第14話(最終話)

その顔に俺は僅かに動揺を隠せない感覚になった。


「新谷さん。昨日お話ししていた阪野さんです」


会釈をして彼の隣に座り、名前を改めて訊くと実弟だった。彼は兄の眞紘とはまた違う従容不迫しょうようふはくな雰囲気で丁寧な口調で語りだしていた。


「新谷、琉海るかさんですか?」

「はい、そうです。阪野さんですよね」

「はい」

「東京から来てくださったと聞きましたが、こちらは風が冷たいでしょう?」

「まあ、そうですね。この施設にはどのくらいいらっしゃるのですか?」

「今年で七年になります。阪野さんは何のお仕事を?」

「都内にある○○警察署の刑事課で警察官として勤務しています」

「刑事さんか。向こうだとたくさんの事件があって大変ですよね」

「私もこの歳になってこんなに長く今の仕事を続いているのも、奇跡に近いくらいですよ」


「今日はどういったお話で来られたんですか?」

「ご家族の事で、お伺いに来ました。あなたのお兄様にあたる、新谷眞紘さんの件で聞きたいことがありました」


「兄は……元気ですか?」

「それが、先日事故で亡くなられたんです」


「そうだったんですね。いつだったか、ここの施設に入ってから間もない頃に、兄がここに訪ねてきたんです」

「眞紘さんが……?ご本人からは高校を卒業して以来、お会いしていないと聞いていたんですが……」

「照れ隠しかもしれませんね。あの人、昔から自分の事をうまく言えないところがあって、僕が話し相手になっていたんですよ」

「お二人は親しかったのですか?」

「それなりには。兄はいつも僕の事を気にかけてくれていました」

「そうでしたか」

「久しぶりに会って少し話してからすぐに帰ったので、何を話したかは覚えていません。でも、元気そうでそのあたりは嬉しかったな」


「お兄様の事はどう思われていましたか?」


「不器用だけど、自分の事よりも周りにいた人の事を良く考えてくれていた人。そういったところは僕としても良い兄だと思っています」

「私はてっきり、お二人が疎遠状態になっているのかと思っていました」

「最後まで言わなかったのは、きっと守るために伏せていたのかもしれません。そういう人なんです。兄が阪野さんを知っていたのはなぜですか?」

「ある事件があった時に、捜査している合間に出会ったんです。常に、冷静な方でしたね」

「取り繕っているだけです。ずっとそういうとことは変わらなく生きていたんですね」


「あなたはお兄様が憎いと思ったこともなく?」

「はい。母が事情があって家を出たことがあったのですが、その後も兄はずっと探していたんです」


「探していた?」


「どうにかして父とやり直してほしいと願っていたようです」


新谷が話していた事とは想定外の事情を知り、俺は続けて実弟に話をしていった。


「兄は、僕の事はなんと言っていましたか?」

「誠実な人だと言っていました。小さい頃もよく懐いてくれて可愛がっていたとおっしゃっていました」

「そうですね。僕らが住んでいたところは小さくて何もない町でした。そうだ、海が見える岬の丘にもよく一緒に行っていたんですよ」

「お兄様と?」

「はい。あれが一番いい思い出に残っている。大人になっていつかこの町を出たら、また二人で遊びたいねって」

「あなたには良くしていたんですね」

「ずっと生きている人だと思っていました。そうでしたか……父のところへ行ってしまったのですね」

「きっと向こうでお会いしていることでしょう。私もそろそろ戻る時間なので、これで失礼します」


「阪野さん」

「はい」

「会いに来てくれて、ありがとうございます」

「いえ……では、どうかお元気で」


こうして一連の事件は可決されて幕を閉じた。自分にとってはどこか悔いの残る思いで終止符を打った出来事だった。新谷眞紘という人物は最後まで何かの教えを守ろうとしていたのだろうか。きっとそれは創造主に近づくことや聖者になることより、生きた人間の恩をどうすれば返せるのだろうかと悩みながら生きていたに違いない。


完全に悪ではなかった。


悪から逃げようと神に手を差し伸べて苦しんでいたのだろうと考えると、彼もまた一人の人間として生きていたかったことは、見えないその手を繋げてやることもできたのかもしれない。今思えば、俺に出会ったのも助けを求めていた瞳をしていた。


人の善悪は人が裁けても神はその時には目を瞑っているもの。真実が見えた時に、人は己の本当の存在価値を探し始めていくものなのだ。


その翌年の三月の朝、俺は最後の出社をし、後輩たちに伝えるべきことを教えていき、あっという間に一日が過ぎていった。夜になり警視庁に退職届を出し、帰り際に在庁していた長官に呼び止められて、長きに渡り務めたことを称えると告げてくれた。


明日からはどこにでもいる取るに足らない老人の一人になる。


都会の空も低いものだと思っていたが、こうして見ていると月の光も明瞭に照らしてくれるものなのだと心なしか凡近だと感じとれた。余生は長いものだと自分に言い聞かせながら、自宅の部屋の明かりをつけて、その後に帰ってきた家族と、いつになく会話の絶えない温和な絆を囲んでいった。


《了》

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

十三番目の聖者 桑鶴七緒 @hyesu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ