総括

総括:Web小説界の脇役、三流FLASH職人のひとりごと

 本エッセイ「愛すべき脇役、やられ役たち」をここまで読んで頂いた読者の皆様、私の偏った趣味にお付き合い頂き、誠にありがとうございました。


 おそらくこれで一度本作は締めることになりますが、最後に私、三流FLASH職人(現:素通り寺(ストーリーテラー))が今のラノベやWeb小説に対して、脇役やられ役の視点から少しなどを垂れ流したいと思います。不快な表現も多々あるかと思いますので、そういうのが苦手な方にはブラウザバックをお勧めしておきます。


 私、三流FLASH職人はこのWeb小説の界隈では完全に雑魚、でしかありません。


 書籍化やコンテスト入賞など夢のまた夢、渾身の三作品を持って臨んだカクヨムコンテスト9ではなんと全てという有り様、ランキング上位に顔を出す事すら全くないのでは、雑魚と言われても仕方がないでしょう。


 でも、はばかりながら、私自身はそうは思っておりません。

 私の書きあげた小説は、書籍化された作品やランキング上位の作品と比べても、何ら劣る事の無い作品であると自信を持って言えます。


 ま、まぁ文章の組み立てが甘かったり、何人称の表記がブレブレだったり、毎回誤字報告を頂いていたり、読んでいてニヤニヤするようなユニークさに欠けていたりと未熟な点は色々ございますが(全然アカンやないか)。


 しかし物語の世界観をしっかりと構築し、起承転結をきっちり組み上げて見せ場を作り、キャラクターに魂をぶち込んで活躍させ、小説を一つの物語ストーリーとしてきっちりと完結させる。

 そういった『物語の作り手ストーリーテラー』としての書き進め方、仕上げ方、そして作り上げた小説という一つの物語の面白さ、完成度、のめり込みやすさ、読後感の満足度は、決して他のWeb小説、書籍化作品に劣ることは無いと自負しております。


 以上、負け犬の戯言でした(笑)。


 ええ、分かってるんですよ。どうして自分の小説が評価されないのかは。

 でも、どうしても私は『評価されるための物語を書く』というのが出来ないタチなんです。


 ここまで本エッセイを読んで頂いた方にはお分かりでしょうが、私はマンガやアニメが大好きな、いわゆる重度のオタク中年でございます。


 長い間、様々な漫画やアニメを読破してきた私が、Web小説というジャンルにチャレンジし始めたのは割と最近です。二次創作なら10年ほど前からですが、本格的にオリジナルに挑戦し始めたのはほんの一年半前からなのですから。


 オリジナル小説の処女作である『――時遡(トキサカ)――』。このカクヨムに登録と同時に投稿を始めたこの作品は、私の脳内の経験と妄想アイデアを総動員した力作でありました。


 神が降臨したかと思う程の画期的なアイデアを元に、自分がカクヨム他で経験してきた物語のお約束をトコトンまで反面教師として追及してきたSFヒューマンドラマ『にんげんホイホイ』は、私の自慢の代表作になりました。


 流行りの異世界ファンタジーの中にボーイミーツガールと、あっと驚く世界観を盛り込み、読者を主人公たちと同じ『仕掛け人』の立場に引き込んで楽しんで頂くべく書き上げた『地獄のエリア810~魔法王国の少女と機械帝国の少年兵』。


 結果、全部惨敗しました。正直わけわかんなかったですね。

 なんであの作品が書籍化されてるのに、あの作品がランキング一位を取ってるのに、私の作品は底辺をウロチョロしてるのか、と。


 繰り返しになりますが、私自身は絶対に負けてるとは思っていません。はなはだしい自惚れと言われてもしょうがないし、自分が書いた作品は贔屓目で見るのも仕方がないのも分かっているつもりです。


 それでもなお、です。


 じゃあ、何がいけないんでしょうか。なぜ自分の小説は書籍化されず、コンテストに落選し続けて、ランキングすら伸びないのでしょうか。


 そのひとつの答えが、多分、私がここまで書いてきたこのエッセイにあるような気がします。


 ――愛すべき脇役、やられ役たち――


 この思考がそもそも今のWeb小説、特にラノベの世界では間違っているのでしょう。

 今のラノベ界が望んでいるのは、脇役ややられ役たちが活躍でしゃばり物語なんだと思います。



 超有名なラノベ元祖のアニメ作品『スレイヤーズ』の最初期のOPは、主人公リナ・インバースのこんなセリフから始まります。


「大胆不敵! 電光石火! 勝利は私のためにある!」


 作品のオープニングから主人公がこんなこと言っちゃったら、もう作品は主人公大勝利が約束されたような物でしょう。


 しかし、このスレイヤーズという作品は、リナのそんな宣言とは裏腹に、彼女一人ではとても手に負えないような強敵が続々と登場し、敵も味方も非常に個性あふれる、濃ゆくて魅力あふれるキャラクターが勢揃いしておりました。


 ガウリィ、ゼルガディス、アメリア&親父おうぢさまなどの主役側はもちろん、敵側のゼロスやガーヴ、巻末コメントキャラを兼用するL様や部下S、ネタ担当の白蛇サーペントのナーガ、最怖さいきょうのお姉ちゃん、そしてモブ敵たちのまた濃ゆい事……細部までしっかりと魂が込められた魅力的なキャラの数々、さすがはラノベの先駆者ともいえる見事すぎる出来栄えでした。


 「勝利は私のためにある!」というリナのキャッチを、よってたかって「そうはいくか!」と否定しにかかるがごときの濃い面々がガッチリと世界を作っていたのです。



 しかし、最近のラノベやWeb小説の人気作品では、このリナのセリフだけを真に受けているかのような、で回りは全部ザコ、小物、モブみたいな扱いを受けている作品がモリモリ評価され、隅々のキャラまで魂の入っている作品の多くがランキングの底辺をのたうっております。


 まず主人公様を持ち上げるヨイショすることが前提にあるキャラしかいない世界って、なんかもう怪しい宗教みたいな感じがして、うすら寒くすらなります。

 でも最近のラノベなんかじゃ、タイトルからしてソレを打ち出してウリにしてる作品すら存在します。このカクヨムでも、書籍化作品からランキング上位~下位まで、「俺のチート最強……」とか「俺だけモテモテ……」「俺の配信が何故かバズって……」なんかのタイトルがあふれまくっております。

 どんだけ主人公を依怙贔屓えこひいきして甘やかしてる世界なんですか、それ。



 もちろん例外も数多く存在します。例えば本エッセイの延長戦④で取り上げた武田綾乃先生の作品『響け!ユーフォニアム』などは、細部のキャラまでしっかりと魂が入った、を持った作品になっております。


 他にも、私の痴作にコメントして頂いた作家様、深川我無先生のホラー作品『邪祓師の腹痛さん』は、幽霊や妖怪などを祓う事をテーマとして扱っておりながら、それを生み出す人間の生々しい感情がごっそりと込められた、実に作品に仕上がっています。


 そう、脇役ややられ役を雑に描く作品は、世界観がんです。ぺらっぺらなんです。

 『世界』と言うのはの事なんです。そりゃ自然だって景色だって世界ではあるんですけどね。


 今現在私たちの生活に、どれだけ大勢の人間が関わっているかなんて言うまでもないでしょう。

 あなたが住んでいる家は誰が建てましたか? 着ている服は誰がこさえました? 歩いているアスファルトは誰が整備して、スマホを作って普及させたのはどちらの会社の方々ですか? 食べる米は、パンは、誰が作って、誰の手を経て食卓まで上りましたか?


 すべてあなた以外の、つまり『主人公』以外の誰か。あなたを主人公とするならいわばの仕事なんです。


 ちょっと考えて見て下さい。に他者が存在する世界、というのがどういうモノなのかを。


 あなただけの為に誰かが家を建て、あなただけに喜んでもらう為に見知らぬ人が服を作り、あなたに誉められたくて歩きやすいように会社ぐるみで道路を舗装してもらい、あなただけに『美味しい』と言ってもらう為にお百姓さん達が米や野菜を作り、一流の料理人があなたのために調理まで全部こなしてくれる。


 あなたではない、モブと言う名の誰かが、に。


 ね、ペラッペラの世界でしょう? 小学生でももうちょっとマシな妄想しますよホント。



 じゃあ一体なぜ、ラノベやWeb小説の大半が、そんな作品で占められるようになったのでしょうか。

 個人的な考えとして、大別してふたつのパターンに分けられると思います。


 まず一つには、今の世のラノベ、Web小説読者のニーズが、そういうを求めているという事です。


 現代社会には様々なストレスや不満、あるいは憤懣までが渦巻いております。


 会社員は上司や取引先にクソミソにこき下ろされ、独身成人は親や世間からの結婚しろ圧に頭を悩ませております。学生さんは成績や進学で悩み、いじめに遭って引きこもってる生徒も多々いるでしょう。

 お金も無く、時間も無く、未来も見えない。そんな閉塞しきった毎日を過ごすのに、人々は何らかの娯楽と言う形でのストレス発散を求めることでしょう。


 今のラノベって、まさにそんな方々が愛読しておられるのではないでしょうか。。


 だからこそ創作の世界では自分が一番偉い立場を望むのでしょう。本を開いている間だけは自分が一番強く、美女美男子にモテモテになり、憎いあやつをボッコボコにできる。そんな夢のような世界に浸りたいがためにラノベを読んでいるお方が、相当の割合でおられるのだと思われます。


 だからこそ出版社の編集者も、そんな作品をベタ褒めして書籍化するのでしょう。


 そしてプロ作家の方々も、そんな編集や読者のニーズに応えて、あえて売れる作品を、つまり主人公万々歳な物語をのではないのでしょうか。


 自分が作りたいものを生み出すのではなく、世の中の人が望むものを作り出す。これは商売の大原則です


 もちろん書き手の中には天才と呼べるほどの実力者もいて、自分の書きたい物を書いて世間をあっと言わせる作品も多々あります。しかしそれもラノベ全体で見ると少数派で、多くは読者に安易な優越感を抱かせるだけの作品が幅を利かせています。


 需要があるから供給がある、この商売の大原則の前に、私の小説などは見向きもされずに、ぺっちゃんこに踏み潰されているのでしょう。


 ううむ……まさに脇役、路傍の石ですな。



 二つ目に言えるのは、Web小説を書くにあたってのが関係していると思います。


 以前、私の近況ノートにとある作家様から、こんなコメントを頂戴しました。

「だからラノベはマンガにいつまでたっても勝てないんだよ!」


 卓越したコメディセンスを持って執筆されているその作家様が、今のラノベの同じような作品の乱発、つまりテンプレ作品の隆盛をみて嘆かれた言葉です。


 少年漫画、青年漫画、少女漫画など様々なタイプの作品が雑誌ごとに読める漫画に比べて、ラノベというジャンルはあまりにも世界の幅が狭いとおっしゃっていました。

 なるほど見事な見解です。確かに今のラノベでは専門漫画雑誌に集約すると、せいぜい1~2冊の連載雑誌しか生み出せないでしょう。だってみんな同じようなもんだし。


 ですが私はもう一つ、ラノベが漫画に絶対に勝てない、というか決定的に違いがある事に、この作家様のご意見で気付くことが出来ました。


 漫画と言うのは、特にヒット作品で言うなら必ず、にしっかりと、という事なのです。


 近年の大ヒット作『鬼滅の刃』を見てもそれは明らかです。

 炭治郎や禰󠄀豆子などの主役キャラはもちろんのこと、鬼殺隊の柱から剣士達まで、そして敵役の鬼にしてラスボスでもある鬼舞辻無惨きぶつじむざんはもちろんの事、十二鬼月の上弦たちから初期の雑魚鬼まで、しっかりとその思考や信念、鬼と化すエピソードから、その心に抱えるトラウマに至るまで、実に鮮やかに描き出されております。


 ラノベ作品にありがちな展開。脇役が主人公を褒め称え、敵役は主人公のチート能力に薙ぎ倒されるだけのお話などとは、まさに天地の差があるのです。


 どうしてここまで漫画とラノベで、脇役ややられ役への作品内での扱いに差が出るのでしょうか。


 漫画と言うのは、で物語を綴る表現作品です。キャラクターや背景をしっかりと脳内で構築し、それを絵に描いて活躍させることで物語を紡いでいくのです。


 ならばその漫画家様は、たとえそれが脇役ややられ役であっても、しっかりとキャラクターとして描いていかなければなりません。まさか脇役だからと言って、棒人間やで済ませるわけにはいかんでしょう。


 どんな顔立ち、髪型、目つきにして、どんな背格好にしてどんな服を着せるか。どんなアクションを取らせてどんな台詞を言わせるか。それをきっちりと『絵』として仕上げなければならないのです。


 そして『絵を描く』というのは、それに作家の魂を込めるという事に他なりません。

 絵というのを描くのは例えプロでも簡単ではなく、試行錯誤の末に白い画用紙に生み出されたそのキャラクターは、例え作中でどれだけ酷い扱いを受ける者であっても、作者の生んだなのです。

 ひとつのキャラクターを描き終えた後、「うん、いい絵が描けた」と満足した作家様が、どうしてそのキャラクターを雑に扱う事など出来ましょうか。


 しかし、Web小説はそうではありません。

 昔の小説家様のように原稿用紙に文字を起こしているならばまだしも、今の時代はパソコンのキーボードをカタカタやって終わりなんです、脇役ややられ役を描くのなんて。


 主役やヒロインならまだ、表現に心血を注いで美男美女にするべく、または読者が自己投影しやすいようにと、しっかりとした魂をキーボードに叩き込んでキャラを立てるでしょう。

 しかし脇役ややられ役に関しては、「こいつはちょろっとヘイト集めってさっさとぶち殺す程度でいいな」などとロクに命すら与えられず、カタカタとタイピングに流されつつ路上の看板か人形のようにコカされるだけの扱いでしかありません。

 それこそ漫画で言うなら、まるでへのへのもへじの棒人間で描かれたかのように。


 これじゃ作品が薄っぺらくなるわけですよ。


 もちろんプロのラノベ作家様の多くはそんなこと百も承知で、今現在需要のある『主人公だけ万々歳物語』を書かれているのでしょう。そのプロ意識は見上げたものです。


 ですが、誰にでも投稿できるWeb小説において、若い世代がそんな自分の願望だけを垂れ流すような作品に傾倒し、それを書いて一端の作家だと思うようならそれは問題だと思います。


 何故なら、そういった物語の中には時に、目を覆うような酷い作品が混入するからです。

 特にチートや追放モノ、悪役令嬢やNTRモノによく見られる「ざまぁ」と称される物語には、時に常軌を逸した残酷な表現が込められているケースが多々あります。


 主人公や脇役と言う立場分けをせずに公平に物語を見ていると、明らかに主人公の側が犯罪行為を、、そして(未遂含む)までもを公然と行っているのに、物語の中の主人公補正でそれがさも正しいかのように書かれている話を度々見かけます。


 小学生でも習う「あいてのきもちになってかんがえる」という常識すら全く考慮に入れない、主人公だからどんな残忍な行為をしても許される、面白くて爽快ならそれで構わない。

 脇役たちは例え親や師匠や年長者であっても誰もそれを咎めない、むしろ嬉々として彼らを評価し、その犯罪行為を後押しする。


 そんな作品があろうことか、書籍化されるケースすらあるのです。


 確かにこの有様では、ラノベは漫画には絶対に勝てないです。漫画でそんな話を描けば、少なくとも少年漫画や児童漫画では真っ先にボツを食らうでしょう。

 ラノベの対象は小~中高生です。そんな子供たちにこんな作品を読ませ、あまつさえ書かせたりしていたら、子供たちの倫理観はぐちゃぐちゃになるでしょう。

 売れるからといって倫理に外れた作品が幅を利かせれば、やがてラノベというジャンルそのものが、世間から軽蔑され、見下される存在へと落ちてしまうかもしれません。


 よく同人誌などのエロ犯罪漫画やロリコン漫画などの世界で、それを愛読する人たちが『現実と創作の区別ぐらいつく』と正当化するのを見かけます。確かにそれは一つの真実であり、創作で自分の欲望を満たす事で実際に犯罪行為に走るのを防ぐ、というのは一つの正論ではあります。

 なのでラノベでも「物語の世界の話だから。現実に犯罪ざまぁをするわけじゃないのに、なにマジになってんの?」なんて反論する人がいそうですよねぇ。


 ふーん。ラノベがエロロリ犯罪漫画のレベルに堕ちてもいいんだ。

 そんな所だけ漫画に追いついてもしょうがないでしょうに。


 っと、少し脱線しました。まぁ主にこの二つの理由、読者のニーズと魂の入れにくさ、という二つの点から、今のラノベには脇役やられ役に魂が入ってない、いやむしろそれ不要で邪魔だとまで認識している作者、読者、審査員、そして出版社が多いような気がします。


 まぁ、今の風潮は私がいくら声をあげても止まるもんじゃ無いし、出版社さんは本を売らなきゃ明日の飯に困るんですから、どうこう言ってもしょうがないのは分かってます。


 でも、出版社側やその編集者さん達にも、そしてラノベやWeb小説の書き手さんにも、さらにそれらの読み手さんにも、もう一度だけ改めて考えて欲しいのです。


 ホントにラノベって、このままでいいんですか?


 今の風潮。主人公に自分を投影してやりたいほうだいを楽しむ、チートによる一方的な暴力や殺戮を『戦い』だと正当化し、主人公の香りを漂わせる美男美女ホイホイでかき集めたハーレムを『恋愛』などとのたまう。やることなすこと全てが上手くいき、何も困らない、全てが主人公の思うがままに事が運ぶ。脇役たちが諸手を上げてそれを人形のように絶賛する。その陰ですり潰されたやられ役の事など気にも留めない。


 そんな物を求めるブームが去った後、果たしてラノベというジャンルは世間からどう見られるでしょうか。


 過去にあった文学の恥部、いい大人や若者が幼稚な夢を見る為の稚拙な物語。こんなを頂けるかもしれません。


 じゃあ、そうならないようにするにはどうすればいいのでしょう。


 簡単ですよ。を、を、もっともっと愛してやればいいんです。


 なにもヒーローに自己投影するだけが作品の楽しみ方じゃないはずです。作品に存在する脇役ややられ役が『こいつどこか自分に似てるなぁ』なキャラクターを見いだせたら、それだけで物語はずっと立体的に、奥深くなるはずなのです。


 書き手もまた、自分がいい思いをするだけの物語ではなく、もっと他の人にも目を向けて行き、自分が生み出した脇役、やられ役に『ニンゲン』をしっかりと投影すれば、より素晴らしい物語が生み出せるはずです。


 そんな作品を生み出し、読み続けて行けばきっと、そこは限りなく現実に近い世界になります。そんな世界を愛する事が出来れば、きっと現実そのものをもっと好きになれるでしょう。


 そして創作は、ラノベは、本当の意味で、もっともっと面白くなるはずなのです。



 私はこれまで様々な漫画やアニメでその事を学んできました。


 『宇宙戦艦ヤマト』の絶対悪であったはずのデスラー総統が、実は信念を持ち、心を通わせる事が出来る男でありました。

 原作では暴力的ないじめっ子であった『ドラえもん』のジャイアンが、映画版ではその腕っぷしが頼もしい少年である事に嬉しくなりました。

 そして本エッセイで取り上げて来た、すばらしい脇役、やられ役たちにそう教えられてきました。


 だから私はこれからも、脇役ややられ役、そしてモブにもしっかりと魂の入った作品を執筆していきたいと思います。

 そしてこのエッセイを読んで下さった作家様が、自分の作品の脇役に少しでも今以上のお思いれを持って頂き、ヨム人が作品の中のモブキャラや敵役に少しでも感情移入をしてもらえるならば、作者としてとても嬉しく思うのです。


 さぁ、愛しましょう。脇役を、やられ役を。そして令和の時代に生きる、現実世界で主役になれない私達を、もっともっと好きになり、人生を楽しんでいきましょう。



 以上、この世界の雑魚キャラ、三流FLASH職人(現:素通り寺(ストーリーテラー))の戯言でした。それではまたどこかでお会いしましょう。













 くっ、カクヨムコン10に向けて10万文字達成の水増しのために自分語りエッセイ入れたのに、まだ3千字ほど足りないではないか……。


 なので再々延長戦はリクエストを広く受け付けます。この作品で脇役を語って欲しい、このやられ役を取り上げて欲しい等のリクエスト等がありましたら、応援コメントや近況ノートにぜひお寄せください。


 来なかったらどっかでこっそり水増しするか(ボソッ)。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

愛すべき脇役、やられ役たち 素通り寺(ストーリーテラー)旧三流F職人 @4432ed

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ