伍
──カトリは、どこ!?
左右に伸びた路地を、きょろきょろ見渡していると、近所のおばあちゃんに声をかけられた。
「まぁ。華ちゃん、久方ぶりだねぇ」
「あの。今このへんで、ブタを見ませんでしたか?」
「はてねぇ。蚊取り豚なら、さっきそこで見たけどねぇ。ほれ、あそこ」
おばあちゃんが指さした方向には、電柱があった。
その陰からカトリがのぞいてる。
「いた!」
カトリは、ぴょんと飛び跳ねて、また走り出した。
「便利ねぇ。最近の蚊取り豚は、動くのねぇ」
「ええっと。あはは、そうなんですよ〜……。あ、私行かなくちゃ!」
「はい。気をつけていってらっしゃい」
「ありがとう! おばあちゃん」
カトリは細い路地裏をひた走る。
私が、見失いそうになると、わざと立ち止まって長い舌を出したり、お尻を振ったりした。
──追いかけっこでもしてる気なの? もう! 絶対に許さないんだから!
私は、履いていたサンダルを脱いで、それを両手に持ったまま走った。
やがて細い路地を抜けると、私たちは商店街へ出た。
買い物や食事に来た人々で賑わってる。
そんな中を走り抜けていくカトリ。
それを追いかける私。
行き交う人たちが好奇の目を向けてくる。
「ねーねー、ママー? ブタさんだよー?」
「あらあら。珍しいわねぇ」
「あのおねえちゃんのかなぁ?」
「だめよ。指ささないの」
「ねぇ、ちょっとあれ見てよ。やば」
「あ。誰だっけ。たしか入学式だけ来てた子じゃない?」
──ああ、もう。恥ずかしい。恥ずかしい。
ただでさえ暑いのに、耳まで熱くなっていくのが分かる。
──なんで私だけが、こんな目に遭わなきゃいけないの。どうして私だけ違うの。私はただ……誰かと繋がりたかっただけなのに──!
私たちは、商店街を逸れ、川沿いの遊歩道を走っていた。
そこで、カトリは急に走るのをやめた。
私も立ち止まって両手を膝につく。
「はぁはぁ……。逃げるのは……あき…らめたの……?」
心臓が痛いくらい高鳴って、言葉がつっかえた。
おまけに足の裏がずきずきする。
こんなに必死で走ったのは、初めてかもしれない。
「やっとあの子の元に帰れたのじゃ……」
「あの子……?」
カトリは、川沿いの木陰にあるベンチを見つめていた。
そこには、サングラスをしたお姉さんが座っていた。
手には白くて細長い棒を持っている。
カトリは、ゆっくりとお姉さんのそばへ歩み寄っていった。
蚊取り豚のお尻から見える炎が、輝くような青色に変わっていく。
彼女の足元で立ち止まったカトリは、一言「ワンッ」と言った。
その時一瞬だけ、カトリが犬の姿に見えた気がした。
お姉さんは、サングラスを外し、やがて驚いたように目を丸くした。
「ジャック……? ジャックなの……? そこにいるのね……」
彼女は、そう声をかけたけど、もう二度とカトリが鳴くことはなかった。
ブタの器の中で、青い炎が小さくなっていく。
「カトリ……!」
私の声にカトリは少し振り向いた。
その顔は、笑っていたような気がする。
『華。礼を言う。お主のおかげで、もう一度この子に会えた──』
穏やかに吹く風の中で、声が聞こえた。
蚊取り豚の中から、一筋の煙が空へ向かって伸びていく。
──会いたい人に会えたんだね。カトリ……。
空っぽになったブタの器を、お姉さんが拾い上げる。
「これは、一体……」
「あの……」
気づけば、私はお姉さんに声をかけていた。
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