第3話 秘策と密会

 数日後、あかねは自宅の応接室で、徳三とくぞうの友人と向き合っていた。彼は武藤昌幸むとう まさゆきといい、海外展開もしている雑貨ブランドの経営者だ。ちょうど帰国直前の彼に連絡を入れ、少し現地調査をしてもらっていたのだ。


「聞けたのは、イタリア人、スペイン人、フランス人スタッフからの意見だ。和菓子そのものを食べた経験がある者が少なくてね、母数が十人ちょっとしかとれなかった。だから、完全に正確とはいえないよ」

「いえ、十分です。お忙しい時に無理を言って、申し訳ありませんでした」

「なに、徳三が言う無理に比べたら可愛いものさ」

「では、さっそく」


 笑う武藤に言って、茜は報告書を読み始めた。読み進めるとともに、血液が頭から段々下がってくる。


「……がっかりしたかね」

「予算の方は、私のお金で多少やりくりできますけど……肝心の結果が……」


 見間違いかと思って、茜はもう一度調査結果を確認した。


〝あなたが和菓子を食べてみた感想は?〟

『餡が甘すぎて気持ち悪い』

『中の食感がグニャグニャしてダメ』

『とても一つ食べきれる気がしない』


 正直、もう少し好意的だと思っていた茜は頭を抱える。和菓子の主力である餡菓子が嫌われているのは、誰の目から見ても明白だった。


 いくら見た目を磨いたところで、これではどうしようもない。主役が徹底的に嫌われている映画やドラマのヒットが不可能なのと同じだ。


「一応、餡を使わないお菓子もありますけど……」

「それでは切り札として弱いね。洋風のクリームなどと組み合わせるのなら、やりようはいくらでもありそうだけど。実際、餅でくるんだアイスなんかは好きだっていう子がいたから」


 西園寺さいおんじは和洋折衷を承諾するだろうか。それもまた、聞いておかなくてはならなかった。


「あと、ヨーロッパを射程に入れるなら、日持ちする和菓子じゃないとダメだろうね。あっちは遠いからなあ」

「そういう問題もありました……」

「一般的な輸送手段である船舶を使用した場合、欧州到着まで三ヶ月以上かかるケースもままある。そこまで時間がかかると練り餡は明らかに品質が低下するから、日本側の会社も嫌がるだろうな。まさか、羊羹ばっかり輸出するわけにもいかないだろうし」

「かといって航空機輸送なんてしたら、明らかに予算オーバーですね。熱狂的なファンがいるならともかく、今の段階でそんな博打は打てません……」

「楽しそうな話が聞こえた気がした」

「お父様はちょっと引っ込んでて!!」


 徳三を追い払い、茜は再び話に集中した。


「どうしても売るならアジア圏の方が確実だろうが、これだと普通に現地のメーカーと争うことになるからね。ブルーオーシャンとはとても言いがたい」

「でしょうね……土地が違えば色彩の好みも異なるし、単純に並べればインパクト負けしそうなものもたくさんあります」

「明るい話題を出してあげたいんだが、今のところ無理だね……茜さんの友人は本当に、これをやりたいと言ってるのかな?」


 徐々に重くなる声で武藤が聞く。彼の気持ちは、茜にもよく分かった。どう見ても困難しか待っていないようなプロジェクトである。


 それでも、茜は諦めたくなかった。


「き、気にしないでください。何か手を考えますから」


 武藤はちらっと、哀れむような視線を向けてきた。それが茜の胸にちくちく刺さり、痛みを生じる。


「成功したら、うちの海外支店でやってるパーティーにも卸してもらおうかな。食べたことがないスタッフも、喜ぶと思う」

「はい、もちろん」

「では、失礼させてもらうよ。また今度、ゆっくり食事でも」


 満面の笑みで武藤を見送ってから、茜は深いため息をこぼした。




 西園寺の勤める法律事務所と、茜の実家が経営する会社のオフィスは極めて近い。なにせ、同じビルの一階違いにあるのだ。茜の会社が三十八階、西園寺のところが三十七階の一角を占めている。


 茜は正午になるとさっそく階段を駆け下りて、西園寺に会いに行った。相変わらず高価そうなスーツを品良く着こなし、背筋の伸びた颯爽とした姿である。たたずむ彼を見て、茜の口元がゆるむ。


「西園寺くん、もう昼休み? 例の件でちょっと話せない?」


 茜が声をかけると、西園寺が振り向く。必死に彼を昼食に誘おうと様子をうかがっていた女たちが、一斉に茜をにらんだ。


「ええ、そろそろ出ようと思ってたんです。近くのカフェでランチでもいかがですか?」

「いいわね。西園寺くんは何が好き?」


 苛立ちの視線を向けてくる女たちを無視して、茜は西園寺の腕を引いた。さりげなく女たちに、今日のために選び抜いてきたシックな黒いワンピースを見せつける。きつくないのに体のラインが綺麗に出るので、茜のお気に入りだ。男を落とすならまず見た目から、これは鉄則である。


「なによ、あのおばさん。感じ悪ぅー」


 茜の後ろから、舌打ちと共に小さなつぶやきが聞こえてきた。いくら悪口を言おうが、精神的に叩きのめされているのは向こうの方である。茜は薄笑いをこぼしながら無視してやった。


 結局、ビルの地下に入っていたカフェに決め、二人でメニューを広げる。オムライスが主力商品の、洋風な店だ。結局、二人ともランチのセットを注文することにした。


「私はデミグラスソースのオムライスに、サラダとアイスティーをつけてください。西園寺くんは?」

「僕はこの和風高菜と豚のパスタ、大盛りで。飲み物はコーヒーでお願いします」


 注文を済ませてから、茜はまじまじと西園寺を見る。


「この店、オムライスの方がメインみたいだけど、パスタで良かったの?」

「僕、和食が好きなんです」

「和菓子もそうだし、ホント舌が和よりなのね」

「両親が多忙で、祖母がよく面倒をみてくれましたから、味覚がそっちに寄ったんだと思います。この見た目なので、結構驚かれるんですけどね」


 確かに茜も話すようになるまで、そんなイメージは一切なかった。……もてなすときは和食中心、と茜は頭に刻みつける。


「じゃあ、言ってくれれば良かったのに。和食のお店もあったでしょ?」

「神月さんは洋食の方が好きかな、と思って」


 照れくさそうな西園寺を見て、茜は嬉しくなった。


「ありがと。でも私、和食は嫌いじゃないから。今度は向こうにあった、定食屋さんに入ってみる?」

「はい、是非!」


 茜は次の約束をとりつけ、机の下で強く拳を握っていた。


 それから一旦食事を済ませ、食後のドリンクが届いてから茜は本題に入った。


「正直、問題が多すぎてどこから手をつけていいか分からないわ。今のままじゃ、まず勝算はない」


 茜はそこから、武藤と一緒に考えた欠点をあげつらねた。西園寺は少し動揺していたが、話が終わる頃には思考を切り替えている。


「よく分かりました。今のまま紹介するのは、あまりに無謀ですね」

「分かってもらえて良かったわ。最初はクリームやフルーツという、洋素材を使う方向にいかざるを得ないかも。それでも餡やお餅を楽しんでもらうことは忘れないつもりだけど」

「そうですね……最初はそれでもいいかもしれません」


 西園寺は、洋素材を完全拒否はしなかった。これでとりあえず、一歩だけは前進したことになる。


「餡が甘すぎる、というのであれば、砂糖の量を落として作ってもらうことはできると思います。柔らかさはどうしようもありませんが……」

「あと、和菓子にはこしあんが多いけど、アジア圏の人にはそれも不評ですって。あっちは餡といったら基本、粒あんらしいから」

「それはすぐ対応できるでしょう。その二つを踏まえて、試作品を作ってみます」


 西園寺は何やら紙ナプキンに書き付けて、それを大事そうに抱えた。


「そして、忘れてはいけないことが」

「あら、まだあるの?」


 首をひねる茜に、西園寺は言った。


「寄せられた声とは別に、そもそも和菓子を知らない人の方が多いというのも改善点の一つですね」

「言われてみればそうね。声をくれた人だけに注目しちゃうけど、反対側にいる『食べたこともないし興味も無い』って人の方が、圧倒的に多いもの」


 異国の食べ物なんてだいたいそんなものだと茜は思う。特に、食べなくても死なない嗜好品なら、食べ慣れた方に食指が動くのは仕方無い。


「でも、この層を切り捨てるのはもったいなさすぎますね。これは一体なんだ? というハードルを越えるのは、なかなか大変ですが……」


 美味しいですとハッタリをきかせたところで、食べてもらえる保証はない。茜は低く唸った。


「向こうの意見を無理にねじまげるわけにもいかないしね。なんとか、抵抗なく食べてもらえるキッカケを作れればいいんだけど」


 そこからしばらくにらみあったが、ちょうどいい策などそうそう湧いてくるわけもない。そろそろ、昼休みも終わりにさしかかろうとしていた。急いで戻らなければ、業務に差し支える。


 茜はため息をついて会話を打ち切る。


「焦っても仕方ないわね。また次回までに、お互いアイデアを練ってきましょう」


 次回は三日後、金曜日のランチと決まった。茜は西園寺と別れてから頭の中で必死に考える。もはや外野のひそひそ声は、すっかり茜の意識から消えていた。




 その日は急な仕事が入って、茜は二時間ほど残業した。それから運転手に車を飛ばしてもらい、かけずり回ってようやく家に戻ると時刻は九時を回っていた。


「ふー……」


 仕事の後にあちこちの書店を巡ってきたので、さすがに茜も疲れた。使用人に荷物を部屋に運んでもらい、ようやく茜は安堵する。


「どうされましたか、お嬢様。まあ、たくさんの本」


 勢いよくベッドに腰掛けた茜を見て、植草うえくさが嘆息する。


「ちょっと仕事に使いたい本があってね。閉まり際の書店で焦って買ったやつもあるから、数が多くなっちゃって」

「全部使えるものなんですか?」

「そうとは限らないわね」

「まあ」


 植草が宙を見る。誰を思い浮かべているかすぐに理解して、茜は苦笑した。


「全くの無駄にしないように頑張るわよ。私、お父様のそういうところは引き継いでないの」

「そうでございましたか。……お風呂の用意もできておりますので、早めにお声がけくださいましね」


 植草が下がってから、茜は買ってきた本や雑誌をめくり始めた。無数の特集があるが、その中で「和菓子」と「外国人」の両方を満たすものはない。片方だけでもひっかかるものはないかと、ぱらぱらとページを繰っていく。そのうち、茜の指は緩慢になり始めた。


「……あれ?」


 気付けば、いつのまにか時間が過ぎていた。瞬きをすると、電気をつけっぱなしの部屋の天井が見える。上かけも使わずに寝ていた茜は、少しぞくっとして身を震わせる。


「いけない、早くお風呂に入らないと」


 雑誌の束を片付けようとして、ふと開いていたページに目を奪われた。飛びつくようにして、その雑誌を抱え上げる。そして、小さくつぶやいた。


「これだ!」


 いける、という予感がある。不可能を可能にできるかもしれない事案に、茜の胸は沸き立った。


「……お嬢様、お風呂にまだ入っておられないのですか。お嬢様?」


 後ろに立っていた植草にも気付かないくらい、茜は必死に雑誌を読んでいた。今、脳裏に浮かんだイメージを補足する画像が、もっと欲しい。その思いだけが、茜の指を動かしていた。





 再度、茜たちはランチミーティングに挑んでいた。定食を早々に片付け、食後のお茶の横に資料を並べる。べたべたと付箋がついたページを、西園寺が見やった。


「……アフタヌーンティー? ですか」


 疑問の表情を浮かべる西園寺に、茜は説明した。


「そうそう。最近日本でもかなり流行ってるけど、起源は欧州でしょう? 向こうの人も、これなら馴染みがあると思うのよ」


 最初から得体のしれないものを食べる、と意識するから足取りが重くなるのだ。知った形式から入れば、遥かにとっつきやすくなるに違いないと茜はみている。


 多種多様な各ホテルのアフタヌーンティーの画像を見て、西園寺がうなずいた。


「確かに、装飾も凝れそうですし、何種類もお菓子が一気に試せていいですね。餡、みたらし、それに少し塩気のあるものも並べられそうです」


 茜は喜ぶ西園寺を見て、かすかにためらいながら言い出した。


「それだとちょっと、気楽ってわけにはいかないかもしれないわね。並んでいるものが全部和菓子じゃ、食べられないものばかりって思う人もいそうだし」

「そうか……」

「いくつかの洋風お菓子に一つ和菓子を混ぜれば、『意外とたいしたことなかったな』って結果になるかもしれないわ。事前にあえてはっきり告知しないってのもありかもね」


 西園寺は一瞬苦い顔になったが、これはあくまで最初の足がかりだ。満足してくれる人が増えれば、やがて和菓子だけのティースタンドもできるかもしれない。


「なんでも最初は実験よ、実験」

「確かめてみる価値はありますね。あとは、対象をどの層にするかの問題ですが……」

「最も高価な材料を使うなら、年齢は自然と高くなるわね。そもそもホテルのアフタヌーンティーに来る客層はあまり若くないから、ちょうどいいけど」


 材料設定やメニューの構成を二人で話し合う。茜がいくつかプランを立てていたから、仮の案はすんなりと決まった。


「試作品を作って、実食する過程が必要ですね。お菓子のデザインや材料は、ご提案を踏まえて僕が考えてみます。あとはどこかのレストランを借りて……」


 思案する西園寺に、思い切って茜は切り出した。


「……この前のお返しに、うち、とかどう? 言っておくけど、料理人の腕はかなりいいと思うわ」


 周囲が一瞬静まりかえった気がした。西園寺はゆっくりとスケジュール帳に目を通し、それからうなずく。


「はい。日程はどうしましょう?」

「来週末はどう、大丈夫? うちはそこが一番いいんだけど……」


 男性を家に招くなど、普段ならありえないことだ。父は来週の月曜日からまたヨーロッパ旅行で、すぐに戻ってくることは不可能。つまり、来週末は監視の目はない。使用人たちは、茜がお願いすれば絶対に外には漏らさないはずだ。


「分かりました。材料の準備もあると思いますので、来週の水曜までにお菓子の案を送っておきますね。何かあったときのために、連絡先を交換してもよろしいですか?」

「え、ええ。いいわよ」


 アプリで友達同士になり、メッセージ送信に問題がないことを確かめ合う。想像以上にかわいい犬のスタンプが西園寺から送られてきて、茜は笑った。


「では、来週末に。僕はこれから外に出るので、お先に失礼します」


 西園寺が去ってから、茜はぼんやりとスマホの画面を見つめていた。


「連絡先に加えて、来週は家に来てくれるなんて……嘘、でしょ。言ってみただけなのに。夢でも見てるの、私?」


 茜は一人、席で混乱していた。呼吸と鼓動がやけにうるさい。大声をあげてやったと言いたい気持ちを必死にこらえ、ようやく蒲田かわたに電話をかけたのは、それから十分も後のことだった。

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