ヤンデレ壷投げマンの世代交代RTAはっじまっるよー!

九十九ひとり(9ju9)

第1話

「今すぐ私を殺してくれないか」

 半月振りに会った旧友は、春暁しゅんぎょうに壷をぶつけようとして失敗すると笑顔でそう言った。

 春暁は幼馴染みの顔をまじまじと見る。真っ白い髪は雪のよう、瞳は紅玉に似て以前と変わらない輝きを放つ。ただ春暁は一つだけ違和感を覚えた。美しき宰輔さいほの頭には、透明な水晶のような角が一対生えている。春暁の知る限り、彼が短い旅に出掛ける前までそれは真っ白い象牙に似た色をしていた筈だった。

「宰輔、その角は……一体どうなされた?」

 春暁が叫ぶと白髪の宰輔は薄く微笑む。

「……私はもうすぐ死なねばならぬのだ、友よ」

 その時建物がずしんと大きく揺れ、床へ乱雑に積まれた書類が崩れて下へ落ちる。外からは雷鳴のような大きな音が立て続けに聞こえ、春暁は混乱しながら答えた。

「宰輔、一体――何が起きているのですか?」

 庭を指差しながら春暁が叫ぶと、宰輔は片眉だけ持ち上げて答える。

「私の話は無視か? まあいい教えてやろう。外のあれは五日前に遠くの山が火を吹いたからだ」

「山が?」

 それを聞いて春暁は戸口へ駆け寄った。開け放たれた戸口からは普段であれば遠くにのどかな山並みが見える。しかし今は灰色の雲が厚く垂れ込めていて、すぐそばに広がる都の華やかな景観を台無しにしていた。しかも空からは白い灰が雪のように降り続き、春暁がここへ駆け付けるまでに見た都は灰色の靄に沈んでいた。かつて宝石と謳われた都も今は人影が絶え、人々は家の奥で恐怖に耐えていた。

 外の景色を指差しながら、春暁は宰輔に尋ねる。

「もしや昔話に出て来る、夏場の雪でございますか?」

「そうだ。古文書によると凡そ五百年前にも同じ事が起きたぞ。前回は地鳴りの後に灰が降って、ひどい飢饉が起きてなあ」

 頷きながら宰輔は明るく答えた。そして机の上に広げられていた書類を持ち上げる。

「あの時は厳冬で、春先にかけての餓死者が多かった。その反省を活かして穀類の備蓄をさせておいたからな。ひと冬はどうにか耐えられるだろう。小役人どもが数字を誤魔化していなければの話だが」

 鼻で笑うと宰輔は春暁の側へ歩み寄り、彼の袍に積もった灰を軽く払う。

「ところで春暁、そちらの首尾はどうかな?」

「あ……ああ、妹の嫁入りは無事に済みましてございます」

 いきなり話題を変えられて春暁は戸惑った。すると宰輔は腕組みをしながら明るい声色で述べる。

「お前が戻って来てくれて助かった。主上おかみの側にはお前が必要だからな。これから長い冬が来る」

「宰輔――いや冬黎とうれい、お前……一体何を企んでいるんだ? あの壷は主上から賜った、お前のお気に入りだったろう?」

 床の上で無惨な破片となった壷を指差し、人目がないのを幸いに口調を改めて春暁は言った。すると冬黎は自分の角を指差し、笑いながら答える。

「ふふふ……そろそろ獣の宰相もおしまいだ。死んで退場する時が来たのだよ」

 春暁は言葉を失った。窓の外に降る灰に視線を向け、考えを纏める。

「その、冬黎? その話とさっき俺を壷で殴ろうとした事と何か関係があるのか?」

 春暁の言葉に、冬黎はちらりと砕けた壷に視線をやってから答えた。

「あるともさ。私は主上の宰相であり、治世に平安を齎す存在でなくてはならない。それがここ数年は大水だの日照りだの、変事ばかり」

「ああうん、お前の神通力もとうとう尽きたかと専らの噂だ」

「これ以上生き恥を晒せば、主上の御稜威に傷を増やす。私は早いところ退場してせめて主上の負担を軽くして差し上げたい」

 力説する冬黎の肩を掴み、春暁は反論した。

「だからと言って何も死ぬ事はなかろう。第一主上がお許しになる筈がない! 出家でもして遠くの寺へ――」

「そうはゆかん。宰輔の力が失せたとなれば批判の矛先は当然主上に向かう。そうなる前に私が死んで、次の宰輔に交代すれば対外的に格好は付く。ああ、勿論既に後始末の手配は抜かりなく終わらせてあるので、あとは死ぬだけだぞ」

 険しい顔の春暁は手を離し、幼馴染の目を真っ直ぐ見て言った。

「何故俺なんだ?」

 春暁が訊くと冬黎は数回瞬きしてから当然と言わんばかりに答える。

「え? 衛府の連中にも頼んだのだが皆恐れをなしたようで断られた。当然主上のお手を煩わせる訳にはゆかぬし……それでお前が戻るのを待っていたのだ」

 それを聞き春暁は数秒躊躇ってから口を開く。

「で、本音は?」

「それは、その……断られて仕方なくそこの屋根から飛び降りようかと思ったのだが……いざやろうとすると怖くなってしまってな……それで……」

 庭へ続く縁側を指差して説明をする冬黎の様子がまるで叱られた子供のようだった。それを見て堪えきれずに春暁は吹き出した。

「冬黎……この高さではひと思いに死ねず、痛い思いをするだけだよ」

「そうか? 噂に違わぬご見識だな、全く!」

 少し腹を立てた様子の冬黎が開き直るのを見て、春暁は場違いにもふと昔を懐かしく思い出した。勉強をさぼって家を飛び出した冬黎を連れ戻すのはいつも春暁の役回りだった。

「それでさっきの壷は? 何で俺にぶつけようとした?」

 春暁の言葉に冬黎は一瞬表情を強張らせたが、次の瞬間春暁の肩を小突いて言った。

「……不意をついて襲い掛かれば、後腐れなく斬り殺して貰えるんじゃないかと思って」

「馬鹿だなあ冬黎は」

 呆れた声で春暁が言うと、冬黎は少し俯く。

「駄目か」

「駄目だ。大体、俺がお前に傷一つでも付けてみろ、そうしたら俺の一族郎党が殺されるだろう」

「そこはまあ、上手いこと誤魔化しておいてくれないか? 春暁」

「駄目だ」



※※※



 春暁は廊下へ出ると戸をそっと閉めた。そこから庭を見ると、地鳴りが元で落ちた屋根瓦がそこかしこに落ちているのが見えた。

(どこの山かは知らんが、厄介な)

 庭に降りながら春暁は考えていた。薄く積もった灰を踏みつつ彼は御所内にある衛士の詰め所へ急いで戻る。彼が目指す左衛門府も屋根に薄く灰を載せて、くすんだ色をしているのを見て春暁は溜め息を付いた。御所の通りに人気は殆ど無く、要所に衛士が立っているのがたまに見受けられる程度だった。

 春暁は使用人に託した身重の妻が気掛かりで仕方がなかったが、今すぐ自宅へ帰るわけにはゆかず気を揉んでいる。今は何より幼馴染を優先したかった。

 詰め所に駆け込み服の灰を落とした春暁は、大きく溜め息をついてから中へ入る。同僚達の気遣わしげな視線が気になったが彼は先を急いだ。

「宰輔のご様子はどうだ?」

 春暁と顔を合わせるなり、彼の上司である権少将ごんしょうしょうは話し出した。

「お主の他に適任がおらぬのでな」

「……今は縛り上げて部屋に閉じ込めてございます」

 春暁は浮かない顔で軽く頭を下げた。すると権少将ごんしょうしょうは人払いをしてから渋い顔で話を続ける。

「此度の変事、やはり宰輔のお力の衰えであろうと言うのが陰陽師おんみょうじ共の出した結論だ。そこでだな、春暁……お主に命が下った」

「はい」

 話を聞き漏らすまいと、真面目な顔で春暁は頷く。

「宰輔に死を――との仰せだ」



※※※



 敷地内を歩く春暁の足取りは重かった。彼は腰から下げた刀にそっと手を触れる。出来る事なら全て放り出してしまいたかったが、そういう訳にも行かなかった。せめて冬黎一人だけでも逃がす手段はないかとあれこれ考えていたが、名案は浮かばなかった。

 宰輔の部屋へ戻った春暁はすぐ異変に気付いた。薄暗い板敷きの部屋が散らかっているのは変わりないが、出る時に縛り上げて置いたはずの冬黎は手足を伸ばして悠々と横になっている。一瞬最悪の想像をして、春暁は慌てて彼に駆け寄った。

「冬黎?」

 春暁が肩を揺さぶると、寝そべった冬黎は片手を挙げて答える。

「全く不用心だなお前は。こういう物を隠していないかちゃんと調べないと」

 そう言うと冬黎は隠し持っていた小刀を床に放り投げた。切った後の縄は軽く結わえられ、彼の足元に投げ出されている。短い刃の付いた刀は床の上を滑り、春暁の足元で止まる。それを拾い上げて春暁は絶望的な気分で冬黎の顔を見た。

「やはり、それも元の持ち主に返して置こうと思ってなあ」

 その小刀は、小さい頃に春暁が失くした物だった。それが何故親友の手元にあるのか考えて、春暁は視線を彷徨わせる。そして横になったまま笑う冬黎に、春暁は掠れた声で言った。

「……縄を切ったのなら、そのまま逃げればよかったのに……」

「どこへだ? 逃げたところで私を匿ってくれる様な変わり者はおらぬ。やはりここで死んでおいた方が、一番主上の為になるのでな」

 微笑む冬黎の顔を見て、春暁は先程の権少将ごんしょうしょうとの会話を思い出す。懐に仕舞った小さな薬包がやたら重く感じられ、彼はそっと胃のあたりを抑えた。すると目敏くそれに気付いた冬黎は手を伸ばしながら言う。

「なあんだ、を預かっているのだろう? 飲んでやるからさっさと寄越せ」

 上体を起こした冬黎はまるで酒の話でもしているかのようだった。帝から賜った賜死ししの毒はまだ春暁の許にあり、春暁は後退る。

「どうした? 本当は命が下るより前に死にたかったが……まあこうなっては仕方無いな。春暁、早く毒を寄越せ、ほら」

 立ち上がった冬黎は春暁に歩み寄る。しかし春暁は渋った。

「冬黎、本当にそれでいいのか? やり残した事とか――」

「私が嘘をつくとでも思ったか? もう後始末は全て終えた。さっさと寄越せ」

 春暁の服を掴み明るい笑顔で冬黎が言った瞬間、彼の左の角にひびが入る。透明な玻璃にも似た角は中程から先が斜めに欠け、板敷きの床に落ちた。残った角もあちこちに罅が入っている。

「冬黎!」

 咄嗟に春暁が叫ぶと、ああ、と小さく嘆息して冬黎は落ちた角を見た。その横顔の美しさに春暁はつい視線を奪われる。

「欲しければやるぞ」

 それが透明な角を指した言葉だとわかるまで、春暁は暫く息を止めていた。

「い、いらん! そんなもの!」

 詰めていた息を吐き出し、春暁は途切れ途切れに叫ぶ。すると冬黎は少し目を見開く。

「そうか……いらないか、そうか」

 落ちた角を屈んで拾った宰輔は、氷のように透ける角を見ながら言う。

「片側だけ頭が重いなぁ……よし」

 残った角を掴み、ぐっと力を掛ける宰輔を見て春暁は慌てて彼に詰め寄った。

「よ、よせっ! やめろ!」

 春暁は宰輔の白い腕を強く掴んで、角から引き剥がした。友人が自分自身を傷付けようとするのを放置出来なかった。すると宰輔の反対の手が伸び、春暁の頬に触れる。

「友達の最期の頼みだぞ? 快く聞くべきでは?」

「何が最期だ、ばかばかしい!」

 春暁はすぐ近くに見える幼馴染の顔から視線を逸らし、吐き捨てるように言う。すると冬黎は薄く笑いながら言った。

「我ら一族は神通力を失ったら角が落ちるし、角が落ちたら死ぬ。元々そういうさだめだ。思ったより早かったが、仕方ないな」

 冬黎が話すうちにも、彼の角は少しずつ砕けて落ちていった。床に散らばる破片を見ながら春暁は唇を噛む。

「早過ぎる……」

「そうは言っても、なってしまった物は仕方あるまいよ。次の宰輔はまだ小さい子供でな、お前の力添えが必要だ」

 淡々と話す冬黎の態度に腹が立った春暁は、声を荒らげた。

「俺はただのヒラ衛士えじだ。宰輔の役になど立てる訳がない」

「ああ、それか。お前の出世が遅いのも私のせいだ。邪魔しなければお前の働きぶりなら、今頃少尉しょうじょうくらいにはなれていたかもな」

「何の話だ?」

 突然の話に春暁が混乱していると、立ち上がった冬黎は折れた角を無造作に掴んで側の机に載せた。

「悪かった。私が悪かったよ。私は就任以来、役立たずの宰輔だった……それでもずっと友でありつづけてくれたのは、お前だけだよ春暁」

 そう言って振り返った冬黎は穏やかで寂しそうな顔をしていて、春暁は急に胸が苦しくなった。

「俺は……俺は、何もしていないよ」

 腰に下げた刀の重さを感じながら、春暁はそう言って唇を噛んだ。その時外から沢山の足音と人の気配がし、春暁は体を強張らせる。建物の周りを衛士達が取り囲みつつあった。

「おやおや、そろそろ時間だなあ……引き伸ばしもこれが限度、と」

 包囲に気付いた冬黎は肩に落ちる角の破片を払い落とし、世間話のような気安さで言う。

「なあ春暁。春を迎える為には何が必要か、知っているか?」

「何だ急に?」

 いきなり話題を変えられて面食らう春暁に、冬黎は微笑んだ。

「冬を終わらせればいいのさ」

 言い終わると、冬黎は隠し持っていた赤い薬包の中身を口に流し込んだ。はっとして春暁が懐に手を突っ込むと、そこに預かった薬包はなかった。

「やめろっ!」

 春暁は薬を吐かせようと飛び掛かったが既に遅かった。冬黎の体は板の間に倒れ、苦しそう胸を掻き毟る。賜死の毒は長く苦しみ抜いて死ぬとだけ知っていた春暁は、咄嗟に幼馴染の体を抱き締めた。

「冬黎、冬黎!」

 微かに痙攣する冬黎を目の前に、春暁は最早名前を呼ぶことしか出来なかった。

「……はる、あき……」

 殆ど聞き取れない位のかすれ声に、春暁は目を見張る。ひどく顔色の悪い冬黎は、喘鳴混じりに言った。

「――楽に、してくれ……」

 その言葉に春暁は溢れる涙を抑えることが出来なかった。幼い頃、家を抜け出して一緒に遊んだのがはるか遠い昔のように思えた。滲む幼馴染の顔を見ながら、彼は頬を拭う。

「……たの、む」

 服を掴んでいた冬黎の手が緩むのを見て、春暁は覚悟を決めざるを得なかった。浅い呼吸を繰り返す冬黎をそっと床に横たえると、春暁は刀を抜いた。

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