第45話 婚礼衣装

 夜風が、雪を被った木の枝を優しく揺らす。ランタンの光が雪の大地に落ちて、長く橙色の影を伸ばしていた。

 森の中にある広場で、スノダールの村人たちが楽器を打ち鳴らして躍り歌う。木を組んで作った段状の祭壇には、お酒や穀物、果物などのお供え物が置かれていた。

 ライサたちが村に帰ってきてから一週間が経った夜、今日はいよいよ春呼夜祭はるよびのよるまつりである。


「皆、楽しそう……」

「まぁ、自然に感謝する大切な祭りって言っても、儀式が終わればただの宴会だからな」

 ザックがそう言いながら、ライサの隣に腰を下ろす。彼の視線の先には、酒を呑んで愉快そうにはしゃぐ村人たちの姿があった。ただし、肉食は禁止だそうである。


「はい。ライサは酒よりこっちの方が良いだろ?」

 ザックが差し出してくれたカップの中には、クリーム色の液体が入っている。ふわりと甘い香りが鼻腔を擽った。おそらく、木の蜜が入ったミルクティーだろう。

「ありがとう」

 ライサはカップを両手で受け取って、ミルクティーを口に含む。横目でザックの様子を観察すると、彼はじっと静かに村人たちの様子を見つめていた。

 やがて彼は、ポツリと独り言のような声を漏らす。


「ニーナのばあちゃんに、おれを引き取った日のことを聞いたんだ」

「そう、なの。帰ってきてから、バタバタしていたものね」

 帰ってきたザックは、ニーナたちにこれ以上ないくらい激しく怒られた。説教は数時間にも渡って続き、最後はライサが真っ青な顔で止めに入ったほどである。

 その後は、春呼夜祭の準備でバタバタしていたから、ようやく今、じっくりと話ができたのだろう。


「ニーナのばあちゃんたちは昔、狩りと採集の帰りにたまたま凍りついた村人たちを発見した。おれの両親を含む僅かに残った人たちから話を聞いて、おれを託されたんだ。おれの両親も村人も、全身が凍りついて今にも死にそうなのに、『まだ赤ん坊のこの子だけでも助けてくれ』って、おれにありったけの魔法具を持たせて守ってくれて、必死でばあちゃんたちにおれのことを頼んで……。ばあちゃんたちも、危険を承知でおれを助けてくれたんだ」


 ニーナたちは、村の職人の力を借りられれば助けられるかもしれないと、ザックを連れて山道を急いだ。

 しかしザックの体はどんどん冷たくなり、鳴き声もか細くなっていく。ニーナたちの足も動かなくなり、もう駄目かと思ったその時、二人の前に伝説の炎龍が降り立ったのだ。


「そのあと、二人とも気を失ってしまって、気がついたら炎龍はもういなくなってた。代わりに、赤ん坊のおれが元気に笑ってたんだってさ」

 実の両親の悲惨な最後を話すことができず、ニーナたちは真実を隠したままで彼を育てたそうだ。ザックは俯いて、自分のカップに視線を落とす。


「ばあちゃんたちに言われた。今までちゃんと伝えられなくて、申し訳なかったって。でも、これだけは知っておけ、おれは全然恨まれてなんかいないって。むしろ、生きていくことを望まれてたんだって。だから」

「そうね」

 ライサはザックの手にそっと自分の手を重ねた。彼の炎のような瞳を、じっと見つめて呟く。


「幸せにならないとね」

 ザックの瞳が軽く見開かれる。誰かが何かを言ったのか、村人たちの間でどっと笑顔が弾けた。

「ああ、そうだな」

 ザックは目を細めて、柔らかく微笑んだ。

 明日はいよいよ祭の後夜祭、ライサとザックが儀式を行う日である。





「まー! 私の目に狂いはなかったわ! 完璧よぉ! ライサちゃん、とっても綺麗だわ~」

 次の日、後夜祭の開始は昼過ぎだと言われたため、ライサは自宅で祭具や儀式の手順の最終確認をしていた。

 ところが、突如家を訪ねてきた村の女性たちに訳も分からぬまま連行され、今、恐れ多いほど美しいドレスを身にまとわされていた。

 連れてこられたのは、ヴェラという名の女性の家だ。彼女は恍惚とも言える表情で、ライサの全身に視線を巡らせている。


「本当に綺麗ねぇ」

「惚れ惚れするわぁ」

「ザックも一撃必殺ね!」

「心臓止まっちゃうわね! どうしましょう、後夜祭の儀式の代役立てるべきかしら?」

 他の女性陣からも、称賛と物騒な言葉が並ぶ。ライサは落ち着かずに、自分の格好を見下ろした。

「その、申し訳ないですけど、私にこんな綺麗なドレスは似合わな――」

「ほら、自分でも見てごらんなさい!」


 差し出された姿見に写った自分を見て、ライサは思わず息を呑んだ。

 真っ白なロングワンピースをレースで覆った、繊細な作りのドレスだ。レースの色も純白で、光の加減によっては薄い蒼色にも見える。柄は草花だろうか。控えめな模様がライサの白い肌をさりげなく飾っている。

 ドレスの裾はあまり広がらず、ライサの体の線に沿って流れ、彼女の細い体躯を魅力的に際立たせている。

 首から胸元、肩から腕にかけてもレースで覆われていて、肌をあまり見せないような作りが上品だ。


 そして、普段よりもふっくらとした薄紅色の唇と、赤い頬。瞳は相変わらず眠たそうだが、まばたきをする度に睫毛がキラキラと輝いた。化粧もしてくれたのだろう。

 確かにこれは、だ。

 自分の変貌っぷりに、ライサは照れて視線を落とす。


「このドレスは、ヴェラがライサのために用意した婚礼衣装なのよ。せっかくのお祭りだし、皆の前でお披露目するのも良いんじゃないかしらって。ザックにもらった外套を羽織れば、儀式にもちょうどいい装いになるはずよ」

 そうだったのか。ライサはありがとうございますとヴェラに頭を下げる。


「残念ながら、今日はあくまで後夜祭。また改めて結婚式を開きましょうねー。ちゃんと、このドレスに合うヴェールも作ってあるのよぉ! ふふふふ、やっぱり女の子はレースよねぇー。女の子を最大限美しく着飾れるのは、何よりもレース! レースなのよ、レース!!」

「出たわね、レース狂いのヴェラ」

 突然、レースを連呼して怪しい笑い声を上げたヴェラに、別の村人が呆れたような眼差しを向けた。

 ライサは思わず唇をひきつらせ、恐る恐る問いかける。


「あの、レース狂いって、なんですか……?」

「ああ、この森に、密かに生息しているという噂の幻の蜘蛛、『金剛蜘蛛ダイヤモンドスパイダー』。その蜘蛛が紡ぐ糸は強靭で頑丈で、断ち切れぬものはないと言うわ。ヴェラは何故か金剛蜘蛛の生息場所を把握していて、その蜘蛛の糸を素材として扱う、レースの編み物専門の職人よ。彼女がその糸で編んだレースのコースターやハンカチーフは、剣士の剣すらも易々と受け止めるのだと言われているわ」


「ええっ!? ま、まさか、このドレス……」

 下手な鎧よりも頑丈、ということなのか。ライサは眠そうに見える瞳をぎょっと剥いて、身にまとったドレスに視線を巡らせる。

「まぁ、誰も試したことはないから、真偽は不明よ。だって、見るからに繊細なコースターとかを使って敵の攻撃を受けるだなんて……誰も怖くてやらないでしょ? 言っておくけど、試しちゃ駄目よ?」

「や、やりませんよ!?」

 そんな恐ろしいこと。ライサは顔の前で両手を振る。


 その時、ヴェラの家の扉を少々乱暴にノックする音が響いた。

「――ヴェラおばさん! 突然ライサを連れていって、一体どういうつもりなんだよ?」

「あら、良いところに来たわ」

 扉越しに聞こえてきた声を聞いて、ヴェラは他の女性陣と共にほくそ笑む。そして、いそいそと玄関へ向かった。


「ザックぅー? あなた良いところに来たわよ! ライサちゃんの姿、見てあげて」

「え? ライサの姿って、どういうこ」 

 ヴェラに背を押され、部屋に入ってきたザックはライサを見た途端に固まった。驚くでも喜ぶでもなく、まったくの無表情である。

 ライサはうつむきながら、上目遣いにザックを見上げた。


「ザック。その、どうかしら? やっぱり私には、に、似合わない?」

「――ごめん。今頭の中で、感動やら愛おしさやら口に出せない衝動やら何やらが大暴れしてるから、上手く反応できない」

「どういうこと!?」

 ザックの発言に、ライサは思わず目を剥いた。

 しばらくして慣れてきたのか、ザックは嬉しそうに頬を染め、口元に手を当てて感嘆の声を発する。


「ライサ。すごく綺麗で、すごく可愛い……! えー、なんで二人っきりじゃなくて、ヴェラのおばちゃんたちがここにいるんだよ」

「着替えを手伝ってくれてたんだから、当たり前でしょう」

 何故か、ヴェラたちを軽く睨み始めたザックを、ライサは軽くたしなめる。ただ彼も、喜んでくれているようだ。胸がむず痒い。


「ライサ。ちょっと良いかい?」

 そんな中、ニーナが部屋にひょっこりと顔を覗かせた。後夜祭の準備があるはずの彼女がどうしたのだろうと思っていると、ニーナは部屋の外を指差しながらライサに告げる。

「アンタにお客様だよ」

「お客様?」

 思い当たらず、ライサは怪訝そうに眉を寄せる。

 眉を下げ、ニーナはどこか悪戯っぽく微笑んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る