赤い雨が降る世界

隠れ里

赤い雨が降る世界㊤

 いつからなのか、誰にもわからない。理由を聞いたところで、誰も答えてはくれなかった。


 この世界には、赤百合のような雨がふるらしい。


 誰も知らないわりには、ヒの雨と名付けられている。地上の生物を溶かしてしまうらしい。


 ハッキリとしたことが、分からないのは誰も溶けているのを見たことがないからである。


 誰かが言っていた。そんなことを聞いた気がするだけで、誰ひとりとして本当のところを知らないのだ。


 少なくとも、僕が出会ったものたちは知らなかった。


 しかし、この世界のどこかには真実を知るものがいるはずである。いや、いてほしい。


 僕は、それを探すべく旅を続けている。アジサイの里からアジサイの里へと、真実探求の旅を続けてきた。


 変わり者だと思われているだろう。


 仕方がないことだ。生まれたときから他と違っていた。同じ里の誰とも違う金色の殻を持っていたから。


 故郷の里を追われて、幾星霜。真実を知るために、長く過酷な旅を……。いや、何かから逃げ続けてきたようにも感じる。そんな旅だった。


 いまだに真実には、たどりついていない。いまだに僕と同じ金の殻を持つものには出会えていない。


 また、遠くにアジサイの木が見えた。新たな里がある証拠だ。僕の知りたかった真実があるかもしれない。


 月明かりをあびたアジサイの木は、僕を招くように揺れていた。もう少しだ、と進む速度をあげる。


 生暖かい風に乗って、アジサイの葉の匂いがした。僕の移動速度は、さらに速くなってアジサイの木は大きくなっていく。もう少しだ。


「ぐぎあぁぁぁぁァ!!」


 アジサイの花から悲鳴が、聞こえてきた。必死な形相のカタツムリが、口をひし形に開けてこちらを見てきた。


 ひとつではない。次々と、カタツムリたちが顔を出す。どのカタツムリも、顔が溶けている。


 真っ赤に激昂したような色をしたカタツムリが、顔の溶けたカタツムリにおおいかぶさった。


(ぁ、えぇっ!? 食べている……)


 僕は、信じられない光景を見ていた。同じアジサイの木で、生まれたものが、共食いをするなど……


 こんなことは、あり得ない。頭を何度も左右に振って、見てみるが変わらない。真っ赤なカタツムリたちが、逃げ惑うカタツムリを喰らいつづけていた。


(助けないと……。でも、どうやって?)


 僕にあるものは、この黄金の殻だけだ。カタツムリには、牙もなければ爪もない。角すらも。


 だが、同じカタツムリであろう彼らには、牙があり凶悪な相貌を持っていた。


 僕は、アジサイの里に向けて歩き出した。どちらにせよ、見ているだけでは駄目だ。


 アジサイの木の根元から、一匹のカタツムリが現れた。しわくちゃの顔で、悲鳴をあげている。心の底からの恐怖を感じる。寿命をむかえる前の姿と似ていた。


「助けてくれ……赤い雨が、狂って、仲間が、食べ……」


 カタツムリは、息も絶え絶えに起こったことを懸命に伝えようとする。さらには、逃げるように促される。


 僕は、まともに歩けないカタツムリを金の殻の上に乗せて、アジサイの里から離れた。


 同じカタツムリのはずなのに、小さな体躯。とても、軽い。これまでのどの里のカタツムリよりも小柄である。


 この背中に輝く金色の殻よりも、小さい。そういえば、アジサイの木も他よりも小さかった。


 彼の話によれば……


 昨日、赤い雨が降ったようだ。そして、今日になって仲間たちが、あのような姿になったらしい。


 生き残ったものは、赤い雨が降ってきたときに逃げ出した者たちだけだろうとのことである。


「ありがとう。僕の名前は、キウ。君の殻は、どうして月のような色をしているの?」


 キウは、僕の金の殻を小触覚で撫でるように触れた。珍しがられるのは、なれている。


 怖がられるよりは、マシだ。僕としても、分からない。生まれたときは、すでに金の殻を背負っていたのだ。


「この殻の色は、生まれつきなんだ。何故なのかは、分からない。そして、名前も分からないんだ……」


 僕は、我ながら何も分からないんだなとあらためて思う。でも、分からないからこそ、故郷の里を捨てることができたのだ。


「そうなんだ。君は、とてつもない使命を背負って生まれてきたのかもしれないな。この世界の謎を解くとか?」


 そのように、僕を語るキウの表情は、まるで絵画のように硬い。僕は、他のカタツムリに対して疑問を持っている。


 故郷の里をあれほど破壊されて、これほどまでに落ち着いているのは、何故なのだろう。


 仲間が喰われて、殺されても悲しみを感じていないようだ。キウも、他のカタツムリと同じである。


 僕は、生まれながらに寂しい感情を持っていた。しかし、同じ里の同胞には寂しさを感じる心はない。


 説明しても、理解されない僕だけの感情が”寂しさ”だ。だからこそ、里を出たのだ。


 僕は、様々な謎を解明するために寂しさを押し殺したのである。仲間たちは、見送りにすら来なかった。


「ここまでくれば、もう大丈夫だね。赤い雨に降られた里は、滅びるって。少し前に来た老カタツムリが言ってたんだよ。誰も相手にしなかったけどね」


 キウは、僕からおりると後ろを振り返った。もう見えなくなったアジサイの木を思っているのだろうか……。そのように思ってくれていたらと願う。


「まさか、同胞喰らいなんて。古代生物みたいなことをするなんてね」


 キウの言う『古代生物』とは、超進化をしておいて超退化をしてしまった矛盾した生物のことだ。


 小さな頃に、盗み聞いた長老の話。最後は、同胞を喰らい尽くして滅亡をしたのである。


「あの老カタツムリの言葉……。信じるべきだったのかな。これから、他の里を探すにしても受け入れてくれる場所があるかな?」


 キウの里に現れた老カタツムリは、赤い雨のことを知っていた。赤百合のような雨を。


 僕が、探し求めていた真実を知っているのかもしれない。長年の旅の終わりが見えたような気がした。


 だけど……


 僕たちカタツムリには、暗黙の了解がある。里を追われた。もしくは、里を出ていったものが、新たな里で暮らすのは、難しい。


 僕もキウも旅をするしかないだろう。一緒に行こう、なんて簡単には言えない。


 里を持たぬカタツムリの旅は、そんなに簡単ではないからである。


「受け入れてもらえなかったら? キウさんは、どうするんですか?」


 僕の問いに目をパチパチとするキウ。想定外の質問だったのだろうか。暗黙の了解を知らないのだろうか。


「そのときは、燃える月が見える世界を目指すつもりだよ。老カタツムリが言ってたんだ。この世界のどこかには、月よりも明るく地上を照らす場所があるって……。だから、老カタツムリの後を追うつもり……」


 僕は、空を見上げた。生まれてときも、里を出るときも、旅をしているときも。


 月は、僕を見守り続けてくれた。優しい光を放つ天玉。老カタツムリは、僕らの知らない世界や伝説を知っているのだと、確信したのだ。


「ぼ、僕も一緒に行っていいかな? 僕は、この殻の秘密とか、アジサイの里を滅ぼすっていう赤い雨のことを知りたい。老カタツムリさんなら、知ってるかもしれないんでしょ?」


 キウは、しばらく考えるような表情を浮かべてから「うん」と微笑んでくれた。


 カタツムリの笑顔を見たのは、久しぶりのことだった。僕が生まれた日に微笑みかけてくれた誰かがいたような気がする。それ以来のことだ。


「でも、名無しのカタツムリさん。覚悟したほうがいいよ。老カタツムリは、こうも言ってた……」


 月に雲がかかる。僕らのいる場所は暗闇になった。僕は、寒気を感じて身震いする。


「赤い雨を降らしているのは……”カエル”と呼ばれる化け物らしい。老カタツムリは、そのカエルを倒すために仲間を集めてるらしいよ。僕の里の人たちは相手にもしなかったし。もちろん、僕もね」


 僕は、老カタツムリこそが探し求めていた『真実』なのだとあらためて確信を強くする。


 探していたのが、どこかのなにかではなく。どこかのだれかだったのが、心の底から嬉しかった。


 【赤い雨がふる世界㊤】完。

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