第42話 魔法の言葉

 公園で爽子にすべてを話し終えたとき僕はまた泣いた。背中から回された彼女の両腕が僕をぎゅっと抱き留めてくれている。


「爽子、僕は本当にバカな男だ」

「ええ」

「本当はずっと昔に月子に救われていたのに、それを忘れてよけいな面倒をかけていた」

「ええ、そのとおりね」


 頷く爽子。だけど、その声はやさしい。


「月子はずっと僕を覚えててくれたんだろうな。何度もヒントをくれていたのに僕はそれに気づかないままで……」

「いい人ね、彼女」

「うん」


 頷いて月子の顔を思い浮かべる。

 いつも明るく笑っていたけれど、本当は彼女こそがいちばん傷ついていた。それはきっと冷たい雨に打たれ続けるような凍えるような痛みだったはずだ。

 それなのに彼女は自分の痛みをそっちのけにしてまで僕に手を差し伸べてくれた。


「僕は……月子になにもしてやれてないのに……」


 今さらながらに僕は悔やんだ。もっと月子に踏み込むべきだった。気になることがあったのに不安と向き合うことを怖れて僕はそれを怠ったんだ。


「なのに、月子はこんな僕にありがとうって……」

「あなたの好意が月子さんを守ったのよ。もし彼女が自分で自分を傷つけるようなまねをすれば、あなたと交わした――わたしは君を裏切らない――という約束に反してしまうから」


 爽子は僕の背中に顔を埋めるようにして囁いた。


「だから、彼女は今もきっと……」


 その呟きを聞いて僕は黙ったまま空を見上げる。

 あの台風の日、月子は自分の命さえ投げだそうとしていた。

 なのに僕との約束を守るためだけに、それをあきらめて生きることを選んだのか。

 今も癒えぬ悲しみを抱えたまま、それでも僕を悲しませないためだけに幸せを探すと約束してくれたのか。

 彼女はきっと、その約束を守りつづけるだろう。沢木南月子とは、そういう娘なのだから。


「わたしは君を裏切らない――か。まるで魔法の言葉だな。彼女はその言葉で僕を救い、自分自身をも守っているんだ」

「それだけじゃないわ」


 背中から回された爽子の手に力が加わる。より強く抱きつくように、そして抱きしめるように。


「あなたが救われたことで、わたしだって救われた。あなたが心を閉ざしたままでいたなら、わたしはきっとフラれていたもの」


 その言葉を聞いて思う。月子はいったいどれだけのものを僕らに与えてくれたのだろう。いや、それは決して過去だけのことじゃない。月子がくれたものは僕らの未来においても、きっと大きな財産になるだろう。


「爽子、僕は君を愛している」


 空を見上げたままで僕は告げる。


「だけど、たぶん僕は月子のことがいちばん好きだ」

「……うん」

「この想いが恋に変わらないのは、僕の中に彼女に対する罪の意識があるからなのかもしれないな」

「どうかしら? だけど、どのみちあの人は遙人にはもったいないわよ。あなたにはわたしくらいでちょうどいいわ」


 背中から聞こえるやさしい声に僕はようやく笑った。それは苦笑いに近いものかもしれないけど、それでもなんとか笑顔を浮かべて爽子に向き直る。

 僕にはもう月子にしてあげられることは何もない。それでも彼女が僕に望んでいることだけはよくわかっている。別れ際に他ならぬ彼女がそれを言ってくれたからだ。

 だから僕は爽子の肩に両手をおいて真摯な想いで告げた。


「爽子、僕らは幸せになろう」


 大げさにも思えるこんな言葉に、それでも爽子は綺麗な笑顔を僕に向けて、はっきりと頷いた。


「ええ、あたりまえでしょ」

「ああ」


 僕は力強く頷く。

 空には仄かに浮かんだ白い月が、僕らを見守るかのように佇んでいた。

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さよならのキスはそよ風のように 五五五 五(ごごもり いつつ) @hikariba

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