赤い雨が降る世界㊦
僕は、旅の仲間を得た。孤独に過ごす時間は、長く感じられたものだ。ところが、キウとともに歩む道のりは、時の流れが早く。あっという間に過ぎ去っていく。
老カタツムリは、この世界のアジサイの里を渡り歩いているのだそうだ。
僕は、キウとともにその足跡を追っている。道中のアジサイの里は、ことごとく枯れ木となっていた。
二人旅の中で、分かったことがある。
同族喰らいのカタツムリたちは、同族を喰らい尽くしたあと、自分たちをも喰らい尽くしていたのだ。
そして、最後は自らを食い破る。風化した殻だけが、朽ち果てたアジサイの根本に転がっていた。
「世界には、こんな光景が広がってるのかな。名無しのカタツムリさんは、今までこんな光景は見たことがなかった?」
キウは、転がった殻を触覚で弄りながらつぶやく。その語調からは、寂しさや悲しさは伝わってこない。
僕は、否定した。真実探求の旗を掲げていたわりには、何も見ていなかったのだ。
キウから、老カタツムリの話を聞いて、足跡を追うたびに赤い雨の伝説を肌で感じる。
「ここにも、老カタツムリはいないね。移動速度は、僕たちのほうが速いはずなのに……。どうする? まだ南を目指すよね?」
老カタツムリは、南を目指している。キウにだけ告げたらしい。もっとも、その話を信じたわけではなかった。あの残状が起きるまでは。
何故、老カタツムリはキウにだけ行く方角を話したのだろう。そもそも、本当に南を目指しているのだろうか。
「キウ……。行くしかないよ。老カタツムリが言ってることが本当なら。カエルと呼ばれるバケモノを止めないと。世界中のアジサイの木が……。里がなくなってしまうよ」
「うん。住む場所がなくなったら大変だからね。老カタツムリの言葉を信じて、南を目指そうっ!!」
キウは、弄っていた殻を勢いよく転がした。他の殻とぶつかって寂しげな音をたてる。涙が喉の奥で詰まった。
「う、うん。そうだね。先を急ごう」
キウは、南を目指して歩きはじめた。枯れ枝が、寒空の下で風に揺れている。
かつては、あの月を魅了する花をつけていたはずなのに。僕は、こみ上げる涙を嚥下した。
僕たちは、歩き続ける。南から南へ。肉体を失って転がる殻を乗り越えて。
いくつもの死を見つめてきた。
ひとりだったときは、見ることもなかったモノ。暗く冷たい崖の下に、咲く小花のような気持ちになる。
天を仰ぎ、救いを求めるような……
二人旅は、楽しかった。しかし、キウの他のカタツムリに対する感情を見ていると疑問を持たざるを得ない。
僕は、変わらぬ輝きを放つ月を見つめながら深くため息をつく。
「もう少しだよ。老カタツムリに追いつけるはずだよ。でも、名無しのカタツムリは、カエルを倒す手伝いをするの?」
キウの口調には、怪訝さが滲んでいるように感じる。キウの目標は、燃える月の世界であろう。
老カタツムリが、語ったらしい色々な伝説。そのなかでも、一番理解できなかったのを覚えている。
この世界に、天から僕らを見下ろす宝玉がふたつもあることになる。月と燃える月のふたつ。
理解し難い。とても信じられない。でも、真実とはそういうものなのかもしれない。
燃える月の世界へのあこがれを話すキウの目は、僕の殻よりも輝いて見えた。
「そうすることが、みんなのためだと思う。このままだと、カタツムリは……」
僕は、キウの顔を見て口を閉じた。やはり、カタツムリには寂しさを感じる気持ちはないのだろう。
「僕は、燃える月を見てみたいな。きっと、アジサイの木も違うものに見えるんじゃないかな?」
キウは、鼻歌交じりに歩いていく。燃える月の世界には、同胞が、カタツムリたちがいるのだろうか。
風が妙に冷たく感じる。僕らは、随分と歩いたものだ。きっと、世界のどのカタツムリよりも歩いていると思う。
✶
僕は、驚愕した。ただ、立ち尽くした。今までに見たこともない大きなアジサイの木が目の前にあるからだ。
木のてっぺんは、遠くてハッキリと見えない。キウも驚愕していた。何よりも、滅びていないアジサイの里を見たのは久しぶりのことだった。
「す、すごい。こんなに生き生きとしたアジサイを見るのは、キウの里以来だね。キウ、今なら助けられるかも。赤い雨が降る前に……」
キウが、返事をせずに無言で一歩前に出る。その視線の先に、こちらを見て微笑む年老いたカタツムリの姿があった。
それほど大きな体でもなく、痩せているのに。どこか鋭く威圧感を感じさせる風貌だ。
「おお、キウくんだったかな。ここまで、ずいぶんと長旅だっただろうね。ここが、我々に残された最後のアジサイの里だよ。カエルは、もうすでに近くまで迫ってきている」
老カタツムリは、僕をみつめた。いや、僕ではない。この金色の殻を見ているのだと気付く。
「おお、待ちにまった。金色の……っ!!」
老カタツムリの言葉は、嫌悪感を煽る音にかき消された。腹の底を打つような音が、重くのしかかってくる。
──ゲロ、ゲロ、ゲロ、ゲロ、ゲロ。
──ゲコ、ゲコ、ゲコ、ゲコ、ゲコ。
アジサイの里を包むように、音が反響しあっている。アジサイの里からカタツムリが、顔を出す。次々と。
「皆のもの、ここが最後の希望だ。あの鳴き声は、雨を呼ぶ……これ以上、鳴かせてはならない」
老カタツムリの声とともに、巨体を揺らしながら不気味なバケモノが、次々と姿を見せた。
たるんだ肉に手と足が生えている。横に裂けた口から長い舌が、ブルンっと動く。顎の下を膨らませ、異音を発した。
「これが、カエル? あ、キウっ!!」
キウは、悲鳴をあげてアジサイの木の根元に入っていった。アジサイの木から顔を出したカタツムリは、小さな触覚に持った何かをカエルに投げつけている。
尖った小石だ。
「生意気なカタツムリだ。大人しく雨の餌食になれ。愚かな古代生物のように……」
僕は、近づいてきたカエルを凝視する。今までに見たこともない異形。どっしりとした体躯から声ほどの恐怖は、感じない。銀色の冠をかぶっている。
「何故、こんなことをするんだ? 僕たちのことが憎い?」
銀色の冠のカエルは、目を丸くする。舌をこちらに伸ばす。素早い。僕の殻に舌がぶつかる。でも、痛みはない。
「ぐわぁ、舌がっ──焼けるぅっっ!!」
素早く引っ込めたかと思うと、その場に転げ回った。銀色の冠が、地面に落ちて転がる。
「金色の殻を持つお方よ、このアジサイの木の頂上にお立ち下さい。そうすれば、雨を退けることができる」
「グギァァァァあっっ!!」
別のカエルは、カタツムリを踏みつけていた。そのカエルに向けて、木の上からカタツムリたちが何かを投げつける。
「やれっ、カタツムリどもを実力で排除しろ。二度と古代生物のような増長を生ませるな」
銀色の冠を被っていたカエルは、焼けただれた舌をだらりと伸ばして大声を出す。呼応するように、カエルたちがカタツムリを襲いはじめた。
「おはやくっ、我々は、余りにも非力。雨を待つことなく滅ぼされてしまう……」
老カタツムリにもカエルが、襲いかかる。老カタツムリは、殻を振りカエルを薙ぎ払うも、別のカエルに押さえつけられてしまう。
僕は、アジサイの木の頂上を見て息を呑んだ。でも、迷ってる時間はない。今は、老カタツムリの言葉を信じるしかないのである。
何匹ものカタツムリの悲鳴が、聞こえてきた。頭のなかで「助けて」と変換される。
アジサイの木の根元に、キウを見つけた。震えている。僕を見ようともしなかった。
「キウ…………」
僕は、故郷を出たときの寂しさを感じた。きっと、キウにこの気持ちは理解できない。
木を登る。最後に、アジサイの木に登ったのは、どれくらい前のことだろう。
カエルの鳴き声が、聞こえる。下から。僕は、振り向かずに登り続けた。
「さあ、金色の殻を持つお方。頂へ。ここは、僕らに任せてください」
枝から顔をのぞかせたカタツムリは、下へとおりていく。僕は、返事もせずに登る。
悲鳴が、近づいてくる。もうすぐそこまで。でも、立ち止まれない。頂上が見えてきた。月が目の前に見えるようだ。
強い風が、僕に吹き付ける。アジサイの葉の匂いを強く吸い込んだ。荒涼とした黒い大地が広がっている。
老カタツムリも見える。何匹ものカエルに囲まれいた。遠くに見えるのは、枯れたアジサイの里だ。
僕は、アジサイの木の頂上に咲く花の上に立った。月明かりが眩しく目を細める。
後を追ってきたカエルたちは、断末魔をあげ落ちていく。その身体は、焼かれて焦げたようにドロドロとしたものに変わっていた。
僕は、体が浮くような感覚がして、アジサイの花にしがみつく。見上げると、金色の殻だけが宙に浮いていた。
輝く殻は、月よりも明るく。とても暖かく、心が静かになる。大地は、色づいていく。カエルたちは仰向けになって動かない。
世界の果てまで、見えるようだ。僕は、キウが老カタツムリから聞いた話を思い出した。
──そのときは、燃える月が見える世界を目指すつもりだよ。老カタツムリが言ってたんだ。この世界のどこかには、月よりも明るく地上を照らす場所があるって……。だから、老カタツムリの後を追うつもり……
天玉の座につく、金色の殻がこの世界に朝を告げる。世界で一番高いアジサイの木に、名もなきカタツムリが……
眠っていた。
【赤い雨が降る世界㊦】完。
赤い雨が降る世界 SSS(隠れ里) @shu4816
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