第16話 いざ、展示会!
だから、安心して休日は西園寺家に行って、展示会の打ち合わせをすることができる。──そう思っていたのだが。
「茜、待ちなさい。まだ警備の人員が揃っていないから」
「もう事件は解決したの! 普通に出かけても大丈夫よ」
まだ西園寺家の動きに半信半疑な徳三は、自衛のためにと大量に使用人をつけようとした。面倒くさい男と化した身内を振り切って、茜はようやく自家用車に飛び込む。その様子を、運転手が苦笑しながら見守っていた。
「心配する元気があるのは、ありがたいことなんだけど……」
あの心配性は、恐らく一生治らない。茜は呆れながら、座席の背もたれに身を預けた。
どうにか西園寺家に着くと、今度は西園寺が挙動不審だった。
「何してるんですか?」
「おばあさまは来てないと、確認を……うん、いないですね」
西園寺が奥を覗きながら言うのが面白い。聞けば、大刀自はあのネタで孫をからかうのが最近のブームになっているようだ。
「ごめんね、迷惑かけて」
「でも、事件が解決して──茜さんも展示会に参加できるようになって、とても嬉しいです。だいぶ顔色、よくなられましたね」
西園寺がそう言って純粋な表情を見せるので、茜も嬉しくなって微笑み返した。
「そういえば、今日は他のスタッフも来てるのよね? 顔合わせするの、初めてでしょう」
「はい。アルバイトを含めるともっとたくさんいるんですが、今日はとりあえず当日参加する社員だけ来てもらっています」
そう言う西園寺に案内された応接室は、前回より遥かに入り口に近い部屋だった。キャラメル色の柔らかな壁紙と、白い絨毯が印象的な室内には、使い込まれたアンティークの応接セットが置いてある。
スタッフは二名来ていた。製菓実演担当の
「ちょっと待っていてください。みんなでお菓子でも食べながら話をしましょう」
西園寺がそう言って使用人を呼ぶ。間もなく茜たちの目の前に置かれたのは、シンプルな大福だった。白い餅の中から、わずかに小豆色が透けて見える。持ってみるとふんわりと柔らかく、注意していないと指で餅を突き破ってしまいそうだ。
「和菓子は久しぶり。いただきます」
口に含むと、まろやかな餡の甘味が広がる。甘さは極めて控えめで、後を引かずすっとする好き嫌いのない味だ。それでもいくつか食べると、だんだん甘味が蓄積してくるように感じられる。
「そこでこちらをどうぞ」
茜の思考を読み取ったように、温かい湯飲みを差し出された。遠慮がちに少しすすってみると、昆布茶の塩気がたまらない。甘くなった口内が、一瞬でリセットされた。
「美味しい。冷房のきいたところで食べるなら、熱いお茶もアリね」
茜が言うと、せっせとお茶を入れていた西園寺が笑った。
「そうでしょう? でも本番の会場は広いから、空調が行き渡らない可能性もあって。蒸し暑くなってもきましたし、熱いお茶を出すのはやめておこうって話になったんですよ」
「そうなると、お菓子自体も冷たいお茶に合うものになるわよね。もう何を出すか決めてるの?」
「大使に受けが良かった葡萄の
「みず……ぼたん」
お菓子のイメージがわかず、茜はつぶやく。すると、西園寺はまた使用人にささやいて新たな盆を持ってこさせた。
「わあっ」
茜は思わず歓声をあげる。涼しげな硝子の切り子の中に、丸く透明な菓子が品良く積み上げられていた。
「どうですか?」
「まず見た目がすごく綺麗」
西園寺に聞かれ、茜は菓子をまじまじと見つめる。ぱっと見ただけで透明の外観が涼しそうで、中の桃色がかった餡をより美しく飾っていた。
「味も試していい?」
「もちろんですよ」
菓子は器までよく冷えていた。食べるとつるりと冷たい葛の食感が先にきて、次に少し酸味のある餡の風味が口の中を自然とさわやかにする。
その餡の味に覚えがある気がして茜が考えていると、西園寺が笑った。
「中の餡は、おにぎりでもおなじみの食材を使ってます」
「じゃあ、これはやっぱり梅の餡なの?」
西園寺はうなずいた。
「梅干しが代表的ですが、日本に欠かせない食材ですから……どうしても一度使ってみたくて。でも、梅干しをそのまま使うと、だいたい外国の方は不機嫌になってしまうから餡にしました」
日本人には欠かせない食材だが、外国人にはあまりに酸っぱくて理解不能な代物らしい。今回は甘く煮付けてそっぽを向かれないようにし、おいしさを知ってもらうことを目的にしていると西園寺は言った。
「まだ少し改良の余地はあると思いますが、どうですか?」
「気温が高くなってきた今の季節にぴったりだと思うわ。私は今でも十分だと思うけど、念のために
「はい。お分けしますので、よろしくお願いします」
西園寺がそう言うと、横で多治見がおずおずと手を上げた。
「高峯さんのお話は聞いています。試作品の話を聞きましたが、いずれも素晴らしかった」
「ありがとう。伝えたら喜ぶわ」
「もし高峯さんがご負担でなければ、一緒に試作と試食をお願いしたいのですが」
多治見が熱心に言うので、茜は家に電話をかけてみた。
「確認したわ。高峯、嬉しそうにしてた。是非いらしてくださいって」
西園寺の時もそうだったが、年下の世話を焼くのが好きな男なのだ。紅潮した顔で礼を言う多治見をほほえましく見ながら、茜は澄川に向きなおった。
「接客で何かお手伝いできることはある?」
「そうですね。英語は今までもビジネスで使ってきて問題ないんですが、できれば他の言語も覚えたいと思ってるんです。語学に堪能な方を紹介していただければ、簡単な会話くらいは可能になるかと」
やっぱり母国語で話しかけられた方が嬉しいでしょう、と言う彼女を、茜は頼もしく見つめた。
「分かった。手配するわ。当日まで仕事と並行になるから、あくまでも無理はしないこと、いい?」
こうして、茜も加わってプロジェクトは急速に進行していった。目の回るような、それでも充実した日々を超えて、ついに展示会の日を迎えることとなる。
「……西園寺くん、これはさすがに多すぎない?」
当日の朝、重量のある荷物や資料を車に詰め込みながら茜は言った。菓子はもちろんだが、西園寺が作ったパンフレットが膨大すぎるのだ。英語、中国語、フランス語、ドイツ語、韓国語……全主要言語を網羅した紙媒体を持っていこうとするのは、さすがに無茶というものだろう。
「だから持っていくのは英語と中国語だけにしましょうって言ったんですよ」
「渡すときにもややこしいし、どうしても欲しい人には後日郵送で対応すればいいじゃないですか」
多治見と澄川が困り果てている。助けてくれとこちらを伺ってくるので、茜は決断した。
「西園寺くん。今日は二言語だけにしましょう。じゃないと、せっかく言語を勉強してくれた澄川さんの見せ場がないわよ。ショップカードにQRコードはのせたんだし、心配しなくてもお客さんは逃げないって」
茜の説得で大量のパンフレットを神月家に残し、軽くなった車は会場近くへ一直線に乗り付けた。
出るときの多少のいざこざが嘘のように順調に到着し、茜は息を吐く。目の前には特徴的な四角い会議棟がそびえ、来場者たちを見下ろしていた。そこから進んでエントランスに入ると、さらに奥へと道がいくつも伸びていた。
予想以上に大きな会場だったので、茜は目を見張る。とりあえず奥へ進もうとして、西園寺に止められた。
「あっちは西の展示棟です。僕たちがスペースをもらった東展示棟は、左手ですよ」
案内に従って硝子張りの明るいコンコースを進むと、展示棟の受付が見えてきた。すでに到着していた企業が、受付しようと列を作っている。
数分並んだ後、入店証を見せて用意されたブースへ向かう。フリーマーケットのようなものかと思いきや、区画ごとにきっちりと壁で区切られていて、ブースの上には企業名が印字された看板がかかっていた。
商品を置くテーブルは運営が用意してくれていたので、そこにクロスを広げてパンフレットや物品を並べる。後は西園寺家からもらった着物の端切れを使って作った旗や装飾をつけると、だいぶ見られるブースになった。
「会場はこれでよし……でも、思った以上に強そうなライバルが多いわね」
お菓子の試食もよく出ているからか、どこからともなくふわふわと甘い匂いが漂ってくる。やはり洋菓子系や洋酒系の匂いは強烈で、それに惹かれて足を止める人も多かった。
だがここで諦めるわけにはいかない。出歩く人々の格好は、きっちりしたスーツからラフなTシャツまで様々だ。しかし、全て食品業界に属する人であるのは確かだった。必ずコネをつかんで帰るぞ、と茜は拳を握った。
「ではみんな、前を通るお客様に声がけよろしく。興味がおありの方には、パンフレットとショップカードを配ってね」
茜は顔を上げて、スタッフに指示を飛ばす。
多治見と澄川以外にも、バイトのスタッフが二名いる。スタッフは上は法被、下は動きやすさ重視でストレッチのきいた黒のパンツ、という格好で統一し接客を始めた。
しかし気合いを入れても、最初は残念なことも多かった。新鮮に見えるかなと思っていた法被が結構他のブースにもいて、しかもそちらの方が派手で人数も多い。どうやら大手の菓子メーカーのようだ。嗅覚に加え、視覚でも劣る茜たちは人の流れを持ってくるのにだいぶ苦労した。
他の分かりやすいメニューに目を引かれ、素っ気なく通り過ぎる人もいる。干錦玉は食べてもらえても、水牡丹には首を振られることも結構あった。それでもスタッフはテンションを落とすことなく、冷やした水牡丹も積極的に売り込んでいた。
こまめな接客の甲斐あって、数枚の名刺を確保することはできた。しかし世間話程度の会話しかしておらず、真面目な商談につながるとはとても思えない。
「ちょっと休憩しましょうか。多治見さん、お昼食べてきて」
急ぎ足で外へ向かう多治見を見送っていると、こぼれたため息の音が聞こえてきた。あれだけ行動してこれか、とスタッフが思ったとしても無理はない。当初の予測とは違い、だいぶ辛い結果になりそうだった。
これだけ美しければ売れる、とたかをくくっていたのだろうか。筋金入りの和菓子好きが、そういると決まったわけでもないのに楽観的に見過ぎていたのか。
茜は絶望しかけて、軽く頬をはたく。このままでは帰れない。今からでも、なんとかできないだろうか。そう考えを巡らせ、ブースをしきりに歩き回った。
その悪あがきが効いたのか、転機はひょんなきっかけで訪れた。
茜たちのブースにふらりと立ち寄った金髪の男性が、「なんだ、和菓子か」と小さくこぼすのが聞こえてきたのだ。
西園寺の顔が強ばり、わずかに怒りの感情が浮かんだ。男性に非難のこもった眼差しを向ける。
「あの、すみません。そこの真っ赤なネクタイの方。金髪のあなたです。待って下さい」
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