夏休みのある日の出来事

よし ひろし

夏休みのある日の出来事

「ふぅ、暑いなぁ、今年は…」

 少年はかぶった麦わら帽子の庇越しに抜けるような青空を見上げてつぶやいた。

 小学生最後の夏休み、父の田舎に遊びに来た健太は少しの冒険心を起こして、ちょっと遠くまで散歩してみようと思い立った。


 夏の午後、遥かに広がる青々とした稲田を傍目にゆっくりと歩を進めていく。空は晴れ渡り、風はふんわりと吹き抜け、木々や稲穂がそよ風に揺れている。遠くには山々が静かに佇み、自然の美しさに心が引き寄せられた。田んぼの周りには、昔ながらの古い民家が点在している。その赤い屋根と古びた木造の壁が懐かしい雰囲気を醸し出していた。どこからか聞こえる風鈴の音が涼やかに響き、時がゆったりと流れているような錯覚を覚える。


「おや健三さんとこのちびっこ、どこに行くんだい?」

 農作業をしていた老人が、健太に気づき声をかけてくる。祖父の友人で、健太とも幼いころからの知り合いだ。

「こんにちは源さん。少し先に古びた神社があるって聞いたので、行ってみようと思って」

「ああ、昔の水鏡様か。今じゃほとんど参る人もないないところじゃが、なんでまた」

「暇なのでちょっと冒険」

「そうか、まぁ気をつけてな。暗くなる前にお帰り」

「うん。じゃあ」

 健太は老人に軽く手を振ると、また歩き出した。あぜ道を進み、目的の神社へと歩を進める。


 昔の水鏡様と老人が話した神社は、村の北の外れにあるこんもりとした里山の上にあった。元々はその辺りが村の中心であったが、戦後の街道整備による宅地整理や減反政策での田んぼの縮小などに伴って、村の中心が南に移動したため、水鏡神社も本殿を移し、古い社は最低限の手入れだけされ、ほぼ放置されている状態だ。

 健太は祖父にその古い神社の話を聞き、なんとなく行ってみようと思いっ立ったのだ。


 しばらく歩いていると、風景が変わってきた。人家もなくなり放棄され草原になった田んぼの跡が周囲に広がる。その向こうに緑の木々がそびえる小山が見えた。目的地が目前に迫ったことで健太はやや歩を早め、間もなく神社の立つ里山の麓に着いた。

「この上か…」

 石造りの鳥居の間に雑草に半ば埋もた階段を見上げて、健太はふぅーと一息つく。

 両脇にそびえる木々の間から射し込む陽光がキラキラと光り、どこか幻想的な雰囲気を創り出している。古びて見えたが意外としっかりとした造りの石段を一歩づつゆっくりと上がっていくと更に幻想さが増し、健太をどこか別の世界に向かわせるような心持にさせた。木漏れ日が踊り、細かな光の粒が空気中に舞い踊る様子は、まるで魔法のような美しさだ。


「もう少しだ…」

 見上げる先に朱色の鳥居が見える。その先に境内が広がっているはずだ。

 健太は湧き上がる期待感に押され足取り軽く石段を上がった。

「ここかぁ…」

 鳥居をくぐると参道が続いていて境内が広がっていた。年月を重ねたと思われる樹木が立ち並び、神々しさと共に荘厳な雰囲気を醸し出している。木々の葉は緑が深く、夏の風を穏やかに遮りながらも、微かな風がさやさやと葉を揺らし、そよ風の音が心地よく耳に響いいた。木々の間から覗く青空は、澄んでいて、まるで大自然の抱擁を感じさせる。そんな境内の奥に神社の本殿が見えた。今はもう使われなくなったせいか、どこか寂れた感じがする。黒ずんだ木の柱と古びた屋根が歴史を物語っていた。


 しっとりとした苔が間から生え、繊細な緑の絨毯を作り出す石畳を進み、健太は本殿へと近づいて行った。その時――

『ねぇ、遊びましょ』

 どこからか声が響く。

「えっ!?」

 びっくりして健太は立ち止った。慌てて周囲を見回す。

と、ひときわ大きな樹の陰から黒い髪に白い着物を着た少女がすぅーっと現れた。健太と同じぐらいの年頃だろうか、美しい顔立ちの少女だった。白い肌に切れ長の目、薄く紅い唇。整った綺麗な容姿だが、どこか儚げで、触れれば消えてしまいそうな印象がする。

「!!」

 健太は声もなく息をのみ、目を見開き、少女を凝視した。

『ふふっ、何して遊ぼうか? そうねぇ~、鬼ごっこがいいかな』 

「鬼ごっこ…」

『そう。私が鬼――』

 そう言った途端に少女口が左右に裂け、三日月に開いた口から牙がのぞく。目が吊り上がって紅く染まり、額の両端から角が伸びた。

「わぁっー!?」

 健太は反射的に踵を返し、来た道を走りだした。苔の生えた石畳を全力で駆け、朱色の鳥居を目指す。

『うふふふふふ…』

 鬼と化した少女の不気味な笑い声が、背中から追ってくるのを感じながら、健太は一目散に神社の出口へと向かった。すぐに鳥居まで達し、潜り抜ける、が――

「――なんで…?」

 里山の下に降りる石段に出るはずなのに、健太の目前には神社の本殿があった。賽銭箱のすぐ前だ。

『まだ帰さないわよ。もっと遊びましょ!』

 すぐ耳元で声がした。

「うわぁぁっ!」

 健太は声に振り返ることなく逃げる。

 本殿の周囲を巡るようにひたすら走る。

 走る、走る、走る。


 無我夢中で逃げているうち、健太は森の中に迷い込んでいた。

「はぁはぁはぁ、あれ、ここは――?」

 息が切れ立ち止った健太は、周囲をぐるりと見回した。いつの間にか白い霧が立ち込め、空から降り注いでた陽光も遮って、白い世界になっていた。密集した木々のせいもあり、遠方がまるで見えない。自分がどこにいるのかわからない。どれくらい走ったのか、時間の感覚もなくなっていた。

「なんなんだ、これ……」

 健太が途方に暮れていると、白い霧の向こうから少女の声が響いてきた。

『今度はかくれんぼね。わたしを見つけて――』

「待って! もう帰してよ!」

『ふふふふふ、わたしを見つけたら帰してあげる』

「ちょっと待って――」

 健太は声に向かって思わず手を伸ばした。その指先にかすかな空気の揺らぎを感じて、ハッとなる。

「風……、こっちか?」

 白い霧で方向感覚のない中で唯一の手掛かりとばかりに、かすかな風の流れてくる方へ、健太は進みだした。

 霧をくぐり、空気のわずかな流れとなんとなく感じる気配を探り探り、森の中を彷徨っていく。


 しばらく進むうちに、視界が徐々に良くなってきた。霧が薄くなり、周囲の様子がはっきりしだす。木々が静かに立ち並び、戻ってきた陽光が輝く粒子となって森の中に踊り、幻想的な光景を創り出していた。

 導かれる――

 健太は、見えない道しるべをたどるように歩を進めた。そして、不意に視界が開けた。

「えっ! みずうみ――!?」

 目前に水面が広がっていた。遥か遠くまで。しかしあの里山の上にこんな広い湖があるわけはない。健太は混乱し、自分の目を疑う。

 湖の水は透明で、そこに木々や空が映り込み、美麗な絵画を思わせる風景を創り出していた。湖面に浮かぶ睡蓮の花は、静かな水面に優雅な美しさを添えている。そんな湖の中央に、すぅーっと人影が現れた。

『ふふふっ、よくここにたどり着いたわね。かくれんぼはあなたの勝ちね』

 白い着物の美少女がにこやかに微笑む。

『この場所に来れるなんて、あなたやっぱり特別な因子を持ってるわ』

「特別――」

『そう、ここはわたしの創り出した異空間。普通の人は入れない。あなた、霊感が強いとかいわれたことはない?』

「いや、とくには――」

 そこで健太はふと一つのことが頭に浮かんだ。

「そういえば、青森のばあちゃんが、むかし巫女をしてたとか聞いたような…」

 数年前に死んだ母方の祖母の姿が思い浮かぶ。どこか不思議な雰囲気を纏った人だった。

『ふぅ~ん。まあいいわ。それより次、何して遊ぶ』

 言いながら少女はすーっと水面を滑り、健太のもとにやってきた。美しい顔が目の前に来る。

「ま、待って。次って、見つけたから帰してくれるんじゃぁ――」

『ええぇ、いいじゃない、もっと遊びましょ』

「えっ、でも、その……」

 口ごもる健太。強く反論してまた鬼になられてはと腰が引ける。


 その時――

「そこまでですよ、水鏡様!」

 健太の背後から女性の声がした。振り返ると森の中から少女がひとり現れる。白衣に緋袴の巫女姿をした美しい少女で健太よりやや年上のようだ。顔立ちが健太のすぐ横の水鏡様と呼ばれた不思議な少女と少し似ていた。

『あら瑠璃。何しに来たの?』

「何しにじゃありません。一般人をここに引き込んで、何してるんですか!」

 瑠璃と呼ばれた少女が少し声を荒げながら、健太たちのほうへやってくる。

『ちょっと遊んでただけよ』

「ちょっとじゃないです! ここと外の時の流れが違うのわかってるでしょ。外では夜になってもその子、健太君が帰ってこないから、大騒ぎになってるの!!」

「えっ、もう夜なの!」

 巫女姿の少女、瑠璃の言葉に健太は驚いた。この神社にきてまだ1~2時間ほどしかたってないと感じていたからだ。現に空には日の光がある。

「ここは時の流れが滞っているから。とにかく早く帰りましょう、健太君」

 瑠璃が右手を伸ばし、健太の左手を取る。

「えっ、あの――」

「ここ迷子になると大変だから、あたしの手、離さないでね」

「は、はい」

 綺麗なお姉さんに手を握られ、ドギマギする健太。言われるままに手を引かれ二人で森のほうに歩き出す。

『あ~ん、もう怒らないでよ、瑠璃。最近遊んでくれる人いないから、つい』

「知りません」

『ごめんなさい…。えぇっと、お詫びに、はい――』

 水鏡様が、ポンっと手をたたいた。途端に周囲の風景が変わった。暗闇が二人を覆い、上空には満天の星空が広がる。

「ここは――」

「神社の境内ね。水鏡様が送ってくれたみたい」

「本当に夜だ……」

「さあ、帰りましょ。みんなが心配しているわ」

 瑠璃がつないだままの健太を引いて暗闇の中、石段へと向かう。と、刹那周囲の灯篭に灯りがともり行き先を照らしてくれる。

『今日はごめんなさいね、健太君。……バイバイ』

 水鏡様の声が響くが、姿は見えない。

 健太はふっと本殿のほうを振り返った。一瞬、あの白い着物姿が見えたような気がした。

「行きましょう」

「……はい」

 瑠璃に手を引かれ、健太は鳥居をくぐった。石段を下りていく途中で、瑠璃がポツンとつぶやいた。

「機会があったら、また遊びに来てあげて。水鏡様、喜ぶから」

「ええっと――」

「今度はあたしも一緒に、ね」

 瑠璃が健太を見て、小首をかしげる。美しい瞳に見つめられ健太の鼓動は早くなり、頬が熱くなるのを感じた。

「あ、はい」

 思ったよりも大声で返事をした健太に、瑠璃は微笑み

「ありがとう」

 と一言いうと、再び石段を下り始めた。その後に続きながら健太は水鏡様の声を聴いたような気がした。

『また遊ぼうね!』



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