第6話

 大学院に進んでしばらくはハイだった。躁状態である。実験も頑張れたし、後輩の指導も出来た。でも母親の死があり、一気に鬱になった。2か月ほど引きこもり、教授のメールや自分の気合もありどうにか這い上がることが出来た。


 この頃もメンタルクリニックに通っていたが、効果は出てこなかった。相変わらず体調の上下を繰り返していた。


 2年生になって海外に行くことになった。英語は全然どころか何にも出来ないのに英語の論文を発表するという無茶なことだ。この時はハイだったので問題なかったが、帰ってきてからしばらくして引きこもりが始まった。これは結局解消することが出来ず院を退学して実家へと戻った。


 今振り返ってみてもあまり覚えていない。もっと色々なことがあったはずなんだけど

自分がどうしてそうなったか、何が悪かったのか、何がよかったのか、記憶に靄がかかる。いつも苦しい。今日も苦しい。



 実家に戻ってしばらくは引きこもる生活が続いた。他者との交流が嫌で仕方なく、事情を知らない旧友が来た時、当たり散らしたのを覚えている。ちなみに父はこういったことに全然知識がなく、「精神病? 入院したら治るんじゃない」程度の認識だった。家には母方の祖母と父という他人と他人が同居している少し歪な関係になっている。


 娘をなくしたショックで祖母もだいぶ衰弱していたが、俺と呼応するように少しずつ元気になった。これは躁鬱に関係のない話だけど。

 ちょっと元気になった時ヤマトのバイトをしたけど症状が悪化して非常に無駄だった。

 その後大学病院でようやく躁鬱の診断が出て、炭酸リチウムが処方された。これにより劇的に症状が改善し清掃のバイトから正社員になれた。これから地道にだけど生活出来るかなと思い始めていた。

 結局清掃の仕事は一年半で終わった。パートからの暴力で嫌気がさし、その場で「やめたらぁ!」っつってやめた。清掃の仕事中も万全とは言えなかった。途中で見えないところで1時間くらい寝たし、夜風呂入るのが億劫で朝風呂になっていたし、なにより人間関係をうまくできなかったのが問題だった。これは気分の上下が激しくて、不愛想になってたのが原因だと思う。


 ここで大学院の頃就職する予定だった会社から連絡がくる。それまでも定期的に連絡は来ていたのだが、返信する気が起きず無視していた。ちょうど仕事をやめたのとハイになっていたので即okを出して東京に上京して仕事を始めた。


 最初こそよかったが半年もたたず行ったりいかなかったりの生活になった。結局3年半のほとんど仕事に行かず、終わった。そして実家に戻ってきたというわけ。

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