【短編】偶然と台風で多分恋人に(18+)

さんがつ

【短編】偶然と台風で多分恋人に(+18)

「明日は台風の計画運休があるらしい…」


そんな話し声を揺れる電車の中で耳にした。

俺は新幹線の座席に着くとスマートフォンを取り出して、天気予報のニュース動画を見る事にした。


「お出かけの予定や、移動は本日の午前中に…」


なるほど、規模が大きいのか、なんて思っていたら、アナウンサーは答えてくれた。

この動画はクライアントが見るべきだ…なんて悪態をつきつつ、俺はアナウンサーのアドバイスを無視したい訳では無かったので、どうにか今日中に仕事を終わらせる事に専念した。

そんな努力の結果、俺は帰路につく事が出来たのだが…。


疲れて重い体を引きずるように感じながら、やっと乗り乗り込めた新幹線は最終電車だった。けれど、座席に着いて、良かった、間に合ったと、ホッとしたのが悪かった。気がつけば降りる駅を発車した後だった。


「は??」


こんな時、人間は言葉を失うのかも知れない。

俺はただ驚きの言葉を口にするだけで、降りる予定だった駅を更に超えた駅名標を車窓越しに見送った。そして事の次第を理解し、絶望に項垂れた。


「やっちまった…」


そう「寝過ごし」だ。

どうやら仕事の緊張感が解けた事と、疲れが出て、知らぬ間に寝ていたらしい。

膝に両肘をついた姿勢のままスマートフォンをスーツのポケットから出して、次の停車を確認すると、ここから途中停車をする駅は無く、次の駅が最終到着駅となっていた。だったら一体何時に着くのだろうか?

到着時間を調べると、23時20分と書いてあった。


「あと、40分」


そう。終着駅まで約40分…。

何とかそれまでに泊まる場所を確保しないとダメだ。


「だぁ、めんど…」


乗り越し精算もあるし、この席にこのまま座っていて良いのかも分からない。

けれどそんな悪態をついても仕方が無い。しかも今日は台風が近づいている。

早々に泊まれる場所を見つけないとマジで詰む…。

そう思いながら泊まる場所を探し始めたけれど、今日は特別に運が悪いらしい。


「…マジか…」


台風のせいだろう。検索した駅から近いビジネスホテルはどこも満室だった。

確かに今の時間なら、もうほとんどの客は部屋にいるかも知れない。

仕事で疲れた後と言う事もあって、俺の気持ちはここで少し折れてしまった。


「はぁ…めんど…」


俺は現実を放棄して、暫しの間、眠りの世界に逃亡した。




*****




ざわざわと人の気配がし始めると、俺はそれで目を覚ました。

ぼんやりとした意識の中、女性の声の「まもなく終点の〇〇です…」というアナウンスが聞こえて来る。やがて女性のアナウンスの後に続き、今度は男性の声の、あの独特の口調で停車駅の乗り換え案内が始まった。


そう言えば、何処に泊まれば良いんだろ…なんて思いながら、全く土地勘のない路線名とホームの番号をただひたすら右から左に聞き流していた。

頭に入らないその案内に「何とかなるか」なんて、半ばヤケクソ気味に聞き流し、少し大きめのリュックサックを荷物棚から降ろした。


「重っ…」


ずっしりと重いリュックサックを、疲れた体に這わせるようにしょいこむと、そのままフラフラと新幹線の車内からホームへ降りて、在来線と接続が出来る改札口へ向かう。

やがて新幹線の改札口を出て、在来線のコンコースまでたどり着くと、適当な場所で、ここからどこに行けばいいんだ…なんて思いながら、スマートフォンの路線図をぼんやりと眺めていた。


こんな状態になるまで運が悪いのなら、いっそ気になる路線名を適当に見繕って、とりあえず何でもいいから電車に乗り込むか…。

なんて安易な方法が一瞬過るも、それはあまりにもバカな選択だ…と突っ込みを入れ直し、乗り換えや乗り入れの多い、比較的規模の大きな駅を探す事にした。


そんな感じで適当な駅を見繕っていたら「岡崎」と、高校のクラスメイトの名前と同じ駅名があった。いや…岡崎駅は流石に遠いわ…なんて思っていたら、「椎名」と誰かが俺の名前を呼んだ。


いや、違う、違う。俺は多分、じゃなくて疲れている。

きっと「岡崎」と同じように「椎名」と言う駅があるんだろう…。

なんて、そんな考えていたら「椎名」という自分の苗字に引きずられて、いつの間にか椎名駅を探していた。

すると今度は俺の二の腕の辺りをトントンと押された刺激に気が付いた。

けれど、カバンか荷物が当たったのだろうと、再びスマートフォンの路線図に集中する。


「呼び止めて無視は酷くない?」


今度は女性の声が聞こえた。俺は自分が呼ばれたとは思わなかったけれど、何となしに声のする方へ視線を向けた。するとそこには眼鏡をかけ、引詰め髪のスーツ姿の真面目そうな女性が俺の方を見ていた。


「え?…っと、どちらさ…」

「えぇ?岡崎って呼び止めて、それは無い」


少し怒りを込めて笑う女性の顔に、俺は目の前の人物が誰だかを思い出した。


「うへぇ、生徒会長か!」

「いやいや、今は違うでしょ」

「岡崎真面目」

「いや、岡崎真知子です」


そうだ、目の前の女性は確かに岡崎真知子だ。


「うわ~懐かし、お前変わんねぇ!」


俺は少しばかり大げさに驚いた。

この妙なテンションは、きっと仕事の疲れと、ねぐらの確保がまだの状態からの虚無感からだと思う。


「ふふ、そういう椎名君も相変わらずお元気そうで」


岡崎真面目は面白そうに笑った。

あれ?こいつこんな風に笑うやつだったっけ?

そんな事を思いながらも、俺は一気に高校時代に戻ったような気分になっていた。


「真面目、今、仕事の終わり?」

「うん」

「遅くない?もう23時過ぎてんよ?」

「そうだよね。あ、だから駅から近い所に住んでるよ」


得意そうな表情を浮かべた岡崎真面目の言葉に、俺は放置していた現実を思い出した。


「あ~、ヤベ、忘れてた」

「ん?どうしたの?」

「あ~、今日泊まるとこ無くて…」

「え?…は?…あ、台風か…」


流石は岡崎真面目。元生徒会長だ。

彼女は的確な答えを直ぐに導いた。


「出張から戻る新幹線で寝過ごして、降りる駅を通り越して、着いたのが最終駅のここだった…って感じ。しかも土地勘もないし、初めて来たからどうしたもんかと…」


少しおどけて見せたら、岡崎真面目は俺のスマートフォンの画面が見えたらしい。


「…それでスマートフォンで…路線図?を眺めていた…と?」


岡崎真面目は俺のスマートフォンを覗き込んで、画面の内容を確認すると顔を見上げ、俺の顔を見た。


「あは、おっしゃる通り、さすが真面目、生徒会長!」


おちゃらけて誤魔化しても現実は変わらない。


「な~、どっかホテルとか多そうな駅知らない?」

「う~ん、この駅の近くはダメだったって事よね…しかも明日新幹線で家に帰る…って感じ?」

「まぁ明日、動くか分からんけどな~」


俺はスマートフォンに再び目をやって台風情報を見た。


「午前3時頃に上陸予定って書いてあるから、このままだったら明日も死ぬかも…」


正直こんな事で死ぬ事は無いけれど、どうにもならない現実を前に、俺は苦笑いを浮かべながら再びおちゃらけて誤魔化した。


「う~ん」


岡崎真面目は俺のスマートフォンの画面を覗き込んで、少し考えを巡らせているようだった。


「因みに、乗り過ごし…って本当は何処で降りるつもりだった?」

「あ、□□、今そこに住んでるから」

「あぁ、台風の上陸側かぁ…それで明日も新幹線が止まってたら死ぬって事ね…」

「ま、駅が空いてたらラッキーで、ベンチで動くのを待つしか無いな…」


そう言いながらも、刻一刻と時間は過ぎていしくし、選択は迫られる。

すると岡崎真面目はとんでもない事を言い出した。


「うん、仕方ない、うちに来なよ」

「は?この時間だぞ?家族に迷惑がかかるだろうが」


俺は岡崎真面目の提案を断った。

けれど彼女は俺の声を無視して、腕をつかんで在来線のホームへ向かって歩き出した。


「いや、うち、一人暮らしだし」

「ちょ、ちょっと、なおさら、彼氏とか、ダメだって!」


俺は岡崎真面目の提案を断りながら自分の腕を引き抜こうとして、その場に踏みとどまった。すると彼女は少し怒りを込めた笑顔で、再び俺の腕を組んで歩き出した。


「彼氏いない歴年齢をディスらない」

「はぁ~。って、お前、流石にそれはマズくね?…」

「でも、明日も待機場所がいるよね?私、明日からちょうど休みだし」


困惑する俺に岡崎真面目は、キッパリと言った。


「はぁ?そ、そんな偶然あるかいな~」

「実はあるんだなぁ、明日から有給消化で~す」


変な関西弁でおどけてみせるも、ニンマリとした顔で彼女は答えた。


「え?」

「仕事辞めるんだ~」


ニコニコと良い顔で失業宣言をする岡崎真面目。

俺はそんな彼女の態度に困惑するも、彼女は良い顔をして最初の提案を切り出した。


「ま、だからうちに来るのは大丈夫だし、気にしないで」

「…っ…でもなぁ…」

「あ、そっか。彼女さん?奥さんに誤解される?」

「…今は居ないし、結婚まだ一回も無いけど…」

「なら問題なし」


とは言え、妙齢の女性が一人で住む家に、俺みたいな男が泊まるのは気が引ける。


「台風だし、人命救助って事で」


戸惑うまましか出来ない俺は、半ば強引に引っ張られ、彼女と一緒に在来線のホーム階へ降りると、そのまま電車に押し込められた。




*****




新幹線の駅から3つほど先の駅に着くと、そこが岡崎真面目の家の最寄り駅のようで、俺たちはそこで電車を降りた。


「椎名君コンビニに寄る?うち、来客用の予備の洗面道具は無いんよ」

「あ…そうだな、うん寄りたい。少し腹も減ったしな」

「なら私も何か食べるもの買おうかな?」


他愛のない会話をしつつ、俺達は岡崎真面目の案内のまま、駅の傍にあるコンビニへ立ち寄った。


「歯ブラシに…下着…って本当に全部ここで揃うんだな…あ、タオルも買っとくか」


ブツブツと言いながら、買い物かごに商品をポンポンと彫り込んで行くと、急に背後から岡崎真面目が現れた。


「ん~、気にしないならうちのタオル使って良いよ」

「うへぇ!」

「…そんなに驚かなくても…って、男性用の下着って本当に売ってるんだ」


興味深そうに俺の買い物かごの中身をジロジロと見る岡崎真面目。

俺が驚いたのは、彼女が突然背後に現れたからだけど、それだけでは無い。

俺は咄嗟にカゴを岡崎真面目と反対側の手に持ち替えて、カゴの中身がバレないように話を逸らして誤魔化した。


「ま、真面目は買い物出来た?」

「あ~、そう言えば台風が来るって言ってたから、前の休みの時に大量のストックを準備したな、って思い出して。でも椎名君がアイス食べるなら一緒に買おうかと思って聞きに来たんよ」

「あ…ソウナンダ…」

「?」


どうやら岡崎真面目は気を使って俺の元に来てくれたらしい。

それなのに俺と来たら…と、いたたまれない気持ちが沸き起こり、罪悪感を少しばかりの貢物で軽減する事にした。


「わかった、アイスも俺が買ってやるから、何が良いか教えて?」

「じゃ~、アイス果汁の実ってやつの、梨味が良いな」

「よっしゃ、お兄さんが買ってあげよう」

「やったぁ!」


無邪気にはしゃぐ岡崎真面目の様子に、益々の罪悪感が募ったのは彼女には内緒だ。


「よし、じゃあ、先に店の入り口で待ってて」

「分かりました、お兄さん」


岡崎真面目は少し浮かれながら、素直に入り口の方へ向かって行った。

そんなに旨いのか、そのアイス…。

妙な突っ込みをしつつ、俺はいそいそとレジで支払いを済ませた。

そう。お守りのあれが岡崎真面目にバレなくて良かった…と思いながら、受け取ったレシートをくしゃりと握りつぶし、御守りと一緒にスーツのポケットにしまい込んだ。


コンビニの前から線路沿いに歩いて一つ目の角を曲がり、信号を渡ると直ぐに岡崎真面目の住むマンションに着いた。

夜も遅いせいだろう、エントランスもエレベーターホールも静かだった。

だけど、前に幹線道路があるせいで、廊下は自動車の走る音が少し響くようだ。


廊下を進むと突き当りの扉のドアをあけて、なんの準備もせず俺を部屋に招き入れようとした。


「部屋に入ると静かなんだけどね」

「え、突然入って良いの?」

「…あ、じゃ、5分ほどお待ちを…」


少しバツが悪そうな顔をして岡崎真面目は静かにドアを閉めた。

俺は玄関のドアに背を向けて、廊下の手摺から道路を見下ろし、時折流れていく車をぼんやりと見ていた。

けれどそれも直ぐに飽きて、今度は空を見上げると、雲が物凄いスピードで流れているのが見えた。


そう言えばさっきより風が強くなった気がする。

都会の明るい夜空を風を受けてぼんやりと眺めていたら、背後から「お待たせ」と言って岡崎真面目が出て来た。


「本当に良いのかな…」

「あはは、今更です」


最終確認のつもりで尋ねたけれど、岡崎真面目はさっきと変わらない笑顔で俺を部屋に招いてくれた。


「お邪魔します…」

「はい、お邪魔して下さい」


俺が岡崎真面目の家に素直に入ると、彼女は俺の背後から、きちんと玄関に鍵をかけた。


本当に良いのかな?…

岡崎真面目の良心に関心しながらも、それとも俺は男として見られていないのか?と、妙な苛立ちが無い事も無かった。

それにそもそも俺はこの状況をどう思っているんだ?…と、今度はそんな自問自答で更に悩んだ。

そんな複雑な思いを抱えながら、俺は彼女の住む居心地の良さそうなリビングに通された。


「とりあえず、先に汗を流す?お風呂が良いなら入れるけど?」

「いや、流石にそれは悪い…」

「う~ん、私は休日前は、お湯にゆっくりと入りたい派だけどなぁ…」

「なら真面目が先に入る?」

「良いのかな?それなりに長いよ?椎名がシャワーで良いなら先に使いなよ」

「いや、流石にそれは本当に悪い…」


そんな押し問答を繰り返していたら「じゃ、一緒に入るか」と真面目はとんでもない事を言い出した。


「は?」

「え?、いや、私が先に入るから、洗い終わったら呼ぶから中でシャワー使いなよ。私は湯につかってるから…休みの前の日は、ぬるま湯に15分って決めてるの」

「は?」

「もう遅いし、効率優先。それに眼鏡が無いと何も見えないから気にしないで」

「いや、気にしないでって…俺は見えるけど」

「椎名のエッチ」

「は?」

「椎名が見なければ良いでしょうが」


岡崎真面目の返事に固まる俺。こんな事を言われて動揺しない男がいたら逆に教えて欲しいくらいだ。一方の岡崎真面目と言えば、特に動揺する素振りも無く、お風呂のお湯張りスイッチを押していた。何だこの状況。


「あ、アイス冷蔵庫に入れるから出して」

「あ…は、はいっ!」


岡崎真面目のペースの翻弄されながら、いたたまれない気持ちとモヤモヤとした気持ちを抱えたまま、俺は邪な思考をいったん放棄して、彼女に従う事にした。




*****




その結果、こうである。

少し濁った入浴剤の入った湯船の中。眼鏡をおでこにあげて、目を閉じながら機嫌そうに鼻歌を歌うのは岡崎真面目。

そんな彼女を自分の背後に感じながら、俺は椅子に座って小さくなりながら頭を洗っていた。

くそう…男として、もの凄い敗北感を感じるのは、何故だろうか。

でもやっぱり女性用のシャンプーは良い匂いがする…なんて思いながら真面目に頭を洗っているから、俺はやっぱり岡崎真面目のペースに踊らされているのだろう。


「あ、いけね、身体を洗うタオルを持って来るの忘れたわ」

「あ~、気にしないなら使って良いよ。洗濯すればいいだけだし」

「…なんか、色々とごめんな…」

「気にしないで、困った時はお互い様だし、こんな偶然無いから、きっと今日はそう言う日だったんだよ」


そうか…こんな偶然は無いよな…。

そんな岡崎真面目の言葉に、俺はそうかも知れないな…なんて思いながら、素直に彼女の好意を受け取る事にした。


「じゃ、悪いけど使わせてもらうわ」

「うん、いいよ~、気にしないで…」


こんな感じで半ばやけくそ気味に身体を洗っていると、いつの間にか岡崎真面目は鼻歌もやめて静かになっていた。

ぬるま湯で15分だっけ?その時間を楽しむ事にしたんだろう。

そんな事を思いながら、なんとか身体も洗い終わった。


「俺、先に上がるけど」


背中越しに岡崎真面目に声をかけてみたけれど返事が無い。


「?あれ、真面目?」

「…」


そう言えばさっきから鼻歌を歌ってない…。


まさか…!

事故が起きたのかと思い、急いで振り向くと、岡崎真面目は湯船のヘリに頭を預けて、口をぽかんとさせて眠っていた。


「っ!…って…。はぁ…マジでビビった…。お、おい、真面目?」


俺の心配と驚きを返せ!なんて思いながら声をかけるも、岡崎真面目は穏やかな寝息を立てて気持ちよさそうに寝ている。

安堵から気の抜けた俺は、暫く岡崎真面目の間抜け顔を眺めていた。

うん、間抜けな顔も悪くない…とそんな事を考えた自分に気が付いて我に返る。


俺は大きくため息を吐いて、風呂場から出ると、洗面所に置いてあったバスタオルを腰に巻いて再び風呂場に戻った。


「なぁ、真面目、真面目ってば」


岡崎真面目の頬をペチペチと叩いて声をかけるも、彼女は全く起きそうに無い。

仕方が無いとばかりに、再び頬をペチペチと叩いて再び声をかけ続けた。


「真面目~、岡崎真面目~ってば、起きろ~」


う~ん。そうか名前か。

再びペチペチと彼女の頬を叩きながら「岡崎、岡崎」と声をかけるも、岡崎真面目はまだ起きない。

仕方が無い。俺は彼女の傍へ座り、耳元で声をかけ続けた。


「岡崎真知子…起きろ~。おーい、マチコさ~ん」

「真面目~生徒会長~岡崎~…」

「…」


全く起きない岡崎真面目の様子に、俺は少しばかりいたずら心が湧いてしまった。


「真知子、起きて」


良い声で彼女の名前を囁いて、彼女の耳をフニっと噛んでやった。


「っつ!!えぇ!!」

「はは、やっと起きた」

「え?寝てた⁉」


視点の定まらない様子で、湯船の中で慌てる岡崎真面目。


「あ~、危ないから起きて?」

「うわ~、ごめん」

「滑るからゆっくりな…」


そんな言葉がフラグになったらしい。

岡崎真面目は湯船から出ようと、湯船のヘリを掴んで勢いよく立ちあがろうとして、そのままふらついてしまった。


「わ!アブな!」


俺は咄嗟に叫んで、彼女の脇の下に腕を伸ばして、ふらつく彼女を受け止めた。


「わ、椎名、ごめ、っつ!!」

「あ…」


そう。

俺達は不慮の事故のせいで、上半身が裸のまま抱き合ってしまった。


「ひ~、椎名ごめん!しかも眼鏡がないから見えない!」


俺の胸の中で眼鏡が無い事を慌てる岡崎真面目。


「……。眼鏡はおでこじゃなかった?」


俺は何故だか低い声で答えていた。


「あ~そうでした、そうでした!」


岡崎真面目はゆっくりと身体を引きはがし、おでこの眼鏡をかけた。

そしてここに来てようやく、状況のマズさに気が付いたらしい。


「は?はだ?し、し、し、しいな、回れ右!」

「は?てか、俺犬じゃねえし!」

「み、見えてる、椎名の椎名が見える!」


そんな事を言いながら、岡崎真面目が自分の手で、口元やら目にあてるから、そっちの視界が隠れたのは良いけれど。

って言うか、さっきので俺のタオルはかなり腰より下がってしまったが、まだ俺の方は隠れている。

つまり、岡崎真面目。

お前の方が、見せてはいけない箇所を見せている訳で…。

だから俺は本能のままと言うか、自然な感じ?というか、まぁ、あれだ。

気にならない男がいたら、そいつがおかしい。


「いや…俺のはギリ見えてねえな。むしろお前の方が見えてるわ」


そう言って岡崎真面目の胸をじぃっと見てやった。

そんな冷静な突っ込みは耳に入ったらしい…いや、聞こえたと言うより、俺の視線の先に気が付いたのだろう。

俺の目線が自分の胸に向かっている事に気が付いた岡崎真面目は、俺の腰のタオルを引き抜こうとした。どうやら俺のをはぎ取って、自分を体を隠すつもりらしい。


「は、や、まって!それ貸して!」

「は?あ、ばっか、待てって!」


こうして狭い風呂場の中、湯船側の岡崎真面目と、洗い場側の俺とで、1枚のバスタオルを巡り、争奪戦が始まってしまった。

そして、そんな情けない戦いと言うか、もはや肉弾戦か。

1枚のバスタオルを巡る攻防の結果、そいつは湯船に沈んでいくのだった…。


「お前…」

「あわわ、し、椎名君のシイナクンが…」


真っ裸になった俺を見て慌て出す岡崎真面目。


「お~か~ざ~き~」


そう。

さっきから散り散りになっていた俺の理性は、ここに来て木端微塵に切れてしまった。俺は自分の髪の毛を掻き上げて、岡崎真面目の腕をつかむと、少し上から見下ろすような感じで睨みつけた。


「ひぃぃ!す、すみません、すみません、悪気は無かったんですぅ」


少し涙ぐんで謝る岡崎真面目を見ていたら、俺はちょっと変な方向にスイッチが入ってしまったらしい。


「…岡崎真知子…責任を取ってもらおうか…」


俺に凄まれて、蛇に睨まれたカエルのように動けなくなった岡崎真知子は、ごくりと生唾を飲み込んで尋ねて来た。


「せ、責任…とは?」


俺はいつもの営業スマイルを持ち出して、良い笑顔を浮かべて岡崎真知子に近づいた。


「もちろん、こうなった責任だな…」


悪い笑顔を浮かべたままの俺は岡崎真知子に近づいて、震える頬に手を添えると食むようにキスをした。


「っっ!し、ぃ、ん、ん!」

「…んっ」


そこから一通り岡崎真知子の口の中を堪能すると、後は啄むようにそれを重ねた。


「し、い、…なくんっ」

「…タクミ」

「っ、タ、タク…ミ…く…」

「ん…」


やがて貪る様なキスに変わると、俺はそのまま風呂場で、彼女の体をグズグズに溶かし込んだ。

いやぁ…だって…なぁ…。

このまま続けるぞと言えば、ものすごい可愛い顔で睨んで来るわりに拒まねぇし。

妙に強張らせるから、初めてかと聞いたら、コクコクと頷くし。

嫌か?と聞いたら、ブンブンと首を横に振るし。


だから溶けだしたそこから、指で奥へ奥へと何度も言ったり来たりをしつつ、彼女の好い所を探しながらグズグズに溶かしにかかったのだ。

だって初めてで、痛かったら可哀そうだしな。


こうして岡崎真知子の準備が出来たので俺たちは風呂から上がり、カタカタと揺れる窓の下にあるベッドの上へ進んだ。

うん、もはや髪の毛や体は乾いていたかもな。

そして台風のゴウゴウと響く風と稲光が何度も輝く中、俺達は何度も肌を重ねた。

もちろん、スーツのジャケットに隠した御守りはきっちり回収した。



そんな嵐のような夜が過ぎて、雨も止み、強い風だけになる頃、俺はベッドの上で目が覚めた。そして二の腕辺りに感じる重さを感じると、それは、彼女の頭の重さで、昨晩の風呂場と同じくスゥスゥと寝息を立てて寝ているのが聞こえてきた。


俺はゆっくりと寝たままの状態で顔だけを彼女に向けれた。

前髪を上げて見えた彼女の目の下側が、少し赤く腫れているように見えるのは、気のせいでは無いと思う。

そう言えば、頬にはパリパリに乾いた涙の後も見える。


「…てか初めての奴に3回とか、俺は鬼畜か…」


けれどそれはやっぱり俺だけのせいでは無い。

大きいだとか、知らないだとか、凄いだとか…好いやら、嫌だやら…。

まぁ、散々俺の脳みそを溶かすような言葉を口にする彼女も悪いんだ。

それに、こんな事に相性があるとは知らなかった。どうやらこれは都市伝説では無かったらしい。


しかも眼鏡をかけている時のスッとした表情と、あの時の恥ずかしそうな顔。しかも溶けきったあの時の顔とか…。そう言うのを諸々に含んだ全部が可愛いと思うのは、きっと台風のせいでは無いと思う。


ふむ…。


岡崎真知子、同級生の27歳。

独身で恋人は無し。

初めてのお相手は俺で、こちらは相性はバッチリ。

性格は真面目で、少々お節介。

しかも胸がデカい。学生時代からここだけは物凄く成長したらしい。

問題点は…お節介が過ぎて男性の悪意が分からない事と、危機管理が成っていない事…か。


「クソ…」

「ん?」

「あ、ごめん起きた?」


岡崎真知子は俺の腕から抜けると、ベッドの上で上半身をゆっくりと起こした。

そして振り返るような体制で俺を上から見下ろして、少し不安そうな表情を浮かべた。


「何か、怒ってた?」


いいや。俺は岡崎真知子の危なっかしさに腹が立ってたんですけど…とは言えず、あれ?なんで俺は腹を立ててんだ?と思えば、その答えはすぐに出た。


だから俺はその答えを伝えるべく、彼女と同じようにゆっくりと上半身を起こして、彼女の頬に指をあててゆっくりと確かめるように撫でた。

そしてそのまま長い髪を耳にかけて、そのまま髪を梳いた。

うん、これは彼女に触りたいだけだな。


「乾かして無いからゴワゴワしてると思う」

「そうなんだ」


俺は岡崎真知子の唇を食みながら「怒ってない」と答えると、次に俺がするべき事を考えていた。


「なぁ、仕事って辞めたんだよな?次は決めてる?」

「…暫くは貯金もあるし、ゆっくり探そうかと」

「じゃあ、俺達の会社で働く気はない?」

「え?」

「…俺、友人と会社やってんの」

「そうなんだ…」

「あ~、それで」

「?」

「あ、あのな…」

「何?」


そう、するべき事はそっちが優先…では無いな。

こっちが優先で、仕事はついで…いや、これも違うか。

俺は彼女の手を取って、それをゆっくりと引き寄せると、自分の頬にあててそれを告げた。


「俺と結婚しない?」

「え?」

「ってか、結婚して下さい」

「ちょ、え?急に何?」

「…てか、責任取ってもらうって言ったし」

「っ⁉」


そう。

昨夜のその言葉は単なる俺の欲の話だったけれど。

いや…今もそれはそんなに変わらないか。

それよりも今の方が独占欲って感じで強いかも知れない。

だって、遠距離とか嫌だし。だいたいそんな移動だけの時間なんか勿体ねえよ。


「あ、あの急すぎるので、まずはお付き合いという形で…」

「なら結婚を前提にって事で」

「恋人…ですよね?」


まぁ、普通はそうかも知れないけど、懸念は真っ先に潰しておくよね?これ鉄則な。この場合は逃げ道だ。


「なら婚約者」

「んっ!ちょ、待ってって!」

「ん…ダメ」

「ん、ん~~!!」


俺は強引に自分のペースに巻き込む事にした。

すまんな、そういうの得意なんだわ。

だから否定の言葉が出ないように真っ先に口を塞ぐ事にした。


「…」

「…あの…」

「ん~?」

「ちょ!…あわ…あ、あっ!って、こ、こら~」

「ここだっけ?」

「~~~んんんっ!!」


好い所を刺激されて隙だらけの彼女を抱き寄せると、俺はくるんと彼女をベッドの上に仰向けにひっくり返し、そのまま組み敷いた。


「ま、まって、す、す、好きって事ですか?」

「ん~?」

「こ、恋人!こ、恋人ってそういう事!」

「…昨日散々言ったし、言われたけどなぁ…って、あれ?覚えてない?」


なら思い出させるか、思い知らせるか…。うん、まぁどっちも同じか。

そんな事を考えながら、目に付く至る所にキスをしまくった。


「ひ、ひぃ!んっ!あ…、んんっ!」

「なら、今から復習な…」


そんな感じで俺達の朝は始まった。


まぁ、結婚と言うのは性急すぎたかもだけど、こんなにいい子が他の会社で働くなら、俺たちの所へ来て欲しい。

となると、会社の社長…とは友人のあいつだが、あいつが彼女に付け入る隙があると思わせるのは癪に障る。あいつはそんな奴じゃないけれど、俺より高スペックのあいつが選ばれるのは嫌すぎる。

あ~違うか、これは言い訳か。これ、単純に俺の独占欲が強いだけだわ。


と、少し思考が横にそれたが、今は目の前の彼女、真知子の事が優先だったな。


「っつはぁ、ここが、好きっだ、よねっ!」

「はぁ、す、すきっつ!、タ、タクミ、好きっ!」

「んん゛っ……」


俺は休みを決めた新幹線に感謝をしつつ、その後もお守りが無くなるまで何度か一緒になった。

けれどこれで打ち止めか…と思うと、いっそ無いままで、さっさと種を仕込むのも悪く無いな…と思ったのは彼女には内緒だ。

多分真面目な彼女の事だ、そんな事を考えたと知れたら嫌われそうだ…。


彼女はまた少し気を失うようにして、スヤスヤと眠り出した。


「俺の事もっと好きになって、早く俺ん家に来たらいいよ」


俺は無意識の彼女にまるで刷り込むようにして、彼女の口にそっと口づけをした。


「う~…ん」


真知子は唸りながらも肯定の言葉を口にしてくれたから、多分これで恋人になってくれた…で合ってるよね?


「さて…と。あいつに休みの連絡しとかないとな」


ベッドの上で俺は、う~んと伸びをした。

今日は寝不足でも気分が良いのは気のせいでは無いはず。


ベッドで眠る彼女の寝息を聞きながらベランダに向かえば、台風はとっくに日本海側へ過ぎていているようで、台風一過の爽やかな風が吹いていた。









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