第30話 ★エピローグ

 暗黒領域ゲヘナベースの作戦から一週間が経った。作戦が終わり日本に戻った私とハイネは組織からの意向で引き続き高校に在学することになっていた。学校の単位、上手く誤魔化してくれるといいんだけど。


「で? 結局のところあの時の勝負はどっちが勝ったの?」


 学校にありがちなマイナーすぎる紙パックの自販機からいちごオレを取り出したハイネがそんな野暮な質問を紙パックと一緒に私に投げてきた。


「あ、あー……ひ、引き分けかな?」

「はぁ、引き分けって何?」

「引き分けは引き分けだよ」


 あの時にした二人だけの『秘事』が脳内再生されると幸せな気持ちがふわふわと蘇ってくる。


「いや、なんでちょっとモジモジしてんのキモっ」

「まるで汚物を見る目だね。すごくゾクゾクするよ」

「やっぱりMだったか……」


 戦場から生還し、特に変わり映えのない日常風景を噛み締めながら、私とハイネは学園の中庭で飲み物を片手に、人には言えない内緒話ガールズトークを嗜む。


「はぁ、今は待機期間だけど……夏休みになったら馬車馬の如く組織にこき使われるんでしょうね。所詮は組織の犬、サマーバカンスなんてあたし達には無縁よね」


 遠くを見る様な目でストローの先端をカジカジと噛み潰すハイネ。まるでブラック企業に勤めている社畜の様な雰囲気だった。


 夏休み、か。全然意識してなかったけど、あと一カ月くらいで一学期も終わるんだ。


 なんだか時間の感覚が微妙に狂っている気がする。夏ってこんなに長かったっけ?


「それでも少しくらいは休暇は貰えると思うよ。特別給与ボーナスもそれなりに出ると思うし」

「アンタはカナリアのコンサートに行きたいだけでしょ。あー、なんか生活に潤いが欲しいわねー。サプライズでどっかからイケメンでもフッて湧いてこないかしら」

「時期的にもそうだけど、女子校だからそれは厳しいと思うよ」

「もー、たとえばの話よ。夢と希望と癒しくらいないとこんな仕事なんて続かないでしょ?」

「ふふ、その意見には全面的に同意するよ。癒しは大切だよね」

「…………」


 ハイネはマジマジと興味深そうに私の顔を眺めていた。


「どうしたの?」

「彩羽、ちょっと変わったわね。自然に笑う様になったし。いや、この場合は『元に戻った』が正しいんだろけど」

「……そうかな?」

「そうよ。やっぱりアンタに仏頂面は似合わないわよ。これもアイビスのおかげかしら」

「……そうだね」


 アイビスの無事を確認して安心したからかな。何だか今は心に余裕が出た気がする。


「ねぇ、ハイネ」

「んー?」

「少し相談なんだけど……」


 私が真剣な面持ちで話を切り出すとハイネは眉を寄せた。そして数秒の沈黙の後、呆れたように小さく息を吐く。


「……アンタが何を言いたいのかはだいたい察せられるけど、それはあたしの意見じゃなくて自分の意思で決めなさいよ」

「……うん、そうだね」


 見透かしている様にそう口にするハイネに、私は頷いた。これは他の誰でもない私自身が決めることだと思う。


 口に出して、意を決して、私は自分の心中を吐露とろする。


「私、アイビスの力になりたい。でも組織は抜けない。私はアイビスと別の場所でアイビスのために戦う。矛盾してるけどこの選択が私にとって最善だと思うから」

「そ、アンタが決めたならそれで良いじゃない。それに誰かの意見に流される様な覚悟ならとっくに消えてなくなってるわよ」

「うん。聞いてくれてありがとうハイネ」

「ふん、どーいたしまして」


 この選択に後悔はない。

 あの時、アイビスと唇を重ねた瞬間に『何か』が変わった様な気がした。


 今までにない劇的な変化の兆し。まるで長い悪夢から覚めるかの様な。そんな希望の光に似た感覚を私は胸の内に感じていた。


 その『変化の兆し』が何なのかは私には分からない。おそらくそれは来るべき『その瞬間』まで知り得ることは出来ないのだろう。


「ところで今日の夜ご飯何にする? 冷蔵庫に残ってるアレでもアレンジして適当に作ろうか?」

「アレだけじゃ足りないから帰りにスーパー寄って行こうよ。アレとアレも足りなくなってきたし」

「そうね。マオが本部から戻ってくるまでにもう少し日用品とかも揃えておかないと。あの子なんだかんだで良く食べるし」

「育ち盛りだしね」


 まるで熟年夫婦の様なやり取りで笑い合う私とハイネ。


 そんな風に束の間の平和を謳歌していると『不測の事態』は唐突に、何の前触れもなく私の前に姿を現した。


「えー、こんな時期ですが……どういう訳かうちのクラスに海外留学生が転入することになりました」

 夏休みまで一週間のとある日、朝の朝礼でその子は担任教師に促されて教室の中に入って来た。


「初めまして。桜庭アイリスです」


 雪のように白い肌。血のように赤い真紅の瞳。小柄で華奢な身体付き。目が眩むほど鮮やかな桜色のミディアムロング。その見覚えしかない《美少女》は学園の制服を身に纏って私の前で自己紹介の挨拶を始めた。


「短い間ですがよろしくお願いします」


 果たして、予想すらしていない急なサプライズに、私の顔はどんな風に反応していたのだろうか。


「……いや、それは流石に反則でしょ」


 本当に私たちの間ではサプライズが絶えない。

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猟犬の少女はまだ、死ねない。 くぼたな @kubotu

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