硝子の向こうの展示物

 これだけのものを文体にわずかの綻びもなくぶれもなく書き上げてしまうという手腕だけでも感嘆に値する。
 根気の有無ではなく、己の中に揺るぎない美学がないと、この文章は編むことが出来ない。

 といっても明治の文豪など、この手の文体を当たり前にしていたのであって、「時代遅れ」を外せば、かつての「普通」、本人の嗜好のままに古い作家の作品に耽溺している方なら、眼にも慣れ親しんだ、大変に心地の良いものであろう。

 きっとこの方は、自分の書き綴る一文字一文字に深い満足と快感を覚えている。文章のどこを切り取ってもこだわり抜いた美しい漢字がいぶし銀のように光ることを意識して書いている。以前、この方の作品のことを彫金のようなと評したことがあるが、その印象は今も変わらない。

 細い金属の糸で、神経を尖らせながら、僅かなゆるみも許さぬとばかりに、かっきりと編みこまれた小説。
 文学に生きようとした二人の男の殉死が、著者によって選び抜かれた文字列によって彼らの望みどおりに埋葬されているさまは、余人が迂闊に手を触れることをゆるさない、硝子の向こうの工芸品の域になっている。