第14話 ★不死鳥の血

 その出会いは私がまだ猟犬ハウンドとしても人間としても未熟過ぎるくらいに未熟だった十五歳の秋の頃だった。


 十月三十日。ハロウィン前日の夜。あと二ヶ月くらいでアイビスと出会ってから二年が経とうとしていた日。


 場所はニューヨーク都心部から東に離れたとあるスラム街、通称ニューヨークイースト。


 嵐の中で降る秋の雨は氷の様に冷たく、弱っている私の身体から生命活動に必要な体温を無慈悲に奪い続けていた。


「──駄目だ、お腹の血が全然止まらない……」


 脇腹の負傷を抱えてのみじめな逃走劇。

 結論から言って見栄を張って一人でニューヨークイーストに行ったのが間違いだった。


 追っていたターゲットに返り討ちにされて無様に尻尾を巻いて逃げる。こんな醜態は私が一人じゃなきゃ起きない出来事だ。


「ゲホッ。……マジ最悪。目がかすんできた。このままじゃ、流石に洒落にならないんだけど……」

 

 血反吐と一緒に悪態を吐き捨てるものの心の中ではずっと後悔ばかりが渦巻いていた。


 隣にアイビスが居ない時の私はこんなにも弱い。その自覚が自責の念に変わり私の心をじわじわとむしばんでいた。


 相棒アイビスに認めてもらいたいという安い承認欲求が招いた結果がこれだ。自業自得としか言いようが無い。


「……相手が子供なら先に言ってよアイビスの分からず屋」


 事の発端は前夜に交わしたアイビスとの会話。この夜は私とアイビスにしては珍しく二人の間で険悪な雰囲気ムードが漂っていた。


 私とアイビスの不仲を作った原因は当時任務で追っていた『奴隷市場マーケット』に所属している暗殺者アサシン黒毛の山猫ダークリンクス』を巡るものだった。


「ボクが「任務を降りる」って言ったんだ。彩羽はそれに黙って従えば良いんだよ。余計な口を挟まないで」

「だから、降りる理由をちゃんと話してって言ってるんだけど!」

「……彩羽が一緒だと勝負にならないからだよ」

「違うね。私を口実にして逃げてるだけでしょ?」

「……ボクの気持ちを察せれない彩羽は嫌いだよ。今の彩羽生意気で全然可愛くない」

「分からず屋の気持ちなんてちゃんと言ってくれなきゃ分からないよ」

「…………」


 ベッドの枕に顔を沈め微動だにしないアイビス。怒っているというより不貞腐れている感じの様子だった。


「……分かった。アイビスが行かないなら私が一人で行く」

「勝手にすれば? ボクは彩羽の“ワガママ”に付き合う気はないから」

「ワガママを言ってるのはアイビスの方でしょ」

「うるさいな! りたくないって言ったら殺りたくないんだ! 何も知らない癖に勝手なこと言わないでよ!」


 私に枕を投げつけた時のアイビスの顔には確かな怒りが現れていた。


「……無差別殺人をする殺人鬼を野放しにするわけにはいかないよ。私は行くから」


 そう、この時の私は何も知らなかった。

 アイビスの過去も、アイビスがこの任務を拒む理由も。


「お姉ちゃんもマオと遊んでくれるの?」


 嵐の中、スラム街で対峙した件の『黒毛の山猫』は、私の想像とはまるでかけ離れていて、とても人殺しが出来るとは思えない十歳にも満たない小さな女の子だった。


 サイズが合っていないぶかぶかの黒い頭巾ローブに黒い毛糸のマフラー。明るい色の茶髪で編んだ短い三つ編み。瞳の色が左右で異なる金と黒のオッドアイ。右手に携えているのは身の丈よりも大きな真紅の裁縫バサミ。


「遊ぼ、お姉ちゃん。マオがヒーローの役になるからお姉ちゃんは悪者の役になってね?」


 暗殺者とはいえ私が子供に銃を向けられるわけもなく、私はただひたすらに逃げるしかなかった。


ヘイが言ってた。お友達が欲しいなら一緒に遊ぶのが一番だって」


 追いかけてくる女の子の目はどこか虚ろで、焦点が定まっておらず、まるで自分の意思ではなく何者かによって操られている様に感じられた。


「黒はマオが知らないことをいっぱい教えてくれるんだ。黒はね、マオのヒーローですごくカッコいいんだよ」


 精神操作マインドコントロール。女の子の言動にはそう思わせるものがあった。


 この時の私はまだ敵性の【強化人種エンハンサー】と対峙した事がなかった。把握している情報も微々たるもので、戦う土俵にすら上がれていなかった。本来なら実力も経験も浅い私如きが単騎で戦えると思うだけでもおこがましい状況だった。


 しかもアイビスもアイビスでこの時の段階では自分の『異能』を隠していて戦闘中は私にバレない様に巧妙に立ち回っている様だった。おそらくあの腹黒サディストは能力をわざと封印していたのだろう。


 未熟な十五歳の私は超常の存在をまだ知らなかった。


 だから、この時は持っている凶器さえどうにかすれば相手を拘束できると思っていた。

 相手は小さな子供、腕力ではこちらが上。その油断が命取りだった。


「【簡易錬金術インスタントアルケミー】version4【風切りの円月輪ハウリングチャクラム】」


 風を切る音が自分の隣を通り過ぎて行ったと知覚した瞬間に、私の脇腹は深く抉られていた。


「……っ〜〜!!?」


 声にならない悲鳴。耐え難い激痛が襲って来た頃には脇腹から鮮血がドバドバと止めどなく溢れ出ていた。


「……あれ? 外しちゃった?」


 不思議そうに首を傾げる女の子。彼女が片手に持っていたのは大きな裁縫ハサミではなくバスケットボールサイズくらいの大きなヨーヨーだった。


 そのヨーヨーは子供の玩具にしては禍々しく、ノコギリの様な刃が付いていて、その刃からは私の血潮がポタポタと滴り落ちていた。


 ブレード付きのヨーヨーが脇腹をかすめた。ただそれだけで致命傷と呼べるほどの破壊力。そんな攻撃はどう考えても普通の人間に出来る芸当ではない。


「お姉ちゃん、もっと遊ぼ? マオを一人ぼっちにしないで」

「…………っ」


 不幸中の幸いか足だけは負傷を負わなかった。


「……ごめんね。お姉ちゃんちょっとお腹が痛いからまた今度遊んであげるね」


 閃光弾フラッシュバンを投げ、私は安い捨て台詞を吐いて必死で逃げる。


 私の中で闘うという選択肢は既に消えていた。


 どうやら土地勘がないのは相手も同じらしく、嵐の中を闇雲に逃げ続けた結果、私は命からがら山猫から逃げ切る事に成功した。


「はぁ、はぁ……逃げ切ってもこのザマじゃ詰んだのも同然じゃんか」


 外は嵐。人気の無い路地裏。見知らぬ土地に一人だけ。見栄を張ってスマホを置いてきたため連絡手段もない。身体は既に限界。心も折れかけている。私は心身ともに満身創痍まんしんそういに満ちていた。


 時間が経ち、体力を奪われ、地面に這いつくばり真面に動く事すら出来ない。


 死神が私の喉元に大鎌をかけている。


 そんな絶望的な状況下で私が命を拾えたのは──


「君、大丈夫? そんな所で寝てたら風邪ひくよ?」


 そんな慈愛に満ちた救いの手があったからだ。


「もしかして怪我してるの?」


 そう言って私の眼前でしゃがみ込む少女のあられもない姿を見て、閉じかけていた私の目がカッと見開いた。


「……嘘、でしょ!?」


 その『女神』との邂逅かいこうは不幸中の幸いという安い言葉では到底片付けられ無いほどの奇跡だった。


「その声にその顔……まさか、カナリアなの?」


 黒いメッシュが入った長い金髪にエメラルドの様な緑色の瞳。男女問わずに全ての人類を魅了するであろう小悪魔の様な甘い顔立ち。


 身体に張り付いている濡れた白のニットワンピースがボディラインを浮き出していてそのタイトな服装が彼女のスタイルの良さをより一層際立たせていた。


 雨に濡れたその姿は今まで映像やコンサートで見ていた『歌姫』の彼女よりも遥かに美しく、儚い印象を私に与えた。


「あれ? カナリアのこと知ってるの? もしかしてファンの子かな?」

「う、うん。先日のニューヨーク公演にもプライベートでこっそりと参戦させてもらったんだ」

「そうなんだー。コンサート来てくれてありがとね」


 そう言ってお礼を言う彼女の顔は太陽の様な明るい笑顔だった。


「……本当に本物のカナリアなの?」

「んー? カナリアは一人っ子だからお姉ちゃんや妹はいないよ? ああ、でもカナリアのモノマネ芸人は探したらどこかにいるかもね」

「…………」


 初めてカナリアと会話した率直な感想は、やっぱりこの子はちょっとだけ天然なんだと思った。


 怪我人を前にしてこのマイペースぶり。慌てる様子なんて微塵みじんも見当たらない。

 雑誌やテレビのインタビューでも時々ズレた発言をしてるけど。

 この独特なキャラクターは本人以外に出せるものじゃない。間違いなく目の前にいるのは本物のカナリアだ。


「でも、なんでカナリアがこんな場所に?」


 そんな疑問を口に出すとカナリアの顔に悲しみの色が浮かび上がった。


「うん。ちょっと疲れちゃってね。どこでも良いから一人になりたかったんだ」

「一人になりたかった?」

「ううん。違う、本当は嫌なことから逃げてきたんだ」

「…………」


 察するに仕事絡みの悩みなんだろう。人間関係の軋轢あつれきとか、ネットでの心ない誹謗中傷とか、そういう人気者だからこそ起こり得る悩みが。


 一人のファン(限界オタク)としては、少しでもカナリアの力になれればと思った。


「カナリア。私で良ければ気軽に相談して──ゲボァ!」


 間の悪いタイミングで唐突に忘れていた怪我の痛みがぶり返して来た。私は痛みと吐き気を我慢できず地面に向かって吐血してしまう。


 一時的にとはいえ命の危機を忘れさせるとは……流石はカナリアというべきか。


 いや待て、マジでこれ死ぬかも。


「大変だ! ちょっと待っててね今カナリアが『手当て』するから!」


 私の眼前であたふたと慌てるカナリア。慌てぶりが可愛いというか、命の危機に対峙してる感じじゃなくてキッチンで鍋が吹きこぼれている時の慌て方だった。


「よいっしょ。ふんふん、怪我をしてるのはお腹のあたりなんだね」


 私を仰向けにしてせっせと服を脱がし腹部を観察するカナリア。お医者さんごっこかな?


「他に痛いところはありませんか?」

「……いえ、ありません」


 なんだろうこの幼稚園児がやるお医者さんごっこみたいな状況。危機感なさすぎて辛い。

 うっすらと死期を悟っている自分がいた。

 あっ、これ詰んだわと。

 今から病院に行っても手遅れだし、素人の手当てなんてたかが知れている。


 ──ああ、でも最期に見る光景がエロかわコーデのカナリアなんだ。目が幸せ過ぎて死ねる。


 見てはいけないと思っていてもニットワンピースの下に秘めている形の良い胸と真珠の様な生足が不可抗力でガッツリと目に入ってしまう。

 ぶっちゃけるとカナリアがしゃがみ込ん出た時にパンツが丸見えだったし。ちなみに色はライムグリーンだった。

 あえて言おう。我が人生に一片の悔いなし、と。

 色々やり残した事があるけど、憧れのカナリアに看取ってもらえるなら心残りは──


「うん。これなら“ちょっと塗れば”治せそうだね」


 ガリッと。

 何を思ったのかカナリアは自分の指先を歯で噛み切り、人差し指の先端から真紅の雫を滴らせる。


「よ〜し。じゃあ、いくね【運命を否定する不死鳥の炎血フェニックス・ペインキラー】!」


 カナリアの背中から光の粒子をきらめかせる真紅の翼があらわれる。その直後にポタリと、一滴の血液が私の傷口に滴り落ちる。


 その現象は『奇跡』としか言いようがなかった。


 傷口から淡い色の炎が吹き出したかと思えば、堪え難い腹部の痛みがみるみると引いていくのが感じられた。


「痛いの痛いの飛んでけー」


 そう言ってカナリアが手で炎をで取った時にはグチャグチャになっていた腹部の傷は完全に患部から消え去っていた。


「…………っ!?」


 タネも仕掛けもない『本物の魔法』を目の当たりにして私は言うべき感謝の言葉すらも失っていた。


「ふい〜、これで一安心だね」


 そう言って安堵の溜息を漏らすカナリア。その手からは尚も真紅の雫が滴り落ちていた。


「カナリア!? 貴女の怪我がまだ治っていないじゃない!?」

「そうなんだよねー。カナリアって自分の怪我だけは治せないんだー……はっ!?」


 ビクッと肩を震わせるカナリア。もしかして、傷が痛むのだろうか?


「しまった! これ人に言っちゃ駄目なやつじゃん!? いやいや、その前にカナリアの『能力』は知らない人に見せちゃ駄目なやつなんだった!」


 この世の終わりを迎えた様な顔で頭を抱えるカナリア。やだ、リアクションがめちゃくちゃ可愛い。

 というか、今頃それに気付いたの? いくらなんでも遅くない?


「くっ、かくなる上は目撃者の頭を良い感じにぶっ叩いて良い感じに記憶を飛ばすしか……」


 キラリとカナリアの瞳が怪しく光る。ジリジリとにじり寄る彼女の眼光は完全に狩りをする野生の獣の目だった。


「ちょっと待って! その前に貴女の怪我の手当てを私にやらせてよ!」


 そう言うと私の頭にチョップをかまそうとしていたカナリアの手がピタリと止まる。


「ふむ。君、良い人だね」

「いや、カナリアほどじゃないよ」


 私は応急処置としてビリビリに破けている自分のシャツの一部を使って怪我をしているカナリアの指に簡素なテーピングを施す。


「ありがとーファンの人。カナリアってドジっ子だから自分の手当てはけっこう苦手だったんだ」

「私の方こそ、ありがとうカナリア。おかげで助かったよ」

「えへへ、どういたしまして」


 満面の笑顔でほわほわと天然キャラ(アホの子とは言わない)特有の和みオーラを放つカナリア。それがあまりにも可愛すぎて私は危うく『尊死』しそうになる。


 尊さのバロメーターが限界値を振り切る勢いだった。


「そうだ! 君の名前を教えてよ!」


 何かを閃いた様子のカナリアは私に名前を訊いてくる。

 

「……私の名前は烏丸彩羽だけど?」

「ふんふん。じゃあ、カナリアは今度から君を彩羽ちゃんって呼ぶね」

「彩羽ちゃん……」


 憧れのカナリアに名前を呼んでもらえた。しかもちゃん付きで。

 幸せ過ぎて逆に辛い。


「よーし。じゃあ彩羽ちゃんはこれからカナリアのお友達って事でよろしくね?」

「……わ、私がカナリアの友達に?」

「んー? 嫌だった?」

「まさか! 身に余る光栄過ぎて気絶しそうな勢いだよ!」

「ふふっ。彩羽ちゃんって面白いね」


 そっと小指を出してカナリアは言う。


「じゃあ約束しよ? 今日の事は二人だけの秘密だからね? もしも破ったら奴隷契約書にサインしてもらうからね?」

「奴隷契約書」


 物騒な単語が歌姫の口から出たけど、私は全力でスルーした。


 指切りをした後、カナリアは可愛い感じに小首を傾げる。

 

「うーん? なんだろ、前にもこんな事があった気がする様な? なんだっけ、ジャブジャブ?」

「デジャヴって言いたいんだよね?」

「うん、それー。なんかカナリアは彩羽ちゃんと初めて会った感じがしないんだよね。うーん?」

「もしかしてコンサートで見かけたとか? 私、カナリアのコンサートは可能な限り最前列のS席に座ってるから」


 それが信者ファンとしての矜持きょうじです。


「そっかー。彩羽ちゃんはカナリアの熱狂的なファンなんだね。じゃあ、これから一緒に“駆け落ち”しても問題ないよね?」

「いや、それほどでもないよ。私なんて信者ファンとしてはまだまだ半人前──ふぁっ!? 駆け落ち!?」

「よーし。レッツゴー!」


 そんな。

 奇跡的なカナリアとの出会いを経て、この後暫くの間カナリアと行動を共にした私はそこからさらに厄介ごとに巻き込まれるわけなんだけど……それは今は置いといて。


 その出会いから月日が経ち、例のアイビス同伴で参戦したミラノ公演の後で久しぶりに再会したカナリアは渡したプレゼントのお返しに『ある物』を私に手渡してくれた。


「彩羽ちゃんがピンチになった時は“これ”をカナリアの分身だと思って大切に使ってね?」


 カナリアがくれたその贈り物は間違いなく私にとって『思い出の品』になり得るのだろう。


 用心して持って来て良かった。

 あの時は使う暇が無かったけど。

 あの出会いを経て、あの別れを経験して、今がある。

 今度は救ってみせる。


 そして今現在。私は瀕死のシグネットに対して魔法の様な治療を試みる。


「約束破ってごめんカナリア。貴女から貰った『不死鳥の血』は人命救助に使わせてもらうよ」


 私はシグネットの胸に大きく空いた傷穴にガラスの小瓶に入った『真紅の液体』を注ぎ込む。


「死なないでシグネット。今の私には貴女が必要なんだ」

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