第2話 十年後
久々に昔の夢を見た。
高校の頃の、なんども思い返しては嗚咽が止まらないほどに泣きはらしたあの日の夢。
頭がガンガンするのは昨日飲みすぎたからか、夢の中を飛び越して現実でも涙を流し続けていたからか。あるいはどちらもがその答えかもしれない。
枕元は涙でびしゃびしゃで、起き抜けは目が開かないほどに目ヤニが酷かった。
なんで今更こんな夢を見たのだろうかと考えて時計に目をやると、午前十時をデジタル時計は告げている。
「!? まずい遅刻だ!」
あの日から私の世界は一転した。絶望と希望と虚無が一度に訪れた一日を経験し半ば呆然としたまま次の日学校に行ってみればどうやらリコちは姿を消したらしい。
私は意味が分からなかった。転校でも自主退学でもなく消息不明。
誰もなにも髪の毛一本分の痕跡すら見つけることができずに、彼女の存在が次の日には綺麗さっぱりと消えていた。
最後に言葉を交わしたのは多分私で、彼女が消息不明になった直接の理由も多分私。
どうしたものかと、大層頭を抱えたものだが。それ以前に血まみれのまま登校したせいでこっちはこっちで大問題になった。
教師陣に囲まれ様々なこと質問されたが、全て記憶にございませんで通した。
その所為で転校する破目にもなったりしたのだけれど、両親にはその節は本当に申し訳なかったと思う。
でもその転校先で出会った人との縁もあって私は今夢を追いかけながらもなんとか食いつないでやっていけているのである。
「すいません! 遅刻しました!」
「今月で何度目だと思ってるのかなぁ! カノコちゃん?」
「あいや、えっと。初めてでは?」
「そんなわけないでしょ! ちょっと奥に来なさい!」
「ああちょ、痛い痛い。パワハラですパワハラ~」
私の耳を引っ張って店内のバックヤードへと引っ張っていく彼女の姿はまさしく鬼のようである。
「はぁ......ねぇカノコ。確かに私は貴女の小説家になりたいって夢を応援してるし、色々と複雑な環境なのは理解してる。でもね、それとこれとは別! 最近遅刻多すぎよ貴女! この木実書店は私のおばぁちゃんから継いだ大事なお店なの。潰すわけにはいかないの、わかってるでしょ?」
「ぐう、はい。分かってます。その、ごめんねミカ。」
木実ミカ。私が転校した先で一番最初に出会った学生で一学年上の先輩である。この人を一言で表すならばお人好し。
転校早々色々と荒れていた私を「一番最初に出会っちゃったんだから最後まで面倒見てあげるのが先輩ってもんでしょ」というおよそ正気の沙汰とは思えない言葉で包み込み、見事に懐柔してのけた敏腕ブリーダーである。
この人のおばぁちゃんが古本屋をしていたことが切っ掛けで私は様々な本と出会い、やがてはリコちとの思い出を本にしたためいたいという夢を持つところまでになったのだ。
つまりあれ以降の私がギリギリで地に足のついた生活をおくれているのはこの人とおばぁちゃんのおかげなのである。
今はもうそのおばぁちゃんは現役の看板娘を引退して孫のミカに任せており、この書店は今ミカと私とあともう一人のパートさんの三人で回している状況なのだ。
つまり何が言いたいかというと、遅刻は不味い。
「......ねぇカノコ。最近しっかりと眠れてるの?」
「どうして?」
「顔色、悪いわよ」
ミカは相変わらず人の変化に目ざとい。時々それがさらに人を追い詰めることにもなりえるのだけれど、私はこの目ざとさに何度も救われてきた。
だからこそ、隠し事をするでもなく素直にさっきまで見ていた夢の内容を話す。
「なるほど、リコっちが夢にね。お? それが転校してくる前の話だとするなら......あ、やっぱり! 今日がまさにそのジャスト十年後だよ」
「え、えぇ。変わったこともあるもんですね」
「うーん、反応が淡泊。なんかもうちょっとこう、運命を感じる!! とか何とかないの?」
「ないですよ。小説の話じゃないんだからそんなご都合主義の展開は起こらない。何事も希望を持っちゃダメなんですよ」
「おお......擦れてる。あれかい? 遅れてきた中二病かい?」
「うるさいですよ、さぁ、そろそろ店内に戻りましょうよ。客なんてほとんど来ないとはいえ店番がいないのは不用心ですから」
「はぁ、遅れてきた君がそれを言うかね。まぁでもね、カノコ。これはまじめな話、事実は小説より奇なりってね、割とあるんだよ」
「......そうですか」
客なんてほとんど来ないと言ったことに対するげんこつを食らいながら涙目で店内の掃除をしていると、もう一人のパートさんがやってくる。
「うげ......」
「ん? あらぁ、今日は珍しく三人がそろう日なのね。あら貴女その眼の下の隈どうしたの? あもしかしてまたあの小説家になりたいとかいう夢のために夜更かししてたんじゃないの? んも~う駄目よ。女ってのはね三十を過ぎたらもうおばさんなんだから! 貴女ももうアラサーでしょう? 叶いもしない夢をいつまでも追いかけていないで、あたしみたいに早くいい人見つけて身を固めたら? あらでも、そんな化粧っけのない顔で男の人なんて寄ってこないかもしれないわねおほほ」
「はぁ」
相も変わらずこっちの意見はガン無視で自分の言いたいことだけをマシンガンのようにぶつけてくるおばさんだ。
こういう手合いはまぁ無視しておけばいいだけなんだけれども、今朝の夢のこともあって少しだけ心にズキズキときてしまう。
正直なところ最近は書いては消してを繰り返して一向に黒く染まることのない原稿用紙とのにらめっこの日々が続いている。
どれだけご立派に夢が小説家だなどと言ってみても作品一つ完成させられなければ認められるられないの土俵にすら立てやしない。
それなのにまともに睡眠もとれずにストレス解消にアルコール浸り挙句の果ては遅刻魔とあっちゃあ、折角リコちが迎えに来てくれたとしても失望させてしまうだろうな。
「はいはい、あら今日も濃ゆい化粧が古本だらけの店内に映えますなっと」
店の奥から出てきたミカが私とパートさんの間に入ってくれる。
その後ろ手で奥で、荷ほどきをしてろと合図を出してくれる。
「ありがとうございます」
今朝の夢で出し切ったと思っていた涙がぶり返し、声が震えてしまうがなんとかばれないように奥へと引っ込む。
さっきまでいたバックルームへとトンボ返りになってしまったが、ミカの好意に甘えて今日届いた分の本の確認をしようと机に目を向ける。
そこには手紙が一枚置かれていた。
『今日は特別な日なんでしょ? 特別に早退を許可します! せめて思い出巡りでもしてきなよ』
今度こそ抑えきれずに涙を流してしまう。
エプロンを脱ぎ丁寧にたたんでロッカーへと入れて、書店を飛び出してある場所へと向かう。
何とはなしに思い立っただけなのだが、もしかしたら彼女がいるような気がして。
書店の最寄り駅から一時間ほどかけて地元へと戻ってくる。
目的地は勿論、昔私の住んでいたマンションの屋上。
今もまだ入れるのかは分からないけれど、絶対に何とかしてでも入り込んでやる。いつだって本当に恐ろしいのは霊でもなんでもなくて人間なのだ。
分かっていた。あんな昔の口約束、律儀に守るほうがどうにかしてるって。それに十年後にまた会うったって場所も決めていなかったのだ。会えるほうがおかしい。
結果としてはマンションの屋上には今もまだ入ることはできた。
管理人さんが私のことを覚えてくれており、本当はダメなんだけど特別だよと鍵を貸してくれたのだ。
それでもそこには誰もおらず、あの日とは違いまだもう少しだけ青みを残した空が広がっていただけだった。
「事実は小説より奇なり......か。少しだけ期待、したんだけどな」
誰もいない屋上でさみしく空を見上げながら黄昏る。
もうそろそろ青も消え空全体をオレンジが彩りはじめる時間。まさに黄昏時。
綺麗な夕日に見とれながら今日何度目かの涙を流す。最近こんな風にゆっくりと景色を眺めることなかったなとしみじみとしていると屋上の扉がコンコンと叩かれる。
思わずグイっと音がするほどに振り向いてしまうが、管理人さんがそろそろ帰るからと鍵を返してもらいに来ただけだった。
そろそろいい時間である。ここから我が家に帰るだけでも一時間半ほどかかるのだ。
暗くなった道を一人帰るのもさみしさをより際立たせる気がしてさっさと戻ることにする。
夕日に照らされながら電車に揺られ、今はもうこっちのほうがなじみ深くなった木実書店の最寄り駅に着く。
「帰る前にもう一度寄って挨拶でもして帰ろうかな」
なんとなく行き先を我が家から書店へと変え、ゆっくりと歩く。
なんだか今日はゆっくりと景色を見たい気がして。
いつもは忙しない日常の中ただ通り過ぎるだけだったこの町がこんなにも綺麗だったのかと気付く。
つくづく物事の本質を見抜けない人間だなと、自虐ながらもどこか晴れ晴れとした笑みを浮かべる。
後はこの先の海が見える公園を突っ切れば書店だというところで、近くを航行していた船が一度大きく汽笛を鳴らした。
「うおっ、びっくりした......」
「おっとお嬢さん、大丈夫かな?」
「あ、ええ。すいません。いやいつもはこんなところで汽笛なんてならないものですから少しびっくりしてしまって」
背後から来ていた見知らぬ人に自分の驚いた姿を見られたことに恥ずかしくなり、頬を掻きながら言い訳じみたことを言う。
普段ならこんな会話をしようともしなかっただろうに、今日は物のついでだと思い切って見たのだ。
「はは、いいじゃない。驚いた姿も綺麗だったよ」
「あはは、そんなご冗談を」
見知らぬ人との会話もたまには悪くない。
そんな気分で隣に近づいて来たその人に聞いてみる。
「ところで、こんな時間にこの公園で誰かと待ち合わせていたんですか?」
思えばなぜそんなことを聞いたのか、そこまで大きくないこの公園で待ち人をしている人などほとんど見たことがなかったのに。
あるいはそう、それは意趣返しだったのかもしれない。
「実はそうなんだ」
「あら本当? 奇遇ですね。私も実は待っている人がいるんです」
「ああ、それはちょうどよかった。十年越しに迎えに来たよ。カノコ」
「......バカ、本当に待ちくたびれたんだから」
久しぶりの再会に私たちは口づけを交わす。
十年越しのキスは涙の味がした。
イフ・エンド 白と黒のパーカー @shirokuro87
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