第43話 割る

 温かい。

 違和感を覚えて、ライサはそっと目蓋を持ち上げる。

 視界いっぱいに大きな蜥蜴のような顔が映って、ライサはひきつったような悲鳴を上げた。


『気がついたカ。間に合って良かった』

「え、あ……」

 思わず壁に手をつくと、つるりとした感触にまた飛び退いてしまう。紅く光沢のある壁に、自分の驚いた顔が写っている。

 違う、壁じゃない。これは、生き物の体だ。

 その色の艶やかさは、ライサたちが作った祭具にそっくりである。


「貴方、もしかして、炎龍……?」

『そうダ』

 肌がビリビリと震えるような声を発し、紅い龍が首を縦に振る。えんりゅうが翼を軽く振っただけで強風が起こり、ライサの前髪をぶわりと舞い上げた。


 両足を曲げ腹を地面につけているのに、とても大きい。ライサはポカンと口を開けて、炎龍を見上げた。

 人間など一飲みにしてしまえそうな口、どんなものでも噛み砕いてしまいそうな顎、そこから覗く鋭い牙と、両足についた鋭い爪。

 しかし、なぜか恐怖心は感じなかった。炎龍の紅い宝石のような鱗は美しく、濃い深紅の瞳は穏やかだ。これが、伝説の炎龍なのか。


「ど、どうして、炎龍あなたがここに? ――っ、ザック、ザックは!?」

『落ち着け、ずっとソコにいル』

 ザック、自分と一緒に凍りついてしまったはず。焦って視線を巡らせれば、ザックはライサの隣にいた。

 炎龍の後足の付け根に上半身を預けて、両目を閉じている。

 ライサが恐る恐る顔を近づけると、彼の穏やかな寝息が聞こえてきた。彼の胸も規則正しく上下している。


「生きて、る」

 涙腺が緩んで、ライサの視界が霞む。良かった、本当に。

 彼の顔にそっと手を当てて、少し血色の良くなった頬を眺める。こうしてまた彼に触れられるなんて、夢みたいだ。


「良かった。……貴方が、助けてくれたの……?」

 ライサは目尻を拭って振り返り、再び炎龍を見上げた。

『凍りついた体ヲ溶かしただけだがな。氷龍の気配がしたので来てみたが、まさかまた呪いが発動していたトハ。あれだけ外すなと言ったノニ。仕方がない、またアレを使うカ』

 炎龍は呆れたような眼差しで、ザックを見つめている。


『スマナイが、目を閉じてくれるカ?』

「え? え、ええ」

 疑問を覚えつつも、慌ててライサは目を閉じる。

 すると、目蓋の裏からでも分かるほど強烈な光が、周囲を明るく照らした。同時に熱がちりりと頬を焼く。

『もう、良いゾ』

 目を開けた途端、赤橙色の光と熱が目に飛び込んできて、ライサは手のひらで顔を覆った。


『オオ、まだ光が強かったか』

 どこか罰が悪そうにそう言って、炎龍は光っているモノを隠すように前足で覆った。なんだか、妙に人間っぽい仕草である。

 光と熱が弱まって、ライサはようやくまともに目を開けることができた。


「この光と熱は――もしかして、貴方の魔核なの?」

『そうダ。これは、ニンゲンには刺激が強すぎるようダ。迂闊に出現させてしまい、ニンゲンが気絶したことがアル』

 炎龍は前足の爪で頭をかいて、視線をザックに戻した。


『サテ、今度は絶対に外さないよう、埋め込む場所ヲ考えなければな。どこにするカ……』

 炎龍は、ザックにまた魔核を譲ってくれるのか。

 喜びと感謝で胸がいっぱいになって、ライサは深々と頭を下げる。


「あ、ありがとうございます……! 本当に、ありがとう」

『礼には及ばん。そもそも原因は……氷龍だからナ』

 どこか寂しげに呟いて、炎龍は目を遠くを見るように目を細めた。

 そう言えば、炎龍は今までいくつの魔核を取り出したのだろうか。ふと不安が頭をよぎり、ライサは思わず問いかける。


「でも、貴方、いくつも持っているとは聞いていたけれど、そんなに魔核を使っても大丈夫、なの? 力の源なんでしょう?」

『ふん、見くびってもらってハ困る。多少力が弱まったところで、他の魔物ごときに引けはトラン。だが、助けてやるのはコレが最後だゾ』

 炎龍は得意気に胸を張って鼻をならす。あっけらかんとした炎龍の物言いに、ライサは驚きつつも声を出して笑ってしまう。


「ふふ……本当に本当に、ありがとう」

『アア』

 柔らかく目を細めると、炎龍は自分の尾の付け根にいるザックへ視線を移した。

『しかし、このままデハ、コヤツはいつまで経っても解放されぬ。どうしたモノか――』

 悩ましげに、炎龍は前足の爪で顎をかいている。そこでふと、炎龍の目がライサに向いた。


『オマエ……それは武器か?』

「え、あ、これ? これは武器というか……普段使っている仕事道具、かしら? 役立つかもと思って持ってきたのだけど」

 ライサは首を捻って、自分の背中へ視線を向ける。普段使っている、小ぶりの斧を背負っていたのだ。障害物を排除するためと、一応護身用である。

 途端、炎龍がグワッと目を見開き、口を大きく開いた。ライサの心臓が驚きと恐怖で縮み上がる。


『良いものを持ってイタな! ――オマエ、この魔核を割ってはくれないカ?』

「え、わ、割る? 外側の殻だけじゃなくて!? そ、そんな、大切な魔核をどうして」

 ライサがギョッと目を剥くと、炎龍は笑うように目を細めた。


『魔核を細かく割ってことで、コヤツの呪いを溶かすのダ。そうすれば、コヤツの体の奥底に根付く呪いを打ち消すことができる。きっと、上手くいくゾ』

 炎龍の口が、パクりと何かを食べるような動きをした。「与える」の意味を悟って、ライサは顔色を変える。


「それって、食べさせるってこと!? そ、そんな、ことしても良いの? できるの?」

『ナニ、どうせ呪いの力が、口の中に入った我の魔核の欠片をすぐさま消してしまうダロウさ。タダ、その消えるコトこそ意味がアル。徐々に氷龍の呪いの力を弱め、やがて呪い自体を消滅させてくれるハズだ』

 なんとなくイメージは湧いたが、やはり心配だ。


「だ、だったら貴方が割っても良いんじゃないかしら? 炎龍の魔核を割るなんて、そんなおそれ多いし、もし失敗したら――」

 すると、何故か炎龍は翼を尾をふにゃりと下げて、小さな声で呟いた。

『……我がヤルと力加減を誤り、きっと雪の結晶よりも細かく粉々に砕いてしまうダロウから』

 呆気にとられたライサは、思わず吹き出してしまった。

 全く、炎龍はと同じようなことを言うではないか。


「分かった。私、頑張る……!」

『ヨシ。では、我が爪で魔核を押さえているから、思い切りヤレ。その道具には少し、我の力を与えてやろう。魔力の調整は得意だ。任せてオケ』

 ライサは背中を斧を手にとって頷いた。

 炎龍が口をすぼめてフッと息を吐くと、紅いキラキラとした光が飛んできて、ライサの斧を包んでいく。なんだか力が湧いてくるようだ。


「じゃあ、やるわね」

 ライサは、今まで何度も繰り返してきた動作を、頭の中で思い浮かべる。

 もう、あまり緊張はしていなかった。

 いつものように、足を肩幅に開いて息を吐く。そして、ゆっくりと斧を振り上げる。狙うのは、炎龍が支えてくれている薄橙色の球体だ。

 まだ殻に包まれているからか、大人の握り拳よりも一回り大きいくらいの大きさである。的が大きいのはありがたい。


「待ってて、ザック」

 貴方を呪いから、解放してみせるから。


 ライサは息を深く吸い込むと、斧の重さを利用し、一息に振り下ろす。

 果物を切るようにスッと刃が通り、魔核を二つに断ち切る。その瞬間舞い上がった粒子は、火の粉のような橙色をしてキラキラと輝いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る