第8話 三つの宝を作り出せ
大使との面会に先立ち、アウローラの友人と茜たちは待ち合わせていた。場所は先方の都合を優先し、都内高級ホテルのロビー。着飾った人々がゆったり行き交う中、紺のパンツスーツをまとった
「どうなさいました、お嬢様」
「……失敗したらどうしようって、恐ろしい気分になってきたわ」
「無理もありませんよ。予想もできない、急な申し出でしたからね」
大きな好機は時に心を乱す。今になって心細さがこみあげてきて、茜は首を振った。横でそれを見ていた
「茜様には珍しく、腰が引けてらっしゃいますね」
「蒲田はネット炎上の恐ろしさを知らないからそう言うのよ」
茜は作ったばかりのプロジェクト公式アカウントを、いじましい思いで眺めた。フォロワーはわずかに十名ほど。大使が一言否定的なコメントを出したりしたら、袋だたきにあうのは間違いなくこちらだ。
茜がそんなことを思って緊張していると、蒲田が笑った。
「お嬢様、自分のお仕事でそんな状態になったことはありましたか?」
「……ないわよ」
茜自身の仕事なら、恥をかくのも傷つくのも己だけで済む。それに対しては腹をくくっているため、全く怖くなかった。
「それなのに今回は怖い。理由は、
図星をつかれて茜は黙り込んだ。しかし、蒲田の声はあくまで優しい。
「西園寺様を、あの方が好きな物を、それだけ大事に思ってらっしゃるということでしょう。大丈夫、その誠意はきっと先方にも通じますよ」
「……そうなるように努力するわ」
茜はようやく落ち着いて息を吐く。背筋を伸ばしたところで、ちょうど西園寺がやってきた。今日は彼もきっちりとスーツ姿だ。
「遅れて申し訳ありません。先方は?」
「さっき、駅を出たと連絡があったわ。もうすぐ着くんじゃないかしら」
茜が答えたところで、誰かが近付いてきた。軽やかな足音と共に、不快ではないふわりとした香水の匂いが漂ってくる。
「ベアトリーチェ・マンチーニと申します。アウローラからあなた方のことは聞いています」
栗色の髪をひとつにまとめた、背の高い女性が話しかけてきた。思慮深そうな面差しの知的な女性で、グレーのスーツがよく似合っている。さすが、並み居る日本人をおいてバイヤーのトップに抜擢されるだけのことはある。
四人まとまってカフェに移動し、ゆっくりとコーヒーを飲みながら話の続きを始めた。
「さっそく仕事の話なのですが。大使にお出しする和菓子を作るということでしたが……条件はおありですか?」
西園寺が切り出すと、ベアトリーチェはうなずいた。
「はい。向こうの国の名産品を取り入れれば、大使はとてもお喜びになると思います。SNSでのこまめな発信も、ひとえに母国のことを知ってもらいたいという一心から出た行動ですから」
茜はヨーロッパの地図と、大使の国の名物を思い浮かべる。頭の中に浮かんだそれはすぐに十数に達し、茜は手帳にそれを書き付けていった。
「なるほど」
「大使の国は農産物も果物も豊富ですから、候補はたくさんありますね。大使にアレルギーなど、注意すべき疾患はありますか?」
茜が話を引き取ると、ベアトリーチェはにっこりと笑った。
「いいえ。そういったことはありません」
「何種くらいのご用意を希望されますか?」
「大使はその後の会食もありますから、あまりたくさんあるとかえってお困りでしょう。多くても三種、小さめのものが望ましいですね」
茜は条件も書き付ける。さっきあげた食材の中から三種選ぶのは、なかなか難しい気がした。しかしベアトリーチェには、できない素振りなど見せてはならない。
「他にご質問はおありですか?」
「……いえ、特に今のところは」
「では、会食はひと月後ですから……少なくとも一週間前には、私に完成品を見せていただけますか?」
「承知いたしました」
「疑問がありましたら、こちらにお願いします。私の個人アドレスです」
ベアトリーチェから名刺をもらって、茜たちは彼女と別れた。そのまま同じ席で、お菓子に対しての案を煮詰めていく。
「大使の国の名産は……卵やバター、チーズ、ヨーグルト、パン、肉類。料理の主体はそんなところね。後、緑の葉野菜も人気で、最近はパクチーの栽培量も結構あるらしいわ」
茜は西園寺にさっきのメモの内容を説明していく。
「あと、嗜好品だとビールやワイン。もちろんその原料の葡萄も生産量が多い。デザートだとナッツ、チョコレートが人気。……私が知ってるのはこのくらいだけど、何か補足ある?」
茜が一気に言うと、西園寺は驚いていた。
「いやあ、僕にはとても。ネットで検索もせずにそれだけ思いつくなんて、すごいですね」
「……でも、問題はここからどう絞り込むかなのよね」
悩めば悩むほど袋小路に入る気がして、茜はため息をついた。決断する時は、ぐずぐずしていては余計なものまで一緒に煮詰まってしまう。新しい菓子は、絶対に失敗できないものだというのに。
「チーズ、葡萄、チョコレート。僕は、この三つがいいと思います」
しかし西園寺は迷わずきっぱりと言った。
やはり茜とは、企画にかける情熱と知識が違う。考えている時間の差が、決断力の差につながっていると実感した。
「さすがね。和菓子にしやすい素材を瞬時に見分けるなんて」
「茜さんは世界のことをよくご存じだから迷うんです。僕はそういうのがほとんどない分、根が単純なんですよ。この三つが単純に美味しくなりそうだな、と思っただけなんですけど」
西園寺はそう言って苦笑した。その子供のような顔が愛おしくて、茜も笑う。
「ならさっそく、帰って
茜から話を聞いて、高峯は首をひねった。
「チーズ、葡萄、チョコレート……この三点を取り入れて何か和菓子を作る、ということですね。まだ方法は見えてきませんが」
高峯が手元のノートに視線を落とした。
「そうよね……和菓子とチーズ、チョコレートはちょっと難しそう。葡萄が一番作りやすそうじゃない?」
チーズもチョコレートも主張が強い。ヘタに混ぜ込むと、そちらの味ばかり目立ってしまいそうだ。茜にはとても考えが及ばず、ついつい考えやすいほうに流れてしまった。それに高峯もうなずく。
「葡萄ですか。特産品にワインも入っているのなら、前回のワイン入り錦玉羹など喜ばれるのでは?」
茜は少し苦笑した。
「それもいいと思うけど、食べていただくのは公務の時間内だから……アルコールは少しでも嫌がられるかもしれないわ。夕食をご一緒する、というわけではないしね」
「なるほど。大使の評判を落とさない配慮は必要ですな」
高峯がうなずき、西園寺が口を開いた。
「それに、同じスイーツばかりというのも。まず確実に、アウローラさんからこの前の報告があがっているでしょう。できれば、新しい菓子を考えて、和菓子の広い世界をアピールしたいですね」
「分かるわ。アレンジの幅が広いほど、興味を持ってもらえる確率も上がるし。……ちなみにこの時期、普通の和菓子だと何を出すの?」
「日本の季節菓子だと柏餅やちまきになるんですが。さすがにそれだと、餅が苦手な方には厳しいですからね」
西園寺がややうつむきながら言う。彼は、柏餅もちまきも大好物だと言い、本当はそちらを出したいのが見え見えだった。茜は思わず苦笑する。
「一旦そっちは忘れて、お菓子のサイトでも見てみる? 前のアルコールスイーツだって、他のところのアイデアを使わせてもらったんだしね」
ということで茜は小さなタブレットをキッチンに持ち込み、二人に好きに検索してもらうことにした。その間、気晴らしになればと紅茶を入れてみる。
「どう?」
差し出された紅茶を飲みながら、二人は首をひねっていた。すでに数多くのサイトを閲覧している様子だったが、まだ納得できていないのだ。
「私は、葡萄のお菓子は思いついたのですが……残りが。西園寺様はいかがです?」
「僕はチーズならなんとかできそうです。ですが……」
「つまり、チョコレートについてはどっちも悩んでるってことね」
茜が言うと、二人がうなずいた。茜はタブレットに視線を戻す。
「でも、チョコレートの和菓子は二人ともブックマークしてるじゃない。チョコクリーム大福とか、柚子が入ったチョコレートとか」
「それだと、大使にお出しするにはちょっとひねりが足りない気がして。あの方は日本通ですから、たいていのものはご存じでしょうし」
西園寺の言葉に、高峯もうなずく。
「適当なもので誤魔化すわけにはいきませんからね。美味しくて、しかも目新しい何かとなると……」
「難しいのね。洋菓子なら、チョコを使ったものなんていくらでも出てくるんだけど」
デコレーションケーキ、トリュフ、パイ……様々な洋菓子が、画面の中を通り過ぎていく。その一つで西園寺が声をあげたため、茜はタブレットから指を離した。
「バームクーヘンがどうかしたの?」
「すみません、変な真似を。ただ、たくさんあるんだなあとびっくりして……」
「ええ。昔はシンプルなものしかなかったけど、今や全国でブームだもの。百貨店でわざわざ催事が開かれるくらい種類があるのよ」
茜も一度、知人にあげるために買ったことがある。その時は外商が家に持ってきてくれたので、催事場に行ったわけではないのだが。
「そういえば、僕がお世話になってる方の店でも作ってましたね……」
西園寺はなにか思い出したように、視線をさまよわせた。
「何かあてができたの?」
茜が聞くと、西園寺がうなずいた。
「食べてもらいたいお菓子ができたんですが──遠方なので、少しだけ時間をください。都合をつけて、買いに行ってきますよ」
どんな考えが浮かんだのか西園寺は口にしなかったが、とてもいい顔をしていた。
次の日曜日、また一同は
知らせを聞いて降りていくと、西園寺はキッチンですでに茜を待っていた。その前にある皿を見て、茜は目を見開く。
「なにこれ、バームクーヘンじゃない。洋菓子に鞍替えする……ってわけでもないのよね」
「当然ですよ。一部がちゃんと和菓子なんです。これ、面白いアイデアだと思いませんか?」
茜は西園寺に言われて目をこらした。土台はチョコ味であろう濃茶色のバームクーヘンなのだが、その表面を保護するように透明なものがのっていて、中にはオレンジピールらしきものが入っている。つまり表面のこれが「和菓子要素」ということか。
「砂糖の層には見えないわね。ゼリーか……もしかしたら寒天? どういうお菓子なの、これ?」
分からなかった茜は、早々に白旗をあげた。
「実はこれ、わらび餅なんです」
「ええ!? まさか……」
驚く茜を見て、西園寺は晴れ晴れとした様子で笑った。
「下はチョコレートのバームクーヘン、上はオレンジピール入りのわらび餅です。美味しいですから、食べてみてください」
茜は半信半疑でお菓子をつまみあげてみた。そして思い切ってかじりつく。すると、濃厚なチョコレートにもちもちとした上のわらび餅が絡んで、二つのスイーツを同時に食べている気持ちになった。きな粉味とはまた違うが、新しい餅を発見したような気がして楽しい。
「餅の食感が気に入るかどうかだけど、ケーキがあるからだいぶ抵抗ないわね。見た目も面白いし」
「ありがとうございます。季節によって色々フルーツが変わるので、今度お店の方も覗いてみてください」
西園寺が茜にパンフレットを渡してくれる。それに目を通していると、いつの間にか高峯の姿が消えていた。
「どこに行ったの?」
茜が周囲を見回していると、キッチンから高峯がカートを引いてきた。その上には、また覆いのかかった皿が載っている。
「これ、何?」
「実は、葡萄のお菓子の試作品が完成しておりまして。召し上がってみてください」
茜はいきなり聞かされて、嬉しいというより困惑した。
「聞いてないわよ」
「驚いていただこうと思って、黙っていました」
高峯までいたずらっぽい顔になっていたので、茜は軽くそちらをにらんだ。この二人、本当に馬が合うようだ。年も経験も全く違うのに、根っこの性格が似ているのだろう。自分だけがつまはじきにされたような気がして、茜は少し寂しかった。
「ま、まあいいわ。お手並み拝見といきましょ」
そう言って覆いを取り、菓子を見た瞬間、茜は小さく声をあげる。切れ込みの入った土台にコインのように立てられた丸い菓子。色は深い紫色と、少しクリームがかった白色の二種がある。いずれにしてもその菓子は半透明で、ガラスを丸く切りとったようにも見えた。
茜は慎重に指で薄い菓子をつまんだ。意外としっかりした感触で、少し力を入れても割れる様子はない。
「ちょっとこの前の
「そうです。錦玉羹を乾かしたものなので、
茜は思い切って、濃い紫の菓子にかじりついた。
「……こんなに薄いけど、しっかり食感があるわね」
お菓子を何分の一かに削いだような形状なのに、表面と中では明確に食感が違う。表面は砂糖のシャリシャリとした感じがあり、中は葡萄味に馴染んだ寒天の柔らかさを残す。一つ食べ終えても、自然と次に手が伸びる味だった。
同じように食べていた西園寺もうなずく。
「白も赤も、どちらも美味しいです。きっと大使もお気に召すでしょう」
これで葡萄のお菓子も決まった。
「じゃあ、残っているのはチーズね。西園寺くん、アイデアはまとまった?」
「……まだ納得がいくところまではいっていないんです。原案があるので、高峯さんに見てもらおうかと思って」
批判される覚悟、という感じで西園寺がスケッチを取りだした。
「白あんにクリームチーズを練り込んで、洋風の餡を作るところまでは考えついたんです。問題は、それを何で包むかということなんですけど」
高峯はスケッチを見ながら、しばし考えた後に言った。
「バウムクーヘンでケーキ生地は使ってしまうので、こちらは薄いパン生地にしてみてはいかがですか。もともとあんパンがあるくらいですから、相性は悪くないかと思いますよ」
「じゃあ、表面を香ばしい感じに焼いて……パン生地にもチーズを入れてみたらどうでしょうか」
話し合いに熱が入ってきた。何をどうすれば美味しくなるのか、互いに持っている知恵を出し合っている。さすがに材料はないので試食は次回、ということになったが、西園寺はとてもすっきりした顔をしていた。
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