第四話 ノロ教授(その三)

「まったくこれの何処がアドバイザーなんだか」

 ただ体のよい押し付けだ。端からこっちが断れないことを見透かしての物言いだからなお腹が立つ。強要しないとは口先だけ。ポカをしたのは自分達だが元凶はお前だろう、対価は用意するから元栓締めろとそういう理屈らしい。

 二言三言それらしい所見を述べて後はキサマらがやれと突き放してやっても良いが、それでは今ひとつスカっとしない。きっとその辺りも見越しての事なんだろうし、何ともイヤな感じだ。

 あの腐れ上司め。

 毎回毎回掌の上で転がされているのは面白くないが、これも仕事の内と割り切ることにしている。

 夕刻の町中をぶらぶらと歩くのも久しぶりだった。いつもこの時刻ともなれば、学校の中に居座ってじっと陽が暮れるのを待つか、屋上で寝転がって仮眠をとるくらいのものだ。仕事柄夜が本領なのだから、夕暮れはただの待ち合わせ時間でしかない。

 人の賑わう繁華街の中で特定の人間を追うのは余り得意では無いが、アレの類いなら苦労は要らなかった。臭いがまるで違うからだ。

「デコピン、付いてきてるよね」

 気配が揺れたのでふと目線を上げると、証券会社の看板の上にヤツの尻尾が見えた。

 よしよし。

 繁華街の中で白衣の人物というのはやたらに目立つ。医者の羽織るようなぺらぺらの代物で妙に薄汚れているとなれば尚更だ。

 歩く様も人混みに揉まれ風に流され、右に左にふらふらとまるで頼りない。まるで近くの病院から用足しに抜け出して、そのまま道に迷った医者のような違和感がある。だというのに周囲の通行人はまるで頓着していない。ソコに誰も居ないかのような素振りをする者だって少なくなくない。だというのに、幾度もぶつかりそうになってはするすると器用にすり抜け続けていた。

 右に向かって欲しければ左に追い、左に行って欲しければ右に追う。逆行しようとすれば間合いを少し詰めて先回りをする。デコピンも阿吽の呼吸で先導してくれるからやり易い。

 相手はこちらが後を付けているという事を察しているから、単純に誘導したい方向へ邪魔をしたりしなかったりを繰り返すだけで良かった。楽なモノだ。

 やがてその人物はついと脇道に逸れ、そのまま人気の無い方へ人気の無い方へと歩み続けていった。そして狭い袋小路に入り込むとその突き当たりで、くるりとこちらを振り返った。

「や、ややや、やぁ誰かとおもえバき、きり、きみは、そう、アレ、カツひ、ちらう、そうキ、キコカくんじゃないかかか」

「久しぶりですノロ教授。不躾で申し訳ありませんが、獲物は諦めて穴に戻っていただけませんかね」

「ななあ、何故かネ。わたは、わたしはまだ代償を受け取っていないぃぃ」

「諦めて下さいと申し上げているのです」

「こ、こんなとろろに追い込んで何をいいらすのかと思えば、何たる無理難題。れつれい、いや失敬、失礼ではないのかれ?」

「大分脳ミソの腐敗が進んでいるようですね」

 踏み込んだと同時に鉈を水平に振り払い、男の目玉から上半分が消えて失せた。隣のビルの壁に頭蓋と二つの目玉だったモノが叩き付けられて、白いパテ状の何某かと血肉の塊に変貌していた。

「どうです、少しはマシでしょう」

「おお、ふむ、何だかすっきりしたよ。いや、しかし本当に久しいね、一年ぶりくらいかな」

 目と頭頂部がすっかり失せてしまった男性であったが、逆に口調は滑らかで淀みが無かった。

「三二年ぶりです」

「おやもうそんなに経ったか。だがきみはまるで変わっていない」

「教授の施術のお陰ですよ」

「ふふん、我ながらなかなかの出来であるな」

「穴までご一緒いたしましょう」

「先程も言ったがわたしは代償を物色しておるのだ。邪魔をせんでくれるかね」

「ここ数日あちこちを徘徊していたようですが、お眼鏡にかなった獲物が居ましたか」

「居んな、まるで居ない。何奴も此奴も不衛生なままぶくぶくと太りおって。余分な化学物質を内外に取り込みどういうつもりか。節制というモノがまるでなっておらん」

「でしょうね」

「わたしを呼んだあの女医も濁ったはらわたであったが、差し出されたものを食わぬようでは沽券こけんにかかわる。不味いが我慢して食ったよ。願いは叶えたがソコで彼女は力尽きてしまった。折角いま暫しは生きながらえるよう処置をしておいたというに。昨今の若い者は根性が無い」

「教授に比べれば地球上の人類大半が若いでしょう。取り敢えず今回はコレで我慢して下さい」

 手提げ鞄の中から大きめの包みを取り出すとそれを放って投げた。

「なんだコレは」

「豚肉のブロックです。ロースで高かったんですからね」

「ふざけるな、こんなモノで誤魔化すつもりかね」

「手間賃だと思って下さい」

「死霊の本を読み操る者がかようなおふざけ、許されることではないぞ」

「あの本をありがたがる者も多いです。でもあたしの人生の中で最大の過ちであったと思ってますよ、未だにね」

「知ってしまった事がかね」

「すがってしまった事が、ですよ」

「やれやれ。あの本をキチンと読み取れた者は本当に少ないというのに、何というバチ当たりなこと言う。それでもきみはわたしの生徒かね、実に嘆かわしい」

「元、です。さ、それを土産にお帰り下さい。全くの手ぶらでは無いのですからまだマシでしょう」

「イヤだと言えばどうする」

「五分刻みにして穴に放り込みます」

「出来ると思うのかね」

「出来ますよ」

「悪あがきでこの辺り一帯が血の海になったとしてもかね。贄の一人もあれば大人しく戻ってやるものを」

「すればよろしい、知ったことではありません。あたしの仕事はあなたを穴に押し込める事ですから」

「やれやれ、脅しも効かんとは可愛げのない」

「どなたかの教育がよろしかったので」

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