19◇いつか
ラザファムから見ても、アルスの横顔は寂しげだった。
今回の事件はアルスにとって古傷を抉るようなものになってしまったのだ。
アルスの母堂は、アルスが幼い頃に亡くなった。それはラザファムがアルスと知り合うよりも前のことで、国中が悲しみに暮れていたが、当時はラザファムもかなり幼くて意味がよくわかっていなかった。
ラザファムの両親は健在だ。厳しい人たちなので、いなくて寂しいという思いは抱けなかったが、親であることに変わりはない。
アルスが眠っているらしきナハティガルの翼を撫でている。
あれだけのことをしたのだから、ナハティガルが疲れたのは当然だ。本来なら精霊界でしばらく養生するのがいいけれど、この状況ではそれも難しい。
アルスが下を向いてしまうのは、いつもうるさいナハティガルが何も言わないからだ。
「私が無理させすぎたんだな」
今回のことだけではなく、デッセルの町でのこともあった。それも重ねて言うのだろう。
起きていたら強がりのひとつくらい言ったかもしれないが、今は答えない。
蝶の姿のヴィルトが、アルスに語りかける。
「ナハティガルなら大丈夫ですよ。すぐに回復しますって」
ナハティガルと同じ精霊であるヴィルトがそれを言ってくれて、アルスは心底ほっとしたようだった。
「そうか。そうだな」
顔をくしゃりと歪めて笑う。
アルスのこんな表情はあまり見たことがない。ナハティガルが弱ると、アルスはこんなにも不安げなのだ。
喧嘩ばかりだが、ナハティガルが信頼されているのかがよくわかる。
微笑ましいと思う気持ちと同じくらい、羨ましくもある。
ラザファムには到底得られないものだから。
けれど――。
こんなふうに弱さを見せないでほしい。
ただでさえ、この旅に同行することになって、ラザファムは自分の自制心にはひびが入っていると思えた。
さっきもそうだ。アルスはラザファムの手の届く存在ではなかったはずなのに、簡単に触れてしまう。
本来なら、こんなに気安く手を伸ばしたりはできなかった。身分以上に、そこはクラウスのことがあったからだ。
クラウスがいなくなってから、ラザファムは自分が変わってしまったような気がした。
屋敷の中に戻ると、廊下で出くわしたハインはほんの少し気力を取り戻していた。
それはコルトと赤ん坊のおかげだろう。老婆がぐずっている赤ん坊をあやしている声がする。
ハインはアルスとラザファムを認めると、まっすぐに立ってコルトの肩を抱いた。
「これからコルトとはこの屋敷で共に暮らします。出来ることなら兄も情状酌量の
余地を認められていつか戻れる日が来るといいのですが……」
「そうだな。私からも頼んでみる」
アルスが言うと、コルトは感極まった様子でアルスを見上げた。
「ありがとう、姫様!」
思わず言ってしまってから、あ、と零した。
ハインが愕然としている。
アルスは可愛らしく顔をしかめた。
「内緒って言ったのに」
「ごめんなさい」
口を押えるコルトの頭をアルスは近づいてくしゃくしゃと撫でた。
「まあいい。コルトは将来有望な子供だからな。この借りはいつか返してもらおう」
そこでコルトは不意に、アルスではなくラザファムを見上げた。
「あの、僕、将来は精霊術師になりたいんだけど」
これを聞き、今度はラザファムの方が目を
コルトはこのナーエ村の村長になるつもりはないのだろうか。
ラザファムが難しい顔をしたせいか、コルトが不安そうに見えた。
「……僕には才能がないかな?」
そうしたら、ヴィルトが笑うように賑やかに翅を羽ばたかせた。
「いいや、向いているよ。君はきっと立派な精霊術師になるから、呼ばれたら僕はまた会いに来る。その時は虫が嫌いとか言わないで、綺麗だって褒めておくれよ」
「ありがとう!」
コルトが差し出した指にヴィルトが停まる。
精霊と友情を芽生えさせられるのなら、間違いなく向いている。
それに、コルトは努力家だ。簡単には諦めずに勉学に励むこともできるだろう。
「あと三年くらいしたら学びにおいで。まずは僕が教えられることを教えるから」
「はい、先生!」
「いや、先生では……」
精々が兄弟子というところだ。ベルノルトも優秀な弟子に満足してくれることだろう。
アルスはトントン、とラザファムの腕を叩く。
「よかったな、先生」
「茶化さないでください」
「あ、照れた」
そんなことを言って笑うけれど、それは違う。
先生なんて呼ばれたくらいで照れたりしない。それを言ったアルスの不意打ちの笑顔に心構えがなかっただけだ。
ラザファムのことを、アルスは何も理解していない。
けれど、それでいいのだとも思う。
きっと――。
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