きっと退屈しない(終)
「いい子だね、八房。お前のこと、一生飼ってやるから」
「……そういう変なこと、いうんじゃねーよ」
姫来は性格最悪で、こちらのことを完全に舐め腐っていてムカつくことばかり言ってくるし、倫理観と社会性がなくて危なっかしく、いつも人を小馬鹿にしたような態度をとる屁理屈屋で、行動が唐突で何を考えているのかわからない。常に誰かを煽っていないと死ぬ病を患っているので、他人が揉めていると嬉々として煽りに来て事態をややこしくさせる。最低の友人だ。
でもなぜか一緒にいると楽しくて、こいつの言うことを聞いていたくなる。
見た目は美人だし、声とか仕草がいちいち色っぽい。お前のことが好きとか意味不明なことを言ってやたらベタベタして、小馬鹿にしながら優しく褒めて甘やかし、服従の快感を教え込まれたら、ハマってしまうのも無理はない。
自分は壊れてしまった。姫来に罵倒されたいし支配されたいしいじめられたいしお仕置されたいしたまには思いっきり蹴ってほしいし踏んでほしい。二人きりで歩いている時にいきなり後ろから突き飛ばされたりしたら、たまらないだろうなあ……なんて考えるようになってしまった。
姫来は八房の悶々とした感情などつゆ知らずの顔で、山積みになった参考書の一番上を取り上げてさらっとめくり、ぺたぺたと付箋を貼る。それから、長い髪のひと房をつまんで人差し指で弄び始めた。
「分厚い本を闇雲に読んでもねえ? とりあえず次のテストのヤマを教えてあげる。檜山高校のレベルならここと、ここと、ここを押さえておけば、赤点回避して次の試合にも出られるんじゃない?」
からかうような声音ではあったが、意外な親切に、八房は目を剥く。
「そんな、いいのかよ。俺、この前のお礼も言ってないのに」
「あの事件のお礼なんていいんだよ、むしろぼくの方が楽しかったから」
……とか言って、こいつのことだからあとで何か要求されるんじゃないだろうか。八房は心中でつぶやいた。
「あとこれは『探偵』としてじゃなく、あくまで『友人』としての厚意ね。ちょっとコツつかんだら点とれるようなテストに落ちて部活停止なんて、馬鹿馬鹿しいし」
と彼女は付け加えた。
校舎を出た瞬間、鮮やかな青空が二人を包み込む。八房が自転車を回収して校門前へ着くと、それを待ち構えていたように姫来が宣言してきた。
「実は今日は、お前にお願いがあって来たんだ」
「やっぱりな⁉」
固まっていると、まあまあそんなに構えないでよといなされた。
「八房、ぼくのジョシュになってよ」
「ジョシュ……?」
馴染みのない単語だった。音声が、咄嗟に頭の中で変換できない。
「ホームズにはワトスン、ポアロにヘイスティングス。探偵には助手が必要だろ?」
そこまできて八房はやっと、姫来が『助手』の話をしていたのだと気づいた。
――けれど、どちらかといえば俺たちはドン・キホーテとサンチョパンサではなかろうか。
「八房にはぼくの相棒になってほしい。ひとりじゃつまらなかったことも、お前と分かち合えば何でも楽しいんだ。お前といれば、ぼくはもうきっと退屈しない」
姫来はそう言って柔らかく微笑んだ。
確かにこの女にはブレーキ役が必要だろう。姫来のいう『助手』という響きは児童小説や少年漫画みたいでかっこいいし、それはもともと自分のために空けられていた席のようにさえ思えた。八房も同じように微笑み返す。
「俺も同じ気持ちだよ。これからもよろしくな、探偵さん」
姫来が転校してきてから、もう窓の外を見つめることはなくなった。それよりも自分の隣にいる彼女に強く惹きつけられる。彼女の在り方が好ましい。彼女が自由奔放に、のびのびと思索を走らせている姿を傍らで見つめ続けていたい。めまいがするほど刹那的で爽快な、生命の熱の奔流を。
子供の頃、空想の中で壮大な運命に突き動かされ、夢と冒険を駆け巡る『主人公』に憧れていた。けれどもう、わざわざそんな肩書をほしがる必要はないと思えた。
本当はフィクションの中だけが煌めいていたんじゃなく、今を生きる自分も同じようにまばゆいきらめきの中に立っていたのだ。ただそれに気づいていなかっただけで。だって途方もなく広い世界の中で最高の親友と出会えた。運命と名付けるには十分だ。
「なあ姫来、帰りに高架下のラーメン屋寄って帰ろうぜ」
「しょうがないなあ八房くんは。いいよ!」
そう言うと姫来は、紅潮した頬を隠すように一目散に走って、校門前の坂を下る。
八房も自転車に飛び乗って、遠くなっていく白い背中を追いかけた。つめたい風がさあっと頬をなでる。前髪が空気に巻き上げられて、耳がむきだしになった。
夏がすぐそこまで近づいていた。
夢中になれるって、すがすがしい。
(完)
犬も歩けば謎に当たる さえ @skesdkm
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