第四怪 野蝠

其の一 男子高校生、ヤンキー少女に絡まれる

 6月23日金曜日午前7時前。目覚ましにセットしておいたスマホのアラーム音が鳴る前に、顔を何かがペチペチと叩く音で、僕は目を覚ました。

 僕が目を覚ますと、顔の前には動く小さな土人形が、僕の顔を小さな両手で叩き、僕を起こそうとしていた。

 僕は、僕の顔を叩いていた小さな土人形に声をかけた。

「おはよう、つちノ子のこ。いつも起こしてくれてありがとう。」

 僕が土ノ子と呼んだ小さな土人形に声をかけると、

「キュー。」

 と、その小さな土人形は可愛らしい鳴き声を上げ、僕の顔を叩くのを止めて、両手を振って、僕の顔の前で飛び跳ねている。

 僕の名前は京野みやこの じょう。以前はどこにでもいる、何の変哲もない陰キャぼっちのごく普通の男子高校生だったが、ある日を境にとある妖怪にとり憑かれ、霊感に目覚めたことで妖怪が視えるようになってしまった。それ以来、様々な妖怪たちと出会っては、妖怪たちの巻き起こす事件や騒動に巻き込まれる、奇妙で騒がしい日常を送っている。

 今、僕が土ノ子と呼んでいる動く小さな土人形も実は妖怪である。

 二週間ほど前、山神やまがみと呼ばれる妖怪が人間たちに住処を荒らされ、それに激怒した山神が何百人という人間を襲う事件が発生した。

 事件の発生を知った僕は苦労の末、何とか山神の怒りを鎮め、人間を襲わないよう説得に成功したのだった。その際、山神から御礼として預かった山神の分身、それが土ノ子である。

 本体である山神から僕に仕えるよう命令を受けた土ノ子は、僕の家に住み着き、小さな体で甲斐甲斐しく僕の身の回りのお世話をしてくれている。

 ここ数日も学校がある日は、僕がスマホの目覚まし機能を設定していても、僕が遅刻しないよう、スマホのアラーム音が鳴る前に、決まった時刻に土ノ子は僕を起こしてくれるのだった。

 ところで、僕にとり憑いている妖怪で、もう一匹の我が家の居候は、大きないびきをかいて今も気持ちよさそうに僕の横で寝ていた。

 私生活ではいつも僕に迷惑ばかりかけているもう一匹の妖怪のだらしない寝顔を見て、僕は思わずため息をついた。

「ハアー、同じ妖怪なのにどうしてこうも違うんだか。居候なんだから、僕の身の回りの世話の一つや二つ、手伝ってくれてもいいのに。お前もそう思わないか、土ノ子?」

 僕の問いかけに、土ノ子は

「キュー?」

 と、鳴き声を上げながら首を傾げた。

「お前に愚痴を言ってもしょうがないか。さて、顔でも洗ってくるとするか。」

 僕はベッドから体を起こすと、二階の自室を出て、階段を降り、一階の洗面所に行き、顔を洗った。

 洗面所で顔を洗い終え、鏡で顔を見ると、相変わらず目の下には黒いクマができていた。しかし、以前ほど深く黒いクマではなく、目の下に薄くできている程度だ。それに、ひどい時は両目が真っ赤に充血しているが、今朝は両目とも充血していない。

 土ノ子がウチに来る以前は、もう一匹の居候に毎晩、深夜まで小言や世間話に付き合わされていたが、期末試験が近く、夜は試験勉強に集中したいため、土ノ子にお願いして、試験勉強の間、もう一匹の居候の話し相手をしてもらっている。

 おかげで、試験勉強のため、多少寝不足気味ではあるものの、試験勉強に集中できている上に、もう一匹の居候のうるさい小言や世間話を聞くこともなくゆっくりと眠ることができている。

 期末試験が終わったら、土ノ子には好物のミネラルウォーターを好きなだけ飲ませてあげるとしよう。

 僕は洗面所から自室へと戻ると、制服へと着替え、鞄を持ち、それから、朝食をとるため、一階のリビングへと向かった。

 リビングに入ると、両親はテーブルに着いて朝食を食べ始めていた。リビングの奥のTVの前には、妹のめいがソファに座って、日課である朝の情報番組の星占いコーナーを見ようと待っていた。

「おはよう、みんな。」

 僕が朝の挨拶を家族にすると、

「おはよう、浄君。朝ごはん、出来ているから早く食べちゃいなさい。」

 と、母が返事をした。

「おはよう、浄。夜遅くまで試験勉強を頑張っているようだな。あまり無理はするなよ。」

 父も僕の方を見ながら、返事をした。

「ああ、無理はしてないから大丈夫。まぁ、少しでも良い点を取れるよう頑張るよ。」

 僕は父に向かってそう返事をすると、テーブルに着いて朝食を食べ始めた。

 僕が朝食を食べ始めたその時、僕の首元に巻き付き、僕の右肩に頭を乗せて眠っていたもう一匹の居候が目を覚ました。

『フワ―、もう朝餉の時間か。おい、小僧、早く朝餉のちょ・・これ・・いと・・を我に食わせろ。それにいつも言っているではないか。この我より先に朝餉を食べようとするなど不届き千万。一体いつになったら貴様は覚えるのだ!?貴様、呪い殺されたいのか?』

 もう一匹の居候が、いつものように不機嫌そうな顔でチョコレートの催促をしてきた。

「はいはい、分かってるよ、犬神。今、チョコレートをやるから。」

 もう一匹の居候こといぬがみにそう言うと、僕はズボンの左ポケットから一口サイズのチョコ―レートを数粒取り出し、それらを犬神の口元に持って行った。

『全く気が利かん小僧だ。いい加減に覚えよ。』

 犬神は愚痴をこぼしながら、僕が差し出したチョコレートを食べるのだった。

 朝から僕の横でだらしない表情で眠り、僕に今、チョコレートの催促をし、愚痴をこぼしているこの妖怪の名はいぬがみ

 去塚町いぬづかちょうで野良犬に襲われ、止むを得ず野良犬を殺した僕を、自分が縄張りとする犬塚の地で犬殺しを犯した罪人と一方的に呼んでとり憑き、呪い殺すことを止めることと引き換えにチョコレートを催促してくる、はた迷惑な妖怪である。

 コイツとの付き合いはまだ三ヶ月にも満たないが、コイツがとり憑いたせいで僕は霊感に目覚めて妖怪が視えるようになり、妖怪たちが巻き起こす事件に巻き込まれるようになった。

 僕の平穏で平凡な日常を奪った正に諸悪の根源である。

 深夜まで小言や世間話に付き合わせて寝不足にするわ、チョコレートを催促してくるわ、妖怪絡みの事件に僕が巻き込まれても保身のためにギリギリまで協力を拒むわ、本当に困ったヤツである。

 しかし、そんな犬神とのやり取りにもすでに慣れてしまい、チョコレートのことで小言を言われるのもいつものことなので全く気にしてはいない。

 人前でこっそり犬神と話したり、チョコレートをあげたりするのもすっかり慣れっこだ。

 僕は朝食を食べ終えると、制服のシャツの左の胸ポケットにいる土ノ子にミネラルウォーターをあげた。

 それから、いつものように自宅を出て、学校へと登校するのだった。

 正門前に着くと、学校の先生たちが正門の前に立って、朝の挨拶運動をしていた。

 挨拶運動をしている先生たちの中には、僕のクラスの担任教師であるかね(かね)よし先生もいた。

 成績の悪い生徒や自分が気に食わない生徒に対して日常的にパワハラを行ってくる最低の教師で、以前とある生徒と一緒になって僕にあらぬ罪を被せようとしてきたクズ野郎だが、一応担任教師である以上、挨拶をしないわけにはいかない。

 僕は金好先生に近づくと、

「おはようございます。」

 と、軽く朝の挨拶をした。

 金好先生は僕の顔を見るなり、

「げっ、京野!?」

 と言って、慌てた表情を浮かべたと思えば、すぐに渋い表情を浮かべ、

「お、おはよう、京野。」

 と、声を震わせ、僕の顔から視線を若干逸らしながら、返事をしてきた。

 僕から遠ざかろうとする先生の態度に一瞬首を傾げた僕だったが、別に気にすることでもないかと思い、その場を後にした。

 正門をくぐって、下駄箱で上履きへと履き替えると、そのまま自分のクラスの教室へと廊下を歩いて向かった。

 廊下を歩いていると、廊下にいた生徒たちは僕の顔を見るなり、皆警戒するような目でこちらを見てくる。

 僕が傍に近づくと、サーっと離れていくし、遠巻きに僕の方を見ながらヒソヒソと小声で何かを話している。

 実は三日ほど前から、学校の先生たちや生徒たちが皆、僕の顔を見るなり、こんな感じで僕を避けたり、小声で何かを話したりしているのである。

 陰キャぼっちを自称する僕が、学校のみんなから顔をおぼえられて、避けられたり、噂されたりする覚えは全く無い。

 多少悪目立ちすることもあったかもしれないが、他人から恐れられるような悪いことをしたことなど一度も無い。

 校則は守っているし、普段から目立つようなことはしていないし、他人と喧嘩することもほとんどない。

 友人が少なく、争いが苦手で、平穏で平凡な日常を好み、地味でおとなしい陰キャぼっち、それがこの僕、京野 浄である。

 他人からモブキャラ扱いや空気扱いされることはあっても、要注意人物扱いされることは無いはずだ。

 それなのに、三日続けて、周囲から避けられたり、陰で噂話をされたりするのはやはりどうにも落ち着かない。

 僕が、周囲の人たちが見せる僕を警戒するような反応について考えながら教室へと入ると、クラスメイト達は僕の顔を見るなり、会話を止め、じっと警戒するような目で僕の方を見てくる。

 僕が教室の窓側の一番後ろの自分の席へと向かおうとすると、近くにいたクラスメイト達は僕を避けるように離れていく。

 僕の一体何をそんなに警戒しているのだろうか?

 何かみんなから嫌われるようなことをしてしまったのだろうか? 

 僕が悩みながら席に着くと、前の席に座っていた友人の晴(はる)真(ま)が僕の姿を見るなり声をかけてきた。

 「おはよう、浄。朝から暗い顔をしてっけど、どうかしたのか?」

 「おはよう、晴真。実はちょっと気になることがあってさ。最近、三日ぐらい前から学校のみんなが僕の顔を見るなり、警戒するような目で僕を見るや、僕を避けたり、小声で何かを話してたりするんだ。なぁ、晴真、何か知ってるなら、隠さず僕に教えてくれないか?お前だって、クラスのみんなの僕に対する態度の変化にとっくに気づいてるだろ?」

 僕がそう訊ねると、晴真は一瞬複雑そうな表情を浮かべるなり、僕の方に顔を近づけながら話し始めた。

 「お前が変に気にするといけないと思ったし、あまりに馬鹿馬鹿しい噂なもんだから、そのうち誰も気にしなくなるだろうと思って黙っていたけど、浄、お前が気づいた以上、やっぱり話しておいた方がいいな。実はな、浄、お前に人に呪いをかける力があるっていう噂が校内で流れているんだ。」

 晴真が話した僕に関する噂話を聞いて、僕は思わず驚いた。

 「はぁ!?僕に人に呪いをかける力があるだって!?一体どうしてそんな訳のわからない噂が流れるんだ?そんなくだらない噂を生徒たちだけでなく、先生たちまで鵜呑みにするなんて、みんなどうかしているぞ。噂を信じる方も問題だが、誰がそんなでたらめを流しているんだ?」

 「噂を流している奴には心当たりがあるんだ。おそらく、「ストーカー王子」の仕業だぜ。」

 「「ストーカー王子」!?誰だ、ソイツ?」

 僕は聞き覚えのない人物のあだ名の聞いて思わず首を傾げた。

 そんな僕の様子を見て、晴真はため息を交えながら話を続けた。

 「ハアー。浄、お前、いくら忘れたくなるくらい嫌いな奴だからって、そんなにすぐに忘れることはないだろ。「ストーカー王子」なんて最悪なあだ名で呼ばれるきっかけにお前も関わってるんだぞ。「ストーカー王子」ってのは、お前がこの前揉めた御堂みどう 光輝こうきに決まってるだろうが。」

 「ああ、御堂君のことか。すっかり忘れてたよ。」

 晴真に言われて、僕は、つい先日とある理由で先生たちを巻き込んで揉めた相手でもある、その男子生徒のことを思い出した。

 御堂みどう 光輝こうき。僕と同じこうせん高校の二年生で、エリート学生たちが集う特進科の期待のエースにして学校一のイケメン。市長の息子にして、生徒会の副会長をしている。成績は常に学年二位で、テニスの全国大会では準優勝を獲り、颯爽とテニスをする姿から、「学園の王子プリンス」のあだ名で呼ばれ、全校女生徒の憧れの的でもある。

 表向きは温厚で優しく、文武両道に優れた好青年といった印象の持ち主であるが、本性は自分以外の他人を見下し、自分にとって都合の悪い人間を平気で罠に陥れ、また、自分の悪事のために他人を利用する最低のエゴイストである。

 僕のクラスメイトでガールフレンドであり、学校一の美少女と呼ばれるかみごおり 椿つばきさんに一度告白して振られたが、その後も執拗に彼女に付きまとい、ついには彼女と仲が良い僕に嫉妬して脅迫や暴力を行い、挙句の果てに先生たちを騙して僕にあらぬ罪を被せようとしてくる下衆野郎でもある。

 だが、椿さんと僕の仲を嫉妬して僕や犬神に迷惑をかけたことで犬神の怒りに触れ、犬神から七日間左手が激痛に苦しむという罰を与えられ、学校のみんなの前でのたうち回り苦しむという醜態を晒すハメになった。

 さらに、先生たちを騙して僕にあらぬ罪を被せ、停学処分、あるいは退学処分にしようと企んだことがばれて、それを知って激怒した椿さんに学校のみんなの前で、彼女に対してしつこく付きまとった事実を明かされ、公衆の面前で彼女からストーカー認定されるという恥辱を味わうことになったのであった。

 御堂君と揉めたのはつい先日のことであったが、僕はすっかり忘れていた。

 いや、特に思い出したいとも思っていなかった。

 あれ以来、御堂君がどうなったかなんて気にも留めていなかった。

 「御堂君の名前が出てくるとは思わなかったよ。というか、彼、今、「ストーカー王子」なんて呼ばれてるのか?全然、知らなかったよ。」

 僕の言葉に、晴真は呆れたような表情を浮かべながら話を続けた。

 「お前と神郡さんの仲を嫉妬して先生たちを巻き込んでお前を陥れようとしたことや、神郡さんから職員室にいたみんなの前で御堂がストーカー認定されたことは学校中に広まって、あれから御堂の評判は最悪だぜ。特に、アイツに惚れていた学校の女子たちは、アイツが神郡さんにストーカー紛いのことをしていたっていう話にショックを受けた奴が多いって聞くぜ。今じゃ、「学園の王子様」なんてこの学校で御堂のことを呼ぶ生徒はほとんどいないぞ。顔はイケメンで文武両道、市長の息子で副生徒会長のボンボン、だけど、中身はストーカー。だから、今は「ストーカー王子」ってわけだよ。お前にちょっかいだしたせいで奴の名声はどん底まで落ちたわけだ。いくらお前が人畜無害な陰キャぼっちを自称してても、もう少し他人に恨まれることがあることも自覚した方がいいぞ。」

 晴真から忠告され、僕も自身の危機意識の低さを反省した。

 「晴真、お前の言う通りだよ。いくら僕が忘れたからと言って、一度は揉めた相手がそう簡単に恨みを捨てるとは限らない。例え、僕自身に何の非が無くて、逆恨みだとしてもだ。それで、御堂君は僕と揉めた一件以降、どうなったんだ?それに、どうして僕に人に呪いをかける力があるなんてチープなでたらめを流そうとするんだ?呪いなんて子供じみた噂を流すほど、彼は幼稚な頭の持ち主じゃないはずだ。こんな馬鹿げた嘘をついて彼に一体どんなメリットがあるんだ?」

 僕の疑問に晴真は答えた。

 「お前と揉めた後、御堂の奴は学校から一週間の停学処分を食らったそうだ。俺からしたら生ぬるいくらいだが、お前を罠にはめようとしたのは未遂で済んでいるし、神郡さんから警察にストーカーの被害届が出ているわけじゃない。それに、市長の息子で学校の副生徒会長もしていて、テニスの全国大会で顔が売れている生徒に学校側としてはきつい処分なんて与えるわけにはいかない。だから、一週間の停学処分で済むってわけだ。停学処分が解けて学校に出てきてから、御堂の奴はお前に二度ちょっかいをかけた際、原因不明の激痛に襲われて手を怪我したことを自分のクラスメイトや同じテニス部の連中に言いふらしたらしい。御堂に乗せられてお前を責めた金好先生も職員室で原因不明の頭痛に襲われて倒れただろ。おまけに、お前が時々誰もいない場所を見ながら独り言を呟いていることを知って、お前がお化けだか式神だかに頼んで自分や金好先生に呪いをかけたんじゃないかって、お前に人に呪いをかける力があるように思わせようと、煽るように言ったらしい。最初は御堂の言うことを信じる奴はほとんどいなかったんだが、いまだに御堂の言うことを信じる奴というか、シンパみたいな奴も少なからずいて、ソイツらが噂話をどんどん広げていったらしい。御堂と神郡さんを巡って揉めたことでお前の顔や名前はある程度知れ渡っていたし、お前の時々見せる奇妙な独り言や、お前の周りで起こる不可思議なことが重なって、お前がお化けだか式神だかを使って、人に呪いをかけたり、人を操ったりする不思議な力があるんじゃないかって、そんな噂が学校中に流れたんだ。お前が神郡さんと急に仲良くなったのもその不思議な力のせいじゃないかって噂されてる。お前と神郡さんの仲を妬んでいる男子は多いからな。その上、学校一の美少女である神郡さんと仲が良い男子ってことで、彼女に嫉妬している女子の一部からもお前は嫌われていたりする。何やかんやでお前に目をつけて気に食わないと思った連中が噂を流して、それが先生たちの耳にまで入って、金好先生の件もあって、先生たちもお前のことを警戒して避けてるってわけだ。御堂の奴としては、幼稚でくだらないデマだとしても、自分の評判を貶めて、神郡さんを奪ったお前を困らせることができればいいと考えてついた、憂さ晴らしのつもりなんだろうよ。まぁ、俺は別にそんな噂なんて信じちゃいないが。大体、お前みたいな優しい奴が人に呪いをかけるとか、そんなことするわけねえだろ。人の噂も七十五日って言うし、そのうち変な噂も止むだろ。ただ、辛くてしょうがないって言うなら、一緒に職員室に言って先生たちに相談しようぜ。金好先生は全然当てにならないけど、国語の島津先生ならすぐに相談に乗ってくれて何とかしてくれるんじゃないか。」

 晴真は、御堂君が流した僕のあらぬ噂について説明しながら、僕のことを気遣ってくれた。

 「心配してくれてありがとう、晴真。御堂君の流した僕に関する嫌がらせの嘘はそのうち止むだろうけど、どうしてもって時は一緒に先生たちに掛け合ってもらうとするよ。お前が友達になってくれて、本当に良かったよ。」

 「友達なんだから当然だろうが。いつもお前には宿題や小テストで世話になっているし、もっと俺のことを頼れよな。」

 晴真は照れ臭そうに笑いながら、そう答えた。

 「まぁ、くだらない噂話のことなんか忘れて、もっと面白い話をしようぜ。実はな、お化けと聞いて一つ面白い噂話を思い出したんだが、聞きたくないか、浄。」

 晴真が話題を変えようと話を振ってきたため、僕は晴真に面白い噂話とやらについて訊ねた。

 「面白い噂話と言うからには、さぞ面白いんだろうなぁ、その話は。是非、聞かせてもらおうか。」

 「おい、あんまプレッシャーをかけんなよ。面白くなかったら、俺がつまらない話しかしない奴みたいになるじゃんか。」

 僕に茶化されて、晴真が冗談で返してきた。

 「ごめん、ごめん。それで、お化けについての面白い噂話って言うけど、具体的にはどんな話なんだ?」

 僕が晴真に面白い噂話について改めて訊ねると、晴真は噂話の詳細について語り始めた。

 「浄、お前、ふく洞窟どうくつって知ってるか?」

 「ふく洞窟どうくつ?何だソレ?」

 「何でも福町ふくちょうの山の中にあるスッゲー古い洞窟らしくてさ、その洞窟の近くで出るらしいぜ、幽霊がよ。」

 「幽霊ねぇ。人気のない山の中で幽霊やらお化けやらを見るなんてよくある話だろ。それのどこが面白い話なんだ?」

 「まぁ、そう急かすなって。この話には続きがある。何とカップルで洞窟の近くに行って、一緒に幽霊を見たカップルは幽霊の力で未来永劫結ばれるって話だ。そして、幽霊を一緒に見れなかったカップルはすぐに別れるって話だ。実際、洞窟の近くまで行って幽霊を見れなかったカップルが何組も喧嘩別れしてるらしい。ウチの高校のカップルも何組か野福洞窟に行って、皆幽霊を見れずにその後別れているそうだ。俺が所属しているサッカー部の部員の中に、中学の頃から付き合っている彼女がいた奴がいるんだが、一緒に野福洞窟へ肝試しデートに行った後、すぐに別れたらしい。話を聞くと、洞窟の近くで幽霊を見ようとしたが結局見れなかったそうだ。そして、デートからの帰りに二人でファミレスに寄ったら、そこで大喧嘩になって、掴み合いの喧嘩にまで発展して、それで二人は別れることになったそうだ。なぁ、縁結びをしてくれる洞窟の幽霊って、中々面白いとは思わないか。」

 「縁結びをしてくれる幽霊か。確かに面白い話だけど、幽霊を見れなかったカップルは別れるんだろ。彼女がいない僕やお前みたいなお一人様勢からしたら面白く聞こえるけど、別れたカップルにはちょっと気の毒な話だよな。大体、幽霊を見れなきゃ必ず別れるなんてめちゃくちゃハードルが高いし、縁結びの幽霊というより、むしろ縁切りの幽霊だろ。もし、今後、僕に彼女が出来るような奇跡が起こったら、その幽霊が出る洞窟にだけは絶対に彼女とは一緒に行かないことにしよう。」

 僕が幽霊が出るという野福洞窟についてそう言うと、晴真はニヤニヤと笑いながら僕に向かって言った。

 「浄、お前なら大丈夫だろう。それに彼女だっているじゃあないか。」

 「僕なら大丈夫だって?それと僕に彼女なんていないが?」

 「彼女と言ったら、神郡さんに決まっているだろ。お前と神郡さんのお熱い仲なら幽霊もお似合いのカップルだと認めて出てくるさ。いざとなれば、ご自慢の不思議パワーで幽霊を手懐けちまえよ。」

 「晴真、何度も言うが僕と椿さんは友達だ。恋人じゃない。それに不思議パワーって何だ。そんなものどこにも無いわ。」

 僕は茶化してきた晴真に冗談交じりに返事をした。

 晴真と面白おかしく話をしている内に、あっという間に時間は過ぎ、すっかりホームルームの時間が迫っていた。

 晴真のおかげで嫌な噂を忘れて、ふたたび元気を取り戻した僕は、晴真との会話を切り上げると、そのまま朝のホームルームを迎え、それから授業を受けるのだった。

 午前9時。1限目の英語の授業が始まってしばらく経ったころ、教室の前方のドアをバアーン、という大きな音を立てて勢いよく開け、一人の女生徒が不機嫌そうな表情を浮かべながら黙って教室の中へと入ってきた。

 その女生徒が教室に入って来るや否や、先生もクラスメイト達も、教室にいた全員が彼女を見るなり、彼女から目を逸らし、黙って彼女が席に着くのを待っていた。

 女生徒は教室の中央の列の一番真ん中の自分の席に着くなり、机の横に自分の鞄をかけると、教科書やノートも出さずに、机の上でうつ伏せになって寝始めた。

 女生徒が授業も聞かずに寝ているのはいつものことなので、皆、彼女を起こさないよう、そして、決して怒らせないよう黙って見過ごすのであった。

 女生徒の名前は、もり あい。僕が住むちかで喧嘩最強と恐れられる有名なヤンキー少女であった。

 もり あい。光泉高校普通科の二年生で、僕と同じ二年四組の女子生徒である。

 身長190㎝の長身の持ち主で、薄く日焼けした肌に、筋肉がついた引き締まった長い手足をしている。

 顔は二重瞼でぱっちりとしていながら、つり上がった鋭い目付きをしていて、目力が強くきつい印象も窺えるが、整った顔立ちでもあり、気の強そうな美人といった感じである。

 髪型は、長い髪を銀髪に染めて黒いヘアバンドでまとめ、ポニーテールにしている。それから、前髪の左側の一部に、赤いメッシュを入れている。

 服装はと言うと、胸のサイズがFカップと大きく、いわゆる巨乳というヤツで、そのため、胸が窮屈なのか、制服のシャツの胸元を第二ボタンまで外すほど、胸元をいつも大きく開けている。スカートも明らかに校則よりも短く、上履きを靴下は履かずに、素足で直に履いている。

 正に校則違反上等といった容姿であるが、先生たちは彼女の凶暴な一面を知っているためか、誰一人として注意をする者はいない。

 性格は非常に怒りっぽく、短気の一言である。

 中学時代はちか西中にしちゅう学校がっこうに在籍し、上級生のヤンキーを始め、他校の不良グループをたった一人で壊滅させたと噂されるほどの喧嘩の腕前の持ち主で、「西中にしちゅうとら」というあだ名で呼ばれ恐れられた有名な女ヤンキーであった。

 現在でも、そのヤンキーぶりは変わらず、夜見近市内の不良たちと時々喧嘩をしては一人であっさりと倒し、今や夜見近市最強の女ヤンキーとして「光泉の猛虎」という新たな異名でみんなから恐れられている。

 彼女の姿を見ただけで、大抵の不良たちは逃げだし、中には恐ろしさのあまり小便を漏らす者もいるという話だ。

 怒りっぽい性格に加え、校則違反上等の容姿で、夜見近市最強の女ヤンキーと恐れられているため、クラスメイトはもちろんのこと、学校の生徒たちや先生たちは皆、彼女と関わり合いになることを避けている。

 クラスでの彼女の扱いはクラスカースト圏外、すなわち、アウトサイダー扱いとなっている。僕も含め、クラスメイト達は皆、彼女を絶対に怒らせないよう、彼女から距離を置いて、常に注意している。

 彼女自身もクラスではいつも一人で過ごしていて、誰ともつるもうとはせず、学校も休みがちで、たまに学校に来ても授業中はいつも眠っている。

 そんな虎森さんがなぜ、進学校である光泉高校に通っているのか、当初は謎であったが、実は彼女は見た目に反してとても成績が良いのだ。具体的に言うと、学校の成績は学年全体で常に学年20位以内に入っていて、テストの成績は僕より断然良かったりする。授業を聞かなくても独学で勉強ができる、いわゆる天才肌の持ち主であるのだ。

 そのため、学校の先生たちは、学校の成績は問題ないため、多少の素行不良には目をつむり、よほどのことが無い限り、静観する姿勢をとっている。

 有名なヤンキーである彼女が同じ高校に進学したことを知った際は、僕は彼女に目を付けられないよう祈るばかりだった。

 入学して早々、一年生の時、彼女の豊満な胸をいやらしい目付きで見てきたという理由で、同じクラスの男子生徒たちをボコボコに殴り飛ばしたり、自身にパワハラをしてきた担任教師を顔面から血が噴き出るほど殴ったりと、様々な問題を起こした彼女の話は瞬く間に学校中に広がり、皆彼女に恐怖したものである。

 ひ弱な陰キャぼっちの僕からしたら、ヤンキーの彼女に目を付けられでもしたら、いじめられるか、はたまた、パシリにされるか、とにかく、天敵と言って良い存在であることはほぼ間違いなかった。

 僕は彼女と、虎森さんと関わり合いにならないことを、願わくば高校の三年間、彼女と同じクラスにならないことを切に願った。

 しかしながら、現実とは非常に残酷なもので、二年生に進級した今年、僕は恐れていた彼女と同じクラスになってしまった。

 一年生の時に問題を起こした彼女の話を聞いていたため、僕は彼女を怒らせないよう、そして、関わり合いにならないよう、できるだけ距離を置いてきた。彼女の視界に極力映らないよう注意して過ごしてきた。

 今日もいつもと変わらず、クラスメイト達と同じように虎森さんとは絶対に関わらないよう過ごそうと僕は思っていた。

 彼女が遅刻して教室に入ってきて、それから自分の席で寝始めた直後、僕の右肩に頭を乗せて眠っていた犬神が、彼女の教室のドアを激しく開ける大きな音で目を覚ました。

 『フワ―、何だ、今の物音は?我が気持ちよく眠っていたのを邪魔しよって。うるさくてかなわん。』

 目を覚ました犬神に、僕は小さな声で答えた。

 「何でもない、犬神。ただ、遅刻してきた子が間違ってドアを激しく開けただけだ。いいから、昼食の時間までおとなしく眠っていろ。それとも、土ノ子みたいに、一緒に授業を聞くか?」

 僕が左の胸ポケットに入って、興味深そうに英語の授業を聞いている土ノ子を右手で指さしながら、犬神に返事をすると、

 『フン、異国の言葉など特段興味は無い。我はもう少し眠るとする。昼餉の時間になったら我を起こせ。』

 と、犬神は僕に向かって言うと、ふたたび眠り始めた。

 「お休み、犬神。また後でな。」

 僕は眠っている犬神に向けてそう言うと、授業を聞くことに集中した。

 この時、犬神は眠りにつきながらとあることを考えていた。

 『どうも嫌な気配を感じる。我のすぐ近くに、土ノ子や無垢むく以外に、別の妖怪の気配を感じる。小僧に伝えるべきか、いや、別に我や小僧に危害を加える恐れが無ければわざわざ伝える必要もあるまい。また、このお人好しが人助けのために揉め事に巻き込まれでもしたら面倒だ。ここは放置するとしよう。』

 犬神は教室内に不穏な気配を放つ妖怪の存在を感知していた。

 しかし、それを自身がとり憑いている京野 浄にすぐに伝えることはしなかった。

 もし、犬神が京野 浄にそのことを早く伝えていたならば、京野 浄も、犬神自身も新たに出現した、不穏な気配を放つ妖怪が引き起こすトラブルに巻き込まれることも防げたかもしれなかった。

 だが、時すでに遅し、京野 浄と犬神はトラブルの渦中へと巻き込まれていたのだが、両者とも気付いてはいなかったのだった。

 一方、京野 浄と犬神が話をしていた時、一人の少女がその様子を窺っていたことに、京野 浄は気付いていなかった。

 少女は京野 浄の方を見ながら呟いた。

 「また、見えねえ誰かさんと話していやがる。」

 少女の呟きに気づかぬまま、京野 浄は犬神と話を続けるのだった。

 僕、京野 浄と、妖怪、犬神の前に、新たな妖怪絡みのトラブルが舞い込むことになったのであった。そして、それは一人の少女との新たな出会いでもあった。

 午前10時。2限目の数学の授業中に事件は起こった。

 担任の金好先生がいつもの調子で嫌味を言ったり、生徒の頭を教科書で叩いたりとパワハラをしながら授業を行っていた。教科書も毎度のことながら、10ページ近く飛ばし、適当な内容しか教えようとしない。普通科の生徒たちを見下す態度は相変わらずだ。一年生の頃からこんな感じで僕たち普通科の生徒に授業をしてくるので、僕やクラスメイト達も皆慣れっこではあるのだが。

 どうせ、今度の期末試験の内容も適当な範囲しか僕たち普通科には教えないつもりだろう。

 エリートクラスの特進科の生徒達だけには正確なテスト範囲を教え、試験対策の自作のプリントを配って好感度を集めようとも考えていることだろう。

 後で晴真に頼んで、同じサッカー部の特進科の生徒から試験範囲を聞き出してもらうようにしよう。ついでに、試験対策のプリントも写メで僕のスマホに送るよう頼んでおこう。

 僕が数学の期末試験の対策について考えながら授業を聞いていると、突然どこからか「ピー。」という電子音のような音が聞こえてきた。

 その音は教室中に響き渡るような甲高い音で鳴っていた。

 教室にいる誰かのスマホでも鳴っているのだろうか?

 僕は教室内をキョロキョロと見回すが、教室にいる僕以外の人間は誰も教室中に響き渡るこの音に気付いている様子ではなく、平然としていた。

 こんなにもうるさい音が鳴っているのに、先生もクラスメイト達も、誰も気付かないなんて明らかにおかしい。

 耳鳴りだろうかとも一瞬思ったが、そんな感じではない。

 確かに「ピー。」という電子音のような音がはっきり聞こえる。しかも、それが聞こえているのは、教室内では僕だけのようだ。

 僕は何か嫌な予感がした。

 僕だけに聞こえる音、烏魔からすまの時と状況が似ている。

 まさか、妖怪の仕業か!?

 僕は教室内を、目を凝らして探したが、教室内に妖怪らしい姿は見えない。

 しばらくして、音が鳴り止んだ。

 特に教室内に変化は無かった。

 皆授業に集中してあの音を無視していただけなのだろう。

 きっと僕の思い過ごしだったのだろう、そう思い、僕はふたたび授業を聞き始めた。

 その直後のことだった。

 突然、授業をしていた金好先生が、それまで淡々と授業を行っていた様子だったのが、急に怒りの形相を浮かべ、ものすごい剣幕で、いつものように授業中にも関わらず机の上で寝ていた虎森さんに目がけて近づいて行った。

 そして、虎森さんの席の前に立つや、虎森さんの頭を教科書でバシッ、という音を立てながら思いっきりブッ叩いた。

 続けて、怒りの表情を浮かべながら、彼女に向けて言った。

「虎森、お前、この俺の崇高な授業中に寝るとはどういうつもりだ!お前のような問題児のクズがいるから周りの奴の成績が下がるんだ!お前が俺のクラスにいるせいで担任の俺の評価も下がっていい迷惑だ!さっさと起きんか、このろくでなしが!!」

 金好先生、一体何を考えているんだ?

 虎森さんが授業中に寝ていることはいつものことだし、何より彼女を本気で怒らせたりしらボコボコに殴られるのは知っているだろう。

 いつもは他の先生たち同様、虎森さんを怒らせないよう、それまで授業中は彼女を無視して避けていた金好先生が、突然、彼女に向かって暴力を振るい、暴言まで吐くというパワハラ行為に及んだ。

 まるで怒りで我を忘れ、気が狂ったかのような先生の行動に、教室内にいた生徒たちは皆一様に固まってしまった。

 何より、これから起きるかもしれない最悪の事態を考えると、思わず息が詰まった。

 金好先生に頭を叩かれ、罵声を吐かれた虎森さんが目を覚ました。

 彼女は眠そうな表情から一変して怒りの表情を浮かべるや否や、椅子から立ち上がると、先生の方を睨みつけながら言った。

「痛ってえなぁ~。アタシに何しやがる!!」

 次の瞬間、彼女が右手からアッパーカットを繰り出し、彼女の拳が金好先生の顎に直撃した。

 拳が直撃した瞬間、金好先生の体が上に持ち上がり、口から血が飛び出た。

 そのまま、金好先生は気絶して床に倒れた。

 先生の顔を見ると、トレードマークであった口の出っ歯だった前歯が二本欠けて無くなっており、口からは大量の血を吐いている。目は白目をむいていて、顎の先がひしゃげて潰れているように見える。

 教室内が一瞬静寂に包まれた。

 だが、すぐに教室内は一変して悲鳴に包まれたのだった。

 口から血を流し、白目をむいて床に倒れている金好先生の姿を見て、クラスの女子たちが悲鳴を上げた。先生のあまりにも無残な顔を見て、泣き出す女子も数人いる。

 クラスの男子たちの何人かは先生の傍に駆け寄り、必死に声をかけ続けている。

 残りの男子たちは、口から血を流して倒れている金好先生と、怒りの表情を浮かべ今も興奮した様子で、制服のシャツと右手に返り血を浴びて先生を見下ろす虎森さんを見て、どうしたらいいものかと困惑した様子だ。

 突然の惨劇に僕たちが教室で騒いでいると、隣で授業をしていた先生たちが、騒ぎを聞きつけて僕たちのいる教室の中に入ってきた。

 駆けつけてきた先生たちの中には島津先生がいて、口から血を流して倒れている金好先生と、返り血を浴びて金好先生を見下ろす虎森さんの姿を見るなり、慌てた様子で金好先生の方に駆け寄りながら訊ねた。

「みんな静かに。一体何があった?どうして、金好先生が血を流して倒れているんだ?」

 島津先生の問いかけに、惨劇を目撃していたクラスの女子の一人が震えながら答えた。

「か、金好先生が授業中に寝ていた虎森さんに怒って、虎森さんの頭を叩いて注意したんです。そしたら、それに怒った虎森さんが金好先生を殴ったんです。」

 クラスの女子からの説明を聞いて、島津先生が虎森さんに向かって言った。

「虎森、とにかく落ち着きなさい。事情を聞きたいから、私と一緒に職員室まで来なさい。いいな。」

 島津先生の言葉を聞いて、

「アタシは何も悪くねえ。先に手を出してきたのはこの糞野郎だ。アタシは何も、何も悪くねえ。」

 と、虎森さんはうつむきながら、興奮した様子で返事をした。

「分かった、分かったから、落ち着きなさい、虎森。とりあえず一緒に職員室に言って先生と話をしよう。他の先生方は申し訳ありませんが、金好先生を保健室まで運んでいただけますか?それから、二年四組のみんなは騒がず、静かに教室で自習しているように。それじゃあ、行こうか、虎森。」

 島津先生はそう言うと、虎森さんの肩を抱いて、一緒に職員室へと向かうのだった。

 続いて、他の先生たちが、床に倒れて気絶している金好先生を担架に乗せて、保健室へと運んでいくのだった。

 先生たちが去った後、僕たちは先生たちの指示に従い、次の授業までの間、静かに自習をして過ごした。

 自習中、前の席に座っていた晴真が後ろを振り返って、小声で僕に話しかけてきた。

「おい、浄。今、話しかけても大丈夫か?」

「別に大丈夫だよ。それで、どうした?」

「さっきの虎森さんが金好先生を殴ったのは驚いたよな。夜見近市最強の女ヤンキーってのは伊達じゃあないぜ。マジでビビったよ。しっかし、金好先生も馬鹿だよなぁ。去年も虎森さんにパワハラして殴られたってのに、懲りずにまた彼女にちょっかいを出すなんて。本当、頭がどうかしてるよな。」

 晴真の言葉が気になり、僕は訊ねた。

「去年も、って、去年虎森さんにパワハラをして殴られた彼女の担任教師って、金好先生だったのか?」

 僕の驚いた表情を見て、晴真は呆れたような顔で僕に答えた。

「ウチの学年でパワハラをするような教師は、というか、この学校で彼女を怒らせるような馬鹿な真似をする教師といったら、金好先生以外いないだろうが。去年、彼女が入学早々、担任の金好先生を殴った話は有名だぞ。お前、知らなかったのか?」

「いや、彼女が一年生の時にパワハラをしてきた担任教師を殴ったのは知ってたけど、殴られた教師が金好先生とは知らなかったよ。話を聞いて、とにかく彼女に目を付けられないよう、関わらないようにと、そんなことばかり考えていたもんで。陰キャぼっちが不良からいじめられたり、パシリにされたりするなんてよくある話だろ。自分の身の安全を守ることだけ考えていたから、誰が彼女に殴られたかまでは確認してなかったんだ。でも、それなら、余計に金好先生は虎森さんに注意するのは不自然だよな。去年、彼女にパワハラ交じりの注意をして殴られたのなら、あの自分より強い人間には絶対に逆らわない金好先生らしくない行動だよな。本当に気が狂っていたとしか思えないなぁ。」

「あの最低な担任教師が何考えているかなんて誰にも分からねえよ。元々の性格が最悪で、クズのお手本みたいなんだからよ。どうせ、虫の居所が悪くて、うっかり虎森さんに注意して墓穴を掘っただけなんじゃねえの?」

「そうかもしれないな。あの金好先生だもんな。」

 僕は晴真にそう答えると、話を切り上げ、ふたたび自習を始めた。

 僕は自習をしながら、先ほど目の前で起こった、金好先生が虎森さんに殴られた事件について考えていた。

 金好先生が授業中に居眠りをしていたとは言え、無理に起こすと機嫌を悪くし、凄まじい暴力を振るってくる虎森さんに注意をしたことは、本当に偶然だったのだろうか?

 確かに、金好先生が虎森さんに注意をした時の表情は怒りに満ちていた。

 晴真の言う通り、虫の居所が悪くて、怒りに任せてうっかりパワハラ交じりに虎森さんに注意をした可能性はある。

 しかし、虎森さんに注意をする前までは特に機嫌が悪そうな様子ではなく、いつものように適当に授業をしているようにしか見えなかった。

 それに、金好先生は去年虎森さんにパワハラをして一度殴られた過去がある。普段からも、他の先生たち同様、授業中に彼女が寝ていても、ほとんど無視していた。

 そんな金好先生が、怒らせたら何をするか分からない虎森さんに注意などしたりするだろうか?

 腕力では絶対に敵わない、一度怒らせたら手が付けられない、自分より圧倒的強者に見える虎森さんに、自分より立場の弱い人間には辛く当たり、自分より立場が上の人間には媚びて絶対に逆らわないことをモットーとする、あの金好先生が注意をするなんてどう考えても不自然だ。

 それから、事件が起こる直前に聞こえた、「ピー。」という電子音のような音。

 教室にいた僕以外の人たちには聞こえていない様子だった。

 だけど、僕はこの耳で確かに教室中に鳴り響くあの音を聞いた。

 あの音は本当にスマホの通知音だったのか?僕だけしか聞いていない、ただの耳鳴りだったのだろうか?

 僕は事件が起こる直前に聞こえた、あの「ピー。」という電子音のような音が気になって仕方がなかった。

 もしかしたら、あの音が事件の原因ではないだろうか?

 あの音は実は教室内に潜んでいる、まだ僕が知らない妖怪の仕業ではないだろうか?

 僕の頭を、今回の事件に妖怪が絡んでいるという考えがよぎった。

「確かめる必要があるな。」

 僕は奇妙な音の出処や正体について探ることを決めた。

 二限目の授業が終わった後、僕は晴真や椿さん、それに何人かのクラスメイト達に、二限目の数学の授業中に、「ピー。」という電子音のような音を聞いたか訊ねてみた。

 しかし、誰もそんな音は聞かなかったと一様に答えた。

 あれだけ教室中に響くような甲高い音が聞こえていたのに、それを聞いているのが僕だけというのは変だ。

 あの音は耳鳴りという感じでは決してなかった。断言してもいい。

「やっぱり、妖怪の仕業か?でも、あの時、教室内を見ましたけど、妖怪の姿なんてどこにも見えなかったぞ。一体どこに潜んでいるんだ?」

 僕は教室内を見回すが、やはりそれらしい妖怪の姿は見えない。

 僕は授業中ではあったが、小声で制服の左の胸ポケットに入っている土ノ子に訊ねた。

「なぁ、土ノ子。二限目の数学の授業中に、犬神や無垢足以外に、別の妖怪の姿を見なかったか?あるいは、妖怪の鳴き声を聞かなかったか?」

 僕がそう訊ねると、土ノ子は両手で頭を抱え込んで考えるような仕草を見せた後、

「キュー、キュー。」

 と、鳴きながら、小さな右手で前方を指さした。

 土ノ子が指し示す方向を見るが、妖怪の姿は見えない。

 しかし、土ノ子は今も

「キュー、キュー。」

 と、しきりに鳴きながら、小さな右手で前方を指さしている。

 再度土ノ子が指し示す方向を見ると、教室の一番中央の列の真ん中にある、虎森さんの席が目に入った。

「もしかして、虎森さんの席に妖怪がいるのか?」

 僕が土ノ子に訊ねると、

「キュー、キュー。」

 と、一生懸命首を横に振っている。

 どうやら、虎森さんの席にはいないらしい。

 まさか。

「まさかとは思うが、虎森さん本人に妖怪がとり憑いているのか?」

 僕が再度土ノ子に訊ねると、

「キュー。」

 と、首を縦に振りながら、土ノ子は答えた。

 どうやら、今度の妖怪は虎森さん本人にとり憑いているようだ。

「何てこった。最悪にも程があるぞ。」

 僕は、土ノ子から今回の事件を引き起こした可能性がある妖怪が、虎森さん本人にとり憑いていると教えられ、思わず項垂れた。

 妖怪の正体や能力はまだ分からないが、虎森さんが金好先生を殴るきっかけを妖怪が作り出した可能性は高い。

 加えて、一度怒らせたら何をするか分からない、怒りのままに恐ろしい暴力を振るう、夜見近市最強の女ヤンキーとみんなから恐れられている、あの凶暴な虎森さんにとり憑いているだなんて。

 とり憑いている人間というのが最悪だ。むしろ、妖怪よりも恐ろしいくらいだ、冗談抜きで。

 椿さんの時は、毒舌を吐かれて拒まれることはあったが、会話の通じる相手であった。

 けれど、虎森さんは全く違う。

 彼女は一言でも気に障るような言葉を言えば、たちまち怒りに火が付き、激情のままに容赦なく暴力を振るってくる、会話どころか言葉さえ通じない恐れのある相手だ。

 陰キャぼっちの僕が、夜見近市最強の女ヤンキーである虎森さんに話しかけるなんて不可能だ。

 話しかけた瞬間、怒った彼女に殴られ血を流すか、いじめの標的と認識されて脅されるか、最悪そのどちらも起こった上に残りの高校生活を彼女のパシリとして扱われる可能性がある。

 妖怪の奴め、とんでもない相手にとり憑いてくれたものだ。

 妖怪のせいで困っている人を放っておくわけにはいかない。

 現に、妖怪のせいで虎森さんが金好先生を殴り、金好先生は大怪我をする事態になった。

 妖怪のせいで、虎森さんが他の誰かと喧嘩になり、また流血沙汰が起こっては大変だ。

 何とかして、虎森さんにとり憑いている妖怪を彼女から追い払う必要がある。

 しかし、人の話を全く聞かない、沸点が低く、一度怒ったら手が付けられないほど暴れまわる虎森さん相手に、交渉や説得ははっきり言って不可能だ。

 少なくとも、僕一人では、虎森さんと話をするのは難しいと思われる。

 椿さんに事情を説明して、一緒に虎森さんを説得するのはどうだろう。

 いや、椿さんが一緒に立ち会ってくれても、彼女を説得できるかどうかは分からない。

 下手に椿さんを巻き込んで、椿さんが怪我をしたら大変だ。

 それに、椿さんは気に食わない相手には面と向かって毒舌を言う性格だ。もし、椿さんが虎森さんに向かっていつもの毒舌ぶりを発揮したら、説得どころの話じゃない。

 虎森さんと話すことなど、二度とできなくなる可能性がある。

 僕は、僕の右肩に頭を乗せて眠っている犬神を見た。

 僕には犬神がついている。

 思い切って、真正面から虎森さんに交渉を持ち掛け、もし、彼女が怒って僕に暴力を振るってきた時は、犬神に助けてもらうというのはどうだろうか?

 犬神の妖力を纏った噛み付き攻撃は、噛み付いた相手に、噛み付いた部分から流し込んだ妖力によって激痛を与える効果がある。しかも、霊感が無ければ、犬神の攻撃を防ぐどころか、そもそも相手は犬神の姿が視えず、絶対不可避の状態で一方的に攻撃を食らうだけだ。人間相手にはほぼ無敵と言っていいだろう。

 犬神に事情を説明して、虎森さんを説得するのに力を貸してもらうか?

 だけど、毎度のことながら、犬神が素直に僕の頼みを聞いてくれるとは思えない。

 妖怪絡みの人助けと聞けば、他の妖怪とは揉め事になりたくないと言って、僕の頼みを突っぱねる可能性が高い。

 それに万が一、犬神の助けが遅れて、虎森さんの攻撃が当たったりしたら、僕が大怪我をすることは間違いない。

 犬神頼みで虎森さんと直接交渉するのにはリスクが付きまとう。犬神に頼らず、自分で自分の身を守る手段も用意したうえで、虎森さんと交渉する方が得策だろう。

 僕は一旦、犬神への相談や自衛手段の用意などを済ませた上で虎森さんと交渉することに決め、すぐに交渉をすることはしないことに決めた。

「ひとまず、彼女の様子を見て、それから、情報収集だったり、交渉への準備を進めたりするとするか。」

 だが、この時の僕の計画は一瞬にして、思いもかけない形で全てぶち壊されたのだった。

 12時10分、お昼休憩の時間がやってきた。

 いつもは仲の良い晴真と椿さんの三人で一緒に昼食を食べるのだが、あいにく、晴真は、今日は部活の昼連があるからと言ってさっさと弁当を食べて、部活へと行ってしまった。椿さんも、図書委員会の集まりがあるらしく、図書室で同じ図書委員の人たちとお弁当を食べると言って、図書室に行ってしまった。

 晴真と椿さん以外にクラスに親しい友人もいないため、僕は陰キャぼっちらしく、一人空き教室で弁当を食べることにした。

 幸い、虎森さんのことについて犬神に昼食を食べながら相談しようと思っていたので、好都合でもあった。

 僕が弁当を持って空き教室へ向かおうとした時、バアーン、という大きな音を立てて、教室の後方のドアが勢いよく開いた。

 ドアの方を見ると、ドアを開けて、二時限目の途中から姿を消していた虎森さんが不機嫌そうな表情を浮かべながら、教室の中へと入ってきた。

 彼女の姿を見た途端、教室に残っていた人間は皆一様に彼女の方から目を逸らし、黙り込んだ。

 僕もみんなと同じように弁当を持ちながら、机に座ってうつむいていると、真横から女性の声で声をかけられた。

「おい、テメエに話がある。ちょっと面を貸しな。」

 恐る恐る顔を上げて横を見ると、僕の真横に虎森さんが立っていて、僕を見下ろしていた。

「ええと、もしかして、僕のことをお呼びでしょうか?」

 僕が小さな声で恐る恐る訊ねると、

「アタシの前にはテメエしか居ねえだろうが。他に誰がいるんだ。ああん!?良いからちょっと面を貸せや。」

 恐怖のあまり、僕は声が出ず、その場で固まってしまった。

 周りを見渡すが、教室にいたクラスメイト達は僕の方から目を逸らし、誰も助けようとはしてくれない。

 こんな時に限って、晴真と椿さんがいないなんて。

 僕は己の不運と人望の無さを改めて呪った。

 「何をキョロキョロしていやがる!?まさか、アタシの言うことが聞けねえって言うのか?」

 虎森さんが不機嫌そうな顔を近づけ、声を荒げて僕に迫った。

 「い、いいえ、全然、全く、そんなことありません。是非ともお話を聞かせていただきます。」

 声が裏返りながら、僕は慌てて返事をした。

 「なら良い。アタシに付いてこい。」

 そう言うと、彼女は僕に付いてくるよう命令した。

 僕は仕方なく彼女の後に付いて行った。

 くそっ、まさか、僕より先に本人から直接接触してくるなんて。

 想定外の事態に困惑したが、逆らってもしょうがない。

 僕はおとなしく彼女に従った。

 一体、僕に何の用があるというのだろうか?まさか、これから、いじめられ、パシリにでもされてしまうのだろうか?

 僕の頭の中は恐怖でいっぱいだった。

 絶対に殴られませんように、僕はただひたすら心の中で祈り続けた。

 彼女に連れられ、屋上へと着いた。

 屋上には僕と虎森さん以外誰もいなかった。

 僕が恐怖でその場で立ちすくんでいると、突然、彼女が振り返ったと思ったら、どんどん僕の方に近づいてきた。

 圧倒的な体格さでどんどん迫ってくる彼女に押され、僕は屋上のフェンスまで追い詰められた。

 フェンスにぴったりと背中が張り付いた状態になり、僕が正面に立っている虎森さんの迫力に圧倒されていると、虎森さんが疑うような目で僕を見ながら訊ねた。

 「テメエに一つ聞きてえことがある。お前、不思議な力を持っているってのは本当か?正直に答えろよ。」

 彼女からの思いがけない質問に僕は驚いた。

 「い、いえ、不思議な力なんて持っていません。」

 僕が震えながらそう答えると、

 「嘘をつくんじゃねえ!この野郎!」

 と、彼女は叫ぶとともに、右の拳をまっすぐに僕の顔へと突き出した。

 僕は思わず目を瞑った。

 な、殴られる!?そう思った。

 だが、一向に顔から痛みは感じない。

 恐る恐る目を開けると、僕は自身の顔の横を見て、「ヒッ。」と、声を上げて驚いた。

 彼女が繰り出した拳は、僕の顔面のすぐ左側で、鉄製のフェンスにぶつかって止まっていた。

 そして、驚くべきことに、鉄製の金網のフェンスを彼女の拳はたやすく貫き、大きな穴を開けていた。

 落下防止用に設置された頑丈な鉄製のフェンスをいとも容易く貫通した彼女の拳の破壊力に僕はただただ恐怖した。

 「アタシに嘘をついても無駄だ。アタシは嘘をついている人間の目ってのがどんなもんか知っている。今、アタシが質問をしたら、一瞬、お前の目が泳いだ。もう一度聞くぞ。お前には本当に不思議な力がある、そうだな。」

 彼女が怒りの形相とともに、鋭い目で僕を見ながら、再度訊ねてきた。

 ここは不思議な力があろうと無かろうと、ありますと答えるしかない。

 実際、確かに僕には霊感がある。

 だけど、ありますと答えて、霊感やら妖怪やら言ったところで、本当に信じてくれるだろうか?おちょくっているのかと、逆に益々彼女を怒らせることにはならないだろうか?

 僕が迷っていると、

 彼女がポキポキと拳から音を立てながら、

 「どうやら、一発殴らねえと分からねえようだなぁ。」

 と言って、追い打ちをかけてきた。

 僕はすぐさま答えた。

 「すみません。本当はあります。正直に全部話します。だから、どうか殴らないでください。お願いします。」

 僕がそう答えると、

 「最初っから素直に答えりゃいいんだよ。まぁ、許してやる。だけど、またアタシに嘘をついたら、その時は殴る。分かったな。」

 と、とりあえず彼女は僕を許してくれた。

 「それじゃあ、改めてテメエの持つ不思議な力とやらについて教えてもらおうか。」

 それから僕は、僕が犬神という妖怪にとり憑かれていること、犬神にとり憑かれたことがきっかけで霊感が目覚め、妖怪が視えるようになったこと、正体は分からないが、彼女に妖怪がとり憑いていることに気付いたことなどを明かした。

 虎森さんは黙って僕の話を聞いていた。

 「僕が知っていることは全て話しました。嘘はありません。すぐに信じてもらえるとは思いませんが、僕が今お話ししたことは全て事実です。神に誓ってもいいです。」

 僕が話を終えると、彼女は言った。

 「いや、アタシに話をしている時のお前の目は確かに嘘をついていなかった。真剣そのものだった。お前に妖怪がとり憑いていることも、霊感っていう不思議な力があることも信じる。それから、正体の分からねえ妖怪がアタシにとり憑いているっていうこともな。」

 意外にも、彼女は僕の話をあっさりと信じてくれた。

 もしかしたら、自分をおちょくっているのかと逆ギレされるかと思っていたが、そんなことはなかった。

 僕はふと気になったので、彼女に訊ねてみた。

 「あのー、どうして、僕に不思議な力があると思ったんですか?確かに、最近校内で、僕に人に呪いをかける力があるとか、人を操ったりする力があるとか、そんな噂が流れてはいましたけど、まさかその噂を信じたわけじゃあないですよね。僕には霊感という不思議な力がありますが、出来ることと言ったら、精々妖怪を視たり、話したり、触ったりするくらいです。人を呪うとか、操るとか、そんなことはできません。まぁ、僕にとり憑いている犬神ならできるかもしれませんけど。」

 僕の疑問に、彼女はこう答えた。

 「アタシも最初はお前に不思議な力があるなんて思っちゃいなかった。たまに学校に来て授業を受けていると、お前が誰もいない場所を見ながら誰かと話をしている姿が目に付いた。はじめは、お前が二重人格とか、イマジナリーフレンドとか、そういう精神障害的なものを持っているんじゃないかと思ってたんだが、お前を観察している内にそうじゃないと徐々に思うようになった。会話をしているお前の目は正常な奴のソレで、どこか真剣で、楽しそうにも見えた。それに、昼飯の時間になると、お前がお菓子を取り出して、それを右肩の方に持っていくと、お菓子が一瞬空中に浮かんだ後、すぐに消えるだろ。手品か何かと思ったが、そんな感じには見えなかった。そんな光景が何度も続いているのを見たら、お前のことが急に気になり出した。教室の隅っこでいつも暗い顔をしている陰気な奴にしか見えなかったお前が、普通の人間じゃあないと、アタシの目には映った。それからもお前を観察していると、お前の周りでは不思議な事ばかり起こった。「氷の女王」が二度倒れた事件の時、お前はあの女が倒れた原因を知っているような顔を見せたし、その後すぐに、男嫌いで有名なあの女と急に仲良くなった。あの女が男と一緒に笑っている姿なんて見たことが無かった。それから、「学園の王子様」、今は「ストーカー王子」だったか、あのいけ好かないイケメンと、ウチの糞担任に絡まれた時、お前にちょっかいを出したアイツらが職員室で突然ぶっ倒れたことがあっただろ。あの時、アタシも町の不良どもと喧嘩したせいで職員室に先公たちに呼び出しを食らっててさ。先に職員室に入っていたお前と先生たちが話しているのを職員室の後ろから黙って見ていたら、お前が急に右肩の方に顔を向けてコソコソと話をした次の瞬間、「ストーカー王子」と糞担任が悲鳴を上げてぶっ倒れたじゃあねえか。それを見て、確信したんだ。お前には何か不思議な力がある、そして、それを秘密にしているって。もっとも、「氷の女王」の奴は何か知っていそうな雰囲気だったが。まぁ、お前に不思議な力があるって噂が学校の中で流れているのも知ってはいたが、人を呪うだの操るだの、そんなことをするようにはアタシには見えなかった。見た目は暗そうだが、根は真面目でお人好しって感じだもんな。おまけに、自分に変な噂が流れていても、気にしていないというか、むしろ、気付いていなかっただろ。お前、不思議な力はあるのに、自分のことにはすげえ鈍いし、他人のことばっか気遣うお人好しだし、だから、そんなお前なら、きっと不思議な力でアタシの身に起こっている異変についてどうにかしてくれるんじゃあねえかと、まぁ、そう考えて声をかけたわけだよ。」

 虎森さんの説明を聞いて、僕は彼女の鋭い観察眼に驚かされた。

 一度も言葉を交わしたことがなく、教室での互いの席も離れているのに、僕の霊感や、僕にとり憑いている犬神の存在に、遠くから観察しただけで気付くなんて、彼女の観察力も相当なものだ。シャーロック・ホームズやらエルキュール・ポワロといった推理小説に登場する名探偵たちを連想させるほどの恐るべき観察眼だ。

 彼女の方がよっぽど不思議というか、すごい力を持っているように思える。

 そういえば、彼女は授業を全く聞かなくても独学で毎回学年20位以内に入るほど頭が良かったんだっけ。彼女が本気で授業を聞いていたら、毎回学年トップの椿さんと肩を並べるくらいの成績をとれるんじゃないだろうか、そんな風に思えてならない。

 「虎森さんは本当にすごいなぁ。ちょっと観察しただけで僕の霊感や犬神の存在に気が付くだなんて。普通の人なら僕を異常者扱いするところだけど、君は冷静に分析をした上で僕が何かしら科学では説明できない不思議な力を持っているという結論に見事辿り着いて、僕の秘密を言い当てたわけだ。怒って人を殴る印象が強かったけど、ものすごく頭が良いんだね、君は。本当にすごいよ。」

 僕が虎森さんを褒めると、彼女は照れ笑いを浮かべながら言った。

 「別に大したことじゃあねえよ、これくらいのこと。そんなにアタシを褒めないでくれよ。アタシは人に褒められるのには慣れちゃいねえんだ。怖がられるのには慣れちゃいるけど。」

 「いやいや、本当にすごいって。まるで、推理小説に出てくる名探偵のように見えたよ。虎森さんがすごい観察力の持ち主で、名探偵並みの頭脳を持っているって知ったら、きっと学校のみんなが驚くはずだよ。頭の鈍い僕だってそう思ったんだ。きっと、そうだよ。」

 「分かった、お前がアタシのことをすごい奴だと思っていることは良く分かったから。褒めるのはそれくらいにして、アタシの話、というか、悩みを聞いちゃくれねえか?」

 虎森さんが僕に悩みがあるので聞いてほしいと訊ねてきた。

 「もちろんだよ。さっき説明したように、正体は僕にも分かっていないけど、虎森さん、君に妖怪がとり憑いているのは確かだ。それは僕の胸ポケットにいる土ノ子って言う妖怪も確認している。まず、間違いないはずだよ。」

 僕は左の胸ポケットにいる土ノ子を指さしながら言った。

 僕の左の胸ポケットを見ながら、

 「お前、一体何匹妖怪にとり憑かれているんだ?」

 と、彼女は呆れたような表情を浮かべながら僕に言った。

 「土ノ子は僕にとり憑いているんじゃなくて、とある事情から僕に仕えてくれているんだ。小さくて、可愛くて、とても良い奴なんだ。まぁ、土ノ子のことは一旦置くとして、僕と土ノ子は妖怪の鳴き声のような音を聞いている。そして、妖怪の鳴き声のような音を聞いた直後、君と金好先生がトラブルになって、君が金好先生を殴り飛ばした。普通の人には、君がパワハラをしてきた金好先生に腹を立てて、先生を殴り飛ばしたように見えるんだろうけど、僕には違って見えた。妖怪の鳴き声のような音が聞こえてからの金好先生の様子は明らかにおかしかった。突然、怒りの表情を浮かべたかと思えば、まっすぐに君の方に向かって、頭を叩いたり、暴言を吐いたりした。去年、君にパワハラをして殴られたことを忘れるわけがないし、君を本気で怒らせれば圧倒的な腕力の差でねじ伏せられることは分かっていることだし、どう考えても、あの時の金好先生は普通じゃなかった。他にも授業中に居眠りをしている生徒や、授業に集中していない生徒も何人かいた。それなのに、あえて君を狙ったかのように先生は君に向かって行った。僕は妖怪の鳴き声のような音が原因で金好先生は君に対して突然パワハラ交じりの注意をした、そう考えているんだ。ところで虎森さん、君は自分自身に異変が起こっているとさっき言っていたよね。その異変とやらについて詳しく聞かせてもらえるかな?」

 僕が虎森さんに、彼女の身に起こっている異変について訊ねると、彼女は両腕を上げて、腕の表面を見せるようにポーズをとりながら言った。

 「アタシの腕と足を見てくれ。至る所傷だらけで絆創膏がたくさん貼ってあるだろ。」

 彼女の両腕、両足を見ると、確かにあちこちに絆創膏が貼られ、とても痛そうだった。

 「その腕と足の傷はもしかして、他校の不良と喧嘩をしたから出来たの?」

 僕の問いに彼女は苦い表情を浮かべながら言った。

 「他の学校の不良だけじゃあねえ。半グレだとか暴走族だとか元ヤクザだとか、とにかく町中の不良どもがアタシ目がけて喧嘩を売ってくるんだ。それも毎日だ。まるで気が狂ったみてえにアタシを見ては襲ってくるのさ。もちろん、全員返り討ちにしてやったがな。けど、毎日、それも日に何度も町の不良どもから喧嘩を売られるなんて、これまで一度も無かった。多くても、月に二、三度、喧嘩をするくらいだった。ちょっと前まではアタシを見るだけで大抵の不良どもは逃げだして行ったてのに、今は誰これ構わず、アタシに喧嘩を売ってくる始末だ。おかげで、さすがのアタシもこの通り傷だらけになるわけだ。捌いても捌いても全くキリがねえ。でも、もっとおかしいのは、いくら怪我をしても全然痛みを感じねえ。まるで体から痛覚が無くなったみたいなんだ。おまけに人を殴っても罪悪感っていうヤツをまるっきり感じないんだ。アタシ自身も正常とは言えない状態になっている。どう考えても異常なことだが、理由がまったく分からねえ。だから、こうして霊感を持つお前に相談しているんだ。」

 虎森さんの痛々しい手足の怪我を見た上に、毎日町中の不良たちから喧嘩を売られ何度も襲われているという話、痛覚や罪悪感が無くなって恐怖を感じている話などの事情を聞いて、彼女が切迫した状況にいることが分かった。

 いくら虎森さんが喧嘩が強いと言っても、毎日不良たちから喧嘩を売られ何度も襲われるというのは放置できる事態ではない。それに、痛覚や罪悪感が失われているというのも問題だ。妖怪のせいで彼女の体にも異変が起こっていて支障をきたしている。

 一刻も早く解決しなければ、大変なことになる。

 「虎森さん、君が妖怪のせいで非常に危険な状況に置かれていることはよく分かったよ。僕で良かったら、君にとり憑いている妖怪を追い払うのに協力させてもらうよ。」

 僕が彼女に協力を申し出ると、彼女は途端に笑顔になって喜んだ。

 「本当か!?お前が協力してくれるって言うなら、ありがたいことこの上ないぜ。お前、本当に良い奴だな。」

 「そんなことないよ。困っている人がいたら助けるのは当然のことだろ。それに、妖怪絡みのトラブルとあっては、ますます放って置くわけにはいかないよ。微力ながら、力を貸すよ。」

 僕は虎森さんに、彼女にとり憑いている妖怪を追い払うことを決めたわけだが、ふと思い出したことがあった。

 「虎森さん、犬神のヤツとちょっと話をしたいんだけど、良いかな。」

 「ああっ、別に構わないぜ。好きなだけ話をしてくれ。」

 僕は彼女に犬神と話をする許可をもらうと、僕の右肩に頭を乗せて眠っている犬神に話しかけた。

 「おい、犬神。お前がとっくに目を覚ましているのには気が付いているんだ。狸寝入りなんか止めて、僕の話を聞け。とっくに昼餉の時間になっているのに、お前がチョコレートの催促をしてこないのはおかしい。それに、僕が虎森さんから殴られるかもしれない状況で、チョコレート目当てにいつも僕を守ろうとするお前が何もせずにただ眠っているわけがない。いい加減、こっちを向いたらどうだ。」

 僕の言葉に反応して、犬神が目を覚ました。

 『フン、口煩い小僧だ。貴様らの話はさっきから聞いておった。まったく、どうしてそう貴様の下には厄介ごとばかり舞い込むのだ。貴様、よほど運の悪い星の下に生まれてきたようだな。どうせ、また、その生意気で乱暴な小娘を助けるために我に力を貸せと言うのだろう。毎度言っているが、我は他の妖怪どもと揉め事になるのは御免だ。我が貴様に力を貸すのはあくまで己の身を守るためだ。それと、貴様に死なれては、ちょ・・これ・・いと・・を食えなくなるからだ。その乱暴な小娘がどうなろうと知ったことではない。それにだ、その乱暴な小娘にとり憑いている妖怪は確かに人間に害をもたらす妖怪で、我から見れば妖怪の面汚しとも言える姑息で醜悪なヤツで、我自身もソイツのことは好かんが、追い払うのは至難の業だ。その乱暴な小娘からソイツを追い払うことは諦めろ。その小娘に関われば、貴様もただでは済まんぞ。下手をすれば、貴様と同じ人間たちによってその小娘とともに殺される恐れがある。悪いことは言わん。その小娘を助けることは諦めろ。それが一番貴様のためだ。それと、いい加減、昼餉のちょ・・これ・・いと・・を我に寄越せ。いつまでその小娘に付き合うつもりだ?さっさと諦めて我にちょ・・これ・・いと・・を食わせろ。』

 犬神は虎森さんを助けるのに協力することを断り、チョコレートの催促を始めた。

 僕は渋々、ズボンの左ポケットから板チョコを一枚取り出し、それを犬神の口元に持って行った。

 犬神が板チョコにかぶり付いている間にも、僕は犬神に話しかけた。

 「話を聞いていたなら、彼女が命の危険に晒されているのは分かっているはずだ。もし、妖怪のせいで彼女を狙う町の不良たちが学校に押しかけてきて、僕が彼女と不良たちとの喧嘩に巻き込まれて死んだら、お前は二度とチョコレートを食べれなくなるんだぞ。それでも良いのか?」

 僕はどうにか犬神に、虎森さんを妖怪の魔の手から助けることに協力するよう説得を試みたが、それでも犬神の意志は変わらなかった。

 『分からん小僧だな。その乱暴な小娘にとり憑いている妖怪を追い払うのは至難の業だと言っておるだろうが。現状、取れる手立てが無いわけではないが、ソイツを追い払える望みは薄いぞ。それでも、貴様はやるのか?』

 「少しでも望みがあるなら、その妖怪を追い払う方法とやらを教えてくれ。それで、一体何をやれば良いんだ?」

 僕が犬神に、虎森さんにとり憑いている妖怪を追い払う方法について訊ねた。

 『現状、我と貴様に出来ることは、貴様がその乱暴な娘の体に密着し、その間に我が小娘の体の中に潜むソイツを見つけて嚙み殺すという方法だ。しかし、ソイツも間抜けではない。自分を噛み殺そうと狙う我の気配に気が付いて、小娘の体の中をちょこまかと動き回ることだろう。そうなれば、長期戦だ。我が小娘の体内を逃げ回るソイツを見つけて、見つけた瞬間にすばやく噛み殺さねばならない。貴様は長時間小娘と密着せねばならないし、我も長時間ソイツを追い続けねばならん。我も貴様も著しく気力と体力を削がれることになる。さらに、我と貴様がソイツを退治しようとしている間に、ソイツが力を使って小娘を狙う輩を呼び寄せる可能性がある。そうなれば、ソイツを退治する暇など無い。我も貴様も自分の身を守る必要が出てくる。どの道、我がソイツを見つけて噛み殺せる保証もない。はっきり言うが、そんな手間のかかることをするのは御免だ。貴様だってそう思うだろう。望みが限りなく薄いと分かっているのに挑戦するなど無意味だ。おとなしく、その小娘を助けるのは諦めろ、良いな。』

 犬神がチョコレートを食べながら説明をし終えると、僕の右肩に頭を乗せて眠りに就こうとしたが、最後に僕にこう言い残した。

 『おっと、言い忘れておったが、さっき貴様をその乱暴な小娘から助けなかったのは、小娘にとり憑いているソイツのせいで、我の妖力が打ち消されるからだ。その小娘、痛みを感じぬと言っていたであろう。ソイツの力のせいで、その小娘は痛みを感じぬ体になっておる。我が噛み付いて妖力を注いでも、その小娘は全く痛みを感じぬ。妖力によって痛みを与えようにも、痛みを感じない体にされているから、我がいくらその小娘に噛み付いても無意味だ。だから、小娘の体にいるソイツの存在に気が付いても、貴様を助けることはしなかった、いや、助ける方法がなかった。ただ、それだけのことだ。』

 犬神は、僕が虎森さんに殴られるかもしれない状況で助けに入らなかった理由を話すと、本当に眠り始めた。

 犬神との会話を終え、僕は頭を抱えた。

 頭を抱えて悩む僕を見て、虎森さんが不安そうな表情を浮かべながら訊ねてきた。

 「おい、お前にとり憑いている妖怪、犬神だっけか?お前に何と言ったんだ?」

 僕は正直に、犬神から言われたことを彼女に伝えた。

 「犬神によると、君にとり憑いている妖怪はかなり質の悪い奴で、追い払う方法は無くもないけれど、相当難しいらしいんだ。何でも、僕と君が体を密着させて、その間に犬神が君にとり憑いている妖怪を見つけ出して噛み殺すっていう方法らしいけど、成功する確率は限りなく低いって。それで、君を助けることは諦めろって、そう言ってきた。」

 僕が犬神の言葉を伝えると、虎森さんはふたたび怒りの形相を浮かべるや否や、右の拳を、僕の右肩の真上に突き出した。

 僕の顔面のすぐ右側を彼女の繰り出した拳が通過し、ふたたび、屋上のフェンスにぶつかり、フェンスを貫いて大穴を開けた。

 僕がその場で固まっていると、彼女は悔しさと怒りの入り混じった表情を浮かべながら言った。

 「ふざけんじゃねえ!追い払える可能性は低いだ、諦めろだと!テメエら妖怪のせいでこんなに苦しんでいるんだろうが!このまま何もせず黙って妖怪に殺されろだと!同じ妖怪なら何とかしろよ!自分じゃどうしようもできねえから、わざわざ頭を下げて頼んでんだろ!一体、どうしたらいいんだよ、アタシは!?」

 彼女の目を見ると、目から大粒の涙が流れていた。

 自分が訳も分からないまま、ただ黙って妖怪に殺されろと言われて、ショックを受けないわけがなかった。

 虎森さんだって、一人の人間で、僕と同い年の女の子だ。いくら、夜見近市最強の女ヤンキーと呼ばれていても、妖怪の前では無力な人間の一人だ。

 僕も犬神にとり憑かれ、呪い殺すと言われたあの時は、頭がパニックになり、死への恐怖に怯えたものだ。幸い、犬神がチョコレートを気に入り、チョコレートを供物に捧げるという契約を交わしたことで、奇跡的に命を繋いだに過ぎない。

 自分にとり憑いている妖怪の姿さえ見えない虎森さんは、僕以上の苦痛を受けていることは間違いない。

 僕は犬神の言葉を聞いて泣いている彼女を慰めるため、声をかけた。

 「虎森さん、犬神は君を助けることは諦めろと言ったが、僕は諦めたりなんかしない。僕はこれまでに何度も色々な妖怪と出会っては、妖怪たちの起こすトラブルに巻き込まれてきた。時には命の危険に晒されたことだってある。でも、いつだって、どんなトラブルも乗り越えてきた。犬神のヤツが妖怪絡みの人助けで協力的じゃないのはいつものことなんだ。それに、犬神が教えた方法だけが、妖怪を追い払う方法とは限らない。工夫次第で、妖怪を追い払うことはできる。僕もそうやって、妖怪の引き起こすトラブルを解決してきたんだ。犬神は犬神なりに最悪の事態まで考えた上で、あえてきつい言葉でアドバイスをしてくれるんだ。そして、いつだって、何のかんの言いながら、最後にはトラブル解決のために協力してくれるんだ。だから、僕と一緒に妖怪を追い払おう。絶対に君にとり憑いている妖怪を追い払ってみせるよ。」

 僕の言葉を聞いて、虎森さんは泣くのを止め、急に笑顔を浮かべながら言った。

 「ありがとな。お前のおかげで元気が出てきたよ。このまま、黙って妖怪に殺されるのは真っ平ごめんだ。絶対に妖怪の奴を追い払ってやるよ。妖怪の奴に、このアタシにとり憑いたことを後悔させてやらあ。」

 彼女がふたたび元気を取り戻したようで良かった。

 「ああ、その意気さ。一緒に妖怪の奴を追い払おう。そのためにも、まず、妖怪の正体や妖怪の縄張り、いみなとかについて詳しく調べる必要がある。いつ、どこで、君に妖怪がとり憑いたのか、そこから調べるとしよう。何か、妖怪にとり憑かれるようなおぼえはないかい?どこかで動物を殺したとか、何かを盗んだとか、あるいは、何かを壊したとか、どんなに小さなことでも構わないから、君の周りで最近変わったことは起こらなかった?」

 僕の質問に彼女は一瞬考え込んだ後、こう言った。

 「最近変わったことがあったかと聞かれると、妖怪とは言わないが、それに近いモノが居そうな場所に行ったおぼえがある。そういえば、あそこに行ってから、アタシの身に異変が起こり始めたような気がしなくもない。」

 「その場所は一体どこかな?差しつかえなければ、僕に教えてもらえるかな?もしかしたら、何か妖怪に関する手がかりがあるかもしれない。」

 僕が、彼女が妖怪にとり憑かれたかもしれない場所について訊ねると、彼女は、

 「ちょっと待て。」

 と言って、僕に制止するように言った。

 「どうしたの!?何か問題でも?」

 僕がそう訊ねると、

 「いや、問題は無い。場所ならすぐに教えられる。だが、その前に、」

 と、彼女は一拍置くと、

 「とりあえず気分転換と行こうぜ!後、腹ごしらえもな!」

 と、笑いながら僕にそう言った。

 「いやいや、確かにお腹は空いているけど、気分転換に行こうって。早く妖怪の縄張りかもしれない場所を見つけて、君にとり憑いている妖怪の正体を突き止めないと。気分転換なんてしている場合じゃないと、」

 「妖怪にとり憑かれている本人のアタシが気分転換したいって言うんだから、問題ねえよ。それに、すぐすぐ妖怪に殺されるわけじゃあねえし。とりあえず、今はパアーっといきたい気分なんだよ。後、お前との親睦を深める必要がある。今日からお前とアタシは友達だちだ。よろしくな、ブラザー!!」

 虎森さんはすっかり元気を取り戻したどころか、呑気に一緒に気分転換に行こうと僕を誘い出した。

 それに、ブラザーってどうゆうことだ!?

 「もしかして、ブラザーって、僕のことを言ってる?」

 「当たり前だろうが。今日からお前とアタシは友達(だち)なんだ。いや、友達(だち)以上の存在だ。アタシが姉貴分で、お前が弟、だから、今からお前のことはブラザーと呼ぶ。異論は認めねえ。」

 いきなり、今日初めて言葉を交わした相手にブラザーだなんて呼ばれて、驚かない人はまずいないことだろう。

 彼女の他人との距離感というか、距離の詰め方は極端過ぎやしないか。

 僕が呆気にとられていると、

 「そういや、お前、名前、何て言うんだっけ?」

 と、彼女に名前を訊ねられた。

 僕の名前も知らないのに、ブラザーだなんて呼ぶだなんて。そのくせ、僕の霊感や犬神の存在については勘づいていたと言う。

 全くもって、彼女の他人への関心というか、認識については理解しがたいものがある。

 だが、今更こんなことを考えてもしょうがない。

 僕はため息交じりに答えた。

 「ハアー、改めて自己紹介させてもらうよ。京野 浄だよ。よろしく、虎森さん。」

 「ミヤコノ ジョウか?よろしくな、ブラザー。アタシの名前は、もり あい。アタシのことはあいって、呼び捨てでいいぜ。さん付けも不要だ。いいな、ブラザー。」

 夜見近市最強の女ヤンキーである彼女を下の名前で呼び捨てにするのには抵抗があったが、それで気分を害されたらどんな目にあわされるか分かったもんじゃない。

 僕は諦めて、彼女を下の名前で呼ぶことにした。

 「ええっと、よろしく、あ、あい。」

 僕が恐る恐る彼女を下の名前で呼ぶと、

 「おおっ、よろしくな、ブラザー。」

 と、彼女は満面の笑みを浮かべながら、僕との自己紹介を終えるのであった。

 「さてと、それじゃあ、ゲーセンに行って、一汗流して、それから、ファミレスにでも行って飯を食うとするか?」

 相花はそう言うと、僕の左腕を、自分の右腕と脇の間に挟んで、僕を引っ張りながら歩き始めた。

 ほのかに当たる彼女の大きな胸の感触に一瞬ドキッとしてしまったが、そんな僕のことなど露知らず、ものすごい力で彼女にどんどんと引っ張られていく。

 彼女に腕を掴まれ、引きずられながら、僕は訊ねた。

 「ちょっと待って。もしかして、今から気分転換に行くつもり?まだ、学校は終わっていないし、それに、僕、お弁当だって持ってきているんだけど!?」

 「学校をサボるくらい大したことねえよ。昼飯なら気分転換の後にアタシが美味いもんを食わせてやるよ。弁当が余った時はアタシが代わりに食べてやる。いいから黙って、アタシに付き合え。」

 こうして、僕は相花と一緒に学校をサボタージュすることになった。

 本当は彼女から妖怪の縄張りと思われる場所についてすぐに聞き出したいし、期末試験前だから学校の授業をサボるのは断りたかったが、彼女の腕力と勢いには逆らえなかった。

 教室に戻るや否や、相花と腕を組んで戻ってきた僕を見て、クラスメイト達は皆一様に口を開けて驚いていた。

 相花が笑いながら僕と腕を組んで戻ってきた姿を見て、彼女が初めて見せる笑顔にクラスメイト達は、そのことにも驚きを隠せないでいる

 「さっさと出ようぜ、ブラザー。」

 彼女に急かされて、僕は大急ぎで帰り支度を済ませ、また、腕を組みながら、一緒に教室を後にした。

 きっとまた、校内に僕についての変な噂が流れるに違いない。それも、きっと碌でもない内容に違いない。

 後で晴真や椿さんに頼んで、期末試験の範囲について先生たちから発表があったか、聞くことにしよう。それと、僕は体調不良で早退したと、代わりに先生たちに伝えてもらうよう、頼むとしよう。

 そんなことを考えながら、僕は相花に引きずられながら、学校を後にした。

 相花に引きずられながら、廊下を歩いていた時、廊下の反対側から図書委員会の集まりを終えて、椿さんが教室に向かって帰っていたことに僕は気が付かなかった。

 「浄君!?何で虎森さんと一緒にいるの?二人で腕なんか組んで一体どこに行くつもりなの?」

 困惑する椿さんの声が僕の耳に届くことは無かった。

 僕は相花の運転するバイクに乗せられ、近くのショッピングモールへと向かうことになった。

 生まれて初めてバイクに乗った上に、ヤンキーと一緒にバイクで二人乗りをすることになるとは思ってもいなかった僕だが、相花と友達になった以上、諦める他無かった。

 そして、ショッピングモールで相花と一緒に気分転換という名のサボタージュをするハメになった僕だが、まさかそこで、彼女とともに、妖怪絡みのトラブルに巻き込まれることになろうとは、この時の僕は知る由も無かった。

 
































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