第14話 始末された男
「け、結婚? ……お嬢様。申し訳ございませんが、私に分かるように説明していただけませんか?」
「お言葉ですが、このご縁はお嬢様に適しているとは思えません。万が
植草がこんなあからさまな悪口を言うなんて、と
「分かってる。もちろん、本当の意味での求婚じゃないわ」
今はね、と茜は心の中で付け加える。
「これには狙いがあるの。二人とも座って、ゆっくり聞いてちょうだい」
蒲田と植草は、茜の話を聞いた後もしばらく沈黙していた。一応茜の理性があることに安堵しているようだが、手放しで賛成もできないといった様子だった。
たっぷりの静寂の後、ようやく蒲田が口を開く。
「それならば……可能性はありそうです。しかし、お嬢様のよからぬ話が広まるのではと、私は心配になるのですよ。相手が再び命を狙ってくるという事態も考えられますし」
「
まだ煮え切らない様子の二人に、茜は詰め寄った。
「じゃ、このまま黙って耐えるの? お父様まであんな目に遭わされて? 何年こんな状態が続くかも分からないのに?」
茜がすがると、蒲田と植草は憂いに満ちた表情になった。
「私はそんなに我慢できない。不祥事があったことは直していかないといけないし、知り合いだからって安請け合いしたお父様にも、これまで関心を持たなかった私たちにも責任がある。でも、それ以上踏みにじられて当然だなんて思えない」
茜は熱をこめて語った。
「役に立ちたいの。みすみすこのチャンスを逃したくない。お願い、分かってよ」
蒲田と植草に向かって茜は頭を下げる。そうして、どれくらい同じ姿勢でいただろうか。不意に、ため息の音が聞こえてきた。
「……陸斗様の説得は、私が請け負いましょう。お嬢様が言い出したら聞かないことは、昔からよく存じております」
茜が顔を上げると、苦笑する蒲田の顔がそこにあった。
「植草。屋敷内での身辺警護は任せて良いか」
「……かしこまりました。お嬢様の身の安全は、私がこの命に替えてもお守りします」
蒲田に問われて、植草もようやくいつもの調子で頭を下げた。二人に向かって、茜は微笑み、言う。
「ダメよ。全員生きて勝つの」
次の日、出社するなり茜は西園寺の腕を引いた。
「西園寺くん。メッセージは見てくれた?」
「……は……はい、あの……ふつつかな男ですが……」
やっぱり変な誤解をしているみたいなので、茜は西園寺を物陰に引き込んだ。そしておもむろに彼を両手で抱きしめ、密着した体勢をとる。
「ごめん。あれ、本物のプロポーズじゃないの」
西園寺の背中に回した手に力をこめながら、茜はささやいた。軽く見上げると、彼は元々大きな目を、これ以上ないくらい丸くしている。
「それは、どういう……」
「でも、西園寺くんのご実家に挨拶には伺いたくて」
もはや呆然と立ちつくすしかない西園寺に向かって、茜はさらに続けた。
「お願い。助けると思って、それ以上は何も聞かないで。普通に自分が付き合っている女性からプロポーズされたという前提で、動いてもらえないかな」
「……何が起こっているのか、教えてはもらえないんですね」
「教えれば全て台無しになるの。ここだってカメラがあるし、どこかから盗聴されていてもおかしくない。だから、私を信じてとしか言いようがない」
西園寺はくっと息をのんだ。そして次の言葉を放つ。
「一つだけ、確認させてください。それをすることは、茜さんを……
「そうよ」
茜はきっぱり言った。西園寺の向けられた視線が、茜の瞳をとらえる。
「……分かりました。理由は全く分かりませんが、家の者に話してみます」
完全に納得はしていない様子だったが、西園寺はうなずいた。茜は心から彼に礼を言った。
「ありがとう。全部解決したら、事情を説明するから」
「本当にそう願いますよ」
「それと、ホームページのことだけど。すごく素敵で、役に立ったから」
「は、はあ。でも、今の話となんの関係が……」
戸惑う西園寺に、茜は笑った。
「それも、後からね」
「これで仕込みは終わった……」
夕方、鈍色の雲がたちこめる中を茜は歩いていた。誰かにぶつかりそうになってあわてて立ち止まる。皆がスマホを見ていて視線が下になっているから、自分が気をつけて歩かないと危険だ。
茜は物陰で立ち止まって、蒲田に電話をかける。
「終わりましたか」
「ええ。ここからは運を天に任せるしかないけど……」
「その考え方は良くないと思いますよ、お嬢さん」
聞き覚えのある声がして、茜は反射的に会話をやめた。
「あなたには引き続き調査を頼んだはずですが?」
それを聞いて、
「ちゃんとやってますよ。曲がりなりにも記者ですからね」
茜はその言葉を信用しきれない。先日別れた後、一橋からメッセージが入っていたからだ。
『水沢の行方がつかめない時間が長くなっている。完全に裏切ったとは言い切れないが、注意して』
ずっと気にはなっていたが、本当に裏切っていたのか。そのことを確かめるために、茜はさらに言葉を重ねる。
「それなら何か情報を出しなさい」
「いやあ、ちょっとね。僕にも新しい都合ってやつができまして」
「そのような戯れ言、聞きたくありませんが」
良くない知らせに身を震わせながら、茜はかろうじて言い放った。それでも足が知らず知らずのうちに、後ろに下がっている。水沢は面白そうに、その動きを目で追っていた。
「お嬢様? どうなさいました、お嬢様」
つながったままの電話から、慌てた蒲田の声が聞こえてくる。しかし茜がそれに答える前に、水沢が口を開いた。
「ああ、そうそう。
穏やかに言われたその言葉が、かえって恐怖をあおる。
「凪いだ海面ってのは綺麗ですね。何があっても黙って飲みこむ。ま、恨みっこなしってことにしときましょうか」
多くのものを失ってきた。ここにきて、まさか一橋までも。茜はしばらく絶句し、喉からようやく言葉を絞り出した。
「……そんな、バカなこと」
水沢は呆然とする茜を、憎らしい顔で見下ろした。
「全ての準備は整いました。あなたには想像もつかないでしょうが、裏で色々と忙しくてね。嫌がろうが何をしようが、ここからの流れは変わりませんよ。無駄にじたばたして、余計なことはしない方がいい」
水沢はそう言って去って行く。茜は逃げ出すこともできず、その足音を黙って聞いていた。
月の光が、西園寺家に降り注いでいる。広い屋敷の部屋の一つ、自分の寝室の中で、
「失礼いたします」
入ってきた男を見て、千春は無言でうなずいた。話せ、という合図を受け取った男は、小声で話しはじめる。
「……相変わらず
報告を受けた千春は吐き捨てた。
「かぎ回るだけでは済まなかったわ。今日、
かすかに千春の瞼が震えるのを、報告した部下である
そんな上司の顔を覗きこみながら、山中は慎重に言葉を重ねる。
「何故ですか? 渉様はもっと、慎み深い方だと思っていましたが……」
「さあね、何かあの子の弱みを握ったのかも。渉自身は、何があったのか分かっていないわ。不用意に情報を漏らしてもおかしくない」
「そうなのかもしれませんね」
どう答えたらと困惑して言葉を濁す山中をちらりと見てから、千春はつぶやいた。
「そんなことをしたところで、何も変わるはずがないのに……哀れな小娘だこと」
「……では、もう放っておかれるということですか?」
「こちらの弱みは遥か遠く、負けることはほとんどないでしょう。かといって、安心して何もしないと足下をすくわれるかもしれないわね」
千春はそう言って、静かに傍らの机に手を伸ばす。そしてメモ帳に小さな字で、すらすらと何かを書き付けた。
「ここに書いた通り、速やかに準備を整えなさい。向こうがことを起こして正面から踏みつぶされたいと言うのなら、そうしてあげましょう」
全てはあの女のせい、そしてあがいたところで何もできはしない。それを思い知らせるために相対するというのも楽しそうだ、と千春は考えた。
しかし、そのために確認しておかなければならないことが一つある。
「義母にはこのことは?」
「すでに知っておられます。義母様も是非出席したいと仰せで……どうなさいます?」
「死に損ないの年寄りが」
それ以上の罵詈雑言を言いかけて、千春は思いとどまった。まだ大刀自を慕う人間は多く、彼女を入れるのは嫌だと駄々をこねてもどうにもなるまい。
「大丈夫よ。それならそれで、物の言い様を考えなければいけないけど」
「かしこまりました。そのようにお伝えいたします」
山中が下がると、千春は室内でひとり笑った。自分は昔、こんなことができる人間ではなかったように思う。いつから変質していったのだろう。
思えば、この家に来てからのような気がする。最初は刀自への対抗心があった。自分を遠ざけたあの老人への意趣返しがしたいとずっと考えるうちに、色々と裏から手を回すという方法を覚えた。
「本当にそう?」
千春は低くつぶやく。その種となる事情は、もっと前からあったのではないかと思えてきた。
保護されるべき両親からまず疎まれ、心から安心した感覚が薄かった。そのせいか、ずっと自分ばかりを踏みにじる世界が嫌いだった。
大人になってもそれは大きく変わらない。周囲からは傷つけられ、ままならない思いの中、これまで多くを失ってきた。だからこそ、自分に純粋な愛情を向けてくれたあの子──渉だけは私のものだ。千春は、その思いを強くする。それは決して変なことではなく、間違ってもいないと確信していた。
「……渡さないわ。他の誰にもね」
千春の体を抱く自らの腕が、怒りで小さく震えた。その様を、月だけがただ静かに見下ろしている。
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