限定SS『移ろいゆくもの』



(別視点/ダイン、アウル加入前)






「この角を曲がって……、ここだよ!」

「へえ、こんなところに古書店が」


 それは、ある曇った日のことだった。


 ノーヴェとハルクが、中央区の少し寂れた通りを歩いていた。教院や大図書館から程近い裏通りである。


 その周辺では、教院の学徒や講師向けに学術書や古書、文具や研究用の機器などを取り扱う専門店が軒を並べていた。


 ハルクが古語話者であること、そして魔法の造詣が深いことを知り、ノーヴェが「いい魔法書を置いてる店を知っている」と言って、案内することにしたのだ。


 ノーヴェ自身、教院で研究をしていたこともあり、この通りには馴染みがあった。冒険者に転向してからはあまり訪れておらず、案内がてら久しぶりに行きつけの店へ顔を出そうと考えていた。


 同行するハルクは、物珍しそうに通りを見回しながらノーヴェについて行く。商業区や普通の商店街では見られないような物品が店先に並んでいて、眺めているだけでも楽しめそうだった。


 やがて、通りのさらに奥、一軒の建物の前でノーヴェは立ち止まる。


 目的の古書店だ。



「……本当に開いてるのか?人の気配がないぞ」

「そのはずだけど」


 到着したはいいが、どうも様子が変だった。


 以前は小さいながらも凝った装飾の看板が掲げられていた。しかし、そのようなものは見当たらない。


 店内に明かりも見えない。


 それどころか、建物自体さびれていて手入れされていないことが明白だった。



「おかしいな、確かにここだったはず……」


 ノーヴェは扉を押した。

 扉には鍵が掛かっており、開くことはなかった。



「店を閉めてる日か」

「どうだろう」


 ハルクが気遣わしげに声を掛けたが、ノーヴェは硬い声で返事を返した。店が閉まっているということに、かなりショックを受け、呆然と立ちすくんでいた。


 ハルクはノーヴェの代わりに、隣の店に入って例の古書店について尋ねた。


 隣の店の店員によると、古書店の店主は10年ほど前に店をたたみ、北へ移住してしまったとのことだった。店主はずいぶん歳を取っていたようで、いつ店を閉めてもおかしくない状態だったという。


 場所もあまり良くないため、古書店の後に別の店が入ることはなかったようだ。


 つまり、ノーヴェの行きつけだった店は、もうなくなっていたのだ。10年も前に。


 情報を集めてきたハルクにそのことを聞かされ、ノーヴェはいよいよ固まってしまった。


 そんなノーヴェをどうにか引っ張って、ハルクは近くの茶屋に入ったのだった。




***




「落ち着いたか」

「うん、ごめん……その、何と言ったらいいか」


 温かい茶を飲み、ノーヴェは深呼吸した。


 店内は教院の関係者も多く、談笑する声が柔らかく響いていた。人の気配が多い場所のほうが落ち着くだろうとハルクが考えてのことだったが、正解だったようだ。


 ノーヴェ茶器を両手で包むようにして持ち、じっと揺れる水面をのぞいていた。その実、何も見てはいなかった。



「……ずっとあると思ってたんだ。たった10年行かなかっただけで、なくなってるとは思わなかった」

「うん」

「あそこの店主は変わり者で、気に入った人にしか本を見せてくれなかった。きっとハルクのことを気に入ると思ったのに……」

「そうか」


 ポツポツと心境を言葉にしていくノーヴェ。

 ハルクはその言葉を、ただひたすら聴いていた。


 店主の扱う本は、昔の魔法書だ。中には危険なものもあるから、読み手をよく選んでいた。その目にかなったノーヴェは、教院の学徒だった頃に足繁く通っては、研究の着想を得ていた。


 店主はよく難題を与え、ノーヴェがそれに悩む様を見ては楽しんでいた。でも最後にはぴったりの本を棚から出してくれる。その瞬間は、まるで宝を掘り当てたような、何物にも変えがたい充足感に満たされた。


 そんなやりとりが好きだった。


 しばらく顔を見せないこともあったが、久しぶりに尋ねてもまるで昨日別れたかのように挨拶する。そんな仲だった。



「それがなくなるなんて、想像もしてなかったよ」


 ノーヴェは思い出を語りながら、力無く微笑む。


 大きな虚無感に襲われていた。それがあまりにも巨大だったので、どうしたらいいのかわからなかった。



「オレは、変化が苦手なんだ。受け止めるのに時間がかかるんだよ」

「誰だってそうだ」

「うん。でも、心構えがあれば大丈夫なんだ。母のことだってうんと昔から覚悟してたから、亡くなった喪失感は思ったほどじゃなかったのに……」


 しかし、古書店の消失は覚悟していなかった。


 ノーヴェは茶器をギュッと握りしめた。

 そうしていないと、所在ない心がどこかへ飛んでいってしまいそうだった。


 それに、気づいてしまったのだ。


 最近亡くなった母親の死は、予測していたことだったから平気だと思っていた。しかしそうではなかった。脆い蓋をしていただけだったのだ。


 その喪失感が古書店のことと相まって、現在ノーヴェに一気に襲いかかってきた。急に、ひどい孤独を感じた。


 ハルクの前でなければ泣き崩れていたかもしれない。


 そのハルクは、ノーヴェの話を聞きながら相槌を打つのみだった。その表情からは何も読み取れなかった。


 しばらく黙っていたハルクだったが、ノーヴェがついに語る言葉を無くしたのを見て口を開いた。



「変化は、確かに恐ろしい」

「……お前も、大きな変化を経験したのか?そういえば、エルディーア出身だったか。辺境から来たって言ってたな」

「ああ。だけど旅をしてこの国に来たのは、自分で選んだからいいんだ。それよりも恐ろしいのは、毎日の生活の中で当たり前だったものが、ある日突然なくなることだ。天災で、あるいは戦争で。……もしくは誰かの死によって」


 あまり話すことが得意ではないハルクが、言葉を選びながら何かを伝えようとしていた。


 いつもはハルクと言い合いになるノーヴェだが、この時ばかりはじっと耳を傾けていた。



「俺も、その変化はどうしても慣れない。心のどこかで受け入れるのを拒んでる。受け入れた瞬間、飲み込まれてしまう気がするからだ」

「うん、わかるよ」


 今まさに、ノーヴェはその状態だった。


 ハルクはゆっくりと言葉を続けた。



「そんな時、俺はあの有名な言葉を考える。お前も知ってるだろ、『大国シンティアですら──』」

「『滅亡した』。知らないわけがないだろ」

「そう、それだ」

「きっと、シンティアが滅ぶなんて誰も想像してなかったんだろうな……」

「そうでもないと思うぞ」

「そうなのか?」


 ノーヴェは顔を上げて、対面に座るハルクを訝しげに見た。


 表情は変わらないままだが、どこか穏やかで落ち着いているように見える。不思議だった。



「シンティアは最も繁栄し安定していた時に消えた。それは、安定期だったから魔法技術の研究が盛んになって、その結果大量の『歪み』が生まれたからだ。予測できた結果だった」

「そういえば、そんな話を読んだ気がする」

「誰もが変化から目を逸らしていたんだ。まだいける、まだ大丈夫だろうって。だから……」

「滅んだ、ってわけか」


 ハルクはうなずいて、茶をひと口飲んだ。


 ノーヴェはハルクの話に聞き入っていたおかげか、少しだけ元気になってきたように見える。



「その後のシンティアの変化を受け入れられなかった者もいただろうな。……でも、そうじゃなかった人もいた。他ならぬ天龍の拝殿で仕えていた者たちだよ。彼らは天龍から見放されたと嘆くんじゃなくて、変わらないものをちゃんと知っていた。だから新天地で新しい祭事を立ち上げ、ついには国まで作った」

「それが、このミドレシアだね」

「その通り」


 ノーヴェは、ほう、と感嘆のため息を漏らした。


 なぜか壮大な歴史の話に発展していたが、2人ともその点には触れない。


 ハルクは広がりすぎた話をまとめるために、再度口を開いた。



「……俺が言いたいのは、変わらないものをちゃんと見ていたら大丈夫だ、ってことだ」

「変わらないもの、か」


 ノーヴェは、手元の茶器を見つめた。


 見慣れた意匠の入ったそれを、何回使ったことだろうか。


 そして、ふと気がついて店内を見回す。


 談笑する教院の学徒たち、難しい顔で論説文をまとめる学者、ただ茶を楽しんでいる恋人たち……。


 この店には何度も来た。


 店にいる客のだれのことも知らないが、顔ぶれが変わったとて、この空間はノーヴェが学徒だった頃から全く変わっていない。


 学徒たちの憩いの場。

 変わらないもののひとつだ。


 そのことに気づいて、欠けていたものを一気に取り戻したような気がした。


 意識さえすれば、たくさん見つかるのだ。

 変わらないものは、溢れるほどにそこにあった。



「……そうだな。オレは考えたくなかったのかもしれない。あの店主がどんどん老いていくのをわかっていながら、いつまでもそこにいると言い聞かせていた」

「そんなに高齢だったのか」

「歳は知らないよ。でも、そうか……まだ『古樹の里』へ行けば会えるかもしれないな」

「生きてるかわからないぞ。それにお前のことを覚えてないかも」

「大丈夫だよ」


 根拠はないが、ノーヴェには確信があった。


 先程までは崩れそうな雰囲気を醸していたが、今は不敵に微笑んでいる。


 その笑顔が眩しくて、ハルクは目を細めた。



「北へ行くことがあれば、魔法書でも持参して挨拶に行こうかな。きっとまた難題を吹っ掛けられる」

「その時は、俺のことも紹介してくれよ」

「もちろんだよ」


 まだ完全に立ち直ったわけではないが、元気を取り戻したノーヴェは「この店はパンも美味いんだ」と言って新たな注文を始めた。


 その姿を見て、ハルクは安心したように肩の力を抜いた。


 ハルクは恐らく、他の誰よりもノーヴェの心情を理解できる。あまりに大きなものを失ったからだ。そして、それを誰にも告げることはできない。


 だが、ノーヴェならきっと乗り越えられる。


 自分の中に常時渦巻いている果てのない虚無を、どうかノーヴェが経験しないままでいてほしい。


 ノーヴェは変わらないでほしい。



 そう、密かに願ったのだった。



 何年も後に、その虚無の一片を理解する子供が現れるとは、この時はまだ誰も知らなかった。





(おしまい)




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奴隷くんの小話 ハッピ〜な日々 ザック・リ @ykrpts

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