第44話 もう一回
ライサは魔核の欠片を持って、眠るザックを見つめる。炎龍によれば、これを彼に与えればいいということだったが。
ライサは指でそっとザックの顎に触れ、閉じている口を開かせる。唇に手を触れようとして、ふと凍りつく直前の記憶がよみがえった。
わ、私、あの時、ザックの
『どうシタ? 早くしてくれ』
「え? え、ええ!」
こんな時に何を考えてるの、私は。
ライサは軽く首を横に振ると、彼の唇にそっと触れる。手袋ごしで良かった。そう思いながら、ライサは魔核の欠片を彼の口の中にコロンと落とす。
次の瞬間、魔核の欠片は砂糖菓子のようにスッと溶けて消えていった。
「消えちゃった……⁉」
『安心シロ。少しだが、呪いの力も弱まっていル』
ライサを安心させるように、炎龍は声をかけてくれる。ライサは頷くと、他の欠片もザックの口に運び始める。
本当に、呪いは解けるのだろうか。
半信半疑だったが、魔核の欠片が溶ける度、ザックの頬に赤みが差していく。
ザックは、家族が死んだのは自分のせいだと言うけれど、絶対に違う。万が一彼に罪があったとしても、もう十分彼は苦しんで、罰を受けたはずだ。だから、もう彼を自由にしてあげて。
ライサは祈るような気持ちで、魔核の欠片を彼に与え続けた。
「――ライサ?」
最後の欠片が溶けてなくなった時、ザックの目蓋が僅かに震えた。自分の名を呼ぶ声に、ライサは目を大きく見開く。ザックの両目が薄っすらと開いて、温かい暖炉の色をした瞳が見える。
生きてる。ライサは堪らなくなって、ザックに覆いかぶさるように抱き着いた。
「あれ、夢、かな? ライサが生きてる」
「ザック、ザック……!」
上手く言葉が出てこなくて、ライサはただ彼の名前を呼び続ける。
髪に触れてくる彼の指先が優しくて、余計に何も言えなくなってしまう。
本当に本当に、良かった。彼の胸に額を擦り付けて、ライサはザックを強く抱きしめる。
やがてぎこちなく動いた彼の腕が、強く強くライサの体を抱き込んだ。
「ライサ……」
ザックの声が震えている。酷い涙声だった。
『オマエの呪いは無事に解けた。良かったナ』
「え――炎龍!? まさか、本当か……?」
咄嗟に、ライサとザックは素早く体を離す。見られていたのだという気恥ずかしさに、ライサは頬を染めて目を伏せる。
炎龍は揶揄うように口を動かすと、前足を持ち上げ何かをライサに向かって差し出してきた。
『落としてイタぞ』
「あ……え、大変! 私ったら、祭具を」
炎龍の爪に引っ掛かったものを見て、ライサは慌てた声を出す。
思えば、ニーナたちに祭具を見せた帰りだったのだ。祭具を鞄に入れたまま、ここまで来てしまったのか。しかも鞄を放り出した時に、飛び出してしまったらしい。
両手を受け皿のようにして、ライサは炎龍から祭具を受け取る。幸い、どこも傷などはついていないようだ。
ほっとしてライサが祭具から顔を上げると、炎龍が遠い目をして自分の手元を見つめていた。
『何年前だったカ。この男を殺そうとする氷龍に向かって、我は「我の鱗などそんなもの無くても良い」と言ってしまった。氷龍は我のその言葉に激しい怒りをあらわにして、「もう二度と会いに来るな、ツガイは解消する」と言ったのだ』
祭具を見て、炎龍は自分の鱗と氷龍の鱗のことを思い出したのだろうか。
『本当ハ、「証など無くても氷龍と我はツガイであるし、毎年必ず会いに来る」と、そう伝えたかったノダ』
ライサとザックは、思わず顔を見合わせる。遠慮がちに、ライサは炎龍に声をかけた。
「その、氷龍は貴方の鱗を失って酷く錯乱するほど、ツガイの証を大切にしていたのでしょう? それほどまでに大切にしていたものを『そんなもの』と言われたら、私だって怒ってしまうかもしれないわ。それに、真意もちゃんと伝えないと、誤解を生むわ。……私が、言えたことではないけれど」
『そう、だったのダロウな。我の失言で氷龍を傷つけてしまった。なんとか弁解しようにも氷龍は隠れてしまって、どんなに探しても見つけることができなカッタ。長い間まともな春が訪れず、オマエたちにも迷惑をかけたな』
炎龍は何かを振り払うように、軽く首を横に振る。そして、ライサとザックに交互に顔を向けた。
『決めたゾ。我は、もう一度氷龍を探す。ソシテ、必ず見つけ出す。ちゃんと訳を話しテ――謝罪をしよう。なかなか恐ろしい女王様だが、まだ我は氷龍とツガイでいたいのダ』
「それが良いわ。応援してる」
照れたように笑う炎龍が微笑ましくて、ライサは声を出して笑った。
「ふふ、気を悪くしたらごめんなさい。
失言をしてしまったり、言葉が足りなかったり、笑ったり拗ねたり。なんだか一人の人間と接しているようでとても親しみ深い。
龍とはこういう生き物なのだろうか。
『人間みたい、カ。そうかもしれぬ。我は幼龍のころ、人間に命を救ってもらったことがある。もう何百年も前のことだがな。それだけではなく――我は知恵と工夫で力を生み出す、人間たちの営みが好きナのだ。よく観察してイタから、少し人間に感性が似てきてシマッタのかもしれないな』
深く頷いた後、炎龍は空を見上げて両翼を大きく広げた。
『では、我は行くとシヨウ』
「ええ。本当に、本当にありがとう! いつか、
ライサとザックは立ち上がり、炎龍を見上げる。
本当に、炎龍には助けられた。感謝してもしきれない。
『なに、これからモ、オマエたちがどんなものを生み出すか、見せてもらえればそれで良い』
ザックはライサの片手をぎゅっと握って、はしゃぐように言った。
「ああ、見せてやるよ。おれたち、魔法具の職人なんだ! まだまだ見習い同然だけど、いつか本当にすごいものを作って最強の魔法具職人になるから、その時はまた会いに来いよ!」
「是非、奥様と一緒にね」
ライサが付け加えた言葉に、炎龍は少々面食らったような表情をした。
やがてふっと目を細め、深々と頷く。
『それは、楽しみダ。デハ、我も無事に仲直りができたラ、またオマエたちに会いにこよう』
「ええ。楽しみにしてるわ」
炎龍は両翼を勢い良く羽ばたかせる。ライサのプラチナブロンドと外套がバサバサと舞い上がり、ライサは片手で髪の毛を押さえた。
やがて炎龍の巨体が空へ舞い上がる。最後にもう一度だけこちらを見下ろすと、炎龍は踵を返し真っ白な空へ消えていく。
雄大なその姿を、ライサはいつまでも見上げていた。
「あ――ライサ、見てみなよ!」
「え? あっ」
ザックの声に、ライサが視線を巡らせると、氷霜の森がいつの間にか変貌を遂げていた。
炎龍の力だろうか。雪や霜で真っ白になっていた木々が、本来の色を取り戻している。足下の雪は溶け、茶色の地面が所々顔を覗かせていた。ぽつぽつと見える緑の点は、何かの植物の芽だろうか。
まるで、一足先に春がきたみたいだ。
「なあ、ライサ」
ザックの呼びかけに、ライサは視線を上げた。頬を赤らめた彼が、首を軽く傾げて照れたように笑う。
「凍りつく前、おれにキスしてくれたよな?」
「え、な――」
はくはくと、空気を求めるみたいに口を動かし、ライサは頬を一気に紅く染めた。
焦りのあまり、意味もなく両手をひらひらと彷徨わせてしまう。
「ああああ、あれは、その……最期だって思ったら、つい」
「いや、良いんだよ。嬉しかったから」
でもさ。ザックは一旦間を置いて、悪戯っぽく歯を見せて笑った。
「あの時は意識が朦朧としていて、よく覚えてなくてさぁ。残念すぎるからもう一回、な?」
「え、ええええっ!?」
無邪気に笑って、ザックがライサの両肩に手を置いた。
嫌と言うわけではない。むしろしたいくらいだが、改まってするとなると無性に恥ずかしい。
ライサが固まっていると、ザックが少し視線を外して、不満げに口を尖らせた。
「——なぁ、流石にここで断られたら、格好つかないんだけど」
拗ねた子どもそのものな表情に、ライサは思わず吹き出した。
「ごめんなさい。そうね。とりあえず、もう一回」
ライサは素直に瞳を閉じる。少し間が合って、柔らかいものがそっとライサの唇に触れる。
やがて深く繋がった箇所から、温かな幸せが胸一杯に広がった。
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