カトリだった蚊取り豚を間に置いて、私とお姉さんは、ベンチに座った。


「懐かしい友達に会えた気がしたの」


 お姉さんが言った。


「友達?」

「そう。っていうのも変なのかな。ずっと目の見えない私をサポートしてくれてたワンちゃんなんだ」

「それってつまり……」


 私は、お姉さんが持っている白くて細長い棒を見つめる。


「うん、盲導犬。5年前まで一緒に暮らしてたのよ。この道も毎日のように一緒に歩いた。引退して離ればなれになって。1年ほど前に、寿命を迎えたって聞いていたの」

「そうだったんですか……」

「お別れしてからも、ずっと会いたかった」


 そう呟いて、お姉さんはうつむいた。

 

 私は、カトリの空洞をのぞいたことを思い出していた。ぽっかりと空いていたカトリの心の中を。


「カト…じゃなくて、ジャックも、お姉さんにとっても会いたかったと思います!」


 私がそう言うと、お姉さんは少し目を丸くした。

 それは、どこか私を見てるようで、違うものを見ているような不思議な目線だった。


 ──やばい。変に思われたかな。


「あ、そんな気がして……。すみません、適当なこと言って……」


 うつむいた私を気遣うように、お姉さんは首をふり、「ううん、ありがと」と言った。


「そうだったら嬉しいな。だって、さっき本当にジャックが会いに来てくれたような気がしたから」

「……どうして、そう思ったんですか?」

 

 私は、ずっと気になっていたことを聞いた。


 お姉さんは、「信じてもらえないかもしれないけど」と前置きしてから続けた。


「ほんの一瞬だったけど、ジャックのオーラが見えたの」

「オーラ?……って何ですか?」

「私が勝手にそう呼んでるだけなんだけど。人とか動物とか、生き物ならみんな持ってる。いろんな形があって、色も違うの。他の人にとっての色とは、違うかもしれないけどね」


 私が黙ってると、お姉さんは「ひいちゃったかな? ごめんね、忘れて」と言って、立ちあがろうとした。

 私は、あわてて切り出した。


「ち、違うんです。私も変わったものが見えるから……」


 

 私は、すべてを吐き出すようにお姉さんに話した。

 鬼火が見えること。

 カトリと出会ったこと。

 カトリを追ってここまで来たこと。

 お姉さんと会って、カトリが消えていったこと。


「そうだったの……。本当に会いに来てくれたんだぁ。あなたがジャックに時間をくれたのね。ありがとう」

「いやいや! 私は何も……(ビンタしただけで……)。でも、こんな話信じてくれるんですか?」

「えぇ、もちろん」

「……ありがとうございます。初めてです。こんな話をできたの」

「そう? なら良かった」

「自分以外で、他の人と違う物が見える人にも初めて会いました」


 私がそう言うと、お姉さんは「それはどうかなぁ」と答えた。


「え?」

「私が見てるオーラはね。みんな違う色や形をしてるの」

「みんな違う……」

 

 私は確かめるように呟く。


 お姉さんは、こくりと頷き「でも面白いのがね」と続けた。


「ここに座ってると、色んな人が通りがかるの。形は、全然違うのに、お互い補うようにひとつの形になってる男女とか。正反対の色なのに、お互いの色に影響されて、グラデーション?になってる女の子たちとか」

「……それでも、一緒にいるんですか?」


 私が聞くと、お姉さんは微笑んだ。



 いつのまにか、川沿いの遊歩道は、夕焼け色に染まっていた。

 小さくなったお姉さんが手をふってる。


 彼女が見えなくなるまで見送った私は、蚊取り豚を抱えていた。

 カトリのいなくなった器の中をのぞいてみると、黒ずんだスマホが入っていた。


「カトリのバカ……。ススだらけじゃない……」


 私は、笑いながら泣いた。



 ✲



 9月1日。玄関の戸から差し込む朝日に照らされた私は、学生カバンを抱えていた。


「いってらっしゃい」


 お母さんが見送ってくれる。


 私は深く息を吸って、戸を開く。


「──いってきます」



 〈完〉

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鬼火のカトリ 青草 @aokusa

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