20◇おやすみ中

 ナーエ村の葬儀屋が来て、ハインの妻であるゼルマの葬儀の段取りを行ってくれた。


 本来であればセイファート教団の誰かが立ち会うべきところ、この村には今、治療師すらいないのだ。ラザファムがベルノルトに報せると言っていたので、すぐに次の治療師が来るはずだが、前任者のこともしっかり調べてもらわなくてはならない。他に似たような仲間がいないとも限らないのだから。


 セイファート教団から誰かが派遣されるまでアルスはここに留まるべきかとも思ったけれど、どれくらいかかるのかはっきりとわからないので諦めた。いざとなれば近隣の町村から治療師を呼ぶか連れていくか、診てもらう手段はある。


 葬儀には立ち会えないが、ゼルマの冥福だけは祈ってからナーエ村を出立するつもりだった。


 その前に、ハインは二人に十分な料理を振舞ってくれた。自身は食欲など湧かないようだったが、コルトもちゃんと席に着いて食事を取る。子供ながらにテーブルマナーは見苦しくなく、やはり育ちは良いのだと思われた。


 香草で臭みを取った鶉の肉が柔らかく口の中で解ける。付け合せの芋にもバターがよく染みていた。

 久々にしっかり食事をしたという気分で、腹が満たされると活力も湧いてくる。


「赤ん坊の乳母に来てくれる者も見つかりました。これから、どうにかあの子を育てていきます」


 赤ん坊は男の子だった。名前はこれからコルトと一緒に考えるのだそうだ。コルトは兄になった気分らしい。

 アルスはそっとうなずいた。


「ああ。元気に育つように願っている」


 それでも、一度は魔に染まりかけた赤ん坊だ。不安がまったくないわけではないだろう。

 そう思ったけれど、コルトは違うようだ。


「ナハティガルが助けてくれたんだ。大丈夫だよ」


 にこり、と笑って言う。ナハティガルが聞いたら反り繰り返って威張ったことだろう。

 ナハティガルはというと――。


 果物を入れるような持ち手つきの籐籠バスケットで、即席のベッドを作ってもらった。肌触りのよいリネンがふんわりと入れられていて、その上で目を閉じて眠っている。


 時折、ぷ、しゅるるり、なんていういびきが聞こえてくる。ナハティガルの鼾を聞いたのはアルスでも初めてで耳を疑った。起きたら褒めてあげようと思っているのだが、ちっとも起きない。

 まあいい。好きなだけ寝かせておこう。


「ところで、姫様はどちらに行かれるところなのでしょうか?」


 ハインがそれを訊ねてきた。ラザファムがチラリとアルスを見遣る。

 アルスは少し笑って言った。


「このまま北へ」

「北ですか……」


 はっきりとノルデンと言いきってしまうのは避けた。それを言うと、何故かという理由まで話さなくてはならなくなる。

 コルトの心配を増やしたくはなかった。コルトはじっとアルスを見つめる。


「北へ行った帰りに、またここへ寄ってくれる?」

「ああ、もちろんだ」


 答えると、コルトは嬉しそうにうなずいた。


「ラザファムさんも!」

「わかった」


 ラザファムでさえ、柔らかく笑っている。

 その夜はハインの館に泊めてもらい、久々にぐっすりと眠れた。これから北へ向かい、ノルデンへ近づくごとに過酷な旅になるのだ。今のうちにしっかりと休ませてもらえて助かったが、ゼルマのことを思い、申し訳なさも感じた。




「じゃあ、約束だよ! またね!」


 館の玄関先で大きく手を振って二人を送り出してくれたコルト。その後ろから静かに頭を下げるハイン。

 ハインは、二人のために日持ちのする携帯食をたくさん持たせてくれた。これくらいしか礼ができなくて申し訳ないというけれど、十分助かる。


 これから、この村はどうなっていくのだろう。明るい方へ向かってくれたらいいけれど。

 手を振り返し、そして正面を向いたアルスは、ナハティガルの入った籠を下げている。まだ高鼾で寝ていた。


「今回のことを手紙をヴィルトに託してベルノルト様に報せようと思ったのですが、ナハティガルがこの調子なので速達にしておきました」


 と、ラザファムがアルスを見ないで言った。


「なんで? ヴィルトに頼めばよかったのに」


 その方が断然早い。

 しかし、それを言ったらラザファムが顔をしかめた。


「僕は一度に精霊一体しか呼べません。伝達で使ってしまったのでは、途中で何かあった時にあなたをお護りできませんから」


 守護精霊がこの状態だからということらしい。精霊ならすぐに行って戻ってくるのに、その僅かな時間でさえアルスが何かをやらかすと思っているのだ。


「用心深いな、お前は」

「なんとでも仰ってください」


 ツン、と素っ気なく言われた。

 この慎重さはアルスにはないものである。


「ここから北へ行く手段ですが、途中にペイフェール川があります。川を越えた先にはルプラト峠です。まずはペイフェール川の手前、トーレス村までですが、このナーエ村に自由に使える馬はあまり多くありません」

「いいよ、歩く。一日歩けば着ける範囲なんだろう?」

「はい。それも天候次第ですが」


 ラザファムがそう答えた後、二人の間に沈黙が訪れた。

 ふと考えてみると、二人だけという状況はとても珍しいのだ。いつもは騒がしいナハティガルが喋り倒していたし、過去にナハティガルが精霊界帰りをしていた時は二人の間にはクラウスがいた。


 チラリとラザファムを見上げると、ふと目が合った。


「……何か?」

「いや、背が伸びたなと思って」


 線が細く、女の子のように可愛かったのだ。ラザファムの背が、アルスが見上げるほどに伸びるとは思わなかった。


「そうですね。平均ほどには」

「クラウスもあれから伸びたかな……」


 二年前。十六歳までのクラウスしか知らないのだ。

 今は十八歳になっている。アルスが知るクラウスよりも逞しくなっているのだろう。


 アルスがそんなことをつぶやいたからか、ラザファムがどこか切ないような、寂しそうな表情を浮かべた。ラザファムもクラウスを思い出したのだろう。

 アルスはラザファムの腕をポン、と叩いた。


「さあ、行こう。クラウスに会いに」

「はい」


 そう言って、ラザファムは一度まぶたを伏せた。



     ◆



 ――魔の国ラントエンゲ


 分厚い雲に覆われた、空の下。

 クラウスは城の胸壁の前に立つ人物の背に視線を投げかけた。彼は長い髪を翻して振り向く。


「なんだ、物言いたげな顔をして」

「俺が言いたいことなんて、お前なら簡単に見通せるはずだろう、ループレヒト?」

「お前の故郷がどうなろうと僕の知ったことじゃない」


 ループレヒト・ロルフェス。


 彼もまた、クラウスと同じ魔王候補の一人として連れてこられた。

 彼は何にも執着しない。肉親にも、故郷にも、世界にも――。


 線が細く、どこかラザファムに似ていると最初の頃は思ったけれど、ラザファムよりもループレヒトの方が華奢だ。年齢も下ではあるのだが。


「あんな赤ん坊にまで手を出すな」


 それを言うと、失笑された。そう、この場において間違っているのはクラウスの方なのだ。それは十分にわかっている。


「魔に染まった人の赤ん坊。多分とても喜ばれたはずだ。邪魔が入らなければね」

「お前――」

「赤ん坊より、連れてくるのはあの姫の方がよかった?」


 挑発だとわかっていても、表情を変えずにいられない。クラウスの剥き出しの嫌悪に、それでもループレヒトは笑っていた。


「僕たちの必要性がわかっていながら、お前はまだ人であった時が忘れられないんだな」


 もう自分たちは人ではないかのようにして言う。

 そうなのかもしれない。いつまでも人であるふりなどできないのかもしれない。

 それでも、アルスのことを大事だと思う心が人のままで残っている。


「お前は本当に、自分の故郷でさえどうなろうと構わないのか?」


 問いかけてみるが、ループレヒトにそんな揺さぶりは通用しなかった。


「ああ。自国レプシウスにいた時からどうでもよかった。僕がこんな性質だから魔王候補になったのかと思えば、お前みたいのもいる。よくわからないな」


 ループレヒトはそう言うけれど、クラウスには自分がループレヒトとそう違うようには思えなかった。

 アルスがいなければ、クラウスもループレヒトと変わりなかったはずなのだ。表面上だけ笑って、心に闇を抱えていたのだから。


 とにかく、とループレヒトは言った。


「負けた候補者がどうなるのかなんて、訊くまでもない。だから、僕は負けない」


 いつまでも馴染めない魔の国の風が頬を撫でる。髪の一筋さえも絡みつくように。


 自分の横を通り過ぎて城内へ戻っていくループレヒトをただ見送り、クラウスは乱れる心を持て余した。


 アルスへの執着だけがクラウスを人として繋ぎ止めているのだろうか。

 もしそうだとしたら、人でさえなくなってしまえば、こんなにも苦しむことはないのに。


 それでも、苦しくとも、アルスを護らなくてはならないから、クラウスはまだ人の心を棄てられない。

 だから、この苦しみは当分続いていくのだ。



 【 2章 ―了― 】

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Blue Bird Blazon ~アルスの旅~ 五十鈴りく @isuzu6

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