──カトリは、どこ!?


 左右に伸びた路地を、きょろきょろ見渡していると、近所のおばあちゃんに声をかけられた。


「まぁ。華ちゃん、久方ぶりだねぇ」

「あの。今このへんで、ブタを見ませんでしたか?」

「はてねぇ。蚊取り豚なら、さっきそこで見たけどねぇ。ほれ、あそこ」

 

 おばあちゃんが指さした方向には、電柱があった。

 その陰からカトリがのぞいてる。

 

「いた!」


 カトリは、ぴょんと飛び跳ねて、また走り出した。


「便利ねぇ。最近の蚊取り豚は、動くのねぇ」

「ええっと。あはは、そうなんですよ〜……。あ、私行かなくちゃ!」

「はい。気をつけていってらっしゃい」

「ありがとう! おばあちゃん」


 カトリは細い路地裏をひた走る。

 私が、見失いそうになると、わざと立ち止まって長い舌を出したり、お尻を振ったりした。


 ──追いかけっこでもしてる気なの? もう! 絶対に許さないんだから!


 私は、履いていたサンダルを脱いで、それを両手に持ったまま走った。


 やがて細い路地を抜けると、私たちは商店街へ出た。

 買い物や食事に来た人々で賑わってる。

 そんな中を走り抜けていくカトリ。

 それを追いかける私。

 行き交う人たちが好奇の目を向けてくる。


「ねーねー、ママー? ブタさんだよー?」

「あらあら。珍しいわねぇ」

「あのおねえちゃんのかなぁ?」

「だめよ。指ささないの」

  

「ねぇ、ちょっとあれ見てよ。やば」

「あ。誰だっけ。たしか入学式だけ来てた子じゃない?」


 ──ああ、もう。恥ずかしい。恥ずかしい。


 ただでさえ暑いのに、耳まで熱くなっていくのが分かる。


 ──なんで私だけが、こんな目に遭わなきゃいけないの。どうして私だけ違うの。私はただ……誰かと繋がりたかっただけなのに──!


 私たちは、商店街を逸れ、川沿いの遊歩道を走っていた。

 そこで、カトリは急に走るのをやめた。

 私も立ち止まって両手を膝につく。

 

「はぁはぁ……。逃げるのは……あき…らめたの……?」


 心臓が痛いくらい高鳴って、言葉がつっかえた。

 おまけに足の裏がずきずきする。

 こんなに必死で走ったのは、初めてかもしれない。


「やっとあの子の元に帰れたのじゃ……」

「あの子……?」


 カトリは、川沿いの木陰にあるベンチを見つめていた。

 そこには、サングラスをしたお姉さんが座っていた。

 手には白くて細長い棒を持っている。


 カトリは、ゆっくりとお姉さんのそばへ歩み寄っていった。

 蚊取り豚のお尻から見える炎が、輝くような青色に変わっていく。

 

 彼女の足元で立ち止まったカトリは、一言「ワンッ」と言った。

 その時一瞬だけ、カトリが犬の姿に見えた気がした。 

 お姉さんは、サングラスを外し、やがて驚いたように目を丸くした。


「ジャック……? ジャックなの……? そこにいるのね……」


 彼女は、そう声をかけたけど、もう二度とカトリが鳴くことはなかった。

 ブタの器の中で、青い炎が小さくなっていく。


「カトリ……!」


 私の声にカトリは少し振り向いた。

 その顔は、笑っていたような気がする。


『華。礼を言う。お主のおかげで、もう一度この子に会えた──』


 穏やかに吹く風の中で、声が聞こえた。


 蚊取り豚の中から、一筋の煙が空へ向かって伸びていく。


 ──会いたい人に会えたんだね。カトリ……。



 空っぽになったブタの器を、お姉さんが拾い上げる。

 

「これは、一体……」


「あの……」

 

 気づけば、私はお姉さんに声をかけていた。

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