第65話



 人は簡単に誰かを裏切る。当人の思惑とは関係なく、結果的にそうなってしまう時だってある。

 人はいともたやすく転げ落ちる。天上に住んでようがどこにいようが、善行を積もうが何をしようが。

 人は気軽に誰かを騙す。裏切って蹴落として、自分だけがいい目を見ようとする。

 それは、俺が二度の人生を生きていることから得た教訓だ。

「へい、お待ち」

「お」

 待ってました。料理長の出すもんはたいてい美味い。この町で得た教訓である。

 湯気の立ったラーメンみたいなもんを前に、俺の腹が鳴った。その様子を見て、料理を持ってきたヒコが笑う。

「こいつは自信作なんだ。すきっ腹には申し分ないと思う」

「あんたが作ったのか?」

「作ったのはフレデリック氏だ。レシピは俺のだがな」

 へえ、と、厨房に目を向けると、調理中の料理長が軽く片手を上げているのが見えた。シャイなやつ。俺にはなんも言わずにヒコを雇っちまうんだからな。ま、ヒコは東方の料理に詳しいみたいだし、料理長は勉強家だからな。彼にも異国の料理を学べるというメリットがあったんだろう。

「料理長は良くしてくれてんのか?」

「もちろん。いい人だ。掛け値なしに。厳しい人ではあるが、出勤の日時にも融通が利く。冒険者としての活動もやりやすくて助かる」

 料理長も冒険者やってるからな。ヒコの事情も理解しているのだろう。

「地道にコツコツやっていくよ」

「地道ねえ」

 借金持ちがコツコツやったってなあ。どっかで一発ドカンとどでかいことしねえと、どうにもならねえんじゃねえのかなあ。

「地道でいいんだ。失敗しても、間違っていても構わない。生きている限り道は続くし、歩いているならいつかどこかに辿り着く。俺たちは機会を得たんだ。好機や転機は必ず訪れる。俺にも、君にも。頑張りは誰かがきっと見ていてくれているとも。焦らなくてもいい」

「返済日は迫ってるけどな」

「それを言うな」

 ヒコは笑って、またダンジョンに行こうと言った。

 また、か。

「……おう」

 ラーメンを啜る。何だか食い慣れた、懐かしい味がした。



 店を出る前に料理長に話しかけられ、あるものを渡された。

「何だこれ。くれんのか」

「賄いだ。昼時でな。俺は手が離せないから、代わりに届けてくれ」

 俺は店内の様子を確認したが、客は老夫婦が一組だけだ。忙しさとはかけ離れているが。

「何ィー? 俺を使い走りにしようってか」

「そうか。ああ、そういえば誰かさんのツケがたまってるのを思い出した。いや、うちも火の車でね。少しは足しになるかな」

「あーあー、待て待て。冗談だって。ダンジョンまで行ってくりゃいいんだな?」

 料理長は苦笑する。

「最初からそう言えばいいんだ。……あれから会ってないんだろう? あの子らはもう気にしていない。声くらいかけてやれ」

 余計な気を回しやがって。まあ、ツケを人質に取られてるんならしゃあない。弁当を包んだ布を手に、俺はダンジョンへ向かうことにした。



 ダンジョンの周辺はにぎわっている。出店や屋台が立ち並んで、ギルドの出張受付サービスも始まっていた。冒険者たちはたむろし、新しいパーティメンバーを捜したり、酒を飲んで小競り合いしたり、まあ、以前とはえらく変わったなという感じだ。

 さて、そんな折、フレデリック料理長は新しく人を雇い、屋台を出した。彼曰く『冒険者なんかよりよっぽど信用できる』とのことで。屋台のメニューは片手で食えるようなものばかりの気楽な感じで、冒険者相手に結構儲かっているらしい。

 その屋台で、今日もまた客である冒険者に丁寧な接客をし、むさ苦しいやつらに対して不釣り合いな、可愛らしい笑みを浮かべるヤズコの姿があった。うん。ありゃ人気出るわ。彼女のそばには少し肉のついてきたハルマンがいて、彼は一生懸命に野菜を切っている。時折、二人は視線を交わしてどちらからともなく微笑む。どっからどう見ても仲睦まじい。

 ヤズコとハルマンはヒコ(と一応俺)の申し出を断った。彼は二人の借金もしょい込もうとしていたが、ヤズコが特に拒んだ。借りたものは自分たちで返すと決めたのだ、と。


『ずいぶんと泣ける話じゃないか。ここまで来ると頭が下がる思いだ』


 リックは娼婦を辞めさせた。ヤズコのような田舎者はお天道様の下で地道に働くのが似合っていると言って。

 そうして、ヒコ・ヤズコ・ハルマンは料理長の店に拾われたということだった。これからは三人仲良く、コツコツやって借金を返していくそうだ。が。そこにトキマサの姿はない。ヒコは彼にも救いの手を差し伸べようとしていたが、トキマサは結局、リックの紹介した仕事とやらを選んだのだ。……たぶん、どう転ぼうとそうなっていただろう。彼はいずれ、ヤズコたちから離れていったはずだ。そう思う。

 ただ、ヤズコとハルマンは幼馴染の仲間を失った。その代わりに得たものもあるかもしれないが、この町で彼らの身に起こったことはいい思い出ではなかっただろう。俺がその筆頭だな。俺の顔を見りゃあ、嫌でも色々と思い出すだろう。そう思って、二人を見かけてはいても話かけないでおこうとしてたんだけどな。料理長から持たされた賄いが無言の圧力をかけているように感じられる。

「繁盛しているみたいじゃないか」

「……ええ?」

 ヤズコたちの嫌な思い出その二が現れた。金貸しのリックである。彼はご機嫌そうに葉巻をくゆらせていた。なんでこいつがこんなとこにいるんだ?

「なんだ? 冒険者に転職でもすんのか」

「もう少し若けりゃそうしたかったね。……フレデリックの店が屋台を出すとはな。なかなかの評判だと聞いている」

「あー。看板娘が人気だからな」

 リックは髪を撫でつけ、指を鳴らす。すると、どこからともなく護衛の男がやってきて、彼にずっしりとした、重たそうな皮袋を渡した。今度はリックがそれを俺に渡そうとする。

「何だこれ。くれんのか?」

「もう昼時だ。俺ぁ腹が減った」

「……何か買って来いってか」

 しようがねえな、こいつは。俺が逆らえないのをいいことに。

 と、俺は袋を受け取って、

「重たっ!?」

 驚愕する。皮袋の中には金貨や銀貨がぎっちりと詰まっていた。

「ここいらの屋台を買い取るつもりかよ」

「早く買ってこい」

「はあ? お前……ええ? どんだけだよ。そんなに食えねえだろ」

 いいから早くしろとリックは俺をねめつけた。

「使い切れねえって」

「ふん、そうか。じゃあお前に任せる。残った金は、お人よしに」

 そうして彼は去っていく。おい。なんか買ってこいっつって食わねえのか。まあ、いい。後で届けに行ってやるか。あいつもあれで素直じゃねえやつだなホント。気になるなら自分で話に行けばいいのに。気に入った相手には援助を惜しまないんだが、何がどうヤツのツボにはまるかは分からん。

 俺はもう一度皮袋の中身を確かめた。うおっ。こんだけありゃ俺の借金だって……。

「ネコババしたろっかな」

 冒険者の倫理や金貸しのルールでははかれないものもこの世にはある。ちゃんと存在している。

 どうせヤズコもハルマンもこの金を受け取らない。きっちり商品の代金が革袋から抜かれるだけだ。それがお人よしと呼ばれる人の法である。それがこの世で一等実行するのが難しく、しかし、最も尊ばれて、救われてしかるべきものなのだろう。俺にはできねえや。やっぱり金貨の二、三枚はちょろまかしたろかな。




◎〇▲☆△△△



 この日、祓魔師を統括するトリーク・ロス司祭に呼ばれた各地の祓魔師たちは、トリークの自宅に集まっていた。祓魔師の恒例行事ともなった報告会である。

 勇者シノミヤ・マイトに同行しているD・メアもまた、トリークの家に着き、お菓子とジュースを振舞われた。「結構です」と断っても「そんなこと言わずに」と飲み食いを強要させられた。

「もしかしておメアさんは甘いのよりしょっぱい系の方がよかったかな。今日はパイがメインなんだ」

「そういう問題ではありません」

 リビングに通されたD・メアは席に着き、今日集まった面々を見回す。いつもより数が多い。菓子目当てか。そしていつものごとくポルカは欠席していた。

「それじゃあ始めようか」

 短い頭髪。鋭い眼光。白髪交じりの口ひげ。神父とは思えないほどパンパンに膨れ上がった肉体を漆黒の司祭服で身に包む。その上には花柄のエプロン。聖女委員会が主催する料理教室に通ってから一年と少し。異端に対する最高戦力を取りまとめる男。その辣腕、その冷酷さから通称は鴉。トリーク・ロスは口火を切り、お菓子を口に運んだ。ほかのメンバーもトリークに倣い、次々にパクパクしていく。

「うわ、なんすかこれトリークさん。芋?」

「芋を薄く切って揚げたんだ。コンソメ風味に味付けしてみたんだが……いや、本場には程遠い。何せ薄く切るのが難しい。私が前に食べたのはもっと軽い口触りだった」

「厚いのも食べ応えありますけどね」

「あっ、焼き菓子の中にクリーム入ってる」

 そうなんだよとトリークが誇らしげに笑う。彼は異世界からもたらされた菓子にハマっていた。この歳になるまで料理の一つもしたことがなかったが、その熱意は本物だ。異物の混入を防ぐため、伸ばしていた髪もバッサリ切っている。

「火加減が上手くいかないんだが、今日はいい感じで嬉しいよ。クリームは三種類あるんだ。何が当たった?」

「チョコっぽいですかね」

 会議は和気あいあいとしていた。トリークの前任者を知るメアはそれに馴染めないでいた。

 トリークが祓魔師の長となってからは、こうだ。彼曰く、自分たちはきつくて嫌われがちで危険で汚い仕事をしているのだから、他の時はもっと楽しくやろうよ、と。その考え方自体はメアも尊重している。会議の場所をトリークの自宅にしたのは余人が介入しづらくなるからというのもあるだろう。美味しいお菓子と楽しげな雰囲気は会議を円滑に進められる、ということもあるかもしれない。

「あの、本題は」

「ああ、そうそう。それじゃあみんなの報告を聞こうかな。最近どう?」

 会議はトリークが上手く回していた。発言していないものに話を振り、疑問があればすぐに解決する。時にはツッコミを入れ、時にはボケて場を和ます。メアは思った。なんやこいつ、と。

「それじゃあメアさん」

 水を向けられ、メアは報告を始めた。今回の会議では彼女がトリだった。それは、メアの持ってきた議題こそ今会議で最も重要な事柄になるとトリークが判断したからだった。


 勇者シノミヤ・マイトに翻心の可能性あり。


 かねてより勇者シノミヤの動向を警戒するものはいた。彼は教会の指示を無視し、今やダンジョンの攻略にも積極的ではない。そればかりか王都を離れ東方国ダンダラとの境にある町に逗留している。便りの一つもよこさない。

「しかしそれだけでは何とも言えないのでは? 異世界の勇者はダンダラを好む傾向にありますし」

「東方の雰囲気は異世界に最も近いと言われてますしね」

 トリークは黙って目を瞑っていた。メアは炭酸の入った、しゅわしゅわした甘い飲み物を口にしてから話を続ける。

「過日、勇者シノミヤの同行者が二名死亡しました。一流と呼んで差し支えない剣士と冒険者です。二人は街はずれで倒れているのを見つけられましたが」

「それを勇者がやったと?」

「真正面からの傷でしたので。それも二人同時に」

「なるほど……ある程度腕があり、知った仲でないとそうはならんか」

「二人を殺害する意味は?」

 メアは少しだけ思案した。

「二人とも勇者の方針に疑問を持っていたかのような素振りはありました」

「それを勇者が嫌ったと? いささか短絡的だが……まあ、勇者とはいえ少年か」

 一人の女祓魔師がメアを見据えた。

「あなたはシノミヤ・マイトに疑われていないのですか」

「報告のために何度もパーティから離れていますし、そもそも勇者シノミヤは私に興味がないのかと。それから、勇者は同行者の補充を要求しています」

「不自然ではないが、少し引っかかるな」

 にわかに場が盛り上がった。やがて意見が出尽くしたところでトリークが席を立った。彼はオーブンに近づき、中の様子を確かめる。

「じき、アップルパイが焼き上がる。自信はあるが、今は練習中でね。何より、やはり異世界の味には敵わないだろう。勇者とは本当に素晴らしい。彼らのもたらした技術は、この世界を確実により良いものにしている。まあ、だけど、いよいよとなったら殺すしかないなあ」

 アップルパイは上手く焼けていたらしく、出来栄えを見たトリークは満足そうに頷いた。

「十神教を裏切ることは天地がひっくり返っても許容できない。諸君。教会うちとしてはまず翻意の確認だ。勇者シノミヤ・マイトが異端たるかどうか、慎重に見極めねばならない。彼は同行者を要求している。これを利用しない手はない」

 だが、と、トリークはメアに向き直った。

「D・メアには勇者シノミヤから外れてもらおうかな」

「なぜですか」

「うーん。ちょっと彼と長くい過ぎたんじゃない? まさかとは思うけど、うちのおメアさんが裏切っているんじゃないかなあという可能性も考慮しなくちゃいけないからね」

 メアは激昂しかけていたが、トリークの言い分ももっともであった。

「ま、少しの間だけだから。……あんまり大勢で押しかけると東方国と揉めるかもしれない。誰か、これはという同行者の候補はあるかな」

 トリークはみなの様子をじっと見まわす。そうしてから、あるものの名を挙げた。それを聞いたメアは瞠目する。

「……カシワギ・ケイジ、ですか?」

「そう」とトリークはこともなげに言い放った。

「前にヨドゥンのポルカさんから報告が上がっていたからね。私も勇者カシワギについて軽く調べてみたんだが、結構面白そうじゃないか」

 もちろんトリークはポルカの報告、その一言一句全てを信じてはいない。しかしケイジが何のしがらみもない勇者という点は大いに気に入っていた。

「彼は冒険者として活動しているらしいけど、シ・ダアイ連邦でのことも聞いているよ。いくつかのダンジョンを攻略済みだから戦力としても申し分ない。勇者の同行者に勇者というのは過剰かもしれないが、一流の冒険者の代わりというのなら問題ないんじゃないかな。彼は主流を外れているし、こちらの出す条件によっては協力してもらえる可能性も高い」

「ですが、勇者カシワギだけだと、その、色々と問題が」

「私も行こうかなあと考えている」

 トリークは切り分けたパイを祓魔師たちの前に並べていく。

「勇者の裏切りは教会だけでなく、この国においても最重要視される問題だ。もしこの見極めをしくじったのなら誰かがその責を問われる」

「私たちには任せられないと?」

「いやそこまでは言ってないじゃないか……勇者シノミヤの滞在しているあたりは勇者同盟が力を持っている。彼らの力も削げるかもしれない。あれを放っておくのも気になっていたから自分の目で見てみたいんだ」

「王族は絡んできますかね」

「恐らくはね」

 目端の利くものは既に勇者とのコンタクトを試みている。

「上の人は姫さまを差し出すんじゃない?」

「ああ……勇者シノミヤにご執心の方もいたね。じゃ、今回の問題がどう転ぶにせよ、いよいよ勇者と姫のおめでたい結婚が成るかもしれないか」

 トリークは口の端をつり上げた。獰猛な笑みだった。何せ彼は二心を抱いていた。自らの目的を達するため、トリークは東方国ダンダラへの道のりに思いをはせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

転生したし異世界召喚もされたけど特に何も起こらないお話。 竹内すくね @tsdog

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ