その青を懐かしむ

 事件が起こり、死者の関係者がそれぞれに証言していく。
 そんな定型をきちんと踏襲している作品。
 そこにブルーハワイの色を僅かばかり滴らせることによって、カクヨム甲子園に提出する作品に相応しい、若い印象を強くしている。

 性格の良い愛されキャラの快活な優等生。だが、別の者の眼から見れば醜悪な偽善者。
 絶賛に近い好意的な証言の中に、次第に混じりはじめる否定的な意見。これもテンプレの展開だ。
 だが証言者たちは学生であり、言葉の端々に十代らしい感情を剥き出しにのぞかせる。
 彼は聖人なんかじゃない。
 学業優秀の彼の背後で何かと損な役回りを担わされていた女生徒が口火をきる。
 わたしだけは彼の本質を見抜いていましたという顔をして、悪口を並べ立てるのだ。

 謙虚ぶっていて、反吐が出る。
 同級生を見下していた腹黒いエセ人格者。彼が死んでくれて嬉しい。

 そんな毒を吐く者こそ、皮肉なことに、もっとも正解から遠い位置にいる。
 わたしだけは彼の本性が分かっていたという顔をすればするほど、圏外の存在になっていくのが面白い。
 何故なら彼女は、自分の心を語っているだけだからだ。
 彼の正体を見抜いていたと豪語するならば、さらに一段階、自らの心を暴き出して彼女はこう云うべきだった。
 わたしのプライドと嫉妬心のために、彼の名声は公の場で挫かれ、泥を塗られるべきなのよ。
 そして彼の代わりに、わたしを愛される人気者にしてちょうだい。


 文化祭の日に死んだ彼。
 教職員の間でも英雄を讃えるかのように彼の品行は語られてきた。
 しかし保健室での彼は、覇気がなく、おとなしい草食動物。その静かな姿は、彼のクラスで一番目立たない、無口で孤独な男子生徒とそっくりだった。

「みんなが勝手なことばかり云う。誰もわたしを分かってはくれない」

 学生時代は、この当たり前のことを、痛みと共に身体に刻み込む時期だ。だからこの作品の若者たちも、そのように描かれる。
 誰もが「なんでわたしばかりが」という鬱憤を抱え込んで、「自分だけが」と想っている。
 犯人も、彼も。
 その想いが衝突した時、悲劇が起こる。


 あらゆる仮面を剥ぎ取ったとしても、死んだ彼は温厚でやさしい生来の気質のままの、「いい奴」だったことだろう。
 そして考えの浅い同級生たちも単純明快なほどに、「いい連中」だったのだ。
 事前に大勢の人間からあれもこれも頼まれているのだと知っていたなら、彼らとて、被害者だけに雑用を押し付けるようなことはしなかったはずだ。
「断れない」
 最も優先すべきである自分自身を封じ込めて他人を優先してしまう被害者のこの致命的な欠点は、アダルト・チルドレンの多くが持っている特徴のように想えるが、この話では家庭環境にまでは触れていないので割愛する。

 大人に向かって脱皮を繰り返す日々、彼の空白は、時をとめて想い出される。
 この先さまざまな人生の航路を辿っていく同級生が過去を振り返った時に、「あいつ、いい奴だったよな」と惜しまれるであろう故人。
 都合のいい人間になることを止めようとし、激白を傷のように撒き散らしたかにみえて、彼はやはり、透明な羽根をもつ善人のままなのだ。

 階段の踊り場に落ちた冴えた色のブルー。
 それは彼が最期に見せた勇気と抵抗の色。
 踏みにじった者の脳裏にも、その青さは生涯消えない。