第四話 ノロ教授(その八)

「以後、ピンポイントで目撃者の短期記憶を操作する今の方法に変えました。手間は格段に掛かるようになりましたがね。

 記憶を持っていても疑問に思わない者と、疑問を感じても記憶を持っていない者とのギャップを埋める為にアコギなこともやって来ました。ネット社会になってからは特に。それ以外にも色々と話し出すときりがありません。

 多分これからも、我々は似たようなことを続けるでしょう。折れそうになったことも一度や二度ではないです。でも、そんな時に災厄の元を塞ぐ手立てがあるのだという事実、その後ろ盾はどんなに有り難いことか。どれだけ励みになることか。

 感謝します」

「いまのお話、過去の暗示云々は禁則事項に抵触するのではないのですか」

「あなたが黙っていればどうということはありません。それに、使い手の方にまで暗示を掛けっぱなしにしておくというのも妙な話ですしね。いつ何時、どんな状況で足を引っ張られることになるか判ったものではないですよ。

 リスクの芽は小さい内に摘んでおかないと」

「学習しましたね」

「いやな物云いです」

 そう言うと二人して小さく笑い、足元ではデコピンが五月蠅そうに身じろぎしていた。


「今回あんたはまったく何もしてないね」

 バスケットの小窓から窘めるべく声を掛けると不機嫌そうな金色の目が覗き返していた。

 コイツが今回やったコトと言えば、教授を路地に追い込んだくらいのことだ。それ以外はただ惰眠を貪っていただけだと言うのに、自分と等しく報酬を受ける権利があるというのはどういう事なのか。不合理である。

「カリカリの量を以前と同レベルにしても文句は無いよね?」

 そう言うと「にい」と憤懣やる方ない声で返事があった。

 あたしはいま、山根さんにJRの駅まで送ってもらい駅のホームで次の列車を待っていた。

 どうせ仕事は終えたのだ。焦る必要もなくのんびり歩いて行くつもりだったのだが、彼が是非にと云うのでお言葉に甘えることにした。クルマの中で、彼から専用の連絡キーコードをもらった。部外者に手渡して良いものでは無かろうに。だが埋め合わせ報酬の一環だという。

「これはあなたの一存ですよね」

「邑﨑さんは秘匿部所とはいえ我々の上位組織に属してますから、部外者とも言い切れないでしょう。此処だけの話ではありますが、我々末端も縦割りの組織図には些か辟易しているのですよ。現場レベルでの横のつながりは決して無益ではありません」

「そういう事でしたらありがたく頂きます」

 クルマから下りるときに、「また何処かで」と言われて思わず苦笑で返してしまった。教授のメモを思い出したからだ。

 また何れかの淵、か。

 雲の多い空だがよく晴れていた。一時間に一本程度のローカル線だ。自然と気の抜けた気分にもなる。同じくベンチで待ち合わせしていた親子連れの家族が居て、小さな男の子がバスケットの中のデコピンを発見して嬉しそうな声を上げていた。

 あの腹黒上司のことだ、きっとあたしがあの法陣を壊すと見越して派遣したに違いない。

 と、同時に公安の末端部所との接点も増やしたかったとか、その他諸々の思惑もありそうだった。この地区に詰めている同僚は居るのだから、この程度の業務で自分を呼び出す意味は薄く、自分の意思でやらかしたと思っている諸々の出来事も、実はきゃつの描いた絵図通りなのかもしれなかった。

「腹立たしいわね」

 しかしだからと言って、あの上司の思惑を全て知りたいとは思わない。迂闊に足を突っ込んだら、間違いなく理不尽な災厄が降りかかって来る。断言できた。生涯飲むビール全てを賭けても良い。

「まぁ、あたしは何も知らない飼い慣らされた猟犬で充分だわ」

 為政者の手で首輪を付けられたヒト為らざるモノが、バスケットに閉じ込められた家畜を手に地方都市を点々とする。

 それはそれで面白い日常なのかもしれない。

 不平不満を垂れた所で状況が打開される訳ではないのだし、手首のカウンターがゼロを示すその日まで、淡々と命じられた業務を遂行するしかないのである。

 ホームにアナウンスがあって、目的の列車が到着するのだと知った。それ程長くは無い旅程ではあるが、たまには車窓からの風景を眺めボンヤリと呆けてみるのも悪くはなかろう。

 ベンチから立ち上がると男の子が名残惜しげに猫へ手を振って、あたしにも「ばいばい」と言ってくれた。

「じゃあね」

 軽く笑んで返すと、大きめの唸りを響かせながら四両編成の列車がホームに入って来た。

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えげつない夜のために 第四話 ノロ教授 九木十郎 @kuki10ro

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