ねえ、おかあさん

壱単位

ねえ、おかあさん


 ちいさいころのフィルム、見つけてさ。


 おかあさん、動物園で、しかめつら。


 わに、苦手だったんだね。


 わに園のところで、すっごい、しかめつらして。


 わたし、ふふって、笑っちゃった。


 幅のひろい、バスケットのお帽子、かぶって。


 わに、怖いよね。わたしもあんまり、得意じゃない。

 

 ねえ、おかあさん。


 わにのおはなし、したいね。


 ねえ、おかあさん。


 わたし、乳母車のって、階段おちて、あたまを打って。


 たいへんな手術だったんだってね。


 おとうさんが船から降りて、それを知って、おかあさん、ぶったんだってね。


 知らなくてさ。


 ねえ、おかあさん。


 わたしは喘息だったし、身体がよわくて、たくさん、心配してもらった。


 心配してもらってるなんて、わかんなくて、苦しい苦しいとしか、思ってなくて。


 あ、ちいさいころ、枕元の、かわいい電灯。


 点かなくなっちゃったからいじってさ、感電したんだよ。


 怒られるとおもって、言わなかった。へへ。ごめんなさい。


 ねえ、おかあさん。


 おかあさんは、お茶もお華も教えてた。


 わたしもいつか、おかあさんを継ぐんだって思ってた。


 おかあさんのお茶道具がある和室で、寝転がってさ。


 障子のあかり受けながら、おかあさんの本、読んでさ。


 わたしね、いま、小説かいてるんだよ。


 へへ。


 あ、笑ったしょ。ほんとなんだから。ほんとだよ。


 ねえ、おかあさん。


 小学校でも中学校でも、わたし、学校でいろいろ、あったね。


 たくさん、心配、かけたよね。


 わたしは自分のことばっかりで。


 ごめんなさい。


 ねえ、おかあさん。


 絵が、じょうずで。言わなかったけど、たぶん、漫画描いてたよね。


 ふふ、いいからいいから。わたしも描いてたから!


 いまでも、あるよ。


 ちいさな紙に描かれた、お姫さま。


 すごいなあ。お茶も、お華も、絵もかけて。


 ことばも、いま思えば、ほんとに綺麗だった。


 絵も、作文も、いくらでもかかせてくれた。


 だからいま、わたしは、こうしているんだよ。


 ねえ、おかあさん。


 十月。わたしは、高校一年生だった。


 あの朝、目覚ましは、止まらなかったね。


 目覚ましの音でわたしは起きて。


 いまでも不思議だけど、なにが起こったか、わたしにはわかってた。


 救急車を呼んだのも、お葬式で前にならぶのも、はじめてでさ。


 さむい、朝だったね。


 ごめんね。


 前の夜、さいごにつくってくれたの、覚えてる?


 わたしは絶対、忘れない。


 ほんものの笹の葉、つかってさ。


 ちゃんと蒸した、ちまきを、さ。


 わたし、中間試験だったから、遅くまで勉強してて。


 夜食のちまき、置いて、ほどほどにね、って。


 そういって、おかあさん、お部屋に入ったね。


 ねえ、おかあさん。


 わたしね、いま、ごはん、がんばってるよ。


 おかあさんの味って、覚えてないんだ。


 もっとちゃんと、教わっておけばよかった。


 いまでもまいにち、訊いてる。


 ねえ、おかあさん。


 これでいいかな。


 しょっぱくないかな。


 ちょっとおおきく、切りすぎたかな。


 ねえ、おかあさん。


 ねえ、おかあさん。


 わたしね、小説、かいてるんだよ。


 ねえ、おかあさん。


 また、いつか、ね。


 おかあさん。


 



 

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