第7話 ★そのコールサインは嫌いだから

 固い床で寝たせいか変な夢を見てしまった。


「……やっぱり、アンタは間抜けね」


 頭上から声をかけられて目を覚ませば──視線の先にはオーバーサイズの黒いパーカーを着た美少女の『生足』があった。

 

「…………」


 なんということだ。

 数年にわたる海外生活で語学力はそれなりに身に付けているつもりだったけど──これほど自分の語彙力ボキャブラリーの乏しさを痛感した事が未だかつてあっただろうか。


 答えは否だ。


 いや、それでも私はこの光景を描写せねばならないのだろう。


 美少女の生足に思わず欲情してしまった者の責任として。


 では描写しよう。

 その絹のような色白の太ももは──以下略。


 簡潔に言うとぶかぶかのパーカーの下から垣間見える淡い水色の下着パンツを眺めながらシグネットの美脚めいた生足で顔を踏まれたいと思った。


「いつまで寝てるつもり? もう七時過ぎてるんだけど!?」


 そんな事を言われてバッと被っている毛布を剥ぎ取られた。


 身体を起こして声のする方へ顔を向ければ、そこには呆れた様子の半目開きでジトーっと私を見詰める碧眼があった。


「……シグネット。貴女は本当に優しいね。そんなベタな起こし方をするのは隣に住んでいる『幼なじみ』くらいだと思うよ?」

「いや、誰が幼なじみよ」

「外国人の貴女には理解できないだろうけど、甲斐甲斐しい幼なじみに朝起こしてもらうというシチュエーションはオタク気質の日本人にとっては夢の一つなんだよね」

「そういうのいいから、早く顔を洗って歯を磨いてきなさいよ。もう時間ないんだからね?」

「シグネット。ベタな台詞をありがとう。おかげで夢が一つ叶ったよ」

「あれ? おかしいな、お礼を言われてるはずなのに何も嬉しくないんだけど……」


 納得しかねた様子のシグネット。やはり陽キャにはオタクの浪漫ロマンは理解できないらしい。


「身支度すませたら朝食にするから─って、何ナチュラルに服脱いでんの!?」

「いや、ただの着替えなんだけど?」

「そういうのはあたしの見えない場所でやってよ! ほんとデリカシーの無い女ね!」


 プンスカと顔を赤らめて怒るシグネット。怒り方が妙に子供っぽいのは何故だろう。


「ごめんね。前の相棒は裸族でそういうデリケートな部分は気にする素振りが一切なかったから……ちょっと感覚が麻痺していたみたい」

「それはそれで大問題ね」

「うん。変に意識していたのは私だけだったよ」

「それもそれで大問題ね」

「そうだね、大問題だね」


 やっぱり私とアイビスの『関係』はただのビジネスパートナーだったのだろうか。


「んー、あの子って昔から神経が図太かったからなぁ。無頓着っていうか、細かい事は気にしないっていうか……性格が女の子らしく無いっていうか」

「言いたい事は分かるよ。アイビスが女の子らしいのは見た目だけだから」


 どうやらシグネットも過去にあの腹黒サディスト相手に色々と迷惑を被っているらしい。


 被害者の会を結成したら話が盛り上がりそうだ。


「神経の太さで言えばシグネットも中々だと思うけどね。任務の為とはいえ他人の家に宿泊するその『忍耐力』は大したものだと思うよ」

「その言い方だと褒められている感じがしないんだけど?」

「いや、シグネットは我慢強いよ。任務で仕方がないとはいえんだから。年頃の女子ってそういうの嫌だよね?」

「…………っ」


 何を思ったのか急にモジモジと身悶えを始めるシグネット。


「ち、違うの! 昨日はたまたま、そう、たまたまを持って来るのを忘れたってだけで……決して嫌々着たとかそーゆーのじゃなくて、えっと……その」


 シグネットの目がぐるぐると回っている気がする。


「ベッドを使わせてくれたのは素直にありがたかったけど……気不味いというか、良い匂いがして何か落ち着かなくて。おかげで全然寝れなくて五時起きで朝ごはん作ってたけど別に嫌々とかそーゆーんじゃなくて……って! 何言わせてんのよ! バカ!」


 自爆発言からのツンデレ営業、助かります。


「こっちでも可能な限りでシグネットの要求には応えるから気兼ねなく言ってね? ナプキンとか切らしたら私の使っていいから」

「ええ、そうね! 他人と一緒に暮らすことが想像の右斜め上過ぎてこれから先が不安だわ!」

「ごめんねー。こんな百合カップルの同棲みたいな生活は精神的に辛いけどもう暫くは我慢してね?」

「いいから! とりあえず朝ごはんにしましょ!」


 そんなことがあって数分後。

 お互いに身支度メイクを終えて朝食の席に着くとテレビから朝のニュースが流れてきた。


『全米オリコンチャートの記録を塗り替える新星の歌姫カナリアの最新MVが、本日より情報公開されました』


 カナリアという単語が耳に入り、食事中にも関わらず顔をテレビに向けてしまう。


「おっ、カナリアじゃん。へぇー、新曲のMVかー」


 興味ありげな感じでテレビに視線を向けるシグネット。


「はぁ〜、やっぱカナリアは神ってるわねー。歌唱力もバツグンだし衣装もダンスもエモいし言うことなしねー」

「…………」


 むぅ、そこはかとなく同志の匂いがするな?

 これは少しばかり探りを入れる必要があるかな。


「……シグネット、貴女はカナリアの歌を良く聴いているのかな?」

「ん? 持ってるシングルとアルバムは全部初回限定版だし、コンサートの抽選は毎回応募してるけど? それがどうかした?」

「……そうなんだね」


 完全にガチ勢だった。同担拒否じゃないと良いんだけど。

 

 これは語り合うべきなのだろうか。カナリアの魅力について小一時くらいは。


 いや、一時間程度で終わらせるのはカナリアに失礼だ。最低でも半日は費やすべきだ。


「あっ、そういえばカナリアで思い出したんだけど、コンサートの日本公演が──」

「シグネット、これを見て」


 そして私はクローゼットの奥にしまってある秘蔵のコレクションを解放した。


「これはロンドン公演で販売されていた会場限定の等身大ポスターで、こっちはニューヨーク公演でカナリアも実際に着ていたオリジナルTシャツで、これがミラノ公演でカナリア本人から貰った直筆のサイン入りタオルで(早口)──」

「うわっ……」


 漏れたのは歓喜の声ではなく、いかにもドン引きしているという感じの冷ややかな声だった。


「彩羽ってアイドルオタクだったんだ……キモっ」

「随分と心外な人権侵害だね」


 解せぬ。

 私はただカナリアへの信仰心をグッズ購買という形で表現しているだけなのだが。


「訂正するけど私は断じてアイドルオタクではないから。それにカナリアは歌姫であって人類の財産であり希望の光なんだ。そこら辺の質より量が売りの有象無象の量産型アイドルグループと一緒にしないでよ(早口)」

「その発言は日本全国にいる推しのいるアイドル信者ファンを敵に回す発言だと思うけど。まぁ、いいわ」


 そんなことより、とシグネットは席を立ちクローゼットの前にしゃがみ込んだ。


「まぁ、物を隠すカモフラージュにしてはキモいけど。日本で『これ』を隠し持っている奴は『裏の人間』か“犯罪者”だけだと思うけど?」


 そう言ってシグネットはクローゼットの下に隠していた銀色のアタッシュケースを引っ張り出した。

 解せぬ。

 カナリアのグッズは別にカモフラージュじゃないんだけど。


「ふむ。ダイヤルロックか、これなら手の感覚で開けられそうね」

「待て、勝手に触ら──」


 私の注意を無視してガチャ、っとダイヤルロックを解錠する音が聞こえた。


「よっと……へぇ、デザートイーグルとスタームルガー・ブラックホークなんだ。良い趣味してんじゃない」


 解錠の手際もさることながら拳銃を持つ姿が妙に様になっている。銃器に対する知識もしかり、流石は私設武装組織アストライア猟犬ハウンドと言うべきか。


「ふーん。銃の手入れもちゃんとしてるわね。彩羽って意外と几帳面なんだ」

「意外は余計だよ」


 一流の猟犬たる者、己の命を守る『仕事道具』と身体の調整メンテナンスだけは怠るべからず。それが仕事に対してだけは真摯だった相棒の格言だ。


「今後は必要になるからメンテしとけって言うつもりだったけど、この様子なら大丈夫そうね」


 ハンドガンの銃口をこちらに向けてシグネットは不敵に笑う。


「ここであたしが引き金トリガーに指かけたらどうする?」

「そういう悪ふざけはせめて安全装置セイフティを外してから言ってよ」

「ありゃ、銃のチョイスを間違えたか……」


 シグネットはバツが悪そうにハンドガンをアタッシュケースに戻す。


「じゃあ、景気付けにこっち使ってロシアンルーレットでもやる? 確率は六分の五で、もち彩羽が先攻ね」

「つまり大学生の飲み会のノリで私に自殺しろと」

「当たりを引いたら明日のニュースと朝刊の記事に名前が載るかもね。大丈夫、隠蔽工作はあたしに任せておいて」

「すごく良い顔でサムズアップした」


 見出しはさしずめ『謎の多い女子高生、拳銃で自殺か』ってところか。


 なんだそれ、朝から殺伐としすぎでしょ。ここは法治国家の日本だよ?


「まっ、あんたの場合なら一発でも当たり引きそうだけどね?」

「何を根拠に言ってるんだろ……」

「んー? たしか、あんたのコールサインって『不吉を運ぶ烏』って意味のJK13レイヴンなんでしょ?」

「…………」


 そのコールサインで呼ばれるのも随分と久しぶりな気がする。


 そのコールサインを口にする相手は主に調教師ハンドラーと敵だけで、親しかった組織の身内からは名前かあだ名呼びが定着していたけど。


 そういえば、一人だけ私を『雑種』呼ばわりする人がいたっけ。まぁ、もう死んでるだろうからどうでもいいんだけど。


「シグネット。悪いけど私をそのコールサインで呼ばないで」

「ん? なんで?」

「そのコールサインは嫌いなんだ」


 そのコールサインで呼ばれると耳障りな高笑いが脳裏をよぎるから。


「はぁ? 嫌いって……何、その子供みたいな理由は、意味わかんない」

「貴女になんと言われようとこれだけは譲れない。悪いけど、仕事以外では二度と呼ばないで。あらかじめ言うけどから」

「…………っ」


 ふぅ、と溜息を吐くシグネット。


「……なんて言うか、アンタのキャラがイマイチ分からないわ」

「それに関しては全面的に同意するよ。自分のことは自分ですら分からない時があるからね」

「いや、同意されても困るんだけど」


 そんな中身のない雑談をグダグダと交わして身支度をしたせいか、時刻は過ぎ午前八時にまで迫っていた。


「ヤバっ! のんびり話してたら時間なくなった! ちょっと急ぎなさいよ彩羽! 電車に間に合わないじゃんか!」

「慌てなくても大丈夫だよ。今日はバイク通学だから八時に出ても余裕で間に合うよ」

「アンタは良くてもあたしが遅刻するの!」

「ふむ、私の後ろに乗れば問題ないのでは?」

「ひゃっ!? そ、それってつまり二人乗り──」

「ん? 何か不都合があるの?」

「な、なんでもない。なんでも良いから早くして!」


 シグネットに急かされてテレビを消そうとリモコンに手を伸ばす。消す寸前まで流れていた『今日の占い』で自分の星座が最下位になった事は何かしらの運命的なものがあったのだろうか。


『ごめんなさい。十二位のやぎ座のあなたは思わぬトラブルにハラハラ。何事もしっかり準備してから行動に移しましょう。ラッキーアイテムは『思い出の品』です』


 思い出の品か。

 それは一体、誰の物なんだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る