効き過ぎた薬
マサユキ・K
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朝目覚めると、狼男になっていた。
そんなバカなって?
トンガリ耳に毛むくじゃらの顔、ニョッキリ生えた二本の犬歯が何よりの
洗面台の鏡の前で、俺は一時間以上も硬直してしまった。
これは悪い夢だと頬をつねろうとしたら、たちまち顔から血が噴き出した。
慌てて手を見ると、両手に鉤爪が生えている。
爪の先が真っ赤に染まっていた。
おおっ……と叫んで、薬箱を探し回る。
あった!
消毒液と包帯を
あれ!?
傷はどこにも無い。
まさか、もう治った?
そういや、聴いた事がある。
狼男は不死身の怪物だと……
それによく考えると、全然痛くなかった。
俺は改めて驚くと同時に、悲痛な気持ちになった。
こりゃ、いよいよ本物だ。
本物の狼男になっちまったらしい。
ああ、明日からどうしよー。
会社で大事なプレゼンがあるんだよなー。
こんな毛むくじゃらで行ったら、皆驚くだろなー。
「いやぁ、うっかりヒゲ剃るの忘れてまして」
……なんて通じないだろなー。
とりあえず、親に相談してみるか。
「母ちゃん、俺……なんか……狼になったみたいで……」
「
「い、いや、オカミじゃなくて、オオカミ……」
「第一アンタ、お酒呑めないっしょ!忘れたの?前に、お
俺は、そこで電話を切った。
ダメだ。こりゃ……
話しにならん。
と、とにかく、何とかしなければ!
病院に行くか?
怪物だーって、大騒ぎになりそうだ。
警察に行くか?
有無を言わさず、射殺されそうだ。
神社か寺に行くか?
訳の分からんお札を、たくさん貼られそうだ。
だ、ダメだ!
どれも、まともに助けてくれるとは思えん。
何より、こんな姿では一歩も外に出られないではないか。
一体どうすれば、元に戻れるんだろ?
狼男って確か、別の狼男に噛まれたりして
だが、俺にそんな覚えは無い。
それに今に至るまで、全く何の兆候も無かったのだ。
そう考えると……
もしかして、これって……
何かの病気なのではないか!?
人狼病とか……
それとも、新型のアレルギーかもしれない。
もしそうなら、薬で治る可能性はある訳だ。
よし!
試してみるか!
そう思いつくと、俺は先ほど引っ張り出してきた薬箱に目を向けた。
中には、市販の医薬品がぎっしり詰まっている。
自称【健康オタク】の自分が、いざと言う時に備えて備蓄したものだった。
風邪薬、解熱剤、胃腸薬、便秘薬……
目薬、点鼻薬、消毒液に軟膏……
薬局顔負けの品揃えだ。
俺は思案のすえ、片っ端から試す事にした。
何としても、今日中に治さなくてはならない。
それに不死身だから、多少無茶しても大丈夫だろう。
水の入ったコップ片手に、一種類飲んでは様子をみる。
変化が無ければ、次のヤツを口にする。
最後は、目薬や点鼻薬まで腹に入れてみた。
……だ、ダメだ!
俺はコップを放り出すと、ガックリうなだれた。
どれも……効かない……
全ての薬を試したが、容姿に変化は見られなかった。
どうしよー。
一生、このままなのだろうか……
俺が悲嘆に暮れていると、突然携帯が鳴った。
「もしもし……先輩?」
相手は、会社の後輩の木崎だった。
確か、今日は休みをとっているはずだが……
「突然すみません。明日のプレゼンの事で話があって、会社に電話したら……何か、無断欠勤してるって聴いて……大丈夫っすか?」
心配そうに尋ねる後輩の声を聴くと、不覚にも目から涙がこぼれた。
耐えがたい絶望感と心細さのせいだ。
その時ふと、この後輩に相談してみてはという考えがよぎった。
それというのも、コイツはオカルトや心霊現象に詳しく、会社でもよく聞かされていたからだ。
「なあ、木崎……その……驚かないで聞いて欲しいんだが……」
俺は、言いづらそうに口を開いた。
「はあ、何すか?先輩」
「実は……俺……狼男に……なったらしいんだ」
言ってすぐに、俺は後悔した。
よくよく考えれば、いくら超常現象に詳しいからと言って、こんな荒唐無稽な話を信じるはずが無い。
冗談と思われるのが関の山だ。
「……なんだ。そんな事っすか」
信じたー!?
そのあっけらかんとした返事に、俺は驚いて携帯を落としそうになった。
「先輩、携帯をカメラモードにしてもらえますか」
意図が理解できないまま、俺は反射的に言われた通りにした。
画面に映った後輩の顔を見て、思わずアッと声を上げる。
「……お……おま……お前っ!?」
「僕も同じっす。先輩同様に……狼男っす」
フガフガ言う俺に、毛むくじゃらの顔がVサインを送ってきた。
「い……い……いつから?」
俺は呼吸を荒げながらも、どうにか声を絞り出した。
「うーん……去年からっすね。最初は驚いたけど、今はもう慣れました」
去年から?
それじゃコイツは、もう一年以上もこんな状態だと言うのか!
だが……おかしい……
会社では、普通の人間の姿をしているぞ?
「狼男に変身するのは、満月の日だけなんすよ」
俺の疑問を感じ取ったかのように、木崎は後を続けた。
「えっ!?」
一瞬俺は、コイツが何を言っているのか分からなかった。
「月齢で言えば、毎月15日目がこれにあたります。あ、月齢ってのは、月の満ち欠けを表すカレンダーみたいなもんす」
少し得意げに説明を始める木崎。
「つまりその一日だけ我慢すれば、翌日には元に戻る訳っす。身をもって試したんで、間違いありません。だから僕、その日は会社休むようにしてるんす。有給休暇もあるので、月一で休んでも、誰も何も疑わないので」
「……一日で元に戻る……」
俺は放心状態のまま、後輩の言葉を反復した。
ポカンと開いた口から、ベロンと舌が垂れ下がる。
「し、しかし、なぜ突然、こんな姿に……?」
「ああ、それっすよね」
無意識に口から出た疑問に、木崎は首を振って答えた。
先ほどと違い、今度は真剣な表情だ。
「考えたんすけど……恐らくは、遺伝じゃないかと思うんす。僕たちの祖先は元々人狼で、その血が何かの要因で目覚めた……それが何かは分かりません。心因的なものなのか、外部要因なのか……ただ、人によって発症時期は違うみたいっすね」
なるほど、遺伝か……
ただその推論が正解なら、うちの親にも人狼の血が流れているという事になる。
まさか、母ちゃんが!?
そんな話、聴いた事も無かったが……
だからさっき、聞き間違ったフリをしたのだろうか?
ワザとごまかしたのか!?
してやったりと笑うトンガリ耳の母の姿を想像し、俺は心底げんなりした。
「僕の場合、その日は一歩も家から出ないようにしてるっす。食料も前日に買いだめといて……まあ、ちょっとした骨休みだと思えば、気も楽っすよ」
相変わらず、呑気な口調で話し続ける木崎。
もう慣れたのか、そういう性格なのか、悲痛のかけらも無い。
「……あ、そうだ!あと、念のために忠告しておく事があるっす。実は人狼にも、たった一つ弱点があるっす」
「弱点!?何だ、それは?」
そのひと言に、俺は思わずギクっとなる。
不死身の怪物も、
「銀っす。言い伝えでは、狼男ってのは銀に弱いらしいっす。人間に銀の銃弾で殺された話もあるくらいで……だから、銀製品にだけは気をつけた方がいいっすよ。まあ、そんな高級で特殊なもの、身近には無いっすけどね。ハハハ!」
甲高い笑い声を残して、木崎は電話を切った。
それが合図だったかのように、俺は急に胸の痛みを覚えた。
な、何だ!?急に……
俺は反射的に胸を押さえた。
最初は弱い鈍痛だったが、次第に痛みが激しくなる。
やがて、内臓をえぐるような激痛が全身を襲った。
俺はたまらず、その場に倒れ込んだ。
な、何だ、この強烈な痛みは!?
床をのたうつ俺の目に、床に散乱した薬の残骸がとまる。
その内の一つ……
小さな黒い容器を見た途端、俺の全身が総毛立った。
必死に手を伸ばし、どうにか手中に収める。
麻痺で全身を震わせながら、容器の裏書きに目を走らせた。
そこには、こう書かれていた。
【薬品名】仁丹
【効 能】口臭、二日酔い、めまい、吐き気の改善
【成 分】阿仙薬、甘草末、カンゾウ粗エキス末、桂皮、丁字……銀箔
ぎ、銀箔!?
し、しまった!
俺は、容器の底に残った小さな銀色の丸薬を睨みつけた。
まさか……こんな……とこに……盲点……が……
悔しさで涙が流れ落ちる。
こんなもの、備蓄していなければ……
薬で何とかなる、などと考えなければ……
【健康オタク】が、かえって
だが……
もう、何を言ってもあとの祭りだ。
恨むぞぉぉぉぉぉ……!
母ちぁぁぁぁぁ……ん!
薄れゆく意識の中、俺は皮肉な笑みを浮かべた。
そして声にならない声で、誰にともなく囁いた。
「皆……く、薬を飲む際は……使用上の注意を……よ、よく……よ……ん……で……ね」
効き過ぎた薬 マサユキ・K @gfqyp999
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