神の粋狂(四)
やめて欲しい。夢二は未だに私を抱えたままなのに。
「待ってください! 夢二も、トキヒト様も! 一回落ち着いて!」
夢二に抱えられた私の声に、剣を構えたトキヒト様が怪訝そうに眉を顰めた。
「ユメジ?」
「我の名だ。サラにつけてもらった」
ふふん、と得意げに言う夢二に対し、呆然と私を見るトキヒト様がいる。
「まさか。神に、名を……? 正気で……?」
ほんとに。事実を知ってからだと正気とは思えませんよね。わかります。私もそう思います。
「羨むがよい」
とはいえ、この状況ではどうでもいいことと即断したらしいトキヒト様は、剣を構え直し、夢二に冷めきった目を向けた。
「いえ。まったく羨ましいとは思いませんが」
トキヒト様の言葉で、二人が再び無言で対峙する。
私はとりあえず目の前にいた夢二の顔面にぺちんと掌を叩きつけた。
「おい」
私を睨み抗議の声を上げた夢二の襟元を、構わず掴む。
瞳はただの金色に戻り、頬の鱗も消えている。
「やめてって言ってるんです! もう、トキヒト様も煽らないでください! 喧嘩しないで!」
「なぜ止める? アレはそなたを殺そうとしたではないか」
「さすがに子ども同士の喧嘩のように言われるのは心外です」
共に抗議の声を上げてはいるが、トキヒト様は構えていた剣を下ろした。いつも通りの穏やかそうな笑みが戻っている。もう穏やかには見えないけど。
とりあえずやる気は削がれたのだろう。良いことです。
「そうだけど、そうなんだけど、だからって死んで欲しいとは思いません」
そう言うと、なぜかトキヒト様が信じ難いものを見るような目で私を見てくる。
なんだこの平和ボケした生き物は、とか思ったんだろう。
ええそうですよ、平和ボケしてるんです。帯剣した人を見ただけで、ビビり散らすぐらいには。
だからこれは二人のため、というよりどちらかと言えば私のためだ。
とにかく怖いし、私を抱えたまま物騒な喧嘩をしないで欲しいし、この二人、止めなければそのまま取り返しのつかないところまで争いを発展させそうだし。
例えその相手が自分を殺そうとした人でも、感情や勢いで死んで欲しいとか傷付いて欲しいなんて思えない。
「誰かを殺して欲しいとか、死んで欲しいとかそんなこと思いたくありません。怖いから、止めて欲しいです。お願い。誰も傷付けないで。死ぬとか殺すとか、言わないで」
言いながら、なんかちょっと泣けてきた。
なんなんだろう。なんだ、ほんとに。なんでこんなことになってるんだ。
殺すとか、死ぬとか、そんなことを本気で言い合う世界なんて、私は知らない。
もう、帰りたい。元の世界に帰りたい。
「言わないで」
夢二の襟元を掴んだ手が、震えてしまう。涙交じりの声も震えてしまうしるし、堪えても結局涙が出てきてしまった。
「待て、なぜそなたが泣く」
「夢二が死ねとか言うから……」
「そなたには言うておらんだろうが! サラ、ちょっと待て。ええい、泣くな。わかった言わぬ。もう言わぬから」
私に襟首を掴まれた夢二の困惑が伝わってくる。
「ほれ、見よ。この通り、仲直りした」
顔を上げれば、私を抱えたままの夢二がもう一方の手で、いつの間にか距離を詰めたトキヒト様の肩をぽんぽんと気安げに叩いている。
その手を、トキヒト様の手が叩き落とした。
「触らないでください」
「話を合わせぬか、ばかものが」
「なぜわたくしがそのようなことを」
「なぜも何もあるものか。泣いておるではないか」
「泣いているからなんだと言うのです」
「引くほど無粋だなおぬし。そうまで心の機微というものを理解せぬゆえ、この八百年ただの一人も添うてくれる
「いらぬ気遣いも、わかったつもりで語るのもおやめくださいませ。寝惚けた
そしてまた言い争いが始まった。
ほんとこの二人仲悪い。
「先ほどから、聞いておれば。蛇扱いするでないわ。龍だ、龍」
「蛇も龍も大差ございませんよ。鱗のある長いものでございましょう。ああ、そういえば、その娘は蛇が苦手と申されておりましたよ。にょろにょろしているのが生理的に好かぬと。あなたも本体はにょろにょろうねうねしておいででしょう。鱗の様子に虫唾が走るとも申されておいででした。生理的な嫌悪となれば対処のしようもなし、契るどころの話ではないのでは?」
契りませんけど!?
「なっ……サラ、まさか、まことか」
「えっ、いや、その……どう、かなあ……」
「我が嫌いか……?」
「い……い、いや嫌いじゃ、ない……けど……?」
「生理的に好かぬと……」
しょんぼりと項垂れる夢二に対し、「虫唾が走るそうです」とトキヒト様が笑顔で言葉を添えた。心なしか楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。
余計なこと言わないで欲しいし、そんなこと言ってないと思いますけど。たぶん言ってない。
「いやいやいやいや、そんなことないし」
「しかし」
「好きです。好き。蛇大好き」
「ほんとうに?」
蛇じゃないんじゃなかったの、という口から出かかった言葉は飲み込んだ。
「ホントホント」
もうとっとと機嫌を直して、こんな物騒な事態は治まってほしい。
明らかにその場を取り繕うための適当な言葉にもかかわらず、夢二は嬉しそうにふふ、と笑った。
「……そうか。うむ。そうまで言うのであれば致し方ないのう」
そんなことを言いながら、夢二が満足そうに私をじっと見てくる。
え、なんか怖いんだけど。なんでそんな品定めされてる感じで見る……?
冷たい指が、つつ……、と首筋を這った。ぞわりと、背筋が震える。
「そう怯えるな。たのしくなってしまうではないか」
「龍神様」
諫めるようなトキヒト様の声を完全に無視した夢二が、捕食者の顔をして笑う。
「サラ。我と共におると言え。まあ、言わずとも構わぬが」
なんだか身の危険を感じる触り方をされているような気がして身を捩る私の首を、夢二の手が掴んだ。
大きい手は私の首をすっぽりと包む。耳の下から顎のあたりを含めてすっぽりと。
苦しいわけではないけど、なんか嫌だ。
「我は意思の疎通が適わぬ神ゆえにな、気紛れに人の子を
ほんの一瞬、その目がトキヒト様を見た。夢二の言動はトキヒト様の言葉に対する当て付けのような、というより完全に当て付けだ。
そんなものに巻き込まれるとか冗談じゃない。
片腕に乗せられている状態で藻掻くが、夢二の身体も腕どころか指一本すらびくともしない。
「ゆめ」
夢二が少しだけ、首を傾げた。
あんぐりと開かれた夢二の口が、止める間もなく距離を詰めてくる。
食べられる……!? とか思ったのは一瞬だ。
ぬるりと、無遠慮な舌が私の口に入ってきて……それは、そう、まあ確かに食べられているようなものかもしれない。
キスなどと呼ぶにはあまりにも生温い、まさに蹂躙と呼ぶに相応しいものだった。
押し退けようにも夢二の身体はやっぱりびくともしない。
私の見開いた目に、瞬きもしない夢二のねっとりとした、金色に輝く瞳が映る。
散々吸いつかれ嬲られ、最後に鋭い牙のような歯に甘く柔く舌に噛みつかれ、息も絶え絶えになった私の唇をついでにべろりと舐めしゃぶり、やはりそこにも歯を立てられた。
これは味見、というものではないだろうか。
肉食の獣に味見された感じしかしない。実際されたことないからイメージだけど。
とにかくだから、この手の震えは、乱れた呼吸は、身体に力が入らないのは、別になんかそういうのじゃない。断じて、違う。
「……悪くない。なあ、サラ」
吐息混じりの熱い声で呼ばれた。
何を見出そうとしてるのか、やっと離れた夢二の顔が私をじっくり、ねっとりと観察している。
舌舐めずりをして、うっとりと微笑んで、愉快そうにする。
「骨の髄まで、とろかしてくれような。存分に愛されるが良い」
いえ、そういうのいらないので、ほんとに。なんでもいいからただ家に帰して欲しい。
この世界がなんでもいい。夢二が神でも龍神でも世界の創造主でも好きにして欲しい。トキヒト様が八百歳の子どもでも私には関係ない。
というのが本音だったけど、そんなことを言える空気ではない気がして言葉を噤む。決して、喋れなかったからじゃない。
断じて、違う。
【おしまい(仮)】
※コンテスト用としては一旦ここで終了です。お話としては続くので、続きは気長にお待ちください。
波の下にてまどろむ龍の 夢の国 ヨシコ @yoshiko-s
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