終章

第17話 この世界には革命が必要だ

 ダラヤの宮殿に到着して、まず、着替えることすらせず国主アミールムクシルのもとへ向かった。


 娘の帰還を聞きつけたムクシルとその妻ズバイダは、即刻面会に応じた。


 ハディージャもマルヤムに付き添って謁見の間に向かった。


 ムクシルは王のための長椅子に寝そべっていたが、マルヤムの姿を見るやいなや起き上がって駆け寄ってきた。


「よかった、生きて帰ってきてくれて……!」


 父に抱き締められ、感極まったマルヤムが涙を浮かべる。


「ただいま戻りました、お父様」


 ムクシルは、娘から軽く体を離すと、ハディージャを見てこう告げた。


「よくぞ連れて参った。褒めてつかわす。お前に何か褒美を与えよう」

「結構です」


 ここで父娘の感動の再会を喜んでいられるほど宮廷は平和ではない。


「それよりも、ムクシル様にはしていただきたいことがございます」

「何だ、申してみよ」


 ハディージャはズバイダをにらみつけた。


「ズバイダ様の断罪です」


 ズバイダも唇を嚙み締めてハディージャをにらんだ。


「わたしは二度も命を狙われました。犯人はズバイダ様の放った刺客です」


 この宮廷においてもっともマルヤムを嫌っているのはズバイダだ。

 自分が生んだ娘を教主の妻にしたいズバイダからしたら、マルヤムの誘拐は願ったり叶ったりの事件だっただろう。


 ベルカントの行動はズバイダと示し合わせたものではなかった。

 しかし、ズバイダにとっては好機だった。 


 マルヤムが草原の民に殺されてしまえば万々歳。生きていても帰ってこなければ後釜に自分の娘を据えられる。


「その証拠に、ご覧ください」


 ハディージャは手袋をはめた両手を組み合わせ、簡単に呪文を唱えた。


「風よ」


 途端、ズバイダの隣に控えていた男たちのターバンがことごとく舞い上がり、全員素顔が明らかになった。


「やっぱりあなただったのね」


 マルヤムがそう言ってにらみつけた先には、ジャームの金曜礼拝寺院でベルカントに頭を噴水に突っ込まれていた男がいた。

 男は目を逸らして「何かの間違いでは」と言った。


「私は決してこの宮殿を出ていません。この前の金曜日はダラヤの金曜礼拝寺院におりました」


 マルヤムが胸を張る。


「わたくし、あなたにお会いしたのはこの前の金曜日だったなんて一言も言っておりません」


 男が「あっ」と自分の口元を押さえた。


「どういうことだ、ズバイダ」


 ムクシルがマルヤムから離れてズバイダのほうを向く。

 ズバイダは最初しらを切ろうとした。


「何のことかさっぱり。わたしには関係ございませんわ」

「マルヤムやハディージャが嘘をつくはずがない! それにハディージャの言うとおり、お前は当初マルヤムを切り捨てるようなことを言っていた。最終的にはハディージャに追いかけることを許したが、あの時お前はすでにハディージャもろとも葬ることを決めていたのではあるまいな」

「何か証拠がございまして?」

「とぼけるな!」


 ムクシルが一喝すると、ズバイダは眉間にしわを寄せた。


「だいたいマルヤムが帰ってきたことを素直に喜べないとは、継母として恐ろしい」

「だって仕方がないではありませんか」


 笑みを消して、訴えるように言う。


「別にいいではありませんか、あなた様には娘が二人いるのですから。どっちが教主様の妻になっても、あなた様は次期教主の祖父になれますよ」


 妻の言葉に、ムクシルが顔を真っ赤にする。


「お前を次期教主の祖母にするわけにはいかん!」


 ズバイダのこめかみに青筋が浮かんだ。


「お前は追放だ! ダラヤの壁の外にある村に引っ越してもらう。我が娘マルヤム、そして我が一の家臣の娘ハディージャに危害を加えそうな人間をこの宮殿に置いておきたくない!」


 ムクシルのその決断を、ズバイダは鼻で笑った。それは明らかに強がりだったが、後味を悪くするには十分だった。


「あなた様はいつか後悔するでしょう。その娘はヤイロヴ族と通じた娘。後々になって災いをもたらすことでしょう」

「黙れ!」

「いつか見ていなさいよ。わたしが正しかったことが証明される日は、いつか必ず来ますからね――」


 国主アミールの軍人奴隷たちがズバイダとその従者たちを捕縛した。連行して謁見の間から出ていく。


 ムクシルが、大きな溜息をついた。


「ズバイダのことは気にしなくていい。父がお前を守ってやる。ハディージャのこともな」


 マルヤムはほっとしたのか肩の力を抜いたが、ハディージャはかえって気を引き締めた。


「いいえ。マルヤム様は、わたしがお守りします」


 家臣の娘のそんな気迫に、ムクシルが頬を緩めた。


「頼もしいぞ、ハディージャ。お前こそダラヤ一の魔術師、父の跡を継いで立派な家臣となってくれるであろう」

「はい」

「では、着替えてきなさい。三人で夕飯を取ろう。夕飯を食べながら、ハディージャの冒険譚が聞きたい。この数日間どこで何をしていたのか、私に聞かせてくれるかね」

「もちろんですとも」


 ダラヤに月が、昇ろうとしている。




 * * *




 太陽が背中のほうに落ちていく。


 エムレは兄とともに父祖伝来の地を目指して東進を続けていた。


 馬を疾駆させながら風を浴びるのは気持ちがいい。空気と一体化した気分になる。


 この気分を味わうのは、三年ぶりだ。


 自分は、草原に帰ってきたのだ。


 しかし単純には喜べなかった。


 何もかも砂漠に置いてきてしまった。

 学識者としての夢も、そして、砂の街の美しくいとおしい魔女も。


 エムレには草原の民に生来備わっているという郷愁の感覚が欠落していた。


 ダラヤの街で得たものは大きかった。


 特にあの気高く賢い女性を手放してしまったのが、頭がおかしくなりそうなほどきつい。


「今夜は羊を解体してうたげだ」


 隣を走るベルカントが、風に負けない声量で言った。


「我が弟、一族でもっとも賢い者、前族長ナージーの三男のご帰還だ。盛大な宴にしようぜ」

「嬉しくない」

「つれないことを言うなよ。ぱーっとやろう、ぱーっと。女たちと合流したらたーんと武勇伝を聞かせてやれ」

「そんなものはない。兄貴が一人で好きにしゃべってろ」


 ベルカントが大笑した。


「そんなにあの魔女と別れたのがさみしいか? 女なんかいくらでもいるだろ! 草原にもいい女はいっぱいいるぜ、つーんと澄ました砂漠の女とは違う、働き者でおおらかな女がよ」

「兄貴もそう思ってるか?」


 エムレのそんな問いかけを聞いて、ベルカントは笑うのをやめた。

 そこにたたみかけるように、エムレは言葉を改めつつもう一度同じことを質問した。


「兄貴もずっと欲しかった女を手放した今でもまだ女なんか他にもいると言って笑って過ごせるのか?」

「……生意気になったな。いや、お前の場合は昔からか」


 月が、頭上高くに昇っていく。


「俺はダラヤに帰るぞ、兄貴」


 エムレは宣言した。


「今はまだ草原にいる。俺はこの目で砂漠の矛盾をたくさん見てきた。兄貴が何を成し遂げようとしているのか察するところはある。だからといって理解できるとまでは言わないが。納得はいかないが、わかるものはある」

「ありがとさん」

「戦おう。でもそれは剣と弓をもってやることじゃない。この世界には革命が必要だが、武力闘争によるものじゃだめだと考えている。俺は俺なりに世界との戦い方を模索する」


 ベルカントが「頼りにしてるぜ」と言ってまた笑った。


「俺は力ずくでもやるけどな。武力闘争でも構わない。言って聞かないのなら殴って聞かせる。それが、草原のやり方だ」


 エムレはそれについては何も言わなかった。


「俺も諦めたわけじゃないぞ、エムレ」


 案の定の台詞だった。


「教主をぶっ潰して、砂漠の街を全部ぶっ壊して、その上で、改めてマルヤムをさらってくる」


 さらってくるのは協力しようか、と言いかけて、やめた。ますます調子に乗るだけだ。


 それに、エムレも同じ気持ちだった。

 もしも何もせなくても、ハディージャだけさらってくることができたら。


 いや、彼女はそうして翼を手折ってもいい相手じゃない。

 魔術師として凛と立つ彼女に惚れたのだから。


「……まあ、口づけくらいはしておくべきだったとは思う」


 エムレのその言葉は、風に搔き消された。







<終わり>


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砂の街の魔女と草原の賢者 日崎アユム/丹羽夏子 @shahexorshid

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