Chapter1

第1話 ★JKとフォールディングナイフ

 まさか、あの子以外の女子に押し倒される日が来るとは思わなかった。


 学校の教室に赤い西日が差し込む放課後。人気のない空き教室で私は身の危険を感じる不測の事態におちいっていた。


「……無様ぶざまね。いくらなんでも日和ひよりすぎでしょ」


 顔と声に馴染みのない女子から溜息まじりに侮蔑ぶべつの視線を向けられる。


「あの噂に聞く【真紅の翼アイビス】の相棒だって話だから、多少の期待はしてたんだけど……正直言ってガッカリした」


 記憶の平野部を散策しても目の前で馬乗りマウントしている少女に関する情報は一切出て来なかった。仕事しろ、私の残念頭脳。


 日本人離れした整った顔立ちも、リボンでサイドにまとめた灰色アッシュグレーの長い髪も、ガラス玉の様に透き通った切れ長の碧眼も、まるで見覚えがない。


 視覚から得られる情報は一目で美少女だとわかるギャルっぽい女子高生(日系ハーフかな?)が私の身体にマウンティングして首元に刃物ナイフを突き付けていることくらいだ。


 現状を客観的に見て判断すると、どうやら私は見知らぬ同学年の女の子に恐喝きょうかつされているらしい。


「……えっと。一応念のためにくけど、アンタが『烏丸彩羽』で間違いない……のよね?」


 見知らぬ女の子はどこか不安そうな表情を浮かべて私の顔をジッと覗き込む。


「……私が「人違いだ」って言ったら貴女はどうするつもりなの?」

「いやないない、それはない。人違いだとあたしが『一般人』にナイフ突きつけるヤベーやつになるから」

「…………」


 一般人が相手でなくても人を唐突に押し倒してナイフを突きつける子は十分にヤベーやつだと思うよ?


「……うん。アンタが烏丸彩羽で間違いない。【女神の天秤アストライア】から渡された個人情報プロフに幸薄そうな顔写真が何枚も載ってたから人違いは絶対あり得ないし」

「幸薄そうな顔は余計だから!」

「あと間抜けな姿がバッチリ映った記録映像も見たわ。やっぱりアンタが烏丸彩羽よ。うん、間違いない」

「…………」


 問答でおおよその見当はついた。組織の名が出るあたり、どうやらこの子は『裏社会』の住人らしい。

 というか、もろに組織アストライアの関係者だった。

 しかし、不可思議なことにこの学校でも組織内でも、彼女とは一切の面識がない。


 これだけ容姿が整っていれば一度でも見れば印象に残りそうなんだけど……私ってば美少女には目がないんだよねー。


「……うーん。この学校でも組織内でも貴女を見た記憶がないんだけど? 貴女と私って完全に初対面だよね?」


 疑問を口に出すと彼女は得意げにペラペラと秘匿情報を漏らした。


「それはそうよ。この学校には今日転入したばかりだし、組織は入ったばかりの新人ルーキーだしね」


 ふむ、なるほど。だいたいの見当はついた。

 おそらくこの子はに補充された新しい猟犬ハウンドの一人なのだろう。


 それもそうか、スカートの中(厳密には内股うちもものベルト)に携行型刃物フォールディングナイフを仕込んでる女子がただの女子高生のわけないか。


 組織を抜けて日本に亡命してから約半年。

 いつかは何らかの形で【調教師ハンドラー】が私に接触してくるとは思っていたけど……まさか、こんな方法で来るとは思わなかった。


「……念のために一つ確認させてもらうけど、貴女のコールサインを聞かせてくれないかな?」

「は? 何? あたしを疑ってるの?」

「そりゃ、押し倒されてナイフを突きつけられればね」

「それはあんたが間抜けだからよ」

「えーっ。“可愛い女の子”に押し倒された後で無闇に抵抗するのは“無粋”だと思うよ?」

「ナイフで目を刺すわよ?」

「ジ、ジョークだよ? おもむろにナイフを振りかざさないで!?」


 軽蔑の眼差しで見下ろしたまま彼女はポツリとその名を口に出した。


「JK11シグネット。それがあたしのコールサインよ」


 シグネット。確か意味は英語で白鳥の雛だった気がする。白鳥の雛は羽毛が灰色だったはずだ。


 そう考えると、あの組織は本当に鳥にちなんだコールサインが好きらしい。猟犬なら犬の名前にすれば良いのに。可愛いよね犬。わんわん、わおーん。


「まぁ、日本では山田花子って偽名で通してるから」

「OK。コールサインはともかく偽名はもう少しどうにかしたほうがいいと思うよ」

「あっそ。べつに何でもいいでしょ偽名なんだから」


 山田花子って。どう見ても純日本人じゃないから名前の響きに違和感しかない。


「てゆーか、あんた随分と余裕ね? あたしが身内じゃなくて他の組織の暗殺者アサシンだったらどうすんの? もしもそうならアンタ今頃死んでたわよ?」

「可愛い女の子に殺されるなら美少女好きとしては本望だよ♡」

「……そういうの、いらないからっ!!」

「ひぃ、ごめんなさい!」


 もう一度振りかざされたナイフが私の眼前にまで迫って来て秒で謝罪を入れる。


 どうやら彼女はウィットに富んだ会話トークはお気に召さないタイプらしい。


 昔の相棒なら間に受けたフリをしてここから更に会話を広げて最終的にオチをつけてくれるんだけどなー。


「貴女の揚げ足を取るつもりはないけど……一流の暗殺者アサシン殺し屋ヒットマンなら殺人しごとをするヘマはやらないと思うよ?」

「…………っ」


 私の言い分に思うところがあるのか、山田花子ことシグネットはキュッと口を閉口し、鋭い目付きで私をにらんだ。


「ところで、そろそろ用件を聞いても良いかな? 流石にこのままの体勢だと色々と気まずい──」

「……やっぱ、あたし。アンタのこと気に入らない」

 

 機嫌を損ねたと言わんばかりにシグネットの細い指が制服のリボンを強引に掴み、それを乱暴に扱ってギリギリと私の首根を持ち上げる。


 お互いの鼻先が触れそうなほどの距離まで顔を引き寄せられると、鋭い目つきの碧眼が私の瞳をキッと覗き込んでくる。


調教師ハンドラーマグノリアからの指令ではアンタを組織に連れ戻すことがあたしの『初仕事』だったの。まぁ、それだけなら不服は無かったんだけど……最悪なことにそれだけじゃないのよね」

「……へえ、他に何かあるの?」

「よりにもよってその後アンタとあたしでペアを組んで任務ミッションを遂行しろって言われたのよ。それに、本当はもう一人来るはずだったんだけど……どういう訳かいまだに連絡が取れないのよね」

「それは災難だったね。ご愁傷様だよ」

「ホントそれ。こんな奴とペア組むとか考えただけでも鳥肌が立つから。マジで納得いかない」


 納得出来ないけど調教師の命令には逆らえないから、と彼女は言う。


「でもさ、素直に従うのも何かムカつくから……腹いせにあたしがアンタを試験テストしてあげる。不合格ならこの件はあたしの独断で無かった事にするから。それこそ痕跡を残さない場所でアンタを始末して、ね」

「…………」


 その冷淡な色をした青い瞳には裏社会の住人に相応しい確かな殺意が込められていた。

 目がマジなあたり、どうやら冗談では無さそうだ。やだ、この子ちょっと怖い。


「正直言ってこっちは雑魚の腑抜ふぬけに背中を預けるのだけは御免ごめんなのよ。あたし、まだ死にたくないし」

「…………」


 シグネットが発したその言い分だけは流石の私でも全面的に共感できた。


 信頼できない相棒パートナーなんて誰だって嫌に決まっている。


「OK。貴女の言いたいことは分かったよ。お互いのためにも上下関係はハッキリした方が良いよね?」

「はっ。マジムカつく。いいわ、思う存分可愛がってあげるから」

「えっ? 出来たら可愛がるのはベッドの上でお願いします♡」

「やっぱり今すぐ殺してやろうかしら……」


 殺意の波動を発露するシグネットは八重歯が見えるほど口角を上げてニッと不敵に笑う。


「話はまとまったよね? とりあえずそこから降りてよ」

「は? 何、マウント取られてたら不利だって言いたいの? 元猟犬の癖に情けないわね」

「うん、分かった。それが駄目ならせめてブラウスのボタンを閉じて。流石の私も胸元がはだけたままだと目のやり場に困るんだ。着衣の乱れを直さないとそのエッチな谷間をガン見しちゃうよ?」

「…………っ!?」


 自分のあられもない姿を確認したシグネットはほおが紅く染まるのとほぼ同時にピョンと飛び跳ねた。


 猫の様な跳躍力と身のこなしを見る限り身体能力は一般的な女子高生とは比較にならないくらいレベルが高い。


「嘘っ!? ブラウスのボタンが壊れてる?」


 必死になってはだけた胸元を腕で隠すシグネット。どうやら制服のブラウスだけはサイズが微妙に合っていなかったらしい。


 危なかった。なまじ胸もあってスタイルが良いから、色仕掛けハニトラでもされてたらそのままられていたかもしれない。だって私、美少女大好きだし?


 ちなみにブラの色は薄ピンクだった。しかもフリフリの可愛い感じ。耳にピアス、首にチョーカー、指にシルバーリング、爪にマニキュア、そして内股にガーターリング。それらの装飾品からくるチャラついたイメージに反して身に付けている可愛い感じの下着を見ると、彼女の意外な一面を垣間見た気がする。


「とりあえず、話の続きは着衣の乱れを直してからにしようか?」

「……最悪、後で絶対にブチ殺してやるんだから……」


 涙目で恨み言を吐き捨てるシグネットの顔は西の空に沈む夕陽の様に赤く染まっていた。

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