第1部最終話 ありがとう


 白薄荷しろはっかの宮はうすい霧につつまれている。


 高度千二百モルのつちびとの郷の東端、より高い峰に続く尾根のすそに宮はあるから、朝わいた霧が昼過ぎまで晴れないというのはよくあることなのだ。


 宮の長、ジンハ・リンの妻と息子は早朝に商用で出発した。

 今朝はそのほか、さしたる用事もない。

 竜舎の様子は住み込みの籠守かごもりが見てくれている。


 そよ、と涼しい風がふく。

 黄色い小さな花が、屋敷のまわりを埋めている。

 

 おだやかな良い朝だな。

 ジンハは気が向き、とくに大事にとっておいた高い茶を淹れた。

 窓際に立ち、香りを愉しみ、ひとくち、含む。


 その茶はただちに噴射された。


 彼の目の前、屋敷の前庭に、音もなく十頭ほどの竜が降り立ったのである。

 竜の宮への急な客人はおおい。だから、その程度のことではジンハは驚かない。

 

 が、先頭の二頭、白金と白銀の竜の騎乗者が、大身ウォジェ家のあたらしい当主とその弟だとなれば、事情は異なってくるのである。

 噴射した茶の始末はあととして、ジンハは玄関にまわり、走り出た。


 「で、ディオラさま、セイランさま……これは、急な、お越しで……」


 同行した連れに手綱を預け、ディオラはジンハの前にたち、丁重な礼をとった。ジンハも慌てて返す。


 「突然の訪問、申し訳ありません。今朝ほど急に、ちょっと寄らせていただこうと、弟が言い出したもので」


 ディオラが笑いながらそう告げ、セイランの方に振り向く。

 セイランも竜から降り、別の竜のところへ歩きながらぺこりと、無造作に頭をさげた。


 「お久しぶりです、お義父とうさん。でも、今日のこと言い出したの、俺じゃないですからね」


 そういい、薄い桃色の外套をふわりと着込んで頭巾を目深に下ろしている騎乗者に、手を貸した。騎乗者はゆっくりと、慎重に竜から降り、頭巾をあげた。

 

 「へへ。来ちゃった」


 トゥトゥはやや目立つようになった腹に手をあてながら、いたずらをした子供のような笑顔を浮かべてみせた。


 「お、おまえ、竜になんか乗っちゃだめじゃないか、お腹の子、障るだろ」

 「大丈夫だよ、もう落ち着いてるから……ああ、ひさしぶりの山の空気!」


 そういい、ううんと、大きく伸びをする。

 ジンハは眉をよせてため息をつき、それでも、微笑んだ。トゥトゥに歩み寄り、肩を抱いた。むすめも同じように返す。


 「……おかえり」

 「うん、ただいま」


 ジンハはあらたまってディオラとセイランに向き直り、飛演祭ひえんさいの優勝と、当主ならびに当主代理への正式就任の祝辞をのべた。

 あわせてセイランには、妻の懐妊を寿いだ。


 飛演祭の日。

 ディオラの衝撃的な復活に会場が沸き立つなか、蒼白となったセイランがトゥトゥを抱えてウォジェの席に飛び込んだ。リッセンと侍女らが迅速にうごき、医師が手配され、セイランは、ひとり会場の隅で手を組んで、祈った。


 そうして、報せはナルンが運んだ。

 目を真っ赤にはらしたナルンは、セイランのもとに走り、耳打ちをした。

 セイランはしばらく動かない。

 が、だんと立ち上がり、走り出した。

 競技場へ降りる。

 控えの竜に飛び乗り、なにやら叫びながら、空にあがった。

 そのままずっと、叫んでいた。

 

 少し前から兆候はあったんだけど、と、目が覚めたトゥトゥは照れながらみなに詫びた。が、ありがとう以外の単語を喋ることができなくなってしまったセイランに抱きしめられ、彼女もまた、ことばをなくした。

 

 飛演祭のあと、長女インファの危機を救ったとして塡星城てんせいじょうから黒玻璃城くろはりじょうへ丁重な挨拶があり、それを契機に両者の親しい交流がはじまった。

 インファは用事の有無にかかわらず、ひんぱんに黒玻璃城を訪れた。

 両者の技術は交換され、商売や人材のやりとりも行われるようになった。

 あたらしい時代が、来ようとしていた。


 今日は、竜捌きの評議会の用事だった。

 あらたに評議会に加盟を申請してきた水竜すいりゅう、海で生まれる竜たちの宮のあつかいについて会合がもたれることとなっており、トゥトゥはそれについてきていたのである。

 水竜の宮は海辺に棲む一族が独占しており、地竜ちりゅうとも星竜せいりゅうとも交流をしない。だが、彼らは現在のひくい地表の瘴気汚染の原因をつかんでいるとも言われており、今回の申し出は慎重に検討すべきものであった。

 

 そうした、竜にまつわる困難なことがらについて、祝縁しゅくえんの花嫁の助言をもとめる声が、評議会でも聞かれるようになっていたのだ。


 ディオラはジンハに、つちびと、山地で暮らすひとびととの交流について話題をもちかけ、ふたりでなにか難しい話をはじめた。

 トゥトゥはセイランの手を引き、見晴らしの良いところへ移動した。

 手を繋ぎ、空をあおぐ。

 花々のかすかな香気をふくんだ風がやわらかく吹き抜ける。

 

 「いいところだな」

 「でしょ。わたしの、ふるさとだもん。大好きな場所」

 「……地上で暮らすのも、悪くないかもな」

 「なにいってるの。黒玻璃城、当主代理さま」

 

 あはは、と笑い合う。

 セイランの手がうしろからトゥトゥを包む。

 腹に、やわらかく触れる。


 「……ほんとうに、ありがとう。来てくれて。君も、この子も」

 「……ん」


 トゥトゥが手を重ね、こたえる。

 と、セイランが騎乗する白銀の竜が声をあげた。


 ねえ、はやくいこうよお。まちくたびれたよお。


 はあい、と、トゥトゥとセイランが同時に返事をした。

 ふたりは顔をみあわせ、笑った。


 ふかい蒼の空に、竜のこえがひとつ、とおく響き渡った。



 <第一部 完>


 


 

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祝縁の花嫁は竜の背に立つ 壱単位 @ichitan

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