げると、一緒に来た相花に訊ねた。

 「相花、野福洞窟は一体どこにあるんだ?洞窟についての説明書きがついた看板がそこに立っているから、この近くなんだろうけど、洞窟らしきものは僕には見えないんだが?」

 僕の質問に、相花は地面を指さしながら言った。

 「ああっ、洞窟ならアタシたちが立っている地面のちょうどこの真下にあるぞ。」

 「はぁ!?僕たちの真下って?」

 僕はふたたび足元の地面を見るが、足元の地面のすぐ先は急な崖になっていて、崖の下には川が流れて、落ちたら川まで真っ逆さまという感じだ。

 「ま、まさか、野福洞窟って、僕たちの足元の崖の途中にあるのか?」

 「おう、その通りだぜ、ブラザー!アタシたちが今立っている場所と下を流れる川の間にある崖のど真ん中に、これから行く洞窟はあるんだ!それがどうかしたか?」

 野福洞窟が険しい崖の中腹にあるという事実を相花から聞かされ、想定外の事態に僕は困惑した。

 「どうかしたか、じゃないよ!!あんな急な崖を降りていくなんて危険すぎるよ!崖の中腹に洞窟があるなら、どうしてもっと早く言ってくれなかったんだ?崖を降りるなら、登山用具を用意して臨まないといけないだろ!命綱の一本さえ持ってきていないのに、あの崖を降りるなんて危険すぎる、いや、無茶だよ。ここは一旦引き返して、準備を整えてから、改めて崖を降りることにしよう。さぁ、帰るよ。」

 僕が引き返そうと提案したが、相花は僕の提案を拒み、僕の腕を掴むと、僕を引きずりながら歩き始めた。

 「ごちゃごちゃ言ってねえで、さっさと一緒に行くぞ。この程度の崖を降りるのに準備なんていらねえよ。アタシが安全に洞窟まで行くルートを知ってるから大丈夫だ。お前は黙ってアタシの後を付いてくればそれで良いんだ、ブラザー。良いからアタシの言うことを信じろ。絶対に落ちたりしねえからさ。」

 「い、いや、絶対に危ないって。落ちるって。頼むから引き返そうよ。」

 しかし、抵抗むなしく、相花に連れられて、崖を降りるハメになった僕だった。

 崖の途中は草が生い茂っていて、足元が見えず、一歩踏み間違えたら、崖下を流れる川まで真っ逆さまに落ちる危険があったが、僕は相花の後を必死に追った。

 そして、何とか、崖の中腹にある野福洞窟へと辿り着いた。

 洞窟の入り口部分の広さは7mほどで横に開いている。高さは2メートルほどで、人がやっと通れるほどの高さだ。洞窟は僕たちから見て左側に斜めに空間が広がっているようで、奥までは見えず、ただただ暗闇が広がっている様子だ。

 「それじゃあ、中に入るぜ、ブラザー。意外と中はそんなに広くなくてあっという間に奥まで行ける。アタシが先に入るから、お前がアタシの後ろを付いてこい。」

 「ああ、分かったよ。それと、相花、もし、洞窟の中に入って何か異変が起こった時は必ず僕の指示に従ってくれ。昨日、この洞窟の中に入ると言ったら、犬神のヤツが洞窟の中は危ないから絶対に入るなと僕に忠告してきたんだ。この洞窟の中はおそらく妖怪の住処で、何かしらの危険がある。何が起こるか分からないから、その時は僕の指示を無視して無茶はしないでくれ。それじゃあ、一緒に中に入ってみよう。」

 相花を先頭に僕たちは洞窟の中へと入っていく。

 懐中電灯で照らしながら、慎重に一歩一歩奥へと進んでいく。

 足元は石がゴロゴロと転がっていて、少し歩きにくい。

 天井から足元までの高さは人が頭を下げて通れるくらいの高さしかなく、頭を下げながら歩く必要があり。少々窮屈であった。

 中は黴臭く、真っ暗な空間が目の前に広がっていた。

 僕たちは洞窟の奥まで何事もなく、辿り着いた。

 懐中電灯で前を照らすが、特に変わった様子はない。

 「ここで洞窟は終わりか。思ったより短いな。でも、妖怪の姿なんて見えないな?」

 その時だった。天井の方から、僕たちのすぐ頭の上から、一斉にガサゴソと何かが蠢く音や、バサバサという小さな翼を動かすような音が急に聞こえてきた。

 僕の背筋を冷汗が流れ出した。

 何か得体のしれないモノがすぐ頭の上にいる。それも一匹じゃなく、たくさんだ。

 僕は恐怖で震えながら、ゆっくりと懐中電灯で自分の頭上の天井を照らした。

 天井を照らすと、そこにいたのは、何十匹、いや、何百匹という数の黒い蝙蝠たちがうじゃうじゃと天井にへばりついて蠢いていた。

 目の前にいる大量の蝙蝠たちは懐中電灯で自分たちの姿を照らす僕を見るや否や、一斉に「ピー。」という鳴き声を上げ始めた。

 大音量で洞窟の中を流れる蝙蝠たちの鳴き声を聞いて、僕の右肩に頭を乗せて眠っていた犬神が突然目を覚まし、僕の顔を見ながら慌てた様子で言った。

 『早くここから逃げろ、小僧!!ソイツらが襲ってくるぞ!いいから、その乱暴な小娘を連れて早く逃げるのだ!殺されたいのか!?』

 犬神からそう警告され、僕は相花の手を取り、急いでその場から逃げ出した。

 突然のことに相花は驚き、僕に訊ねた。

 「おい、どうしたんだ、ブラザー!?何でアタシを引っ張って逃げようとするんだ?」

 「訳は後で説明するから、いいから逃げるぞ!早く逃げないと僕たちはアイツらに殺される!」

 「はあ!?アイツらって何だよ?」

 「たくさんの妖怪が僕たちを殺そうと狙っているんだ!とにかく逃げるよ!」

 僕は相花の手を引きながら、一生懸命走って洞窟の中の蝙蝠たちから逃げた。

 後ろを振り返ると、蝙蝠たちが鳴き声を上げながら、洞窟の中を飛び回っていた。

 何匹かの蝙蝠たちが僕たちの後を追うように飛んで来る。

 『小僧、早く洞窟の外へと出るのだ!ソイツらは太陽の光に弱いのだ。洞窟を出れば外までは追ってこないはずだ。』

 犬神が僕の耳元でアドバイスを言ってくれた。

 僕は犬神のアドバイスに従い、急いで相花と洞窟の入り口部分まで戻った。

 後ろを振り返ると、洞窟の入り口部分には太陽の光が入ってきているためか、光を避けるように洞窟の暗い中を蝙蝠たちは飛び回っていて、僕たちを追いかけようにも追いかけてこれない様子だった。

 僕はフー、と息をつくと、相花と一緒に崖を上り、バイクを停めている場所まで引き返した。

 バイクを停めている場所まで戻ると、相花が僕に訪ねてきた。

 「なぁ、ブラザー、一体何で急に逃げ出したりしたんだ?アイツらに殺されるとか言っていたが、あの洞窟に何かいたのか?アタシには何も見えなかったし、危険なんて感じなかったぜ?」

 僕は息を整えると、彼女の疑問に答えた。

 「あの洞窟の中、正確に言うと、洞窟の天井に大量の蝙蝠がいたんだ。君が見えないところを見ると、あの蝙蝠が恐らく君にとり憑いている妖怪の正体らしい。蝙蝠たちは僕が天井を懐中電灯で照らすなり、一斉に鳴き声を上げて、天井から僕たちに襲いかかってきたんだ。犬神から早く外に出るよう警告されて、それで君を連れ出して洞窟の外へと逃げたんだ。あの蝙蝠の妖怪は太陽の光に弱いとも犬神は言っていた。だから、太陽が出ている間は僕たちがあの蝙蝠の妖怪たちに洞窟の外で襲われる心配は無い。とにかく、僕たちが危機一髪の状態だったのは確かだよ。」

 僕の説明を聞き終えると、彼女は言った。

 「そんなにヤバい状況にいたなんて気が付かなかったぜ。ブラザー、お前がいてくれて本当に助かったぜ。アタシ一人でまたあの洞窟に入っていたらどうなっていたことやら。助けてくれてありがとな。それにしても、アタシにとり憑いている妖怪の正体が蝙蝠とは驚きだぜ。もっとデカくて不気味でキモいヤツを想像してたんだが、あのちっこくて羽の生えた鼠みたいなヤツとは思わなかった。あんなちっこいヤツのせいで酷い目にあわされているのかと思うと急に腹が立ってきたぜ。」

 僕から妖怪の正体を聞き、彼女は苛立つような表情を見せた。

 「相花、一つ訊ねるけど、君は前にツーリングがてらこの洞窟に寄って、それから一人で中に入ったと言っていたけれど、その時間帯は今みたいな早朝じゃなく、日が落ちた夕方や夜だったんじゃないのか?」

 「おお、その通り、確か学校帰りの夕方で、山の中も大分暗かったぜ。」

 僕の質問に相花がそう答えた。

 「なるほどね。あの蝙蝠の妖怪は太陽の光に弱い。おそらく、日が落ちた時間帯、夕方や夜があの蝙蝠の妖怪が一番活発になる時間帯なんだ。そして、日も落ちた夕方の時間帯に君が住処であるあの洞窟に入ってきて、そこで君に目を付け、洞窟の中か洞窟の外であの蝙蝠の妖怪は君にとり憑いたんだ。妖怪の姿を確認できたのは大きな収穫だよ。後は、あの蝙蝠の妖怪がなぜ長期間、君にだけとり憑いているのか、その理由と、それから、妖怪を追い払う方法、後、いみなについて調べる必要がある。とにかく、洞窟に関する調査はこれで終わりだ。少し休憩を取った後、悪いけど、僕を学校まで連れて行ってくれないか、相花?」

 僕が考察を終え、相花に学校へと連れて行ってくれるよう頼むと、彼女は首を傾げた。

 「学校!?何で学校なんかに行くんだ?学校なんぞに行ってどうするつもりだ、ブラザー?」

 彼女の疑問に僕は答えた。

 「一緒に付いてくれば分かるよ。野福洞窟や蝙蝠の妖怪について何かしら情報を持っていそうな人に心当たりがあるんだ。まぁ、有力な情報を聞けるかは分からないけど、訊ねて損はないはずさ。とりあえず、学校まで頼むよ。」

 僕と相花は10分ほどその場で休憩をとった。

 休憩中、相花が僕にビニールの包みに入ったチョコレートをいくつか渡してくれた。

 僕が彼女からチョコレートを受け取って食べようとすると、僕の右肩に頭を乗せていた犬神が、

 『小僧、そのちょこれいと・・・・・・を我にも寄越せ。さっき助けてやったのだから、その報酬代わりだ。さぁ、食わせろ。』

 と、突然チョコレートを催促してきた。

 僕は彼女からもらったチョコレートをいくつか包みから取り出し、犬神の口元に持って行った。

 僕の差し出したチョコレートを口に含んだ途端、犬神は、

 『グエエエー!?に、苦い!!不味い!な、何だこれは!?み、水、水をくれ!』

 と、苦しそうな表情を浮かべ、水を飲ませるよう頼んできた。

 僕は慌てて、持ってきていたペットボトルのお茶を犬神に飲ませた。

 お茶を飲むと、犬神は落ち着きを取り戻した。

 『ハアハア、何だあのちょ・・これ・・いと・・は?あんなに苦いものは食べたことがない。まさか、そこの小娘め、ちょ・・これ・・いと・・に毒を盛ったのではないか?今でも口の中が苦くてたまらん。ゲェ、ぺっ、ぺっ。』

 僕は相花からもらったチョコレートの残りを試しに食べてみた。

 食べた瞬間、口の中には濃厚な苦みが広がり、甘さなど一切感じなかった。

 僕は相花に訊ねた。

 「相花、君がくれたこのチョコレート、もしかして、ビターチョコレート?それも、かなり苦いヤツじゃない?」

 「おう、そうだぜ。何だ、ブラザー、もしかして、ビターチョコ、苦手なのか?」

 「いや、僕は全然平気だけど、一緒にビターチョコを食べた犬神が、食べた途端、急に苦しみだしてさ。僕も食べたけど、これ、多分相当苦いヤツじゃないかと思って。」

 僕がそう言うと、彼女がゲラゲラと笑いながら答えた。

 「ギャハハハ、そうか、犬神の奴、ビターチョコレートが苦手なのか。妖怪のくせにビターチョコレートが弱点とか傑作だぜ。マジでウケる。いやあ、悪かったなあ。お前に渡したビターチョコだけど、ソイツはカカオ99パーセント含有の、超苦いヤツだぜ。眠気覚ましとか小腹が空いたときのためにいつも持ち歩いてんだけど、まさか犬神の奴が苦手とまでは知らなかったぜ。悪かったな、犬神。まぁ、広い心で許してくれよ。」

 彼女は笑いながら、僕の右肩の方を見て手を合わせると謝るそぶりを見せた。

 『びた・・ちょ・・これ・・いと・・だと!?よくもそんな劇物を我に食わせおって!この小娘め、妖怪さえとり憑いていなければ今すぐ罰を与えてやるものを。本当に反省しているのか?もし、また、この我にあの劇物を食わせようものなら、その時は本気で呪い殺してくれるわ!』

 犬神はビターチョコレートを食べさせられたことに腹を立てている様子だった。

 「そんなに怒るなよ、犬神。相花だって悪気があったわけじゃないし、よく確認もせずにビターチョコレートを食べたのはお前の方だろ。大体、ビターチョコレートを食べさせられたぐらいで呪い殺すとか、心が狭すぎるぞ。後でちゃんと、普通の甘いチョコレートを食べさせてやるから、いい加減機嫌を直せよ。」

 僕はそう言って、怒る犬神を宥めた。

 犬神は渋々といった表情を浮かべながら、僕の右肩に頭を乗せ、また、眠り始めた。

 ちょっとした騒動はあったものの、それから僕と相花はバイクに乗って、野福洞窟を後にし、学校へと向かうのだった。

 午前9時。僕と相花は光泉高校の裏門にいた。

 まだ早朝にも関わらず、学校には大勢の生徒たちが部活動をしに来ていた。

 練習する声や、楽器の音が校舎から聞こえてくる。

 裏門の駐輪場にバイクを停めると、僕は相花と一緒に、歴史研究部の部室でもある国語科準備室を目指した。

 国語科準備室の前に着くと、僕は準備室のドアを三回ノックし、

 「失礼します。」

 と言って、準備室のドアを開けた。

 国語科準備室の中には歴史研究部の部員たちがいて、何やら部活動をしていた。

 僕が準備室に入ろうとすると、坊主頭の巨漢が僕の前に立ちふさがった。

 「何の用だ、京野?ここは関係者以外立ち入り禁止だといつも言っているだろう!お前に毎度この部室に入られるのは、部活動の邪魔になるんだ!大した用がないなら、とっとと帰れ!」

 僕の前に立ちふさがり、今も不機嫌そうな顔で僕を追い出そうとするこの坊主頭の巨漢の名前は、猪飼いのかい。僕と同じ二年生で、歴史研究部の副部長をしている。そして、たびたび、部員でもないのに歴史研究部の部室に入ってくる僕を毛嫌いしている。

 僕が準備室の入り口を猪飼の奴に立ちふさがれ、困っていると、

 「おい、丸刈り頭、アタシとブラザーは大事な用があるんだ。アタシにぶちのめされたくなかったら、黙ってそこをどきな!」

 と、僕のすぐ後ろにいた相花が、猪飼の顔を睨みつけながら、ドスの効いた声で猪飼の奴を威嚇した。

 僕の後ろにいた相花の姿を見るなり、

 「げっ、と、虎森!?何で虎森が京野なんかと一緒にここにいるんだ?」

 と、猪飼は大きな声を上げて驚いた。

 「いいから、そこをどいてアタシらをおとなしく通せ。さもねえと、どうなるか、分かるよな?」

 ポキポキと拳から音を立てながら、相花が猪飼を脅した。

 「わ、分かった。二人とも通すから、拳を収めてくれ。」

 そう言うと、猪飼は僕と相花を国語科準備室の中へと通した。

 僕の後ろから続いて準備室に入ってきた相花の姿を見るなり、歴史研究部の部員たちは皆手を止め、戦々恐々といった様子で僕たちの方を見ている。

 僕が準備室の奥に向かおうとすると、一人の女子生徒が声をかけてきた。

 「お、おはよう、京野君。あなたがウチの部室に来るのはいつものことだけど、その、どうして虎森さんも一緒にいるのかしら?何かあったの?」

 僕に声をかけてきた女子生徒の名前は、立花たちばな 四葉よつば。亜麻色のロングヘア―にサイドに編み込みを入れた髪型で、顔には四角いレンズに桜色のフレームの眼鏡をいつもかけている。歴史研究部の部長で、三年生唯一の部員でもある。読書姿が絵になる美人で、性格はとてもおっとりとしている。部員でもない僕にもいつも優しく接してくれる先輩だ。

 震えながら訊ねてくる立花先輩に、僕は答えた。

 「おはようございます、立花先輩。実は僕と相花なんですが、二人とも島津先生に質問があって来ました。部活動中、お邪魔してすみません。質問が終わったら、すぐに帰りますので、島津先生とお話しさせていただいてもよろしいでしょうか?」

 「ええっ、別に構わないわ。ただ、なるべく騒がないようにね。先生ならいつものように奥の机に座っているわ。」

 立花先輩がそう言うと、僕と相花に入室を許可した。

 「ありがとうございます、立花先輩。」

 僕は先輩に御礼を言うと、そのまま準備室の奥の机にいる、歴史研究部顧問の島津先生の方へと向かった。

 パーテーション越しに、本や研究資料を読みふけっている様子の島津先生へ声をかけた。

 「お忙しいところすみません、島津先生。二年四組の京野です。先生にお伺いしたいことがあるのですが、お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」

 僕が声をかけると、島津先生は顔を上げ、僕の方を見ると言った。

 「おお、京野。今日はどうした?勉強で何か分からないところでもあるのか?それとも、また、夜見近市の郷土史について聞きたいことでも?」

 「はい、実は夜見近市の郷土史について是非先生にお聞きしたいことがありまして。よろしいでしょうか?」

 「ああ、先生なら構わんよ。しかし、虎森も一緒とはな。珍しい組み合わせだな。お前たち、そんなに仲が良かったか?まぁ、二人とも、今、椅子を出すからそこに座りなさい。話を聞こうじゃないか。」

 島津先生はそう言うと、近くに立てかけてあったパイプ椅子を二脚取り出し、自分の机の隣へと置いた。

 僕と相花は先生が置いたパイプ椅子にそれぞれ腰かけた。

 「それで、夜見近市の郷土史について聞きたいそうだが、具体的にはどんなことだ?」

 島津先生から訊ねられると、僕は質問を始めた。

 「先生は野福町の野福洞窟をご存じでしょうか?さらに付け加えますと、野福洞窟にまつわる伝承、それも、蝙蝠の妖怪と野福洞窟に関するお話などはご存じありませんか?」

 僕の質問に、島津先生は考え込んだ。

 「野福洞窟ねえ?」

 島津先生は考え込んだ後、僕に向かって言った。

 「野福洞窟は昭和11年頃に発見され、熊本県のとある考古学者によって一回詳しい調査がなされただけで、特に珍しい遺跡ではないな。洞窟の中からは、イノシシやノウサギ、ニホンザル、シカ、カモシカなんかの骨に、縄文時代後期のモノと思われる土器や骨角器、後、貝殻なんかが見つかったと聞く。現在М県には生息していないカモシカの骨が見つかったことは貴重な発見とされているが、突出しているところはそれぐらいだな。専門家の話によれば、縄文時代、山で狩りを行っていた縄文人たちがベースキャンプとしてあの洞窟を利用していたというのが通説らしい。京野、君はあの洞窟に関する伝承はないかと訊ねたが、残念だが、あの洞窟に関して伝承の類は、先生は聞いたことはないな。蝙蝠の妖怪と野福洞窟の関係を君は訊ねてきたが、あの洞窟に蝙蝠の妖怪が出るという話も聞いたことがない。先生が答えられるのはこの程度のことだ。他に私に聞きたいことはあるか?」

 先生からの回答を聞きながら、僕は考えた。

 野福洞窟については事前に僕自身ある程度調べてはいたが、大体僕が事前に調べた情報と、今先生から聞いた話の内容はほとんど同じだった。

 それと、どうやら、野福洞窟とあの蝙蝠の妖怪を結ぶ伝承などは無いらしい。

 だが、ここまで来て、手ぶらで帰るわけにはいかない。

 僕は質問を続けた。

 「では、洞窟の件は一旦置くとして、蝙蝠の妖怪についてはどうでしょうか?何か、夜見近市の郷土史の中で、蝙蝠にまつわる伝承はありませんか?」

 僕の質問に、先生は一瞬考え込むと、こう答えた。

 「蝙蝠の妖怪についての伝承なら聞いたことがある。全国にもいくつか話はあるが、私たちが住む南九州にも古くから伝わる話だ。京野、君はぶすまという妖怪の話を知っているか?」

 「ノブスマ?何です、そのノブスマというのは?」

 「野原の野に、同衾するの衾、と書いて、ぶすまと読むんだ。衾の文字は平安時代に用いられた掛布団のような寝具を指す言葉だ。野衾という妖怪の正体については諸説あり、狸や狐、モモンガといった動物説や、文字を書く紙が正体であるという説もある。そして、私たちが住むМ県を含む南九州では、野衾の正体は蝙蝠であるという説が有力だ。何でも千年を生きる蝙蝠が妖怪となった存在と言われていて、山の中の通行人を襲っては、布状になって人間を包んでしまい、そのまま人間の生き血を吸い尽くして殺そうとするらしい。実際、蝙蝠の中には野生の哺乳類、それから牛や馬、豚などの家畜の生き血を餌として吸って生きる種類がいる。もっとも、そういった生物の生き血を餌とする種類の蝙蝠は日本には生息していないが、人間が襲われれば、狂犬病ウイルスに感染する恐れもあり、現実に海外では感染例も報告されている。だからと言って、日本に生息する蝙蝠に害がないかと言えば、そうでもなく、糞や尿から寄生虫や病原菌が発生し、人間に健康被害をあたえることもある。野衾の話の中には、野衾に襲われて病気で苦しんだ人の話もある。私見ではあるが、大昔の人たちは蝙蝠が人間にもたらす害を知っていて、蝙蝠が害獣であることやその危険性を伝えるために、野衾という名前の妖怪の話を作り、後世に渡って伝えっていったんじゃないかと、私は考えているよ。先ほど野福洞窟のことが話題に上がっていたが、蝙蝠は元々周りに木が生い茂っている光が差さない暗い洞窟の中を好んで住処にしている。近年では人間の住む市街地でもよく見られ、建物の瓦の下や天井裏、換気口、橋の下、倉庫、壁の間など、建物のあらゆる隙間を住処にしていたりすることが多いが、元々は山の中の洞窟を住処とする野生動物だ。蝙蝠たちが野福洞窟を住処にしている可能性は十分に考えられる。京野、君も小さいからと言って、迂闊に蝙蝠に触れたりしてはいけないぞ。妖怪の話が作られるほど、蝙蝠は昔から人に恐れられている害獣だ。十分注意した方が良い。蝙蝠の妖怪や蝙蝠に関することで私が知っていることはこのくらいだが、参考になったかな?」

 先生が野衾という妖怪の話や、蝙蝠の生態に関する講釈を終えると、僕は返事をした。

 「ありがとうございます。大変参考になりました。お忙しいところすみませんでした。」

 「いや、参考になったのなら、何よりだ。ところで、虎森、君も質問があるそうだが、何か先生に聞きたいことはあるか?今、京野に答えた内容と一緒ということかな?」

 先生の問いかけに相花は、

 「ああ、アタシの質問もブラザーと同じだ。邪魔して悪かったな、先生。」

 と、答えた。

 「ああ、でもよ、先生、アタシもブラザーも野福洞窟の中に入ったけど、本物の蝙蝠なんてどこにもいなかったぜ。だから、先生の言うような、あの洞窟で本物の蝙蝠に襲われることは多分ないと思うぜ。」

 最後に相花がうっかり爆弾発言をしたことで、島津先生が目を丸くし、驚いた表情で僕と相花を見ながら言った。

 「待て。お前たち、あの洞窟に入ったのか?あの洞窟は市の教育委員会の管轄で、教育委員会から学術調査に関する正式な許可をもらわない限り、立ち入り禁止のはずだぞ。おまけに、確か崖の中腹にあって、入るのだって大変危険な場所だ。高校生二人で勝手に入っていい場所じゃない。ちょっと詳しく話を聞かせてもらおうか?」

 僕と相花は正直に、無許可で危険な洞窟の中に入ったことを島津先生に打ち明けた。

 当然、島津先生から二人揃ってお説教を受けたのは言うまでもない。

 それから、僕と相花は一緒に国語科準備室を出た。

 準備室を出る際も歴史研究部の部員たちは皆一様に相花を恐れてその場で固まっていた。特に、猪飼の奴は椅子に座って俯き、体を震わせていた。以前、相花の大きな胸に見とれて鼻の下を伸ばしていた彼女と同じクラスの男子生徒たちが数名、怒った彼女に殴られたという話を聞いたことがあるが、まさか、猪飼の奴も彼女に殴られた男子の一人なのでは、そんな憶測が頭に浮かんだ。他の部員たちに比べて、猪飼の奴の相花に対する怯え方は明らかに酷かった。何かしら、相花にトラウマがありそうな表情をしていた。まぁ、正直どうでもいいことだが。

 廊下を歩きながら、相花が僕に訊ねてきた。

 「それで、何か収穫はあったのか、ブラザー?話を聞いてた感じ、アタシにとり憑いている蝙蝠の妖怪と、さっき行った野福洞窟には関係なさそうに聞こえたが?」

 「ああ、確かに、君にとり憑いている妖怪と、野福洞窟は一見無関係に聞こえる。でも、僕はこの目ではっきりと洞窟の中にいる大量の蝙蝠の妖怪たちの姿を見ている。蝙蝠の妖怪と野福洞窟には間違いなく関係がある。それに、先生が話してくれた野衾という妖怪の話、あれも参考になった。人間を襲う蝙蝠の妖怪が存在するのは確かだ。島津先生の私見ではあるけど、蝙蝠が人間にとって害獣であることを伝えるために野衾の伝承が生まれて今日まで伝わってきたという話もあながち間違っちゃいない。君にとり憑いている蝙蝠の妖怪は、君という人間に実際に様々な害をもたらしている。人間に害をもたらす蝙蝠の妖怪は確かに存在していて、それが伝承として伝えられている。十分な収穫だよ。妖怪のより具体的な正体が僕には見えてきた気がする。」

 僕は相花にそう答えた。

 「ところで、この後はどうする?洞窟の調査は済んだし、先生からの話も聞き終わっただろ?他に何かすることはあるのか、ブラザー?」

 「とりあえず、まだ10時30分過ぎだし、僕は情報を整理したいし、考えたいこともあるから、ひとまず図書館に寄ってくれないかな?相花は本を読むなり、勉強するなり、好きにしてもらって構わないよ。僕は個別ブースを借りて妖怪に関する情報整理や対策についてまとめることにするよ。」

 僕が相花に図書館へ行くことを伝えると、

 「図書館かぁ?そういや、ちょっと前にリニューアルしたんだっけ?リニューアルしてからは行ったことなかったから、ちょっと楽しみだな。OK。それじゃあ、図書館に行くとするか。」

 と、彼女は一緒に図書館へ行くことを承諾した。

 僕と相花はバイクに乗って、学校を後にした。

 午前11時。僕と相花は一緒に図書館の中にいた。

 僕は個別ブースを借りて、妖怪に関する情報整理や対策についてまとめていた。

 相花は初めて来た、リニューアル後の図書館の姿を見て興奮していた様子だったが、読みたい本があると言って、本を読みにどこかへと行ってしまった。

 相花と別れ、個別ブースを借りて一人籠っていた僕は、これまでに集めた情報をノートにメモし、それから、情報を整理した。

 野福洞窟の中には大量の蝙蝠の妖怪がいて、夜になると活発になり、洞窟の外まで出て活動を始める。

 あの蝙蝠の妖怪にとり憑かれた人間は、とり憑いた人間の体内に潜み、妖怪の鳴き声を浴びた人間は、妖怪にとり憑かれた人間に対して、怒りや憎悪といった感情を刺激され、妖怪にとり憑かれた人間を襲う。

 一方、妖怪にとり憑かれた人間は痛覚や罪悪感を感じなくなり、他人と争うことへの抵抗感が少なくなる。

 蝙蝠の妖怪にとり憑かれた人間は、妖怪のせいで他人と喧嘩をしなければならなくなる。

 縁結びの噂話を信じて、幽霊を見るために野福洞窟に行ったカップルで、実際に喧嘩別れをしたカップルがいたが、おそらくあの蝙蝠の妖怪にとり憑かれたせいで喧嘩をすることになったのだろう。

 問題は、なぜ、カップルたちと違い、相花だけは長期に渡って、蝙蝠の妖怪にとり憑かれ、毎日町中の不良たちと喧嘩をさせられているか、ということだ。

 カップルたちは喧嘩別れした後、ごく普通の日常を送っている。蝙蝠の妖怪はカップルたちからすぐにとり憑くのを止め、離れている。

 けれど、相花の場合は、妖怪にとり憑かれて親と喧嘩した後も、妖怪が彼女から離れることはなかった。ずっと、彼女にとり憑いて、毎日彼女を不良たちと喧嘩するよう仕向けている。

 カップルたちには無く、相花にだけ妖怪にとって長期に渡ってとり憑くメリットがある。

 では、相花にだけ長期に渡ってとり憑くメリットとは何なのか?

 僕はひたすら考えた。

 相花にとり憑くことで、あの蝙蝠の妖怪は彼女から何かしらのメリットを得ていると思われる。

 僕はふと、友人の晴真にとり憑いている無垢足のことを思い出した。

 無垢足はムカデの姿をした妖怪で、とり憑いた人間から精気をもらう代わりに、とり憑いた人間の一番嫌な記憶を消してくれるという妖怪だ。

 相花にとり憑いている蝙蝠の妖怪も、無垢足のように彼女から精気を吸い取っているのだろうか?

 しかし、精気を吸われれば、いくら相花でも平然とはしていられないだろう。

 以前、無垢足に精気を吸われ、ボーっとした表情を浮かべる晴真を見たが、相花が僕の前でボーっとした表情を見せたことはなかった。妖怪のせいで半グレたちに襲われた時も、そんな表情は見せなかった。

 おそらく、蝙蝠の妖怪が彼女から吸い取っているのは精気ではなく、別の何かだ。

 そういえば、相花は妖怪にとり憑かれてから、痛覚や罪悪感を感じなくなったと言う。

 そんな状態で喧嘩をすれば、彼女自身は心や体に痛みを感じず、怒りの感情の赴くまま、相手に暴力を振るうことになるだろう。

 僕はその時閃いた。

 「待てよ。元々相花は怒りっぽい短気な性格の持ち主で、たびたび町の不良たちと喧嘩をしていた。本気で気に食わない相手の顔を容赦なく殴り飛ばしている。生徒だろうと、不良だろうと、先生だろうと、相手に関係なく怒りのままに鉄拳を振るう。そうか、分かったぞ。怒りだ。蝙蝠の妖怪は相花から彼女が発する怒りの感情を吸収しているんだ。元々、怒りっぽい性格で、よく不良たちと喧嘩をしていて、怒ることに事欠かない彼女の性質にあの蝙蝠の妖怪は気付いて、それで彼女に目を付けたんだ。怒りっぽい性格で、夜見近市最強の女ヤンキーと呼ばれるほど喧嘩が強い彼女なら、町中の不良たちを彼女と喧嘩するように仕向け、喧嘩するたびに彼女が発する強い怒りの感情を大量に吸収できる。蝙蝠の妖怪にとって、彼女は絶好の餌場兼住処なんだ。だから、ずっと彼女にとり憑いているんだ。これで一つ謎が解けたぞ。」

 僕は自身の推測を急いでノートにメモした。

 僕の考察はさらに続いた。

 島津先生の話によれば、М県を含む南九州には、野衾と呼ばれる蝙蝠の妖怪に関する伝承がある。山の中に住み、山の中を通る通行人を襲っては、人の生き血を吸うと言われているそうだ。

 僕はこの野衾と呼ばれる妖怪と、野福洞窟の中で遭遇した蝙蝠の妖怪に関連性があるものと考えた。

 人間の生き血ではなく、人間の怒りの感情を吸っていると思われるが、蝙蝠の妖怪は確かに存在している。

 さらに、野福洞窟の、ふくの二文字に着目した。

 の字は、ぶすまという妖怪の名前の一文字と合致している。

 ふくの字は、蝙蝠のふくという漢字に置き換え、同じくフクと読むことができる。

 野蝠のふく。僕はノートにこの二文字を書いた。

 「野蝠のふく、おそらく、これが野福町、それから、野福洞窟のいみなに違いない。」

 いみなとは、僕たち人間のご先祖様が土地に住まう妖怪の名と存在を込めた裏の地名のことである。

 いみなについてもおおよその見当はついた。

 後は、どうやって、相花から彼女にとり憑いたあの蝙蝠の妖怪を追い払うか、その方法である。

 僕の頭に中に一つ作戦が浮かんでいる。

 しかし、その作戦を実行するには、やはり犬神の協力が必要不可欠だ。犬神抜きにこの作戦を実行することは絶対に不可能だった。

 腕時計を見ると、あと数分で正午をむかえるところだった。

 僕は相花に、午後1時に図書館を一緒に出て、どこかで昼食をとろうとLINEでメッセージを送った。

 すぐに既読が付き、分かったとの返事が返ってきた。

 僕は相花からの返信を確認すると、図書館内のカフェへと向かった。

 12時00分。僕は図書館内のカフェに入って注文をすると、そのまま空いているテーブルに座った。

 僕は、僕の右肩に頭を乗せて眠っていた犬神に声をかけた。

 「起きろ、犬神。昼餉の時間だ。目を覚ませ。それに、お前に話したいことがある。」

 僕が呼びかけると、犬神がゆっくりと目を覚ました。

 『フワ―。もう昼餉の時間か。貴様から昼餉の時間に起こされるのは珍しい。話があると言っていたが、その話とやらのためにわざわざ我を起こしたのだろう、違うか?』

 「そうだ、お前に話がある。昼餉のチョコレートはこれから届く。が、その前にお前といくつか話をしておきたい。とにかく、僕に話を聞いてくれ。」

 僕が犬神にそう答えると、

 『フム。良いだろう。少しだけ貴様の話を聞くとしよう。』

 と、犬神は返事をした。

 「僕の話というのは、もちろん相花にとり憑いているあの蝙蝠の妖怪についてだ。あの妖怪について、僕なりに調査して、考察してみた。まず、あの蝙蝠の妖怪はとり憑いた人間を故意に他人と喧嘩させて、その時にとり憑いている人間が発する怒りの感情を餌として吸収していると考えた。次に、なぜ、相花にだけ長期に渡ってとり憑いているのか、その理由は、彼女が怒りっぽい性格でよく不良たちと喧嘩して、怒りの感情に事欠かない性質だからだ。夜見近市最強の女ヤンキーと呼ばれるほど圧倒的な喧嘩の腕前の持ち主の彼女なら、わざと不良たちを彼女と喧嘩するようおびき寄せれば、あの蝙蝠の妖怪は不良たちと喧嘩する彼女から強い怒りの感情を大量に吸収することができる。あの蝙蝠の妖怪にとって、彼女は絶好の餌場兼住処なんだ。だから、相花にとり憑いて絶対に彼女の体から出て行こうとはしないわけだ。それから、いみなについてだが、野福洞窟の、野福の二文字、これを読み解くと、野の文字は、野衾という名の伝承に出てくる蝙蝠の妖怪の名前の一文字と合致している。それから、福の文字を、蝙蝠という漢字の蝠に置き換える。二つの文字を組み合わせると、野蝠のふくと読むことができる。この野蝠のふくこそ、野福町、そして、野福洞窟の諱に違いないと考えた。以上があの蝙蝠の妖怪に関する考察だ。」

 僕が説明を終えると、笑いながら話し始めた。

 『フハハハ、その通りだ。あの妖怪の名は野蝠のふく。昔から野蝠のふくどうを住処とする妖怪だ。小僧、貴様の言った通り、アイツらは野蝠のふくどうに近づく人間にとり憑いては、その人間を他の人間と争うよう仕向け、とり憑いた人間の発する怒りの感情を糧として吸収し生きているヤツらだ。とり憑いた人間を他の人間と争わせるため、とり憑いた人間に対する怒りや憎しみといった類の感情を増幅させる鳴き声を他の人間に浴びせ、争いを起こすように背中を押し、自分はとり憑いた人間が争いの中で生み出す怒りの感情を、高みの見物をしながら己の糧として吸い取るという下賤な行為を平然と行う、卑劣極まりないヤツらだ。我と同じ妖怪でありながら、他者を蔑み、自身の欲望のために他者を利用する、傲慢で欲深い、人間以下のクズだ。正に妖怪の面汚しと言える外道なヤツらだ。通常はとり憑いた人間が他人と争い、自身の腹が膨れるほどの怒りの感情を吸収したら、その時点で一旦、とり憑いていた人間の体から離れるのだが、例外がある。野蝠は、強い人間、より具体的に言えば、強靭な肉体に気性が荒い性格の持ち主を好んでとり憑く習性がある。昔は山の中に山賊や追い剥ぎをする人間たちが大勢いて、そういった人間たちは力が強く気性の荒い荒くれ者ばかりであった。今よりも野蝠どもにとって餌となる人間が、アイツらの住む山の中にはたくさんいて、アイツらが餌に困ることは無かった。しかし、時代の流れとともに、山の中で山賊や追い剥ぎをするような人間たちはどんどん数を減らし、とうとういなくなった。故に、野蝠どもは餌となる人間を求め、野蝠洞のある山を出て、人間の住む町にまで現れるようになった。そんな餌不足のアイツらの前に、あの生意気で乱暴な小娘が現れた。アイツらにとっては、自分たちの前に現れた、強くて気性の荒いあの小娘がさぞ久しぶりに目にする極上の餌に見えたことだろう。あの小娘に早々に目を付けた野蝠の一匹が今もあの小娘の体にとり憑いている。このまま行けば、あの小娘はとり憑いた野蝠によって、痛覚や罪悪感を完全に失い、野蝠の仕向ける悪漢どもと怒りのままに争い、野蝠のヤツに怒りの感情を餌として搾取され続ける日々が待ち受けている。そして、最後には心身に異常をきたし、怒りのままに暴れ回る狂人と化し、争いの中でその命を落とす悲惨な結末をむかえることになるだろう。小僧、貴様があの小娘を何とかして助けようとしているのは知っているが、あの小娘の体内から野蝠を追い払うのは前にも言った通り、至難の業だ。一体どうやって、あの小娘からとり憑いている野蝠を追い払うつもりだ?何か策でもあるのか?』

 犬神の質問に僕は答えた。

 「ああ、策はある。一つ作戦を思いついたんだ。上手くいけば、相花から彼女にとり憑いている野蝠を追い払える可能性はある。だけど、その作戦を実行するには、犬神、お前の協力が必要不可欠なんだ。」

 僕が犬神に話をしていると、僕の座っているテーブルの番号が呼ばれた。

 僕は、カウンターにいる店員からとあるお菓子の載った皿を受け取ると、そのお菓子の載った皿を見せながら、犬神の説得を再開した。

 僕が持ってきた皿の上には直径7㎝、長さが20㎝ほどのチョコロールケーキが丸々一本載っていた。

 犬神はチョコロールケーキを見るなり、口から大量の涎を垂れ流し、目はチョコロールケーキに釘付けになっている。

 「もし、お前が僕の作戦に協力してくれるなら、このチョコロールケーキを丸々一本、昼餉の供物として食べさせてやる。これから僕が伝える作戦で、お前自身が野蝠に襲われたり、殺されたりする危険は全くない。危険な目に遭うのは僕だけだ。お前にとっては損のない話だ。さぁ、どうする、犬神?僕に協力してこのチョコロールケーキを食べるのか、それとも、協力を拒んで食べ損ねるのか?選択肢は二つに一つだ。」

 僕の言葉に犬神は頭を抱えながら考え込んだ。

 『ううむ、本当に小僧の言う通り、我に危険はないのだろうか?信じて手を貸すべきか?いや、しかし、本当のことを言っている保証はない。だが、手を貸さんと言えば、このちょころ・・・・るけ・・なる菓子は食べられない。一体どうしたら良いものか?待てよ、小僧は危険な目に遭うのは自分だけだと念を押して言っている。それに、最悪、我の身に危険が及べば、その時点で小僧を見捨てて逃げればいい。別に小僧が本当のことを言っていようがいまいが関係ない。フハハハ、何も悩む必要など無いではないか!』

 毎度のことながら、自分の身の安全しか考えておらず、最悪、僕を見捨てて逃げようと考えている犬神には呆れてしょうがないが、コイツの協力が必要なのは確かだ。

 僕は犬神に再度訊ねた。

 「犬神、どうするんだ?僕に協力するのか、しないのか、はっきり答えろ。」

 僕の問いに犬神は答えた。

 『分かった。小僧、貴様の作戦とやらに手を貸そう。だから早く、そのちょころ・・・・るけ・・なる菓子を我に食わせろ』

 僕は、チョコロールケーキの載った皿の方に、犬神が頭を乗せている僕の右肩を近づけた。

 犬神は猛烈な勢いで、チョコロールケーキを食べ始めた。

 5分後、皿の上にあったチョコロールケーキは犬神によって完食された。

 チョコロールケーキを丸々一本完食した犬神は、満足そうな表情を浮かべながら、チョコロールケーキの食レポを始めた。

 『フウ、実に美味しい菓子であった、このちょころ・・・・るけ・・なる菓子は。ふわふわとした食感の生地にはちょ・・これ・・いと・・が練り込んであって、軽い食感ながら食べ応えがある。それから、渦巻き状に甘いちょ・・これ・・いと・・のくりーむが中にずっしりと入っていて、見た目も面白いが、このちょ・・これ・・いと・・のくりーむがまた絶品であった。まだまだ我の知らないちょ・・これ・・いと・・を使った菓子がこの世にはあるのだな。とにかく、美味であった。』

 犬神の食レポが終わったところで、僕は犬神に声をかけた。

 「ご満足いただけたようで何よりだ。それじゃあ、今から作戦の内容を伝える。よく僕の話を聞いてくれ。」

 僕は犬神に、相花から野蝠を追い払うための作戦の内容について詳細を話した。

 作戦の詳細を聞いた犬神は、驚いた顔をしながら僕に訊ねた。

 『小僧、貴様の考えた作戦とやらについては概ね理解したが、本当に大丈夫か?貴様自身に相当な負担がかかる上に、下手をすれば大怪我をするぞ。最悪、あの小娘に殺される恐れもある。それでも、貴様は実行する気か?』

 「ああ、もちろんだ。他にこれ以上の選択肢はないだろ?何、お前が僕をしっかりサポートしてくれれば、きっと上手くいくはずさ。いや、絶対に上手くいく。」

 僕は自分自身を奮い立たせる意味でも、そう言い切った。

 午後1時。犬神との会話を終え、僕は相花と合流した。

 それから、図書館の近くのレストランで昼食を一緒にとった。

 昼食を食べながら、相花が訊ねてきた。

 「情報の整理とやらは終わったか?それで、この後はどうするんだ?まだ、何か調査することはあるのか?」

 「いや、調査は大体終わったよ。君にとり憑いている妖怪の名前は野蝠と言って、とり憑いた人間の怒りの感情を餌として吸収する妖怪だということが分かった。妖怪を追い払う方法については今、犬神と検討を重ねているところだよ。方法が分かり次第、すぐに実行に移すよ。それまで、君には僕の家でおとなしく過ごしてもらって、外出する際は僕を連れてあまり人気のないところに出かけるようにしてもらう必要がある。君が人目を避け、不良たちと喧嘩することが無くなり、君から怒りの感情を吸収できなくなる状況になれば、野蝠のヤツにダメージを与えられるし、空腹に我慢できず、もしかしたら、君の体から離れる可能性だってある。しばらく窮屈に感じるかもしれないけど、我慢してもらえると助かるよ。」

 僕は彼女にそう答えると、彼女は納得したような顔を見せ、僕に言った。

 「分かったぜ、ブラザー。お前の言う通りにする。なら、この後は夕食まで二人で一緒に市内をツーリングするか。なるべく、人気の少ないところを走ることにしよう。それで良いか?」

 「うん、それで良いよ。人気の少ない、ちょっと遠くの神社とかお寺とかを見に行ってもいいかもしれない。まず、不良たちに遭遇する可能性は低いし、開運祈願も兼ねてちょうど良いかもしれないよ。」

 「よし、なら、ツーリングがてら二人で一緒に神社やお寺にお参りに行くとするか。たまにはそういうのもいいな。ナイスアイディアだぜ、ブラザー!」

 レストランで昼食を食べ終えると、それから僕と相花は一緒にツーリングをした。

 途中、いくつかの神社やお寺に寄ってお参りもした。

 不良たちと遭遇して喧嘩することもなく、ツーリングを楽しんだ僕たちであった。

 午後6時。僕と相花は一緒にツーリングを終えて、僕の自宅へと帰った。

 夕食の時間になると、相花と僕の家族を入れた5人で一緒に仲良く夕食を食べた。

 相花は僕と一緒にツーリングをして、それから、神社やお寺を一緒にお参りしたことなどを楽しそうに僕の家族に話した。

 野福洞窟の中に入ったことまで話さないか心配だったが、彼女がその事実を話すことはなかった。

 彼女の話を聞いて、父や母、それに妹も笑顔で楽しそうに話を聞いていた。

 そんな食卓の皆の姿を見て、ほっこりとした気分になる僕であった。

 そうして、一日を終えた僕だったが、翌日以降、ちょっとした騒ぎに巻き込まれたり、野蝠を追い払うために危機一髪の状況に追い込まれたりと、慌ただしい日々が待っていたのだが、この時の僕はまだそのことを知らないでいた。




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