第3話

 高校は同じくバスケットボール部に入った。高校は自転車で急いで15分、普通にこいで30分の距離にある。

 朝はそれなりに早く、バスケ部の練習は自主練含めて夜の9時までやっていた。新しい環境と厳しい部活動にハイになっていたので気づかなかったが、この時躁状態になっていた。

 順調だったのは夏休み前まで夏休みに入ってから寝坊で練習に遅れることが増えた。とにかく起きれないのだ。自分の鬱に入る症状の一つ、朝起きれない、ひどいときは目が覚めても体が動かない。この頃はまだそこまで深刻ではなかった。


 そして夏休みが明けて俺は一か月不登校になった。理由は分からない。何故か学校にいけなくなったのだ。わざわざ自転車で学校前に行ってから駐輪場の前で止まってしまう。そのまま帰ることもできず座り込んでしまう。


 別にいじめられてたわけでも、周りと馴染めていなかったわけではない。順調だった、勉強は下位80%くらいで全然順調じゃなかったが。

 この頃を思い出してみても何でそんなに行きたくなかったのか思い出せない。とにかく死にたくてしょうがなかった。

 このまま何も起きずに老人になって死ぬなら今死んでも同じじゃないかとかいうわけのわからない理論を考えてた。将来に対する漠然とした不安が原因だったのかもしれない。


 不登校は朝、母が毎日校門前まで送るということでどうにかいけるようになった。部活は当然やめたが、別に煙たがれることもなく心配されるくらいだった。俺は申し訳なさでいっぱいだったけど、先輩も笑ってちょっかいをかけにきて俺をひどく怯えさせてくれた。授業はほとんど寝ていた、眠くてしょうがなかったから。行くだけでいいからという親の言う通り学校に行くだけの生活だった。


 一年生の冬休み明けにまた一週間の不登校になった、同様の対処でどうにかしたが、授業は相変わらず寝ていた。担任が新任だったので若干熱血が入っていたため鬱陶しかった。


 二年生は特に覚えていないが、軽く躁か普通になって陸上部に入ったが、また夏休みに鬱状態になりいかなくなり退部となった。勉強は全く捗らず学年最下位取ってた記憶がある。


 三年生になって帰宅部を続けていた。一回だけ勉強めっちゃして定期試験に臨んだことがあり、そのとき学年50%くらいの成績を出せた。最下位からの伸び幅を考えるとなかなかすごくないか?

 あと文化祭の出し物の中心となってめちゃくちゃ楽しく活躍したのが躁状態だったと思う。その勢いで人生初めての彼女が出来たが、鬱状態になり2か月くらいで別れた。鬱状態になると、メールなどの返信が面倒くさくなり、何もかもどうでもよくなる。こっちから勝手に別れを切り出した。


 そしてその状態のまま受験のシーズンになる。当然勉強などする気も起きず、そもそも大学すら行く気が起きなかったが、母親に俺の学力で行ける大学を選んでもらい、なんとか受験をして大学に進学できたのは僥倖だった。


 当時は自分が病気だとは思わず、なんでこんなに甘ったれた性格なんだろうと落ち込むことも多かった。当時は家にネットはなかったし、PC持ってる人が少なく情報も少なかったので自分の症状についてどうすればいいのか全く分からなかった。


 そして希望と絶望の大学生活が始まる。


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