4-7 正に死霊の書

 唐突に廊下を慌ただしい足音が近付いてきて、いきなり資料室のドアが押し開けられた。

 その勢いで風が起き、プリンタで印刷中の書類が何枚か宙を舞って床に落ちた。


「なんてことしてくれたんですか邑﨑さんっ」


 殺気走った形相で山根が吠えている。


「ああ、資料室閲覧の許可は頂いてますよ。それともこの建屋は猫立ち入り禁止だったので?」


「何をとぼけた事を言ってるんです。あの法陣を破壊したのはあなたでしょう」


「再発防止の為ですよ。そもそもあたしが作ったものをあたしが壊しただけです。誰に断りを入れる必要が在りますか」


「あれは既に国の管理下に入っている事件の物的証拠です。手を触れることは無論、破損破壊は厳に禁じられています」


「大元の事件は解決し、その下手人もご覧の通り刑に服しています。 

 直近の事件においても当事者は確保済み。

 主犯はすでに死亡、蘇生者は本人の希望で死体と判定されて、廃棄処分が決定しているではないですか。何処に何の問題が」


「現場の一存で管理物件の動向を決めるなど」


「ヤツを追い返せとおっしゃったのはあなたでしょう。あたしはヤツを穴に返した。そして蓋をした。そのままだったらまた開きますよ」


「三十年間開かなかったんです」


「でも三二年目に開いた。此処は逆に危機管理能力を問われるところだと思いますけどねぇ」


「・・・・・」


「三十年以上使えなかったんですよ。きっとこれからも使えなかったでしょう」


「あなたが協力すれば或いは」


「今までそんな話はとんとやって来なかったですね。

 おそらく上もそんな気はさらさら無いんでしょう。

 穴が開いているから取り敢えず持っておこうかな、といった程度の話で。

 ただの貧乏人根性です」


「軽く言ってくれますね」


 山根は諦めたかのように溜息をついた。


「まぁヤツを落とした勢いで壊れてしまったと、そういうことにして置いて下さい。それよりもその右手、折れていたそうですね。申し訳ないです」


「ただの亀裂骨折です。二週間もすればギプスは取れるそうで」


 スーツ姿でギプス付きの腕を吊る姿は少々痛々しかった。

 袖を通すことが出来ないので、シャツもジャケットも右肩ははおったままの状態だった。

 そして、床に散らばった書類と今し方印刷し終わったものをまとめると彼の前に差し出した。


「何ですコレ」


「死霊の書の序章書き下し文です」


「えっ!」


「今のあたしに読めるのはこの程度までですね。

 あの当時だったら全部読めたのですが、もう無理です。

 一度、読めるところまでは全部書き出して提出したのですが、何処かで止められたらしく、各部署には行き渡らなかったようですね。

 序章は禁則事項の羅列に終始してますが、開いた穴の元栓を閉める程度の役にはたつでしょう。

 開くのは全く別の手順が必要なので叶いませんが、現場で必要なのはこちらの方かなと思いまして」


 テキストデータの入ったメモリも手渡すと、好きに使って下さいと言った。


「良いのですか、こんなことをして」


「さあ。でも折った腕の分の埋め合わせくらいはやっておかないと気分が悪いです」


「・・・・邑﨑さん。あなたがこの本に手を出す切っ掛けになったあの事件で、その目撃者たちがどのような処置を施されたのかご存じですか」


「当時のクスリは今ほどの効果が無くて、繰り返すことで沈静化させたと聞いていますが」


「あなたはその処置を施された記憶がありますか」


「記憶が無いから効果があったと、そういう事なのでは?」


「そう思っていること自体がおかしいと思いませんか。

 再生する以前は一般人だったのですよ。

 受刑者であったとしても例外では無い。

 なのにあなたは事件を全部憶えています。

 その事を今の今まで全く疑問に思っていません」


「あ・・・・」


「報道が事実とは違うけれど特に興味を抱かない。もしくは気付くことすらない。いつも通りの生活が送れるのだからソレで良い。

 誰だって自分や家族、平穏な日々の方が大切です。まぁ当時のあなたは色々と必死で、それどころではなかったのでしょうが」


 そこで彼は少し自嘲し小さく息を吐いた。


「クスリの効果云々ではなくて、やり方そのものが今と違っていただけです。

 日常的に暗示をかけて、『喰い喰われるのが当たり前。バケモノが出るのも当たり前。交通事故にあったようなものだ』と関心が薄くなっていただけです。

 サブリミナルは当然行ないますが、そんなにガチガチにする必要はありません。

 無論、事件の起きたその中心は集中的に行ないますがね」


「物的証拠はどうするのです」


「完全な隠蔽は不可能です、でも誘導し、錯覚させることは難しくありません」


「錯覚」


「はい。一般的には新聞の社説であったり、ニュースキャスターの論調であったり、識者の意見やその反論、そして様々な異論や否定肯定などもろもろ。

 噂話や流言飛語も便利な道具です。科学的データもまた然り。反論反証すればそれが自分の考えだと信じてしまいますから。

 特別な技術は不要ですよ。

 大事なのは『自分たちで考え、議論し、選択した』そう錯覚してもらえればソレで良いのです。

 群れというのは大勢に流れますからね。

 先頭を誘導すればコントロールし易いです。

 違和感を感じない、コレが普通だと思ってもらえることが需要なのですよ」


「・・・・」


「古来より使われている手法ですがテッパンで効果も高い。

 これに深層心理に作用する暗示をかければ更に強固なものとなります。 

 一気に大多数を処理することが出来ます。

 統治する側からすればこちらの方がやり易いのですが、自殺者も激増しましてね。それで今のやり方に変えたのです。

 どうやら生きる意欲そのものを削り落とすようで。

 特に大きなトラウマや非日常的な不合理に出会った時に顕著なようなのです」


 ああ、それでか。


 ある時を境に、身体の何処かに巣くっていた澱んだ濁りが唐突に小さくなってしまった時期が在った。

 己を殺すなど阿呆らしいと思うようになった。

 どうせいつかは死ぬのに何故急ぐ必要があると思うようになった。


 その頃に暗示を掛けるのを止めたのではないのか。

 死への渇望が無くなった途端、急にあの本を読めなくなっていったような気がすると、言われて初めて思い当たった。


 淵から遠のいてしまったからだ。現在に生きる糧を見いだしたからだ。

 逆に言えば、アレは死の暗示が無ければ読むことが出来ないということになる。


 いやはや正に死霊の書だな。

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