最終話 これからも

 ヴェラの家から外に出てみると、思わぬ人々が待っていた。ライサは驚き、目を丸くする。

「ライサ姉さん!」

「ねぇちゃん、久しぶり!」

「ナターリア!? それに、ブラト!?」


 シャトゥカナルで暮らしているはずの二人いとこが、どうしてスノダールにいるのだろう。

 ライサの服装を見て、ナターリアはライサと同じ色の瞳をうるうると輝かせた。

「わぁ……ライサ姉さん、すっごく綺麗……!」

「すげぇ! キラキラしてる!」

 ナターリアは両手を顔の前で組んで、うっとりとこちらを眺めている。頬を紅く染めながらも、ライサは二人に向かって尋ねた。


「あ、ありがとう。それより、どうして二人がスノダールにいるの?」

「ふふ、お祭りの見学がしたくって、駆けつけてきちゃったの。だって、実質的な結婚式だって言うんだもの。大切なライサ姉さんの結婚式、私もブラトも一緒にお祝いしたかったの!」

「結婚式って……ただのお祭りの後夜祭よ? そんなこと一体誰から」

「え、タチアナ様からよ?」


 ナターリアの口から飛び出した友人の名に、ライサは口をポカンと開ける。

 胸を張って高笑いする友人の顔が、頭に浮かんでしまい、ライサはがっくりと項垂れた。

「タチアナったら、いつの間にナターリアと連絡を……」


 ナターリアは、嬉しそうにブラトとはしゃいでいる。最近体調が良いのだと聞いていたが、手紙に書いてあったことは本当のようだ。

 元気な二人の姿が見られて、ライサは表情を綻ばせる。

 そう言えば、と、あることを思い、ライサはナターリアに尋ねた。


「二人だけで来たの? 叔父さんと叔母さんは?」

「父さんたちは、来なかったわ。私たちは、タチアナ様の馬車に乗せていただいたの」

 タチアナは今、村長と話をしているらしい。

 叔父さんたちが来ていないと知って、ライサは納得して軽く頷く。叔父夫婦は厄介者の私のお祝いなんて、したくもないだろう。そう思うのに、少し寂しい気持ちになるのは何故だろうか。


「自分たちが来ても、ライサ姉さんに不快な想いをさせるだけだって」

 ナターリアの言葉に、ライサは疑問の声を上げた。ナターリアは目を伏せ、表情を曇らせる。

「父さんたち、ライサ姉さんに申し訳ないことをしたって、ずっと後悔してたの。姉さんを引き取ったあの頃は経済的な余裕がなくて、姉さんのお母様への不満や怒りもあって、姉さんにどう接して言いかも分からなかったんだって。それでずっと、ライサ姉さんに苦しい想いをさせてしまったって。しかも、私の身代わりに結婚まで――。父さんたちを許してくれとは言わないわ。けど」


「分かってる。私も、別に叔父さんたちを恨んでいるわけじゃないから。叔父さんたちに伝えておいて。『見捨てず育ててくださって、ありがとうございました』って」

 ナターリアを安心させるように、ライサは穏やかに微笑んだ。

 愛してくれていた訳ではないかもしれない。でも、叔父たちは、自分のことを気にかけてくれていた。それだけで、十分だ。


 ライサの言葉に、ナターリアは強張っていた肩の力を抜いた。そして、どこか眩しそうに目を細める。

「ライサ姉さん。本当に、綺麗ね。ううん、前から綺麗だったけど、なんていうか……前よりももっとキラキラしてる」

 隣にいたブラトも、綺麗だねと言って明るく笑っている。


「姉さんは今、とっても幸せなのね」

 ええ、ライサは迷わずきっぱりとした口調で告げる。

「私は幸せよ」

「あらあら。なんだか、ちょっと羨ましくなっちゃうわ」

 ナターリアはそう言って、鈴を転がすように笑った。





「では、春呼夜祭の後夜祭を始めるよ」

 ニーナの宣言に、集まった人々は沸き立った。後夜祭の場所は、春呼夜祭を行った森の広場である。祭壇はすっかり片付けられ、代わりに木材で作られた円形の舞台が置かれている。

 後夜祭は村人以外の見物客も多く、昼間に行われるため、祭り本番とはまた違った雰囲気だ。

 演劇が始まる前の、期待と高揚に満ちたあの雰囲気に似ている。


「まずは、若い二人に氷龍と炎龍のツガイの儀式の再現をしてもらおうかね。――二人とも、上がっておいで」

 ニーナに促され、ライサとザックはそれぞれ逆方向から舞台へと上がる。

 階段に足をかけたライサの姿に、集まった人々から感嘆の声が漏れた。ザックから送られた臙脂色の外套を羽織っているが、隙間から見えるドレスの裾や胸元のレースが可憐な美しさを放っている。


 ライサがふと視線を観客へ向けると、ちょっとお節介な親友の姿が目に入った。

『ライサ』

 タチアナの唇がそう動き、片目をつぶった。彼女の隣には、穏やかそうな眼差しをした年上の男性が立っている。タチアナの旦那様だ。彼はタチアナを愛おしそうに見つめている。

『後で紹介してね』

 通じるか分からないが、ライサも唇だけをそう動かしてタチアナに微笑んだ。


「さて、みんな。この地方に伝わるおとぎ話は知っているね? 今からこの若い夫婦に演じてもらうのは、氷龍と炎龍が互いの鱗を交換し、再会とツガイの絆を結ぶ場面の再現さ」

 あとは、よろしく頼むよ。ニーナはそう言うと、舞台の上から降りていった。


 ザックとライサは舞台の中央で見つめ合う。お互いの手にはそれぞれ、氷龍と炎龍の鱗に見立てた祭具が握られている。二人で一生懸命作ったものだ。

 演じると言っても、やることは多くない。それでも酷く緊張して、ライサは体を強ばらせ俯いた。


「ライサ」

 穏やかな声が、小さく自分の名を呼んだ。顔を上げると、にっこりと笑うザックの姿が見える。大丈夫だと言ってくれているような気がして、ライサは深く頷いた。

 私には彼がいる。大丈夫だ。

 ライサたちは一歩ずつ、お互いの距離を詰めていく。


『必ずまた、お前の下に帰ってくる』

『私たちの繋がりが、永遠のものとなりますように』

 ライサたちは伝承の中にある台詞を口にすると、自分の手元の祭具を取った。

 ザックが紅色、ライサが蒼色。これを交換すれば、それで儀式はおしまいだ。互いの祭具を入れ換える瞬間、手元がブレて祭具同士が触れ合い澄んだ音を立てる。

 その瞬間、温かな風がぶわりと二人を包み込んだ。


「きゃ――」

「な、なんだ?」

 ライサとザックは思わず声を上げる。ニーナたち村人たちも慌てたような顔で、体を強張らせている。彼女たちにとっても、予想外の出来事なのだろう。

 しかし、ライサたちをつつむ風は、あくまで柔らかく心地よい。まるで、これは。


「っ!? おい、見ろ!?」

 村人の誰かが上げた声に釣られ、皆は一斉に空を見上げた。うっすら灰色の雲に覆われた空を、巨大な何か身を寄せ合って飛んでいる。

 それぞれの体の色は、祭具の色と全く同じだ。あの色とあの姿は、まさか。


「氷龍と……炎龍……?」

 ライサが、その雄大で優美な姿に見惚れながらも呟いた。

 翼を大きく広げ、二体は広場の上をゆっくりと旋回している。時に離れ、時に近づくその飛び方はまるで踊っているようでもあった。

 不意に、強烈な光が目に飛び込んできて、ライサは目の上を手で覆う。灰色の雲の隙間から、帯のような光が差し込んでいたのだ。

 溢れ出る真っ白な閃光は、もしかして。


「おひさまの、光なの?」

「太陽だって!?」

「あ、あの二体が伝説のあの龍で、二体一緒にいるってことは、まさか」

 春が来るのか。

 誰かが発したその声に導かれるように、ライサたちを包んでいた風が、広場中を駆け巡った。

 この温かさは、そうまさしく春風だ。


「ザック……」

「ああ、無事に仲直りできたんだな」

 空を見上げたまま、二人は互いの指を絡めて手を繋ぐ。

 二体の龍はもう一度大きく旋回すると、山の向こうに消えていった。ぴったりと寄り添うようにして飛ぶ姿は、ツガイと呼ぶに相応しい姿をしている。

 ライサたちの胸が、温かな感情で満たされた。


「会いにきてくれてありがとう。私たちもずっと一緒にいられるように頑張るわ」

「そうだな」

 独り言のつもりが思わぬ返答があり、ライサは弾かれたように隣を見上げた。ザックが悪戯っぽく微笑んでいる。


 二体の龍が消えた後、ニーナがどこか愉快そうに呟いた。

「おやまぁ。今回の後夜祭の主役は、本当に春を呼んじまったね」

「嘘だろ……!? こんなことってあるのかよ、すげぇなお前たち!」

 ロジオンが興奮した様子で叫んだのを皮切りに、観客たちも大きな歓声を上げた。


「ちょっと見まして、旦那様!? 伝説の龍、ああ、なんて美しい姿だったのかしら!? わたくし感動してしまいましたわ」

「ナターリアねぇちゃん、あれが龍? すげぇ……!」

「ええ、スゴいわね、ブラト。父さんたちにも教えてあげなきゃ!」


 みんな思い思いにはしゃぎ始める。伝説の龍の登場、そして久しぶりにまともな春がやってくるのだ。盛り上がらない方がおかしいだろう。

 春が来る。

 一体これから、どんな光景が見られるのだろう。緑の森や色とりどりの草花、自分の瞳の色みたいな、蒼い空も見られるだろうか。


 ライサは期待に胸を膨らませ、改めて隣のザックを見上げた。彼はライサを愛おしげに見つめ、表情を蕩けさせている。軽く痛いと思うくらいに、彼に手を強く握られた。


「やっぱり、おれライサと一緒だったら、どんなことでもできそうな気がするよ」

「私も、そんな気がするわ」

 もしかしたら、また彼とすれ違うことがあるかもしれない。けれど、一緒ならどんなことでも乗り越えていける。いや、何があっても、絶対に二人で乗り越えて見せる。

 ライサは強くそう思った。

 ザックに会えて、本当に良かった。


「これからも、ずっとずっと、よろしくな! ライサ」

「こちらこそ」

 最愛の彼の手を、ライサは強く強く握り返した。





 完

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薪割りむすめと氷霜の狩人〜夫婦で最強の魔法具職人目指します〜 寺音 @j-s-0730

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