第19話 落日の章 (終章)
*大号令
手取川の合戦の後、加賀国の和田山城から以南は、金沢御坊の意を受けた一向宗徒が、織田方となっていた城を全て奪回した。
上杉勢は手取川の水が引くのを待って渡河し、北庄まであと僅かの越前国細呂木(現・福井県坂井市)まで進撃した。しかし、恐れていた初雪に見舞われてしまい、それ以上の南下は、断念せざるを得なかった。
柴田勝家や前田利家は、最大の危機が去ったことで、一様に胸を撫でおろし安堵していた。
その後、謙信は加賀国に引き返し、松任、津幡、高松といった諸城の拡張普請を指示し、守兵を置いて固め、能登国に凱旋した。
一度、七尾城に立ち寄り、休む間もなく向かったのは、奥能登の松波城である。もちろん、謙信に逆らい続けた最後の城を、自ら攻め落とすためであった。
城主、松波義親には降伏を促すも、最後まで応じようとしない。天正五年十月、謙信はやむを得ず総攻撃を命じた。
守兵五百が籠る松波城に、兵八千の上杉勢が四方から一斉に攻めかかる。まさに衆寡敵せず、である。松波義親は城に火をつけ、自らは自害して果てた。この戦いを最後に、能登国は完全に謙信の手中に収められた。
謙信は、その後も能登国・七尾城に留まり続けた。七尾城修理拡張の普請の進み具合を検分しながらも、年貢の納入、金の商取引、治安維持など細部にわたって必要なことを定めている。更に定めただけでなく、能登国内にそれらがどれだけ浸透するかを、自ら確認していた。
守護・畠山氏の没落以降、能登国の民政は停滞し、治安の悪化は想像していたよりも深刻だった。それを目の当たりにした謙信が、看過するはずがなかった。
自らの指示で焼き払った七尾城下にも、やがて人々が戻り、少しずつ家が建ち、再び活気を取り戻し始めていた。
天正五年十二月、ようやく謙信は帰国の途についた。
帰国から数日後、実城には蔵田五郎座衛門尉の姿があった。
蔵田五郎左衛門尉は相変わらず、商人としての顔と、越後の財政を一手に担う勘定方大番頭、謙信不在時の留守居役、更に治安維持の元締めとしても活躍し、その才覚を如何なく発揮していた。
「久しいな、五郎左」
「御実城様もお変わりなく」
「うむ。今日、来て貰ったのは、お主の商売の
「はて、それは如何なるご用向きでございましょう」
「京から優れた絵師を招いて欲しい」
「それはようございますが、何をご所望でしょうか」
「儂を描かせて欲しい」
「それはもちろん喜んで手配いたしましょう。しかし、珍しいことですな、御実城様が御自らのお姿を、進んで絵にしたいなどとは」
「儂も年が明けて、早や四十九歳となる。それを機に我が肖像画とやらを描いて貰い、それを師である高野山無量光院の清胤様のお手元にお届けしたい、と思っておる」
「そういうことでしたか。それでは早速、京の伝手を辿って、当代一流の絵師に来て貰うことにいたしましょう」
「頼んだぞ」
「お任せください」
「それから、お主にはあらためて、頼んでおかねばならぬことがある」
「関東遠征の留守居役でございますね」
「そうだ、察しが良いな」
「御実城様との長いお付き合いのお陰で、自然と分かるようになりました。次はいよいよ関東であろうと」
謙信は笑った。
「此度こそ、氏政と決着をつける。大軍で越山する。長期間になるかもしれぬ。金蔵の心配はしていないが、留守中の治安だけは、お主の力がどうしても必要だ」
「承知いたしました。越後のことはお任せください。どうぞ、ご存分に。吉報をお待ちしております」
蔵田五郎左衛門尉は、丁重に頭を垂れて実城を後にした。
五郎左衛門尉は帰る道すがら、幾度となく振り返っている。視線の先には、いつもと変わらない春日山城が聳え立っていた。そう、いつもと変わらないのだ。しかし、何か気になる。その時に感じた違和感が何なのか、五郎左衛門尉には最後まで判らなかった。
明けて天正六年(一五七八年)正月、謙信はひとり静かに文机に向かっていた。
一枚の紙が置かれている。そこには謙信が墨で書いた「四十九年一睡夢、一期栄華一杯酒」の文字がみえる。
「失礼いたします」
謙信の居室に入って来たのは、直江景綱の妻であった結である。今は剃髪して礼泉尼と名乗っていた。
「白湯をお持ちしました」
「いつも済まぬ」
謙信は礼泉尼に顔を向けて、軽く頭を下げた。
「昨晩も近臣の皆さんと、御酒をたんと召し上がられたそうですね。少しはお控え頂かないと。お身体に
「よいのだ。儂の一番の楽しみじゃ。しかし、飲んだ次の日の白湯はまこと有難い」
謙信は器に入った白湯を一気に飲み干した。
「もう一杯ご所望ですか。お持ちいたしますが」
「いや、もうよい」
礼泉尼の目に文机の紙が目に止まった。
「何を書かれていたのですか」
「これは辞世の句、のようなものじゃ」
「まあ、辞世などと正月早々縁起でもない。戯れが過ぎます」
謙信は、まるで悪戯小僧のように笑いながら詫びた。
「済まぬ、済まぬ。実は今度、京から絵師を呼ぼうと思っている」
「その絵師とその句は、どういうご関係が」
「そのように怖い顔をされていては、何も言えぬではないか。落ち着いて聞くがよい。その絵師には儂の法体姿を描いて貰い、それを高野山の無量光院・清胤様のもとに、納めようと思っている。その絵の裏には、儂の句を認めたい。それを今、考えていたというわけじゃ。儂も早や四十九の歳を迎えた。良い機会だと思ってのう」
「それをお伺いし安堵いたしました。大和守と弟を亡くし、もしも御実城様まで亡くしたら、と思うと、今も尚、心の臓が飛び出るほど高鳴っております」
「驚かして済まなかった。しかし、如何にも儂らしい句とは思わぬか」
「さようでございますね、今の栄華を一杯の御酒になぞらえるなど、御実城様らしいと言えば、そうかもしれませぬ」
「大和守が何と言うか聞いてみたかった」
礼泉尼は黙ったまま、ただ静かに謙信を見つめている。
「大和守が逝ってから、もうすぐ一年になる。月日の流れは早いものだ」
「まことに」
「生前、大和守にはどれだけ助けられたか。時には父のように叱られ、時には兄のように激励され、またある時は一番の理解者で、唯一無二の友でもあった」
「生前、御実城様とのお話は、幾度も伺っておりました。その時の大和守の嬉しそうな顔は、生涯忘れられませぬ」
「今年の関東遠征にも同道して貰うつもりでいたが、今となっては、それも叶わぬことになってしまった」
「今度は関東ですか」
「そうだ、大軍を率いて小田原を攻める」
「決して、ご無理をなさいませぬよう。いくら戦にお強い御実城様でも、病だけには勝てませぬゆえに」
「大丈夫じゃ。心配には及ばぬ。それよりも、済まぬがもう一杯白湯を所望いたそう」
「やはりそうでございましょう。少しお待ちくださいませ」
そう言って礼泉尼は、顔を綻ばせながら居室を後にする。
謙信はもう一度、自作の句に目を落とし、満足そうにひとり頷いていた。
天正六年(一五七八年)一月十九日、謙信は関東出陣の大号令を発した。春日山城の進発は三月十五日とし、越後はもとより越中、能登の一部の将兵まで招集をかけるという、謙信としては過去に例をみない規模での陣触れだった。
それは、長年にわたり苦しめられてきた小田原を、今度こそ討ち滅ぼすという、謙信の執念の表れでもあり、北条氏政に対する痛烈な宣戦布告とも言えた。
これを知った北条氏政も恐懼狼狽しながらも、謙信を迎え撃つべく、戦支度を急速に推し進めることになる。
*一睡の夢
二月になると、越後国・府内の街は徐々に集まってくる兵で、過去にない賑わいを見せていた。一方、春日山城内でも、過去にない規模での戦支度に、至る所で大騒ぎとなっている。
そんな喧騒と混乱などどこ吹く風と言わんばかりに、謙信は京から招いた絵師と静かに向かい合っていた。絵師は法体姿の謙信を見ながら真剣に筆を動かしている。
極力動かずに同じ姿勢を保つのは、ある意味苦痛でもあったが、自らが望んだことであり仕方ない、と諦めていた。その時間がこのところ毎日、一刻程続いている。
その拘束が終わると、蔵田五郎左衛門尉が様々な書面を持参し、決済を求めてやってくる。戦に向けて必要となる兵糧や武器武具、弾薬、戦時常備品の数や、その値を記したものであり、面倒でも確認しないわけにはいかなかった。
絵師の拘束から解放されたのは三月一日だった。あとは絵師に仕上げを任せればよい。城下には既に五万近い兵が各地から集まってきている。
謙信は城下を流れる関川を越えた平原で、数日間の全軍による調練を行うことにした。兵も馬も鍛錬を怠ると、いざという時に力を発揮出来ない。また、大軍での動きを、謙信自身が確認する意味もあった。
騎馬隊、槍隊、弓隊、火縄銃隊のいずれも、謙信の想像を遥かに上回る出来に仕上がっていた。
調練を全て終え、全軍を揃えて閲兵した。あらためて馬上から眺める五万の大軍は、壮観そのものだ。
閲兵後に謙信は、全ての部将を春日山城本丸に集めた。
自らがあらためて、この一戦に賭ける意気込みと覚悟を、直接口にすることで、士気の統一と高揚を図ることが目的だった。
「これから話すことは、全て傘下の将兵に伝えて欲しい」
一呼吸を置いて謙信は続けた。
「我らは来る三月十五日、関東に向けて出陣する。目指すは相模国・小田原じゃ。宿敵、氏政を討つ。此度は氏政を討ち果たすまで、戻らぬつもりだ。不退転の覚悟で臨む。儂は十七年前、小田原城を囲んだが、その時は大飢饉で、どこの陣営でも兵糧が不足していた。そのうえ、大半の将兵は関東の寄せ集め軍に過ぎず、今振り返れば士気も区々だった。それでは勝てるわけがない。此度は違う。我が上杉軍のみで戦う。上野国の兵五千を加え、六万近い兵で攻め、そして勝つ。氏政を籠城はさせぬ。必ず野戦に引き摺り出してやる。そのための策も、既に儂の頭の中にある。これまで、関東では方々での裏切りに遭い、苦戦を強いられてきた。しかし、それもこの戦いで終わりにする。関東の小田原に長年与してきた国衆の降参は、許すつもりはない。皆はそれを非情と思うかもしれぬ。しかし、そこまで徹底しなければ、関東の地に平穏が訪れることはない。儂は関東に静謐をもたらすために、敢えて鬼となるつもりだ。それが関東管領としての儂の覚悟だ。小田原の氏政の首級を挙げた暁には、皆に褒美を取らせる。関東の切り取った土地も、手柄に応じて分配する。土地が要らぬ者には金で贖おう。だから、此度は乱取りを固く禁ずる。行った者は容赦なく厳罰に処する。我らは乱取りを目的に行くのではない。関東にも静謐をもたらすために行くことを忘れるな。我らは決して負けぬ。日の本一の上杉軍団だということを、全軍に叩きこめ。我らは関東管領軍である、という矜持を胸に持て。全力で戦い、そして勝つ。よいな」
「おう」
どの顔にも、緊張感の中に自信が
天正六年三月九日、その日は朝からどうも調子が優れない。それもそのはずだった。前日の晩、出陣を前に実城内で主だった将を集め、景気づけの宴を開いたのだ。 気分の高揚もあって、些か御酒を過ごしたらしい。謙信には極めて珍しいことだった。
「もう一杯、白湯をお持ちしましょうか」
礼泉尼だった。
「いや、真水を所望しよう」
朝から頭痛も激しく、それがなかなか治まらない。
「もうお若くないのですから、少しは酒量をお控え下さいませ」
心配そうな顔で謙信の顔を見つめている。
「戦を前にして、少し調子に乗り過ぎたようじゃ。心配ない。これが最後じゃ」
「大事な戦を前に、もし、御実城様が倒れるようなことがあれば、どうなるとお思いですか。しっかりして頂かないと」
「左様に怖いことを申すな。これでは、まるで童が母親に叱られているようじゃ」
「叱りたくもなります。本当に心配しているのですよ。お待ちくださいませ。ただいま、お水をお持ちいたしますので」
礼泉尼が出て行ったのを確認した謙信は、一呼吸を置いて立ち上がった。足元がふらついているのが自分でも分かった。厠への渡り廊下まで歩いたところで異変は起きた。
突然、目の前が真っ暗になった。大きな音が聞こえた。
自分は倒れたのか。やがて視界が開けたが、その先に天井があった。起きようとした。身体が動かない。助けを求めようにも、声すら出ない。再び、目の前から光が消えていった。
「水をお持ちしました」
礼泉尼は声をかけたが、居室にはいない。厠にでも行っているのだろう。しかし、暫く経っても謙信が戻ってこない。急に嫌な予感がした。厠に向かっていると、渡り廊下に倒れている謙信を見つけた。
「御実城様、御実城様」
声をかけても反応がない。
「誰か、誰か。大変じゃ、薬師を早く」
礼泉尼はひたすら大声で叫び助けを求めた。
儂は夢を見ているのだろうか。遠くに儂の名を呼ぶ何人もの声が、入れ替わりで聞こえる。喜平次、与六、長親、三郎、あとは誰だろう。聞き覚えがあるが、思い出せない。
そうだ。厠に行こうと思い、儂はそこで倒れたのだ。今日はいつだ。拙い、関東出陣までに快復しなければ。
やはり、身体が動かぬ。声すら出せない。儂はこのまま死ぬのか。大事を成す前だというのに、こんな無念があってもよいのか。
今は越後だけではない。北信濃、東上野、越中、能登、加賀、そして越前の一部まで勢力下に置いている。織田勢の大軍も手取川で一蹴したではないか。次こそ小田原を滅ぼすというこの時に、天は儂を見放すというのか。
儂にはまだこの世でやり残したことが、山ほどある。小田原の次は信長との決戦が待っている。鞆の浦から将軍義昭様を迎え、上洛も果たさなければならぬ。越中や能登の民の暮らし向きも、良くしなければならない。加賀とて一向宗徒が、武器を持たなくてもよい国に、少しでも早く変革しなければならぬ。
時が欲しい、時が足りぬ。
誰だ、誰の声だ。女性の声、結殿だ。礼泉尼殿だ。
聞こえる。跡継ぎ、そうだ。心に決めてはいたが、正式に宣言はしていなかった。
三郎、違う。
喜平次、そう喜平次景勝こそが、我が跡継ぎだ。どう表す。そうだ、頷いたつもりだが、これで分かっただろうか。与六兼続、喜平次を頼んだぞ。
そうか、やはり儂は死ぬのか。あれが、本当に辞世の句になってしまうとは。四十九年は一睡の夢の如しであった。
武田信玄、伊勢氏康、そして織田信長。全てが憎き敵であり、手強い相手だった。今となってはそれもただ虚しいだけ。
誰だ、儂の名を呼ぶのは。
大和守景綱、いや、そうではない。若き日の与兵衛尉実綱と呼ばれていた頃の姿のままだ。何故に、そんなに優しい顔で微笑みかけてくれるのか。
もう一人後ろにいる。誰だ。女性の姿。もしや。
蒼衣、そう蒼衣だ、間違いない。儂を迎えに来てくれたのか。
「殿。今日まで、よくぞここまで、お一人で」
「いや、一人ではなかった。皆の助けがあって、今日を迎えておる」
「その優しさと謙虚さが、皆を惹きつけるのでしょうね」
「違うのだ。儂は優しくなどない。冷徹で残酷な人間だ」
「それは大義のため、やむを得ずやってきたことでございましょう。本当の殿はお優しく繊細な心根の持ち主です」
「そのようなことはどうでもよいのだ。儂は未だやらねばならぬことが残されている」
「殿は十分に自らの務めを全うされました。私との約束も見事に果たしてくださいました」
「確かに越後の民は多少豊かになったが、未だ十分とは言えぬ。それに越中や能登は手をつけたばかりじゃ。まだこれからなのだ。国内の争いもなくなったが、儂が死ねばどうなるか知れたものではない」
「殿、それは跡を継ぐ者たちに任せましょう。殿の御心は後世に必ず引き継がれます。それを信じて参りましょう。長き間にわたり、本当にありがとうございました」
「そうか、儂はこれで本当に終わりなのだな」
「はい」
「これからはずっと一緒におれるのか」
「もちろんですとも」
そこには、昔と変わらぬ美しい蒼衣の笑顔があった。
一度、瞼が動いた。唇も微かにだが反応した。
「御実城様、御実城様」
礼泉尼は必死に、昏睡したままの謙信に声をかけた。倒れてから五日目の朝を迎えている。それから殆ど寝ずの番が続いている。薬師の話では、あと一両日だろうとのことで、既に諦められていた。
それでも、礼泉尼は
筆頭と目されるのは、二の丸に居を構え、御中将様と呼ばれている喜平次景勝だ。謙信からは弾正少弼の官途も引き継いでいる。日頃の謙信の接し方を見ていても、後継として期待を寄せているのは明らかに景勝だった。冷静に自分の目から見ていても、与六兼続という相棒を従えて、越後をあるべき方向に導いてくれるに違いない、と思える。
もうひとりいる。厄介なのは三の丸にいる三郎景虎だ。北条氏康の実子ながら、越相同盟以来、越後に居ついてしまった。しかも景勝の妹まで妻に迎えている。謙信が景虎の名まで与えているから、余計な憶測を招く恐れがあった。
「御実城様、お分かりですか。結です、礼泉尼です」
今度は眉が少し動いた。
「御実城様の跡目を伺います。必ずお返事ください。三郎景虎様ですか」
謙信の表情は動かない。
「跡目は喜平次景勝様ですか」
今度は僅かながら顎が下に動いた気がする。
やはりそうだ。謙信の意思は景勝に相違ない。礼泉尼は確信した。
「たった今、御実城様が私に跡目が誰かを伝えてくださいました。喜平次様です。喜平次景勝様です」
襖の外に控えていたのは、樋口与六兼続だった。礼泉尼と目が合うなり、立ち上がり二の丸の方向に急ぎ走り去るのが見えた。
やっと役目を果たせた、そう礼泉尼は思った。
天正六年(一五七八年)三月十三日未の刻(午後二時)、巨星落つ。上杉謙信は関東大遠征を目前に控えながら、静かにこの世を去った。
樹々の枝葉の間を通り抜けた木漏れ日が、幾筋も境内に差し込んでいる。その境内をひとり静かに歩む尼僧がいた。
天正七年(一五七九年)四月も終わりを迎えようとしている。
礼泉尼は一年越しの遺言となった約束を果たすために、高野山無量光院を訪れていた。謙信の肖像画を、自らの手で清胤法印に納めることが、礼泉尼たっての希望だった。当初、主である景勝は、道中危険を伴うことを理由に反対した。しかし、とうとう礼泉尼の熱意に負けて、警護の武者を数人つけることを条件として、長旅に出ることを許していた。
「遠路ご無事の到着で何よりです」
無量光院の門前には、清胤が自ら立ち、温かい微笑みで礼泉尼を出迎えた。
「御家の事情で一年以上も遅れてしまいましたが、こうして亡き謙信公の遺言を無事果たすことが出来ました。これも御仏のご加護のお陰と存じます」
一年以上を要したのにはわけがある。礼泉尼が謙信に確認した後継者確認の事実は、悉く無視され、「御館の乱」と呼ばれる喜平次景勝と三郎景虎による、戦国最大の御家騒動に発展してしまっていた。
去る三月に、景虎自刃により幕を閉じた、この内部権力闘争によって、謙信が一代で築き上げたものの多くが、失われてしまったが、それでも越後一国と越中の多くの部分が残っていた。これからは、跡を継いだ景勝と補佐役の兼続に、荒れ果てた国の再興を任せるしかない。
つまり、礼泉尼がこうして長旅が出来るようになったのも、つい最近のことだった。
「長旅でお疲れでございましょう。先ずはゆるりとお休みくだされ」
礼泉尼は御本尊の無量光如来が安置されている本殿に案内された。
「ここに謙信公もお越しになったのですね」
「出会いはもう二十五年以上も前のことになります」
清胤は謙信の肖像画を、しみじみと眺めながら呟いた。
「まるで生き写しのようです。よく描けている」
「京から招いた絵師の手によるものです」
「それにしても、この絵が完成した日にお亡くなりになるとは。まるで自らの死期を悟っていたかのようで、驚くしかありませぬ」
「まことに。しかし、謙信公は決して死期を知っていたわけではございません。裏に記された句をご覧ください」
「はて、この句はどなたが書かれたものでしょうか」
「それは倒れる前日に、謙信公が先に書かせてくれと絵師に頼み込み、自らの手筆で表したものでございます。それも驚くことなのですが、最初にその句を拝見したのが、私でございました。昨年の正月のことです。ご本人が辞世の句のようなものと言ったものですから、それを私が縁起でもない、ときつく叱ったのでございます」
「天下の上杉謙信殿を叱る方がいたとは痛快ですな。叱られた時の表情は如何でしたか」
「悪戯小僧のように笑って、詫びておられました。ですから、その時はご自分がその句の通りに、亡くなってしまうなどとは、夢にも思わなかったはずです」
「そうでしたか。稀代の名将と謳われ、軍神とも称された謙信殿にも、悪戯小僧のような表情をなさる時があったのですね」
「ええ、お仕えしたのはほんの僅かな間でしたが、少なくとも私の前では、神様でも仏様でも、ましてや鬼でもありませんでした。優しく愛らしく、誰よりも人間らしい御方でした」
「そうでしたか。拙僧の前でも、高い理想を持ちながらも、その実現には高い壁があり、悩み苦しんでおられる姿の方が、多かった気がします。それにしても、これからという時の突然の病とあっては、ただただ、ご無念だったことでしょう」
「私も当初はそう思いました。それでも今は、四十九年という自らの生涯を精一杯生き貫かれたのだ、と思うようにしております」
「確かにそうかもしれません。戦乱と無秩序の世に抗い、常に大義を掲げながら、理想と現実の狭間でもがき苦しみ、最後まで生き切った稀有な御方と申せましょう。かく申す拙僧も、いつお迎えが参るか分らぬ歳となりましたが、拙僧亡き後も、このように当院で永遠に御供養申し上げて参りますので、どうぞご安心ください」
清胤が持つ位牌には「為権大僧都法印謙信」との刻銘がなされていた。
「ありがとうございます。こうして清胤法印様と直接お話が出来て、遥々越後から参った甲斐がございました」
礼泉尼は暫しの逗留の誘いを丁重に断り、直ちに辞去した。
無量光院門前を出て、警護の者が待つ場所に向かって歩を進めた。不意に礼泉尼の前を一陣の風が舞い、通り過ぎて行った。
「御実城様」
清胤の言う通り、謙信はこの地で永遠に生き続けるに違いない。
急に大粒の雨が落ちて来た。長雨の季節がやってくる。礼泉尼は帰り路を急いだ。
(完)
軍営 横山士朗 @shiro46yoko
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます