解放
深 夜
村はずれのローソンについた時にはもう、おれたちはめちゃくちゃに酔っていた。
いや酔ってたのはおれと照井だけで、マリは山の下にある温泉町のチンケなクラブで買った合成麻薬をかっくらい、遠足の朝の子供みたいにハイになっていた。
店に入ってたまげたのだがレジ前じゃ南米出身とおぼしき髭のおっさんが、火のついた布を押し込んだビール瓶片手に親父にピストルを突きつけていた。どちらの立場がましだったのかは分からない。何しろどっちも滅茶苦茶に怯えていて、おまけにどちらも相手の言葉が全く分かっていなかった。
ところがその時何を考えたのか、マリがスキップしながら髭男の背後に忍び寄った。おれたちが唖然として見てるうちに、マリはひょい、とピストルを奪い取った。
おっさんは大声をあげマリに飛びかかろうとしたが、慌てておそまつな火炎瓶を床に取り落としてしまった。
ビンは見事にこっぱみじんになり、床に波紋をえがいて広がった炎は髭のおっさんの見るからに燃えやすそうなズボンの裾にたちまち引火した。
店を飛び出し駐車場の車のまえで振り返ると、親父がわめき散らす男の足に消火器をかけている所だった。背中の棚に火が大きく燃え広がっているのに親父は全く気づいてなかった。
♯
車で橋をわたって人気のない谷にたどり着いたときマリの薬が切れた。
両手で抱いたむき出しの肩に産毛を立たせてマリは囁いた。
「ねえ。このピストルなんか変だよ」
「変じゃねえピストルなんて普通手に入らねえよ。どうせロシア製の安物だろうが」
下の温泉街はがらの悪いのが有名で、この俺ですらモデルガンじゃないほんものの
「ちがう。そうじゃないのよ」
マリが抱くように両手でにぎっている拳銃を、おれは背中からのぞき込んだ。
「さっきから頭の中に聞こえるの。撃て。引き金を引け。って声が」
「おまえ、まだ薬のこってるんだよ。ちょっとそれこっちへよこせ危ねえから」
幼なじみでくされ縁のマリに嫌気がさしている照井は、舌打ちして銃を奪い取ろうとした。
「だめ。これ、あたしの」
マリは銃を照井に向け、だだっ子の口調で言った。
月光に鈍く光る銃身を見たとき、おれの中に何かが堰を切ったように溢れ出した。
その銃身を握りたい。
その銃口を口に含み、なめらかな鉄の舌ざわりを味わいたい。そして、そう。その小さな引き金を引き、秘められた巨大な力を解放したい……。
初めて女を抱いた時より激しい衝動がこみ上げてきて、気がつくとおれは持っていたアーミーナイフをマリの横腹に突き立てていた。
それから何でこんな事になったのか、俺の頭はずっと考え続けている。
答えは出ない。
♯
いつの間にかおれたちは、決闘する運びになっていた。
「なあ。おれたち何でこんな事しなきゃいけねえんだ?」
「この銃の持ち主は、一人でいいからさ。おや?」
落ち着きはらって銃を手にすると、照井は銃口から小さく覗いていた何かを丁寧に抜き取った。
メモ用紙だった。
よく銀行の窓口においてあるような奴だ。
「何だって? 英語だよな。これ」
照井は一応大学に三年ばかり通っていた。しかも英文科とかだ。
「テンポラリー……シールド? 何のこった。仮の封?・・・・・・封印? それにこれ、どっかの国旗だな」
月明かりに薄い紙が透けていた。
下の部分に四角いマークが入っている
黄色と白に半分ずつ塗り分けられ、白地の長方形には飾りで繋がれた二本の鍵の絵。
足許で血溜まりに顔を突っ込んだまま、マリが呟いた。
「ヴァチカンもせこい事をするものだ」
俺たちは一瞬、顔を見合わせた。
しかし驚きはすぐに消えた。
まるで俺たちの心を誰かが麻痺させて、その働きをひどくせまい範囲に押しとどめてしているようだった。
横たわるマリの体に刺さったナイフにさりげなく触れてみた。刃が筋肉の間に変にはさまり全く動かない。
「俺をそいつで刺そうってのか」
照井は笑って無造作に銃をこめかみに当て引き金を引いた。今回も不発だった。
「次はおめえの番だ」
弾倉を一つずらし、銃身をわざわざ自分に向けて握り直してから照井はピストルを俺に差し出した。言われるままに俺も銃を耳のうしろにあて、引き金を引いた。
♯
月が雲に隠れ、また現れた。
心はいつか、ふたつに引き裂かれていた。
この銃が欲しかった。この一瞬に人の命を奪う力のシンボルを、どうしても手に入れたかった。
だが一方で別の叫びが頭の中に渦巻く。
この銃の力を解き放ちたい。
殺戮のためにだけ作られた、世にも純粋な無駄の一切ない装置。
そこに秘められた無限のパワーを振るえば、おれは世界だって支配してみせよう! しかしおれがこの銀色の武器のもつ本当の力を知る時とは、まさにおれの死ぬ瞬間なのだ。
――待てよ。なぜ、そう言う理屈になる?
ほんのつかの間、おれの心は自由をとりもどした。
「さあ、最後だぞ」
傾いた満月に照らされて亡霊のように笑いながら、照井はおれに拳銃を差し出した。
「こいつをぶっ放せ。それで片がつく」
俺が引き金を引いたときも、照井はまだ笑っていた。
薄笑いを浮かべたまま、照井はゆっくりと後へ倒れた。
弾丸は照井の眉間を貫いていた。
轟音が谺をひいて谷間の奥へ消えてゆくのを聞きながら、おれは虚ろな涙を流していた。
全身から力がぬけて行く。
銃の力は解放されてしまった。
もはや手の中にあるのは、何の価値もない抜けがらに過ぎない。
「殺すのはたやすくとも、引き金を引くと言うのはこれでなかなか難しいようだな」
両膝を着いてへたり込んだおれの横で、照井がつぶやいた。
ぎょっとしておれは跳ね上がった。
煌々とかがやく夜明け前の月を、照井は横たわったまま静かな目で見上げていた。
その眉間に開いた孔から、生きものめいた動きで黒い粘液が流れ出す。
血ではない。
「しかしわたしは、これでようやく解き放たれたのだ。礼をいう」
奇怪な力が封じ込められていたのは銃ではなく、弾丸の方だったのだ。
解放 深 夜 @dawachan09
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