第四話 ノロ教授(その五)

 ドアをノックして中に入ると白髪交じりの助教授が居た。

「ん、野呂教授?いやまだ大学に復帰したという話は聞かないよ、姿もまるで見ないし。本当に何処に雲隠れしているのやら。

 しかしきみ、もう出てきて大丈夫なのかね。確かに初七日はとうに過ぎているがまだ休んでいても構わないのだよ。なにまだ若いんだ、少々の遅れぐらい直ぐに取り戻せる。焦る必要など無いのだからね。

 ・・・・そうか、なら無理にとは言わんが。ああ、教授の研究室はそのままだよ。あの日以来手付かずのままだ。腹立たしいことに、毎月部屋の使用許可願いは更新され続けているものだから、大学側も手を出せないらしい。戻ってくるつもりはあるようだが本人が居ないのではねぇ。

 それはそうと、わたしの研究室に来るつもりはないかね。担当者不在のままでは何かと不便だろう。勿論、きみの抱えている研究はそのままそっくり持ってきてもらって構わない。または別の全く新しい題材を始めるもよし、その辺りはきみの自由だ。なに返事は急がないよ、少し頭の隅に留めておいてもらえないかね」


 ドアの開く気配で振り返ってみれば、見慣れた後輩が立っていた。

「あれ、先輩まだ残っていたんですか。え、また居残る?身体壊しちゃいますよ。調べたいことがあるというのは分からんでもないですが。

 しっかし凄い蔵書量ですよね、野呂教授の書庫。この本の為だけに部屋一つ丸々借り切っているんでしょう。しかも此処に在るのは学校に持ってきている分だけで自宅にはこの何倍もあるのだとか?

 マジですか、ただの噂じゃなかったんですね。でも専門は古生物だというのに何ですか、このオカルト成分の濃さは。どっちが専門だか分からないですよ。

 ああ、ええ、まぁ、そうですね。確かにインテリジェンスな方々は、よくソッチ方面にハマるって聞きますものねぇ。何ですかコレ、何て書いてあるんです?英語じゃないですよね。へえ死霊の書。またふっるい本ですね、曰くありげというかおどろおどろしいというか。めっちゃ雰囲気在りますね。まさか先輩もハマってる訳じゃないでしょうね、死んだ人間の復活とか。

 あっ。え、いえ、他意はないですよ。そんなつもりでは・・・・いやホントです。あ、その、す、すいません。無神経でした。はい、はい、申し訳ありません。以後注意します」


 夜道で女性とすれ違おうとしたら、それは見知った顔だった。

「あら珍しいわね、こんな所で会うなんて。どうしたのよ、こんな時間に町外れふらふら出歩いちゃって。ああ、あたしの家このすぐ近くなんだ、あそこに見える古い工場跡地のすぐ脇。こんな寂しい場所を一人で散歩だなんてモノノケに食べられちゃうわよ。

 あ、ご、ゴメン。今のは不謹慎でしたスイマセン。

 いやいやそんな無言で怒らないでよ怖いじゃない。って、ちょっと酷い顔してるわね、ちゃんと寝てるの。いやいや、これからあたしとホテルでって話じゃなくってね、純粋に心配している訳よ。まぁ確かに、ここんとこご無沙汰だけどさ、あんな事があった訳だから気にしている訳よ。女とかに逃げ込む性格じゃないのは分かっているけどさ、あたしの所なら逃げ込んでもらって構わないというかさ、むしろオッケーカモンて感じなんだけどさ。

 まぁそんなコトは置いといて、大丈夫かなと思っている訳ですハイ。

 でさ、あたし飲み足りなくてビール買いに出てきた所なんだけれど、この直ぐ近くに遅くまでやってるバーがあってさ、ソコでちょっと飲まない?無理にとは言わないけれど。

 え、いいの?ラッキー誘ってみるもんだ。そこさぁ色々ビールの種類が豊富であたしのお気にの店なんだ。それでさぁ、あ、ちょっと。何この手首の切り傷。

 ちょっと引っかけたって、違うわよ。コレ明らかに刃物傷、あなたまさか莫迦なこと考えてるんじゃ。ちょっと待ちなさいっ」


 暗い部屋の床に描かれた円陣の中央には、白衣の男性が立っていた。

「いや久しいな、本当に。元気だったかね。わたしはというとまぁこの通りだ。今日は気分が良くてな、お互い意思の疎通が図れているような風情で嬉しい限り。

 しかし、きみがこの本を読み解けるとは思ってもみなかったよ。随分と苦労したろう。

 ほう、成る程そうかそうか。まぁ、そうだろうな。そうでもなければ読めるモノでは無い。素質というか気概があるね。ひとかどの人物であろうと思ってはいたが、わたしの眼もまだ曇ってはおらぬな。

 それで、何が望みなのかね。ほう、この子かね、冷凍保存か。よく、くすねて来られたものだ。正に家族愛の賜だ。しかし色々と部品が足らぬぞ、特に脳髄が丸ごと欠損しているのはいただけない。

 そうかきみのモノをね、宜しかろう。だが贄と勘定を合わそうとするとやはり足りぬ。

 お、コレはどうやって手に入れた?普通の人間には難しかろうに。

 そうだな、どうやって知ったかを訊くは野暮というものだな。いやいや問題は無いよ、質より量という言葉もある。成る程、見定めた後に毒を盛ってね。確かにヒト為らざるモノが相手ならば良心の呵責も少なかろう。

 さて、お喋りはこのへんにしておこうか。きみも相当に苦しそうだ。胸から腹にかけての皮を自ら剥ぎ取り、本の装丁にする苦行。まさに筆舌に尽くしがたかろう。可愛い教え子の頼みだ、誠心誠意わたしの持てる全ての技をもって応えるとしよう。

 安心したまえ。願いは叶い、きみの現世での苦悶は今この瞬間より霧散する」


 白い殺風景な部屋のベッドの上で、見知らぬ男に詰問を受けていた。この男も白衣を着ている。背後には同じく白衣の女性も居た。皆表情がぎこちない。

「きみの名前は?そうではなかろう、それはきみのお兄さんの名前だ。どう見てもきみは女性だよ。まだ混乱しているようだね。

 鏡?今手元には無いが、ああ、ありがとう。ほら覗いてみたまえ、誰が映っている。そうだ邑﨑紀子、君自身だよ。克彦はお兄さんの方だ。

 彼がどうなったか?う、うむ、先ずはきみが今憶えていることを聞かせてくれないかね。話してくれたのならこちらも話そう」


 薄暗い廊下で、松葉杖を着いた片足の男とすれ違った。彼は目が合った途端嬉々として話し掛けてきた。

「ようねえちゃん、アンタはナニやったんだい。後ろに居るのは刑務官だよな、背広着込んでるが立ち振る舞いで直ぐに分からぁ。オレはポリ公から逃げる最中にしくっちまってご覧の通りの有様だが、見たとこアンタはピンシャンしてんな。しかもお供が四人なんて豪勢だね。退院間近なのかな。それともこれからか?オレは○○○ってモンだがねえちゃんは何ていうんだい。

 あぁ邪魔すんじゃねえよ、いまオレが話してんのはこのねえちゃんでアンタじゃねぇんだ。

 なに?キコカツヒコ、男だか女だかよく分からん名前だな。ムツカシイからキコカって呼んで良いかい、そうかよろしくな。

 やかましい急かすな今行くよ。じゃあまた縁があったら会おうなキコカちゃん」


 手錠を掛けられたまま殺風景な部屋の中で、中年の男と相対していた。

 白い部屋では無い。白衣の男も居ない。いま目の前に居るのはむさ苦しい背広の男と机の上にレコーダーと帳面を拡げている仏頂面の壮年の男だけだった。

「正直未だに信じられん話だが、きみの供述は状況証拠と物的証拠の双方から裏付けが取れた。野呂教授の件も確たる証拠は出ていないものの、前後の事象との整合性から事実である可能性が高い。

 全く以て頭が痛いよ。この町から蘇生者がらみ、穴がらみ双方の案件が同時に出るだなんてな。

 そうだ、きみは今極めて複雑な立場にある。被害者でもあり加害者でもあるが、その一方でアレに拘わった者でもある。その者の事後処置は知っているかね。そうか、普通は知り得る筈もないのだが、何処で知ったのかその辺りも詳しく聞きたいところだ。

 裁判の動向にもよるが楽天的な観測はしない方がいい。この国は蘇生者に優しくない。死体として認定されれば裁判すら不要だ。

 最悪の結果?それはわたしの口からは云いかねる。愉快では無いと言える程度だ。

 ん?あ、うん、まぁ、そうだな。大きな声では言えないが有罪なのは間違いない。おい、此処からはオフレコで頼むぞ。実はきみに一つ提案がある。死者蘇生法の特例というものを知っているかね」


 机の向かいにはセルフレームの眼鏡をかけた無表情な女性が座っていた。

「本名の登録はこれで決定しますが、異論はありませんか。登録されれば変更は不可能です。・・・・分かりました、ではこれで。

 受刑者級別IS、番号第○○‐○○○○○○○○○‐HP○○号邑﨑キコカ。罪状、死体損壊罪、死体遺棄罪、死者蘇生法違反。以上により○○○年の懲役刑とす。刑の執行は判決日より即日決行。されど死者蘇生法特例○○号により司法取引に応じ、判決者受刑者双方これの受託を確認。同刑執行日よりこれを履行するものとす。

 以上に異議異論不服はありませんか。ではこの契約書を熟読の上にサインを」


 部屋のドアがノックされ、返事をすると妹が顔を覗かせた。

「お兄ちゃんなにやってるの。まぁた大学から仕事持ってきたのね。そんなことばっかやってるとワーカホリックになっちゃうから」

「あたし学校で目つき悪いとか言われるんだけどさぁ、普通よねこの程度。むしろネコ科の妖しい魅力を携えた、妖艶な目つきと言って欲しいものだわ」

「お兄ちゃんコレ教えて。なんでこんな答えになるのか理解出来ない。だいたい世の中に出ていくのに、微分方程式が必要とは到底思えない。将来何の役にたつのかさーっぱり分かんない!」

「四丁目の角のアイスクリーム屋で限定アイスが出た。食べたいっ。お兄ちゃん奢って」

「あたしのこの髪って一体何なの。毎日毎日髪洗って乾かすの一苦労なんですけれど。お父さんやお母さんもふつーの髪質だしさぁ。隔世遺伝?おばあちゃんがこんな髪だったの。憶えてねぇなぁ。あたしが幼稚園に上がる前に亡くなっちゃったしさぁ」

「あのさぁ、今日から文化祭なんだけれど、あたしたちのクラスはクレープ屋をするんだ。ご馳走してあげるわよ、特別に三割引で。あったりまえでしょ材料費分はもらわなきゃ。ノンノン甘い甘い家族割引するだけでも良しとすべきですぅ。

 必ず来てよね」

 思えばそれが、俺が聞いた紀子の最後の言葉だった。

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