価格交渉と給与交渉
浅賀ソルト
価格交渉と給与交渉
俺はトラックの運転手なのだが、給料が減ることの経緯がちょっとムカついたので書かせて欲しい。
物価が高く、スーパーの仕入れ値が高くなった。俺が運んでいるのは豆腐納豆卵あと牛乳といった毎日の生鮮食品といわれるもので、卵の値上がりについてはいまさら説明するまでもないだろう。商品の値上げはお互いの価格の交渉で決まったことだし、世の中の仕組みはよく分からないが値上がりしているというのは知っていたのだけど、そこでスーパーが商品の仕入れ値が上がった分、納入している運送業への支払いを下げて辻褄を合わせようとしたのである。うちの社長はそれを飲んだ。そして、会社の取り分を減らす代わりにドライバーの給料を減らした。
あー、うちも似たようなもんだよ分かる分かる、などと肩を組もうとしないで欲しい。俺は別にあんたらと昴を歌ったり新橋で酔っ払いたいわけじゃないんだ。
俺が言いたいのは、「そんなわけで来月からガソリン代は下げてくれ」とか「トラックのローンは下げてくれ」とか言えないってことだ。俺はどこで辻褄を合わせればいいんだ。いつもの牛丼を小にするとか卵を付けないとか、そんなんか?
吉野家に、ちょっとそんなわけで来月から値段下げてくれって言うのか?
牛丼につける卵の値段が上がったのに、その辻褄を合わせるために卵の値下げを要求できないってのはどういうことだ。
というわけで俺はスーパーの前で——マイクもなかったので地声で——客に向かって文句を言ってやることにした。
「卵の値段が上がったとかで、俺の給料が下がった。このスーパーは値上げをするんじゃなくて俺達トラックの運転手の給料を下げた! 俺が卵の値段を上げたわけじゃねえ! ふざけんな! いいかげんにしろ! このクソスーパーが! クソ客が!」
客のほとんどは見て見ぬふりをした。ちらっとこちらを見てそそくさと去っていった。
俺を見て早足になる奴はいても、回れ右して店に入らない奴はいない。つまり客は減らない。俺の給料が下がることに申し訳なさを感じて、ここで買い物をするのをやめようとは誰も思わない。
何時間も騒いだように聞こえたかもしれないが実は10分くらいの話だ。大声で10分も叫ぶともう喉はかれてまともにしゃべれなくなる。
簡単に限界がきて、「ふざけるな畜生!」と叫んでいた。
もう限界だったのだが、そこで店長らしきおっさんがやってきた。ものすごくくたびれたおっさんだった。こんな風に表に出てくるということは一番偉い奴なんだと思うが、まったく偉そうに見えなかった。おっさんなのにパシリみたいだ。
「あのー、すいません。店長の原です」
俺はもう喉が限界だったので、「くそ。俺の給料が下がったぞ。俺たちが運ばなきゃお前たちが困るだろうが」と言った。
「本当に申し訳ありません」くたびれたおっさんは小さい声で謝った。
なんだかとにかく腹が立った。くたびれたおっさんは見た目通りの、謝りまくりの腰の低い奴だった。
こんな奴にがなっても無駄だ。
俺はそいつは無視してスーパーに出入りする客に向かって声を張り上げた。「こんなスーパーでも俺が荷物を運ばなきゃ買い物できねえだろうが!」
「ほんとうにあの、すいません。やめてください」
俺はそのあともそのくたびれたおっさんを無視して叫び続けた。
といってもこれもせいぜい5分だ。どのくらいで諦めるのかと思ったらそのくらいでおっさんは引っこんでいった。
俺を動画で撮影する奴も出てきて、俺の喉も限界だったので、俺はそこで切り上げた。
歩いて去る俺の姿も撮影されていた。
あのくたびれたおっさんが、仕入価格の値上げを俺達の給料に被せた張本人なのか。そう思うとなんだか本当に腹が立ってきた。
翌日。朝の配送が終わって会社に戻ってから、俺は社長に言った。「とにかく給料を上げてくださいよ。何も落ち度がないのに下げられちゃかなわねえ」
付き合いはそれほど長い社長ではないが、よく見るとうちの社長もくたびれている。
社長は言った。「もううちも削れるところがないんだよ。取引停止をちらつかされちゃあ飲むしかない」
「そんなこといったって、そういうのってなんか法律に違反してねえの? これじゃ誰も続けらんねえでしょう。俺ももう無理だ。今すぐやめるわけじゃねえけど」
「たぶん、違反はしてるんだろうな」
「こうやって踏み潰されても誰も助けちゃくれませんよ。つっぱねるところはつっぱねなくちゃ」
「山口、じゃあ、お前がつっぱねてくれるか?」
「なんで自分にはできないと思うんですかね、社長」
「……黙って飲んでる方が楽なんだよ。生活は苦しくてもな」
「しゃらくせえ」俺は溜息のようにそう吐き捨てた。
なーんにも変わらないまま次の日からも生活が始まったが、スーパーの対応はやはり犯罪だったらしい。なんか役所が来て、取引金額は元に戻された。これまでに下げられた分もあとから補償されて、辻褄も合わされた。
あれもこれも、日配の食品は正しく値上げされた。
俺が普段使うスーパーは全然仕事とは別のスーパーだが、やはりあれもこれも値上げしていた。
給料は変わらないが、ガソリンも値上げして、いよいよ普通に荷物を配送するのもきつくなってきた。
ある日、社長は社員を集めて言った。「やはり色々な物価が上がっていて、いよいよ今度は本当に給料を下げないと無理そうです」
俺じゃない、別の社員が言った。「だからおかしいでしょう。送料を値上げしてそこのバランスを取ってくださいよ。なんで俺らの給料にもってくんですか」
「そうだそうだ」俺も言った。
社長は意味が分からずきょとんとしていた。
なんでこう、値上げするって話にならないんかね。
価格交渉と給与交渉 浅賀ソルト @asaga-salt
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます